川の男
http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=207239 お題:セクシーなダンス 制限時間:30分
煙草を吸ったってちっとも体は温まりやしないわよ。
悪態をついて紫煙を吐けば夜のネオンもかすむ繁華街。
護岸工事がされた川辺のコンクリートの陰に立って、女は真っ赤なランジェリーのまま身を縮こませた。
まったく、と眉間に皺を寄せる。
男運がない、ないとは思っていたけれど、今日もまた最悪だ。
どうしてこうも、裏切られることばかり。
冷たい風が彼女の肌を撫でて、彼女は肌をさすって耐えた。
恋した男はとんでもない奴だった。少なくとも夜中の繁華街に、彼女の身包みを剥いで放り出すくらいにはろくでなしの悪党。
彼女はそういう男に何度も騙されてきたので、もう慣れっこだったけれど、毎回傷付いていた。
傷付いて、泣いて、諦めて、でもまた馬鹿みたいに男を信じて、紙切れみたいに捨てられる。
彼女は美人な方だったし、恋に積極的だったし、情熱的な言葉が大好きだった。
自尊心と素直さと好みのせいで、今まで騙されてきたようなものだ。
残されたのは煙草とライターだけ。
ビルの裏側の川辺の、堤防の陰に隠れて、彼女は煙草に火を点けた。
あーあ。
溜息をつく。
自分のような性質の人間は、もう一生騙され続けるしかないのだろうか。
そのうち、年もとるし。恋もできなくなる。
素敵な誰かと出会って、恋をして、結婚をしたかった。
しかし、彼女はついつい悪女ぶってしまい、悪女のように見えて実は素直な夢見る性質を利用されてしまう。
この指輪、イミテーションのニセモノだったのか。
ルビーだといわれ渡された指輪は、彼は持っていかなかった。おそらく何の価値もないのだろう。
夢見た自分が馬鹿だった。
彼女は指輪を抜き取ると、ネオンを映しながら黒く流れる夜の川に放り投げた。
あっさりと、指輪はぽちゃんと川に沈む。
紫煙を吐きながらぶるぶる震えていると、ざぱん、と川から何か上がる音が聞こえた。
「何だ、また騙されたのかい?お嬢ちゃん」
彼女はイライラと川縁を見やる。
コンクリートの川縁には、夜の川と同じくらい真っ黒な男が、なんとなく湿っぽい空気を放って掴まっていた。
そう、まるで今、川から出てきたかのように。
黒い川の影のような男は、歯ばかりは白いらしい。
にやりと笑うと、白い歯がとても目立った。
「何よ。出てこないでよ」
「いいかげん、人間界の男にはほとほと懲りただろう。俺と一緒に川底に住もう」
「いやよ」
彼女は荒っぽく言った。
「私は人間よ。川底なんて行ったら死んじゃう」
まさしく、そのとおりで、彼女は人間である。
ただ、よく分からないが、いつの間にか川から出てくるこの真っ黒な影のような男に好かれ、度々声をかけられていた。
初めてのときはいつだったろう。
もう、子供の頃には、ずっと川にいて、それで彼女の前に姿を現し、不気味に微笑んでいた気がする。
いやでいやで仕方なかったけれども、嫌いになるほどではない。
変な魔物のような男だった。
黒い影の男は川から上がってくると、びちゃり、びちゃりと水を滴らせ、彼女に近付いてきた。
「まあ、ともかく踊ろうぜ」
彼女がびっくりして目を見張っていると、男は手をとって腰に腕を回し、なんとワルツを踊り始めた。
彼の手は冷たかった。なんだか水っぽいし、人間の形はしているけれど、人間じゃないらしい感触がある。
しかし、呆気にとられていた彼女は、神妙に川辺のコンクリートの上を踊る自分たちの姿を思いめぐらして、突然笑った。
「なあに?どういう風の吹き回し?今までこんなこと、したことなかったじゃない」
「なぁに、お前を元気付けたいからさ。ダンスが好きだろう?」
彼女は赤いランジェリーのすそをひらめかせて、くるりと回転した。
彼のもとに引き寄せられると、冷たい胸に手を寄せて、寄り添った。
「ええ」
ワルツは好きだった。もともと夢見る少女だった彼女は、思い描いていたのだ。素敵な誰かと踊る自分の姿を。
滑稽なことに、そのためにダンスの練習だってした。
赤い色を翻し、白い肌が優雅に闇に舞う。
「セクシーだな」
彼の言葉に、彼女は笑った。
涙が出てきた。
自分の何が悪かったというのだ。甘い言葉に、優しい笑顔。どうしてそれを信じてはいけなかったのだ。
結局、馬鹿みたいに信じる自分を、みんな嘲笑った。
身包み剥がれ、乱暴にアスファルトに叩きつけられ、逃げ行く足音を聞いた。
「どうして私はいけなかったのかしら」
黒い影の男は、「さあな」と言った。
「みんな、濁っちまって、綺麗なものを汚くしたくなるんじゃないか」
ワルツを止めて、彼女は彼を見つめた。
目は見えないから、顔らしきところをじっと見る。
その背後ではネオンの光がちかちかとしている。
「ねぇ、私を連れて行ってくれない?」
魔物の男はにやりと白い歯を見せて笑った。
「やっとその気になったか?」
男は黒い鉛のような色の川に、彼女を誘った。
ドボンッ
彼女は彼に腕を掴まれて、沈みながら川面を見上げた。
暗くて、濁っていたけれど、チカチカと光るネオンが綺麗に見えた。
ああ、こうして見た方が、街も綺麗に見えるのかも。
ゆらゆらとゆらめく髪を耳にかけ、黒い影のような男を見る。
男は彼女をそっと抱きしめた。
「行こうか、心配するな。何も怖いものはないよ-――」
今、彼女の行方を知る者は、誰もいない。
ストーカーだ。