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疲れたから、眠りたい。

即興小説トレーニング(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=290449

)より転載。

お題:遠い発言 制限時間:1時間

 星々が散りばめられた澄み切った夜空のもとに、住宅街が広がっていた。

 家々やマンションにはそれぞれ明かりが灯り、窓の向こうではめいめいに人々が過ごしている。

 あるところにやや古ぼけた小規模な集合住宅があった。住宅街の夜景の例に漏れず、窓に明かりがついている部屋がいくらか見える。

 ベランダの隅は、肌を刺すような寒さだった。

 時折吹く冬の風になぶられながら、伶香はずっと目を瞑っている。運が良ければ、眠れることがあった。

 この小さな女の子は、刺されたことはなくとも、叩かれたことは何度もある。

 今は小さいパイプの椅子に座り、冬の空気を吸ってキンキンに冷えた鎖が腰に巻かれている。鎖はがりがりに痩せたお腹を締めつけるほどきつくはないけれど、立ち上がったり、自由に動くことはできなかった。

 鎖がなかったとして、立ち上がる力と気力があるかどうか、難しい。伶香は随分前から鎖に繋がれて、ベランダの隅に置かれた伶香の椅子に座っている気がした。とびきり寒い夜で、昨日も口にしたのは水と飴玉とこっそり舐めたお砂糖。見つかってぶたれた頬は赤く、チリチリと痛んだ。


 ―――ママの爪がすき。キラキラしていて、ハートがあって、ピンクや金色をしている。


 その手は、伶香の頬を叩いた手。


 ―――パパはかっこうよかった。大きくて、力もつよかった。


 三歳の伶香の体を軽々と抱えると、ベランダに放り出して、椅子に縛り付けた。

 大きな声を出して泣けば叩かれる。だからあまり声を上げなかった。ぽろぽろと熱い涙が頬を伝って、声を出す力も湧かなかった。

 窓の外に出されるようになってから、前は、外から声を上げて中に入れてくれるよう何度も頼んだことがあった。窓を開けようと、外からサッシを引っ張り、ガタガタ揺らした。ママもパパも気付かないようで、誰かが窓の外を窺うことはなかった。

 一度だけ大きな音を立てて窓が開いたことがあった。


「うるさいな、もう」


 怒気を籠めた声に伶香の身は竦み、その竦んだ体に爪先がめり込み、簡単に持ち上げられると、どこから持ち出したのか鎖が巻かれた。


「そこでおとなしくしていなさい」


 おとなしくする。

 しずかにする。

 そうしないと、怒られる。ぶたれる。ご飯がもらえない。

 だから、頑張って大人しくしていた。

 ほかの知らない大人がドアの向こうで自分の方を見ていたら、ママの後から顔を出して、にこにこした。

 そうしていないと、ママは困るのだろうし、笑顔で話しているのに、たちまちあの怖い顔になるだろうから。

 カーテンで閉ざされた向こうは明るく、暗いベランダに光を投げかけている。

 とはいえ、ベランダの隅の伶香にその明かりが届くことはない。

 伶香はくちゃくちゃと口を動かしている。伶香は目を瞑って、ぐったりと椅子に体を預けて、くちゃくちゃ口を動かすことに集中している。あちこちがピリピリと痛み、力が湧いてこない体をなるべく動かさず、口に含んだものから何かしら味を得ながら、早く浅くとも痛みもひもじさも忘れることができる眠りを待つ。それがこの生活で身につけた知恵だ。

 くちゃくちゃと噛みながら、伶香は思い浮かべている。ママが前に作ってくれた朝ご飯の目玉焼き。インスタントラーメン。ほかほかと温かいハンバーグ。おかわりできたカレーライス。おやつに食べたいちごにチョコレート、ポテトチップス。

 ポテトチップスはいいや。

 うまく食べられなくって、ママに叩かれたのだ。

 じわりと目尻に涙が滲む。あのときおかわりできたカレーライスを、もっと食べておけばよかった。そしたら、お腹にご飯をためることができて、まだ、このときをガマンできたかもしれない。

 伶香が上手にご飯を食べることができないから、ご飯をもらえないのだ。

 伶香が静かにしていないから、ご飯をもらえないのだ。

 伶香がいうことを聞かないから、ご飯をもらえないのだ。

 伶香がうっとうしいから、ご飯をもらえないのだ。

 伶香が馬鹿だから、ご飯をもらえないのだ。

 伶香が役立たずだから、ご飯をもらえないのだ。

 伶香が可愛くないから、ご飯をもらえないのだ。



 なんで?



 ことばは、声にはならず、僅かに開いた喉の奥に、口の中のものが落ちていった。



 ゴクリ。



 口の中のものを飲みこんでしまい、ゴホッゴホッとむせてしまう。背中をさする温かい手はなく、暗い空から冷たい風が背を押していく。

 口の中で大分長いこと噛んでいたから、小さくなっていたけれど、ゴツゴツと硬いものが食道を通るのは、苦しかった。

 昨日も飲みこんでしまったのだ。昨日はベランダに落ちていたローソクだった。

 今日はローソクの先を包んでいたアルミホイル。噛みごたえがあったから、いつまでも噛んでいられたし、鉄っぽい味がずっとして、それをちゅーちゅーと吸っていた。

 飲み下すと、伶香はすっかり疲れた。

 ホイルが食べられるものならよかったのに。そしたら、お腹いっぱい食べる。

 三歳の伶香でも、アルミホイルとローソクが食べられないものくらいは分かる。お腹がごろごろしているだけで、ちっともお腹がいっぱいにならない。


 なんだか、ものすごくつかれた。

 なんか、ぜんぜんちからがでない。

 なにもわからない。


 ぐったりして椅子に寄りかかる。目を瞑る。

 疲れたから、眠りたい。

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