沈黙の底
即興小説トレーニング(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=236313)から転載 お題:日本式の狸 制限時間:15分
雪の塊がボスッ、と顔に当った。
思考停止しているところに「あ~すいませ~ん」「大丈夫ですかぁ~」と男女の声。
見るとアベックだ。どう見ても雪が降ってテンプレートのようにはしゃいでいた恋人たちだ。すごく笑顔の二人だ。
「いいえ、大丈夫ですよ」
微笑み顔で頭を下げる二人に笑顔を向けて、通り過ぎる。
キャンパス内は雪で真っ白だ。大学生の恋人くらいはしゃぐのは理解できる。
だが人の迷惑省みぬ行為、腹が立つものだ。
雪で再び遊び始めた彼と彼女のはしゃぎ声が聞こえてくる。お互いの共有できる世界に、すっかり夢中のようだ。
その世界は地続きですよ、他の、その他大勢といわれる人たちが生きる世界と。
まるで謝れば許されるように、楽しかったら何でもいいかのような顔をしている。
それって本当に、相手のことを大切にする事に繋がるのだろうか。
私は疑問だ。
何故なら、キャンパス内の庭とはいえ、道の近くで、人にぶつかるかも知れない想定もしないで雪にはしゃいでいる人間に、雪をぶつけられるなんて、本当はとても怒りを感じるし悲しい。
冷たいし、痛い。
だけど私は何も言わない。楽しそうで、申し訳なさそうな人たちに、その場で笑いかける。
本音を隠し、建前の笑顔を向ける。
あなたの罪は許されてますよ。
沈黙すれば、まるでいい人、どうでもいい他人に徹する。
しかしながら。
腹の底では煮えたぎる怒りに呪いを口ずさむ。
雪に足をとられて転んでしまえ、滑って転んで頭を打ってしまい死んでしまうがいい、スリップした自動車に轢かれてしまうがいい。
簡単だ。呪いの言葉は口に出さなければいい。
腹が立ったら、腹の底に押し込めておけばいい。
「それくらいのことで、そんなに恨むの?」
それくらいのこと、と誰が決めるのか。
何を怒りに思うのか、最も許せない事が何なのか、それは人それぞれ違うのだから、「それくらいのこと」と軽く考えることこそ、人は人を殺すのだ。
口に出したらひどい人。
沈黙しておけば、何でもない人。
くだらない存在でいましょう。
そんな狸がいるなんて、誰かに恨まれていると知らないまま、明るい顔したまま生きていればいい。