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最果てへ

即興小説トレーニングhttp://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=215323 お題:恋のコウモリ 制限時間:1時間

 靴紐をしっかり結ぶのよ、シェリー。

 空から落下しないように。


 しっかり自分に言い聞かせて、私は窓枠の上に立ち上がった。

 後ろには子供部屋。

 前には落っこちてしまうと真っ逆さまな空中。

 高いのは当然だわ。私の部屋は二階なんだもの。

 風がお気に入りの黒いドレスのレースを揺らした。感じたことのない浮遊感に、赤い編み上げ靴の爪先が躊躇して、身が竦む。


 それでももう振り向かないと決めたの。

 おうちにはいられないの。


 満月が真っ白に輝く夜を見上げると、星々が煌めいて美しかった。

 部屋のドアを叩く音と、お父さんとお母さんが呼ぶ声が聞こえる。


「シェリー、何をするつもりなんだ、ドアを開けて!」

「駄目なのよ、シェリー!行かなくっちゃ。ここを開けなさい!」


 悲愴な声に胸が痛むけれど、私はここから飛び降りるわけじゃない。

 私の部屋の窓枠からは、黒い細い梯子のような道がゆらゆらと連なって、月の方へ続いている。

 ほんの少しの勇気と、トキメキ。

 コウモリの影がひらひらといくつも横切った。さあ行こう、と呼びかけられているような気がして。

 こくりと唾を飲みこんで、私は一歩を踏み込んだ―――




 戦争があるから、子供を徴兵しなければならない。


 一年前からラジオから聞こえてくるニュースはそればかりだった。

 お父さんもお母さんも顔を見合わせて悲しそうな顔をしたけれど、「仕方ないね」それ以上のことは何も言わなかった。二人とも昔の戦争で、徴兵されて子供兵として戦ったのだ。私が戦争に行くかも知れない事態も、覚悟を決めて臨む気持ちを固めていた。

 この国では、子供も兵隊に入隊する。子供の方がさまざまな知識や考えを吸収するから、むしろその方が望ましいのだそうだ。先入観もないから、訓練すれば躊躇なく人を殺し、圧倒的な戦力になる。

 平時だと兵隊になる子供は食い扶持のない貧しい子ばかりだ。戦争になると徴兵して兵隊を増やす。お父さんとお母さんが子供だった頃にあった戦争で、大人がたくさん死んだらしい。その時、この国に勝利をもたらしたのは、仕方なく編成した子供の部隊だった。すばしっこくって、躊躇がない。戦争にすぐ慣れる。彼らはたちまち戦果を揚げた。

 私たちの国は、子供を兵隊とし、大人になると軍隊の上層部になる、という合理的な軍隊を持つようになった。


 隣りの国と仲が悪いことは知っていた。学校でも話題になっていたからだ。

 子供を徴兵すると決定したニュースが流れると、徴兵の第一弾に、学校の男の子たちは皆いなくなった。

 早いうちから訓練しなくちゃならないらしい。


「次は女の子の番だわ」


 仲の良いリリーは憂鬱そうに言っていた。


「シェリーよりきっと、私の方が先に徴兵されるわ」

「どうして?」

「女の子は、まず先に体格のいい子が徴兵されるって決まりなのよ。ほら、シェリーより私は背が高いし」

「でも、早めに訓練を受けられた方がいいじゃない。その方が戦争のとき、役に立つんでしょ?」


 リリーは悲しそうに首を振った。


「シェリーのお父さんとお母さんは昔戦争に行っていたから、こういうのにあまり抵抗がないのかも知れない。でも、私のお父さんは反対だって。私にああいう経験して欲しくないって」


 私にはリリーの言っている内容がよく分からなかったけれど、リリーやリリーのお父さんが悲しいのは分かった。

 リリーは自分で言っていた通り、私よりも先に徴兵されて行った。



 子供を徴兵するとき、子供のいる家に白いカードが届く。

 それが徴兵札と言われているもので、何月何日に貴殿の息子、娘のなにがしを迎えにいく、と軍隊からお達しがタイプライターの文字で書いてある。


 私の家に白いカードが届いたのはつい最近だ。

 お父さんとお母さんは悲しそうな顔をして白いカードを眺め、私を見、それから決意したような表情で「しっかり行ってくるんだよ」と言った。


 自分でも驚いたんだけど、私はこの家から離れなくてはならないと気付いて、急に物凄く悲しくなった。

 どこにも行きたくない。軍隊なんか行きたくない。ここにいたい。

 目一杯泣き喚いたけれど、お父さんとお母さんは困惑して、でも皆行くんだよ、そういうものなんだよ、と宥めるだけだった。

 抗っても何にもならない。私の願いは聞き入れられない。

 それが途轍もなく怖かった。


 ラジオからは戦死者のニュースが流れてくる。


 今日、クルックウェーヴの原で五百人の死者が出ました。

 出身地と名前を一人ずつ読み上げます。

 ミズーリ地方のサム・アイルさん・・・・



 まだこの国に戦争が来ていないだけで、戦争はもう始まっていて、外で何人も死んでいる。

 最初は一体何人死んでいるのか足し算をしていたけれど、途中で怖くなって止めてしまった。

 毎日人が死んでいるからだ。


 この地区の子供たちはほとんど、戦争に行っていなくなってしまった。

 学校に通っているのは成績上位者、学業優先者のバッヂをもらっている私を含めた数人だけ。

 友達がいた教室ががらんとして、私ともう一人ウィリアムが机を並べている。


 両親の決意、リリーの言っていたこと、悲しそうな顔、いなくなっていくクラスメイト、白いカード、ラジオの放送。

 ひとつひとつの出来事の冷や冷やとした空気に圧されていた感情が、白いカードを両親が手にしているのを見たとき、私の恐怖は遂に臨界点を突破したのだ。

 皆私を死の原に急き立てるものだった。


 私は布団に潜って、泣き暮らした。

 両親が部屋に入ってくるたび、泣いて軍部に行きたくない、戦争に行きたくない、と訴えた。

 両親は駄々っ子を見るような目で、私を同じ言葉で宥め、眺めるだけだった。


 死ぬのが嫌だった。

 教室に残っている空っぽの机が皆のお墓に見えて、怖かった。


 だけどそんなもの、両親にとって、国にとって、どうでもいいのだ。

 戦争には子供が行かねばならないものだし、抗えないことなのだ。



 しかし、私は見つけてしまった。

 泣きながら暮らしていたある夜。

 窓辺にひらひらと飛ぶコウモリを。


 コウモリが窓の向こうを行ったり来たりするのは一見変な出来事じゃないけど、その日はあまりにも意図的に窓の外を飛んでいるように思えた。

 不思議に思って窓を開けると、ひらりとコウモリが飛び込んできた。

 驚いて眺めていると、こんなことを言っているのが聞こえたのだ。



 ここから出してあげよう。

 箱舟に招待しよう。



 声ではない。キーンという、高い音で信号を出しているような言語だった。

 私は訊いた。


「戦争に行かなくてもいいの?」


 子供部屋の中を飛ぶコウモリは、答えた。



 そう。

 でも、君はもうここに戻れなくなる。


 決めたら、軍部が迎えに来る前の夜にこの窓を開けて待っておいで。

 とびきり素敵なドレスを着て。



 そう言って、コウモリは夜に戻って行った。



 どうしようか、迷った。

 コウモリが喋るなんておかしいし、信用できるのか分からない。

 お父さんとお母さんと離れ離れになるのも辛い。白いカードが来ているのに、戦争に行かないのもずるい気がした。



 それでも、当夜。

 私は窓を開け放って、窓際に立つことにした。

 このまま軍隊に行って、戦争に行って、戦う。

 それだけになるのは嫌だった。


 何かを見つけたかった。

 いや。

 多分、理屈じゃないの。

 胸が高鳴ったから、私は窓辺に立つ。




 コウモリがひらひらと側に飛んでくる。



 いいかい?躊躇ってはいけない。

 逃げるのも勇気さ。



 囁くような声に、頷く。


 そして、空中に一歩を踏み出した。




 落下する――――寸前で、何かを踏む感触がした。

 ふわり。浮かぶような心地。覚束ないながら、また一歩、足を前に出す。



 走って!!



 甲高い声に急かされて、私は夜を駆けた。



 月に向かう黒い梯子のようなものは、夥しい量のコウモリの架け橋だ。

 私はその上を軽快に駆ける。

 私の家が、ドアを壊して窓から顔を覗かせているお父さんとお母さんが遠退いて行く。



 さあ、走って!



 コウモリがざっと広がり、私を覆い被せるように群れで飛ぶ。

 私は前を向いて一心に走った。

 街灯の灯る街を見下ろし、星空の中を一気に駆け抜ける。飛ぶコウモリの橋の上を、風に押されるようにして走る。

 涙が零れた。どうして私はこの選択をしたんだろう?

 両親も、街も、白いカードも、戦争で戦っている友達も、何もかも捨てて。




 黒いドレスのスカートがコウモリの羽のように広がる。

 私はコウモリたちに守られて、夜空を走り続けた。


 コウモリたちのざわめきのような歌声が聞こえてくる。



 逃げろ 逃げろ 全力で

 逃げろ 逃げろ 夜空を駆けて

 スカート蹴散らし 髪を風に流し

 死の導きを ぶっちぎれ

 逃げろ 逃げろ 我らが願い

 逃げろ 逃げろ 恋せよコウモリ



 住宅街を、繁華街を、港を越えて、やがて見えてきたのは夜に沈んだ黒い海の上に浮かぶ奇妙な街だった。


 その街は美しかった。

 砂糖菓子のような家々に、綺麗なガラスの電灯。くるくる回る観覧車。

 夢のような島が、洋上に明るくぽっかりと浮いている。



 コウモリの降下に合わせて、私はその街に降りて行った。

 近付いてくるにつれ、私は街の広場でランタンを持って待っている人がいるのに気が付いた。


「やあ」


 真っ黒なマントを着て、真っ黒な髭の紳士。

 きっとコウモリを通して話をしていたのは、この人なのだろう。旧態然とした装いがぴったりと似合う不思議な男性。普通の人ではないのだ。


 そして、驚くべきことに、広場には子供たちがたくさん集まっていた。

 その中にリリーを見つけて、私は歓声を上げた。


「リリー!」

「シェリー。あなたなら、来てくれると思ったわ」


 リリーがにっこり微笑む。


「リリー!どうしてここに?」

「軍部に連れて行かれたとき、皆一緒にコウモリが連れてきてくれたのよ」


 確かに、よく見ると学校からいなくなっていた知った顔ぶれがちらほら見えた。

 軍部はそんなニュース、一切言っていなかった。隠していたのだろう。



 降りてきた私を紳士はエスコートして、しっかりとした地面に立たせてくれた。

 夢のような空の旅にまだ頭はくらくらしていたけれど、私の思考ははっきりしていた。


「あの、ここはどこですか?」


 紳士はにっこりと微笑んだ。


「未来への箱舟さ。僕たちはここに避難して、生き残ろうとしている」

「どういうこと?!」

「我々の国は、合理的な戦力を求めすぎたために、未来を潰そうとしている。僕たちは、それを守ろうとしているんだ」


 コウモリたちが、ばさばさと夜へと帰っていく。

 紳士は悲しそうな顔をして、手を振った。


「どうもありがとう、魂たち。恋をした心たちよ」


 はっとして見上げると、コウモリたちはもう散り散りになっていた。


 遠くは真っ暗な闇が広がり、黒く重たい海がうねって、何も見えなかった。

 涙が頬を伝った。一抹の寂しさがあったけれど、コウモリを見ているとひどく愛しくなるのだ。

 リリーが頷きかける。


「ねえ、私たちの国は、きっと亡びるのね」

「うん、私もそう思った」


 何故、私はこの選択をしたのだろう。


 今なら分かる。

 私はトキメいていた。

 コウモリたちが連れて行くという未知の世界に。


「まあ、ありていに言えば、私は魔法使いです。魂の言葉を聴いたり、伝播させたりする死霊使いの専門でね。あのコウモリ――の形をした魂――が子供たちを助けてくれって、ひたすら言うもので」

「コウモリたちが?」

「ええ。私も、もう我々の国は末期だろうと思っていた。戦争に子供を行かせる。子供たちは確かに、戦争に染まりやすかった。操作しやすかった。まだまだ寿命も長い。だからこそ、守らなくてはならないのに、我々の国は未来を爆薬にしてしまった。どうすれば争わないで済むのか考えるのが大人たちの役割なのに、その義務を放棄し、自分たちが生きるために子供を服従させたんだよ」


 紳士の瞳がキラキラと光った。涙を浮かべているのだ。


「それで普段は力を悪用されないように、身を潜めていた魔法使い連を説得して、この箱舟を作ったのだ。生を全うできなかった魂たちは、恋も知らない少年少女を殺させるな、って言っていたよ。コウモリたちは伝えにきたのだよ」


 コウモリたち。

 紳士は恋をした心たち、と言っていた。

 それはきっと叶わなかった、黒い悲しい魂たちなのだ。


 きっと私たちは、まだやるべきことがある。

 夜空に散り散りになっていくコウモリたちを眺めて、私は決意を固めた。


 ほんの少しの、勇気とトキメキ。

 彼らがくれたものだ。


 リリーがそっと寄り添ってくれた。


「私、絶対に忘れないわ」

「うん。私も、コウモリたちがここに連れて来てくれた日を忘れない」


 私たちは生きるのだ。

 恋をするのだ。誰かと出会うのだ。


 大人たちの作った社会の動きになんて、殺されないでみせる。


 紳士は微笑んで、広間に集まっている子供たちに呼びかけた。


「さあ、歓迎会をしよう。向こうでバリアを張っているマークやエドウィンも呼んできてくれ。新しい住人と温かいスープを飲もう」


 そして私にウインクした。


「とびきり素敵なドレスを着てきてくれって理由が分かっただろう?」

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