目指せ大団円!
頭が割れるように痛い。
額を手で押さえ、痛みに耐えながら会話をしていたので相手の表情が険しくなった。
だって、痛いんですよ本当に。嘘じゃなくて、本当に。
「聞いてるのか? 愛澤!」
「……はい。でも、頭が痛くて」
頼む、頭に響くから叫ばないで。
まだズキズキして痛いし、ひぴでも入ってるんじゃないかって思うわ。
それに、温厚で爽やかな先生で評判なのに態度が違うんじゃないんですかね?
「それはお前が悪いんだろうが! 一体何を考えてるんだ!」
あぁ、そうか。そうだった。
あまりにも頭が痛過ぎてそんな事忘れてしまったわよ。
そうなると、悪いのは私だからこんなに怒られるのも仕方がない。
こうなった原因は私だもんなぁ……あー面倒くさい。
思わずぷっつんしてあんな事しちゃったけど、今思うとマズイわね。
うん、あれはマズイ。流石にやり過ぎたって反省してる。
本当だってば。
「我が学園の恥さらしだぞ! 謝って済む問題じゃないのは判っているよな?」
俯きながら静かに頷いて唇を噛む。
だから、頭が痛いんだってば。
もうちょっと優しく言ってくれませんかね……いや、うん、無理だって判ってるんだけど。
嘘でもいいから優しさの欠片を見せてくれてもいいと思います。
それか、とりあえず病院行かせてくれるとか、無いの?
あ、すみません。無いですよね。お前、立場分かれよって事ですよね、はい。
さっき改めて分かったところで、非常に反省している最中です。
でも先生、いくらお気に入り子達の前だからって張り切りすぎじゃないですかね?
いい格好したいのは判りますけど、四十近くのオッサンが鼻の下伸ばして正義ぶってんじゃねぇ。
こっちが困ってる時は「気のせいだ」とか、「お前にも原因があるんじゃないか?」とか言ってさ。
可愛い子やお気に入りの子の肩しか持ちませんよね。ええ、貴方はそういう人だ。
そりゃ私は可愛くないですよ。中の下くらいのランクですよ。
え? それもおこがましいかな。
でも妻子持ちでその爽やかさから、女子だけじゃなく男子からもそれなりに人気のある先生の実態がこれとはね。
この様子を録画して動画サイトにアップしたいくらいだけど、そうなると私の所業も知られてしまうわけだし。
プライバシーだってあるし……あ、私以外の人は別にいいと思います。
頼りになる先生なんていないし、トモダチですらない人たちですから。
「判りません」
あ、やばい。
判っていますって言うつもりだったのに、勝手に口が。
「お前は人をからかってるのか!」
「佐藤先生。愛澤さんは前からおかしいところがあるみたいで……一応、ちゃんと病院で診てもらった方がいいのかもしれません」
ドンッと机を叩く先生に、そっと進言するのは田中愛理。
私と同じ二年生で佐藤先生のお気に入りその一。
おっとりとして誰にでも優しい性格、どこか儚げな雰囲気に学園の男共は夢中だ。
学園のマドンナと呼ばれ、それを謙遜してはいるものの満更ではない。
見た目が可愛いって本当に得だよね、というのを体現しているような存在でもある。
「そうだな。愛澤は前からおかしいところがあるな。病院で頭を中心に診てもらうといい」
うん。そうだね。頭痛いからね。
馬鹿にするような響きで言われたけど、そんな事今はどうでもいいんだ。
早く病院に行って検査してもらいたい。
「ありがとう、田中さん」
「……いえ、いいのよ」
「愛理は優しすぎるわよ。こんな女、退学に決まってるんだから気にしなくていいのに」
皮肉や嫌味が通じない天然って、田中さんの天敵だよねー。
ま、判っててやってる私も養殖だけど。
そして、田中さんの隣でギャーギャー煩いのは鈴木三奈。
田中さんとは小学校からの親友だとか。
運動神経が抜群で、姉御肌という彼女は視野が狭く正義感が強い。しかし、残念かな少々頭が弱くて田中さんのいい操り人形になっている。
本人はそれに気づいていないから幸せなんだけど。
大親友だと自慢している田中さんは、いい駒だ程度にしか思ってないって知ったら絶望するかな?
案外打たれ弱そうだからなぁ、鈴木さん。
「二人とも、後は僕に任せて帰りなさい」
「でも!」
「三奈。佐藤先生がこう言ってくださっているのよ。私たちの出る幕は無いわ。帰りましょう」
そうだね。これから呼び出しくらった母さんがすっ飛んでくるからね。
私としても帰ってくれるとありがたいわ。
俯いたままやり過ごそうと決めながら二人が教室から出て行くのを待っていると、渋っていた鈴木さんは田中さんに促されるような形で出て行った。
足音が小さくなるのを確認してなのか、佐藤の態度が変わる。
「愛澤。お前さ、何でこんな面倒な事してくれてんの? 俺の査定に響くんだけど」
「あぁ、私のイジメを放置してた事ですか? 面倒になりましたよね。今度からは“無かったこと”にすると逆にマイナスになるって言うんですから」
二人がいなくなった途端にこれだ。
一応私もあんたの生徒なんだから、表向きの顔くらいちゃんとしてた方がよくない?
溜息をつきながら私がそう話すとあからさまに嫌な顔をしていた佐藤が、驚いたように目を見開いた。
「……っ、しょ、証拠も無いのにそんな事できるわけが」
「あぁ、先生。そう言えば私、知り合いに面白いもの貰ったんですけど見ます?」
引き伸ばさずに話題を転換させる。
お母さんが来る前に終わらせたいんだよね。
そう思いながら私は制服の内ポケットから封筒を取り出した。先生の前に置いて、開けてみるようにと笑顔で告げる。
やだなぁ、先生。何変な顔してるんですか。
「買収か? 汚い手を使っても無駄だぞ」
違うし。そんなんじゃないですから。
そもそも金詰んだ所でどうにかなる問題じゃないでしょう。あんたにそんな力があるとも思えないし。
胡散臭そうな顔をして封筒を手にする佐藤をじっと見つめる。
「あ、愛澤……これ、お前っ!」
「それ、私のお守りなんです」
私の退学は恐らく免れないだろうから、最後の足掻きとして道ずれは少しでも多くないとね?
封筒の中身を見た佐藤の顔は驚愕から恐怖へと変わり、色が段々青白くなっていって面白い。
「北条さんのお母さん、先生の同級生なんですってね。焼けぼっくいですか?」
「他人の空似だ」
「一年の北条さんにも手ぇ出してますよね。庇護欲そそられる小動物系のああいう子、好きですよね先生」
佐藤先生の顔がピクピクと引き攣っている。
青くなったり白くなったり、真っ赤になったかと思えば顔が歪んだりして面白いなぁ。
「愛澤、憶測で物を言うのはどうなんだ? お前は越田に怪我を負わせた挙句、担任である俺を……」
「ダブルプリンの親子丼とか、マジキメェ」
普段の私からは想像もできないだろう口調。
緩んでいる三つ編みを手で弄りながら私はじっと先生を見た。
別に被害妄想だのこじ付けだの言って騒いで糾弾してくれてもこっちは構わないんですけどね。
先生が騒げば騒ぐほど、事は大きくなりますし。
「すいません、先生。私頭ぶった衝撃でおかしくなってるみたいです」
急いで駆けつけた母親と一緒に病院に行った帰りに、不思議そうな顔をして尋ねられた。
「佐藤先生、どこかお加減でも悪かったのかしら」
「心配してくれたんだと思うよ」
「だって、電話に出た時とはまるで別人だったわよ?」
私が一体何をしたのかは聞いていた母親は、何故かその事については何も聞いてこなかった。
てっきり怒られるものとばかり思っていたのに、あえてその話題を出さないようにしているのかもしれない。
私、愛澤真穂は春山学園高等学校の二年生だ。
二つの長いお下げと、内気で地味な見た目からその場に居るかどうかすら判らないほど気配が薄い。
スカートは膝丈で雑誌やテレビの話で盛り上がる女子の輪に入っていけない。いや、入って行く気もないんだけど。
休み時間ともなれば、教室の隅で静かに本を読んで過ごしている地味少女が私だ。
いや、だったと言うべきか。
「私が色々迷惑かけたから、疲れたんじゃないかな」
「そう。だったらいいんだけど」
私たっての願いで頭部を中心に精密検査をしてもらい、何故かそのまま同じ病院内の別の科に連れて行かれて帰りが遅くなってしまった。
夕飯は惣菜と残り物でいいわね、と言う母親に頷きながら私はどうしたものかと考える。
正直に言ってもまた困らせるだけだもんなぁ。
いや、でもある程度はぼかして正直に言うべきだよねぇ。
結局、既に話を聞いていたはずの父親からも特に何を言われる事もなく夕飯を終えてしまった。
いつもと変わらない、でも少し緊張した食卓。
怒られる覚悟がでてきていた私としては、少々拍子抜けしてしまった。
「はぁ」
「くるっぽー」
見慣れた部屋に入って溜息をつくと、私は床に落ちていたオレンジ色のクッションをベッドへと投げる。
可愛らしい鳴き声と共に出迎えてくれたのはペットのクジャクバト。名前はギン、雄だ。
手品師をしている叔母の家に遊びに行った際、銀鳩に何故か紛れていた彼に懐かれてそのまま家に連れ帰る事になった。
私と同じ部屋でなければご飯も食べず、クルポッポうるさいので仕方なく同居させている。
毛は飛ぶし、うるさいので本当は嫌なんだけど。
長年付き合っているとそんな所もまた仕方がないかと思えてしまうのだから不思議だ。
「疲れたよ、ギン」
「クルックー」
首を傾げながら近づいてくる私を見つめるギン。
お母さんが買ってくれた鳥かごの中で、外に出せと出入り口のゲージを嘴で突く。
苦笑しながら入り口を開けた私は、そっと手を差し入れてにっこりと微笑んだ。
「てめぇ、ふざけたことしやがって。よくもやってくれたな」
「グッ……」
手乗りをさせると見せかけて、後頭部を撫でそのまま首の部分を掴む。指に力を入れて怒りをぶつけると思っていたよりも低い声がしてびっくりした。
ギンは驚いた様子でビクリと体を震わせたがもう遅い。
羽を広げようとするのを押さえつけ、睨みつける。
部屋は鍵をかけたので、誰かが来ても大丈夫だ。
こんな場面、親に見られでもしたら本当に気が狂ったと思われて入院させられてしまうだろう。
動物愛護団体も黙っちゃいないが、誰も見ていないなら問題ない。
「……戻ったのか」
「あぁ、十三の頃から四年。お前に押さえつけられ書き換えられてた元の真穂様のお戻りだ」
鳩が喋るなんて、と驚くわけが無い。
こいつは人語を理解し会話できるおかしな鳩だ。
しかし、何故か私以外と話すつもりはないらしく、私がいくらギンが喋ったと言っても頭のおかしな子扱いされてしまっていた。
一人娘の私に甘い両親は、うふふあははと穏やかに微笑んでその様子を見ていたけれど外でそんな事を言ったらいけないときつく言われたっけ。
「しま……る。まほ、ちょ……おま……」
「何勝手に人の脳みそ弄くりまわしてんだよ。お前のせいで私の華やかな高校生活が台無しじゃない」
「中学は、いいのか」
「過ぎたものは仕方ない」
私は自分で言うのも何だが幼少時からとても活発でお転婆な女の子だった。
虫を捕まえ、木に登り、負けん気が強くて大人しく苛められているような地味で内気な少女では有り得ない。
両親も中学に入ってから私の性格が急に変わった事に不安を感じて、病院に連れて行ったくらいだ。結局、どこも異常無しの結果が出て最終的に精神科に通うことになったけど。
そう、今日寄っていた別の科というのは精神科だ。
私が検査を受けている間にお母さんが受付を済ませておいてくれたらしい。
いつものように、いつもの先生のカウンセリングを受けて気持ちが落ち着くという薬を貰って帰ってきた。
「はな、せ。本当に……死ぬ」
「死ねば良いのに。でも死骸片付けるのも埋めるのも面倒だから、知り合いの方に譲るわ」
公園を散歩していて知り合った外国人の知り合いに、ギンの写真を見せて可愛いだろうと自慢したことがある。それを見た彼女は「美味しそう」と言って微笑んだ衝撃を私は未だ覚えていた。
彼女ならばきっと、綺麗に食べてくれるだろう。それならば、その方が良い。
「無理だ、もう、無理だ。私にお前を従わせる力は無い」
「えーまたそんな事言って。隙を狙ってキャトルする気でしょ?」
精密検査してもらったときに、金属片埋め込まれてないかって聞いちゃったくらいよ。あまりの真剣さにきっと先生ドン引きしてたわ。
小刻みに震えるギンの体が何故だか心地よいと思えてしまう。
命が終わる間際とはこんな感じなのかと思って私は手を離した。
「いっけねー。目覚める所だった」
「私はもう、目が覚めないかと思ったぞ」
「寝てろよ一生」
私の口の悪さに溜息をついたギンはヨロヨロと体勢を整えながら水を飲み、外に出る。
バサバサと羽ばたく彼から毛が抜けて、私は眉を寄せた。掃除すんの誰だと思ってんのよ。この馬鹿鳥が。
「一度戻ってきた時様子がおかしいとは思ったが、まさか戻るとは……」
「残念そうでなにより。っていうか、一番ショックなのは私なんですけど。精密検査の結果はまだだけど、やっと本来の私に戻ったのにあんたの声は変わらず聞こえるって言う」
「ポッポッポー」
「豆ぶつけんぞ」
あと、夜なんだから静かにして。近所迷惑。
昨日の今日でいきなり様子が変わる人物がいたら、違和感を抱くのが当然。
学校でこのまま大人しく卒業を迎える為には、今までとあまり変わらない私を演じる必要がある。
それは昨日、ギンとも話して決めたこと。
幸い私は自宅謹慎を言い渡されていたので相手の家に謝罪しに行くことも許されず、沙汰を待つばかりだったが何故か謹慎が三日で解けてしまった。
精密検査の結果が一週間後に出るのでせめて一週間はダラダラしたかったのだけど。
退学でもなかった事に驚きながら、心配する両親に笑顔で「行ってきます」と言ったのがもう懐かしい。
今朝のことだけど。
登校して感じるはずだった好奇の視線はそれ程なく、遠巻きに見られている気配はするのに誰も近づこうとはしない。
それは教室に入ってからも同じだった。
ざわり、と賑やかだった室内が私が入った途端に水を打ったように静かになる。
「おはよう」
返事が来ることなんて期待はしていないけど、何故か笑顔でそう挨拶をしてしまった。
なんて言うの? 反応が見てみたかったというか。そんな感じ。
完全に無視されるか馬鹿にされるかのどちらかだと思っていたけど、目が合ったクラスメイトは顔を引き攣らせながら挨拶をしてくれた。
あら、意外。
一体、三日間の間に何があったのか。
情報収集をしようと休み時間は図書室と教室を往復する。毎回違う通路を通って少しでも情報を集めようと気配を消して歩く私は、面白いくらいに気づかれない。
そう、私は空気。溶け合って消えるんです。
結局校内をぐるりと一回りして得られた情報は三つ。
一つ目、担任である佐藤がクビになった。
二つ目、マドンナこと田中愛理が入院。
三つ目、越田傑の事故。
一つ目はそのままである。
私の説明を聞いたギンが知り合いに手を回してやった事なのだろう。面白い事になるから楽しみにしておけとは言っていたが、先生がいないならつまらないじゃないか。
あの百面相が間近で見られるからこそ楽しいというのに。謹慎が憎いぜ。
二つ目は佐藤の問題に関連しての事だと思う。
噂ではあの二人はできてるんじゃないかとも言われていたので、昼ドラも真っ青なドロドロの展開が語られている。真偽の程は判らないけど、入院して退学ルートだと思う。
病気入院して治らないから退学するんですよ、としたほうが格好はつくからだ。
いや、良く考えると別にお嬢様でもお金持ちでもない彼女がわざわざ入院と言われるくらいだから、本当に病んでしまったのかもしれない。
と、言う事はあのロリコン教師は不倫相手の娘だけでなく、マドンナにも手を出していたという事か。
見た目が爽やかでそんな事をしそうにないだけに、衝撃は大きいよね。
でも、そのお陰で私の件は薄れてしまっているようだけど。
三つ目は、うん。事故っていうか、事件なんだけど。
そもそもの発端は、私が図書室で出会った風紀委員長に消しゴムを貸した事だった。
忘れた時の為に消しゴムを二つ持っていた私は、忘れてきてしまった彼に貸したのだ。それを目撃していた女子生徒から屋上に呼び出しを受け、待ち伏せしていた田中愛理の信者(同性)から精神的にフルボッコされた。
どうやら、風紀委員長はマドンナのお気に入りの一人だったらしい。
あの女は自分に人気があり、もてるという事を自覚しているので美形をそれとなく侍らせてはウフフフと悦に浸っていた。
その見目麗しい殿方の一人に手を出したと難癖をつけられて、集団で苛められていたというわけだ。
うん、よくある。よくある。
元に戻る前のギンによって操作しやすくなっていた私は、何も言えずただ泣いて謝るばかりだった。
ギンの指示によっておかしな行動を何度も目撃されていたというのもあって、ぐうの音も出ない状態だったのだ。
嵐が過ぎるのを待つだけだ、と思っていた私はいつものように耐える気でいた。
けれども騒ぎを聞いて駆けつけた男の存在によってまた面倒くさいことになってしまう。
でも彼が来なかったら元に戻ってなかったと思うと、複雑。
越田傑、春山学園二年生。
次期生徒会長と目される学園の顔であり、自慢でもある。
優しそうな顔立ちと、誰に対しても物腰柔らかなところから学園のマドンナである田中愛理と双璧をなす人物だ。
田中がマドンナなら、越田はプリンスだ。
だが、本人はその呼ばれ方を非常に嫌っているらしいので、ファンたちはこっそりと内輪でそう呼んでいる。
ギンの情報によると、家が裕福だが人ができており分け隔てなく優しいというのは本当の事らしかった。
勉強もできて、運動神経もいい。性格も良く、見目も麗しいとくれば騒がれて当然だ。
そして、あの田中愛理が目をつけないはずがない。
彼もまたマドンナお気に入りの殿方の一人で、親交を持ってる内の中でも本命に近いとギンは言っていた。
親交持ってるって言うけど、結局は股がけってことよね。生徒会長、風紀委員長、バスケ部部長、サッカー部エース、教育実習生、一年の可愛い後輩の六股とか……すげぇ。
あ、佐藤も入れたら七股? 感服するわ。
ともかく、駆けつけた越田は田中と彼の信者の言葉を鵜呑みにして私を冷たく糾弾し始めた。
多数対一の状況を見てそんな事が言えるのだから、ギンの評価はおかしいとしか思えなかったけど。
こっちの話を聞こうともしないで責めるんだもんなぁ。
好意なんてこれっぽっちも無いけど、その位は判る人だと思っていたのに残念だ。
彼は田中から、私に嫌がらせをされているような事を何度か聞いたことがあると言っていた。
詳しい名前や特徴は出さなかったけれどきっと君なんだろう、と言われた時点で私の中の何かがプツンと切れてしまった。
怒りと、絶望と、恐怖と、色々な感情が渦巻いて限界を超えた私は、越田に頭突きをかましていたのだ。
自分より背の高い彼の胸倉を掴んで、頭突きをして気絶させる。
今思えば何でそんな事をしたのかと、越田に申し訳ないという気持ちはあるのだがその時はそんな事を考えられなかった。
コンクリートの床に倒れる越田を見て悲鳴を上げる女子たち。
騒ぎ立てようとしていた彼女たちをぐるり、と見回した私は女の子らしくなくポキポキと指を鳴らしながら「次は誰?」と尋ねたらしい。
らしい、というのは自分では良く覚えていないからだ。
人が変わったように凶暴になった私に恐怖を覚えた彼女たちは、我先にと屋上から逃げ出しながら「先生を呼んでくるんだからっ!」という捨て台詞を残した気がする。
そうして、冒頭に戻る。
あの越田の事だから、退学させるように持っている力で学園に圧力をかけるかと思いきやどうやら逆の事をしたらしい。
つまり、退学に決まった私を退学させないようにしたらしいのだ。
今日も謹慎明けでフラフラと校内を歩いていたところを見つけられ、呼び止められたのでとりあえず土下座しておくかと思った私を上回る速さで彼は頭を下げた。深々と。
あの時の自分はどうにかしていた、冷静に頭が回らずすまないことをしたと謝罪されてはこちらの立場が無くなる。
暴力をふるったのは私だから全面的に私が悪いと何度言って謝っても、彼は爽やかな笑顔で違うと言ってくれた。
『僕は、君のお陰で自分を取り戻すことができたんだ』
晴れやかな表情でそんな事を言われても困る。
本当に申し訳なかったと謝罪しながら、その爽やかな笑みを見て佐藤のようにならないといいねと彼の将来を心配してしまった私は、反省が足りないのかもしれない。
ともかく、被害者である彼が大事にはしたくないと言うので私はこうして学園に通うことができているのだ。
田中愛理が入院して学園を去ったことにより、女子内の勢力図が変わりつつあるがそんなこと私には関係なかった。
私を苛めていた信者たちを初めとした女子はしれっとした顔をして仲良くなろうよ、なんて気持ち悪い事を言ってくるのでつい「キモッ」と声に出してしまったくらいだ。
取りいる事は無理だと理解したらしい彼女たちはすぐに次の寄生先を求めて彷徨い始める。
田中愛理の大親友である鈴木三奈は、魂が抜けたかのようにぼんやりしていることが多いらしい。どうやら随分と衝撃的な体験をしたと見える。
腫れ物を触るように扱われるが、学園生活に支障は無い。
一日過ごしながらそう感じた私は卒業まで転校する事無く無事通えることを幸せに感じていた。
「そうか、なるほど。田中マドンナの逆ハーは失敗したか」
「成功してもいい事があるわけじゃないんでしょ」
「まぁな。しかし、どいつもこいつも欲張り過ぎだ」
室内でまったりと雑誌を眺めながらいつものようにギンと会話。
普通に学校に通えている私の様子に、両親はやっと安心したようだ。二人に迷惑をかけてしまったことは本当に申し訳ないと思う。
あ、この苺のラスク美味しい。
バリバリと食べているのは、先日わざわざ家まで謝罪とお礼に来てくれた越田が持ってきてくれたものだ。
彼の家に謝罪に行こうとしていた両親は、学園からそんな失礼な事はするなと禁止されていたらしい。
それも聞いていると彼は苦笑して、迷惑をかけて申し訳なかったと謝っていた。
彼の両親は仕事で忙しいとの事で同席していなかったのだが、代わりに執事さんと一緒に来たのを見たときには本当に驚いた。
だって、執事なんて違う世界の存在だとばかり思うじゃない。
「お前はお前で、越田とフラグ立てるしな」
「本意じゃねーし。偶々だし」
「気をつけろよ。今度はお前が田中になるぞ」
「そうなったら、ギンもバッドエンドでしょー?」
ギンは自分を世界の管理者だと言った。
元々の私ならば、鳩が喋った時点でおかしいのでそれに輪をかけて頭のおかしい鳩だと思っただろう。
だが、その時既に私の人格は操作されており目立たなく大人しい内気な少女になっていた。
半信半疑でギンの話を聞いた私は、彼に言われるまま行動するにつれて彼の言っていた事が本当である事を知る。
そして、助けて欲しいと切なげに言う彼に力を貸すべく学園内で奔走していたのだ。
関係者の情報を集め、あっちに行ってはフラグを立て、こっちに来てはフラグを折り、と今思えば良くできたものだと自分を褒めてやりたい。
関係者、だのフラグだの「何だ?」と思うかもしれないが、ギン曰くこの世界はゲームの世界なのだと言う。
あらまぁ、素敵ねという私の言葉に羽を広げて怒る姿は見飽きたが、そう考えると辻褄が合ってしまうのだから恐ろしい。
ともかくここは乙女ゲームの世界で、ギンはその管理者だというのは間違いないと思って良いだろう。
管理者と言えば神のようなものなのだから好き勝手できるだろうと思うのだが、どうやら力が制限されていて上手くいかないと言っていた。
まったく、使えない鳩だ。
彼の目的はゲームの大団円エンドを迎える事だと言っていた。そして、その為に利用されたのが私。
鳩の身で介入できない自分の指示通り動く、操り人形だ。
「イレギュラーが多いんだよ。田中の中身は絶対転生者だろ?」
「さあ。欲張らなきゃ上手くいけてたとは思うけど」
最後の最後で油断したか、自分に敵う者などいないと慢心してしまったか。
今思えば本当に勿体無い人材である。
入院先聞いて、もう一回やってみない? って声かけてみようかな。お見舞いがてら。
「というか、転生して管理者権限あるはずなのに鳩って! ギンてば、マジウケるんですけど」
「うるさいぞ、真穂」
こいつのせいで貴重な四年弱を奪われ、棒に振ったと言っても過言ではないのにどうにも見捨てられなくて付き合ってしまっている。
やはり情が移ってしまったのだろうか、と立てた片膝の上に止まりブワッと体を膨らませるギンの頭を撫でた。
翌日、私は越田によって屋上に呼び出され一抹の不安を抱いていた。
私にフラグが立とうが折ってやるというギンの言葉を胸に、人気の無い屋上へ言われたとおり来たのはいいんだけど。
なにこれ。
「頼む! こんな事を頼めるのは君しかいないんだ! おかしな事を言っている自覚はある。だが、どうしようもない」
いや、そんな事を言われても困るんですけど。
自覚あるなら我慢しなさいよ。
「お願いだ。あと一回だけでいい。一回だけでいいから……僕をぶってくれ」
一度聞けば聞き間違いだろうと思える。
だが、二度聞いたら聞き間違いでは済まされなくなる。
土下座して見上げてくる越田の視線が怖い。なんだこれ。何だよこれ。
目覚めちゃったのかよーと叫びそうになりながら、私は引き攣った笑みを浮かべて後退りをした。
うん。とにかくこの場は逃げるが勝ちだな。