甘美なお食事
http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=163870 お題:昨日食べたパソコン 制限時間:1時間
にゅにゅにゅ、と触覚を動かし、ミリコは目をぱちぱちと瞬かせた。
眼下には、地球という青く美しい星が、宝石みたいに真闇に浮かんでいる。
(ああ、素敵な星だったわ)
ミリコはうっとりと、自分の白い頬を撫でて、宇宙船の丸窓から眺める。
ミリコの背後では、同胞たちがあくせく働いて、宇宙船のコンディションを整えて運転をしている。ミリコと同じ、緑色の髪と目を持ち、触角の生えた人々。ミリコたちは宇宙船で広い宇宙を旅する宇宙人だった。高い文明と強靭な肉体を持った、人間とは異なる存在。
ミリコは人間で言う女だった。すんなりした肢体を宇宙船のぷにぷにとした床に投げ出し、ゆったりと、離れゆく地球を愛でている。
宇宙船を管理している同胞たちと違うところといえば、触覚の色だ。彼らは黄色い触覚を持っている。それは平民を示す色だ。しかし、ミリコの触覚は鮮やかなピンク色だ。これはミリコが同胞を従わせる身分にあることを示している。
ミリコは当然の如く同胞たちを使い、宇宙を悠々自適に旅をする。これまでも多くの星を巡った。そのどれも、素敵な旅だった。空飛ぶ珍獣や、マグマを噴出させる花を見た。窒素ガスが渦巻く惑星にも行った。ミリコとは違う宇宙人と遭遇したこともある。友好的な態度の者もいたが、中にはひどく警戒して、ミリコたちを害そうとする者もいた。
ふふふ、とミリコは笑みを零す。細いが、肉付きのいい足を組み変え、頬づえをついた。
どんなにミリコを害そうとしたとて、ミリコに叶うものはいないのである。同胞を従わせるのは、ミリコの同胞の社会的システムだけが原因ではない。
「ミリコさま」
緑色の触覚を持った男が、ミリコのそばに膝をついた。白衣を纏った彼は、ミリコの同胞でいう研究民という層にいる者で、この宇宙船に同乗している博士である。
ミリコはすっと目を眇め、蟲惑的に男を見た。
「なぁに」
甘い香りを放つ声に、博士は陶然とした顔になって、ミリコに言った。
「あの星から持ってきた食料のサンプルを分析いたしました。栄養豊富で、さまざまな食材から作られております。我が星においても、有益な食料になり得るといえましょう」
「まあ、そう!」
ミリコが歓喜の声を上げると、博士はうっとりして膝をつき、ぴくぴくと体を痙攣させた。ピンクの触覚が最高位である理由は、同胞に及ぼすこの影響のためだ。ピンクの触覚のミリコのような者は同胞の中でもほんの一握りだが、彼らの声や動作は、平民や研究民といった下位の同胞に多大な快楽を与える。この快楽のために、平民や研究民といった同胞たちは、自ら平伏し、ピンクの触覚を持つ同胞の側にいることを請うのである。
この作用は宇宙のどの星に行っても、そこの住民に、同じ効果をもたらしたので、なおのことミリコたちピンクの触覚の同胞たちは、支配力を強めた。
彼らは他の層の同胞たちから、「魅惑の御方々」と言われている。
ミリコはうっとりとした表情で、微笑んだ。
「地球という星は素晴らしかったわ」
博士は息も荒く頷いた。
「とても素晴らしい食材が豊富な星でした」
「残らず、持ってきたでしょうね」
「星の住民は騒然としておりましたが、ミリコさまの魅惑のお陰で、宇宙船にすべて運び込めました」
ミリコは満足げに頷き、博士は悶えて倒れた。
丸い窓から、小さくなった地球を見下ろし、ミリコは呟いた。
「美味しかったわ、あの、パソコンという食べ物」
ミリコたちが地球に降り立った場所は、日本という国の東京という街だった。
その星の住民たちは、降り立った円盤に騒然とし、ミリコたちは大衆に迎えられて登場することになった。
東京という街は素晴らしい街だった。美味しい食べ物で出来ていると言っても過言ではない街だったのである。
ミリコたちは無機物を食料とする。街はそこらじゅう、無機物で出来ていた。アスファルト、ビル、自動車―――食事とっていいかと言うミリコたちに、人々は拒否したが、どんな拒否もミリコが赴くことで事は済むことだ。
ミリコは人々を魅了し、美味しい食事を差し出させた。
道も、道に立っていた棒も、そこにあったものは全て食べた。一日目はすぐ側にあるものを食べたが、さほど美味しいものではなかった。
次の日はより美味しいものを持ってくるように、と命じたら、翌日、住民の代表という珍奇な服装をした男たちが様々な食べ物を持ってきた。
その中に、「パソコン」があった。
パソコンは様々な無機物が集まった料理だった。包み込んでいる外側の皮のプラスチックのパリパリさがよく、また口の中で様々な味が混ざり、頬っぺたが落ちそうなほど美味しかった。しかも、ものによって風味や、中に入っている材料が違うので、食べるごとに違う味を楽しめるのである。
ミリコはこの初めて食べる料理に、ハマった。
パソコンをもっと持ってくるように、それも乗船者に人数分と依頼すると、男たちは焦ったようだったが、これもミリコが声を出して脚を組めば済む話である。
男たちは屈服し、日々、パソコンを持ってくるようになった。
その内、ミリコたちを囲んでいる群衆の中に、地球という星のどこへでもミリコの姿を映せる機具を持っている者があると分かり、ミリコは始終その機具が美味しいそうでも我慢しながら、自分の姿を映し、世界中の人間を魅了した。
それ以降、パソコンの集まりが、明らかに良くなった。パソコンに舌鼓を打つ、同胞たちの満足げな様子に、ミリコは自分の配下に報いてやることができたと喜んだ。
ある日、住民代表の一人が、ミリコに進言した。
「もう世界中に、パソコンが一台もございません」
これを聞いて、ミリコは決めた。
「そう、じゃあ、この星は用済みね」
その言葉に、地球中がミリコの声に悶えながら泣いた。
そろそろ、一通りの周遊を終えて、故郷に帰ろうと思っていたのである。泣き始めた男を可哀想に思いながらも、ミリコは帰還を決めた。
その時は、パソコンを一台残らず持ち帰り、故郷で再現して、作ろうと思った。
有機物で宇宙船を作り出す技術を持つミリコの星の同胞に、不可能はないのである。
こうして、故郷に帰る準備が整ったのは昨日。
地球人たちは、最後の食事に、「最新のパソコン」を差し出した。
「これは工場で、作っている途中だった、最新のパソコンです」
「まあ、この星の方はパソコンの種類を増やすことに熱心なのね」
「私たちにとっては、パソコンは情報を処理する機械なのです」
「これで本当に、そんなことができるの?」
「ええ」
男は息も絶え絶えに言った。
「その、大事なパソコンをすべて、一つ残らず、私どもはミリコさまに捧げるのですぅぅぅ」
その様子が、なんとも切なげであり、陶然としており、悲哀に満ちた姿にミリコは胸を打たれて、男を指で突っついて失神させてあげた。
この、パソコンという料理は、この星の人々にどれほど大事なものだったのだろう。
ミリコはこの美味しい食事を心行くままに搾取し、この星から奪うのである。
それがいかにも、罪である気がして、その罪に酔いしれて、ミリコは地球最後の食事を行った。
パソコンを、噛み砕き、咀嚼する。
いつもより、ずっと甘美な味がした。
故郷に帰ろうと、昨日食べたパソコンより美味しいものは、ないだろう。
ミリコは確信して、微笑む。体の奥がじんと甘く疼いた。あれはきっと、地球の住民の涙の味だ。
地球はついに、針の先のように小さくなってしまう。
暗い宇宙に、星が光っている。
まだまだ美味しいものがあるかも知れない、とミリコは胸を躍らせる。哀情に歪んだ、屈服の味。
博士は鼻血を抑えながら去って行った。
働く平民たちは、間違いが許されないから、ミリコの側にはなるべく近寄らない。ミリコは彼らを全員、喋るだけで快楽に脱力させてしまうことができる。だからミリコは外を眺めて、大人しくして、彼らの邪魔をしない。
地球は見えなくなった。近くを小惑星が飛んでいる。ミリコは溜息をつき、故郷を思った。今回はよい土産ができた。
「ミリコさま、今日はどんなディナーになさいますか?」
料理人が、ミリコに近付いて、訊ねた。
ミリコは微笑み、言った。
「そうね、昨日食べたパソコンと、同じ種類のものをお願い」
おそろしい宇宙人め!