♪ああいおでかけ
六月の朝は早い。四時には空は白み始め、雀がちゅンちゅンと元気に朝の挨拶を始める。
そんな涼やかな朝を迎えた町の外れの丘の上に、
寂心山と呼ばれる大きなクスノキが、
太い枝を、まるで腕のように伸ばして天を覆い尽くすように立っていて、
その下を覆う芝生には、
これまたぶっとい根をうねうねと這わせている。
そしてその樹の上の方にはでっかい洞があって、中には寝ぼすけなフクロウが一羽、楽しそうに夢を見ていた。
パチッと音が聞こえそうな勢いで、ああいは目を覚ました。
この町に引っ越してきて三日。
家は新築で、まだ畳の青臭い匂いも取れていない。
目の前にはようやく慣れてきた天井があり、横を向くと机の上には見慣れた目覚まし時計が、鳴り出す五分前だと主張している。
ああいはニヤッと笑うと、意味もなく湧き上がってきた勝利感に満足してすばやく部屋の隅に視線を送って、うれしさのあまり布団の中で身もだえする。
そこには新品でピッカピカの、ドロップハンドルという、ハンドルがグニャグニャと使いにくそうに曲ったロードレーサーという種類の自転車が置いてある。
フレームとフォークが、キラキラと青く輝くパールカラーという色で、後ろの方が白いクールなデザインの『ナショナル自転車工業』製のオーダーフレームだ。
サドルの下にはオオカミの形のサドルバッグ・・・・・・
おじいちゃんからのプレゼントで、かっこ悪いからいやだといったのだが、友達の評価は意外にも高かったので試しにつけてある。
それを確認したああいは顔いっぱいに笑顔を浮かべながら起き上り、喜びの踊りを踊る。
ああいは昨日、やっと念願のロートレーサーを手に入れたのだ。
自転車屋さんに通って、まだ来ないのかと催促する日々は終わったのだ。
お年玉やお小遣いをため、じーちゃんと、とーさん、かーさんのお手伝いの御駄賃をためてやっと……。
カーテンを開けて窓から空を見上げると、ピーカンの、雲一つない青空が広がっていて、思わずああいはガッツポーズをした。
手早く着替え、自転車とバックパックを担いで部屋を出る。
家族は予定通りまだ寝ているようで、家の中はシン。と、静まり返っている。
誰も起さないように、
「抜き足」
「差し足」
「忍び足」
で玄関まで来ると、壁に自転車を立てかけて台所にまで取って返した。
食パンにマーガリンとジャムを塗った物と、ツナとオニオンスライスを乗せ、マヨネーズをたらした物をくるくると巻く。
ツナの油でべちゃべちゃッポイのはご愛嬌だろう。
まだ小学生だしね。
ラップに包んだロールサンドを作ると、ソーセージと一緒にバックパックに詰め、冷蔵庫から、寝る前に用意しておいたお茶のボトルをつかんで家を出た。
ボトルはロードのフレームにセットする。ちゃんとつける場所があるのだ。
玄関を開けると、音がしないように慎重に外に出て、そおーっと扉を閉めた。
「あ、ヘルメット忘れた」
自転車を買った時のお母さんとの約束で、自転車に乗る時は必ずヘルメットを着けるように約束させられたのを忘れていた。
再度玄関を開けると、音を立てないように部屋に戻ってヘルメットをかぶって外に出る。
そしてロードに飛び乗ると、ペダルを思いっきり踏み込んだ。
今まで乗っていたママチャリと違い、ロードレーサーは軽快にものすごい加速をする。
その割に意外と安定感があった。
この自転車なら、どこまでも走っていけそうな気がして、思わずにんやりと笑ってしまった。
走るコースは何日も前から地図とにらめっこして決めていた。
引越しの時に寂心山というでっかい木の下を通った時から、もう一度行ってみたいと思っていたのだ。
あとは、田原坂という古戦場跡とやらがあるそうなのでそこにも寄る予定だ。
まずは家の横を通り国道三号線を渡る。すると坂があるので、ここをすごいスピードで下る。
ここの坂は向坂といって、西南戦争の初戦になった場所でもあるらしい。
耳の横で風がごうっと唸る。
すぐに平坦になって、道は細くなり、集落の間を縫うようにして走ると、また急な下り坂。
そこを下ると線路に出た。
線路の向こうには井芹川がきれいな水を湛えていて、踏切がカンカンカンとやかましくがなり立てていた。
ああいは「タイミング悪いなぁ」と呟いたが、すぐに特急つばめのかっこいい車両が目の前を通過していくのを見れてちょっと得した気分になった。
遮断機が上がり、踏切を渡って井芹川沿いの自転車道を田原坂に向かって走る。
そういえば、抜き足と忍び足ってのはなんとなく分かるけど、差し足って何だろなあんてどうでもいい事を考えながら、、、
結論から言うと、田原坂は坂だった。
名前聞けばわかりそうなものだが・・・・・・
ああいには、ロードで行った自分をほめてやりたいぐらいにきつかった。
で、今は寂心山のある丘を登っている。
つまり今も登り坂なのだった。
この後、行きに気持ち良く下った坂を登らなくてはならないと思ったら、迷わず、寂心山の木の根元で休もうと心に決めた。
「そういえば、まだロールサンド食べてなかったなぁ」
などということを思い出すところを見ると、まだ少しは余裕あるのだろうか。
寂心山は遠くから見えていたので、すぐに付くかと思っていたが甘かった。寂心山は思っていたよりはるかにでっかくて、走っても走っても、なかなかたどりつかなかったのだ。
でも、この坂をあと少し登れば寂心山だ。
よろよろと蛇行しながら、坂をやっとの思いで登り切ると、ああいは芝生の端っこに自転車ごと倒れこんでしまった。
芝生越しの地面が冷たくて気持ちよかった。。。
初夏の風を思わせる風がさわさわと汗ばんだは肌を撫ぜていく。。。
真っ白な、もこもこのひつじ雲が、のんびりと右から左へと歩いて行った。。。
ああいは自転車からボトルを抜く。と、中身はとっくの昔にカラッポだった事を思い出し、がっくりとうなだれた。
どこかに自販機はないだろうかとキョロキョロと辺りを見回すと、ちょっと離れた所に自販機を見つけて歩いて行く。
自販機の近くまで行くと、自販機の後ろからパタパタと、何かを叩くような音が出ているのに気付いたので、何気なく、ひょいと、覗いてみた。