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旅立ち

宿に戻り、すぐにベッドに倒れ込んだものの、昨夜はあまり眠れなかった。

久しぶりに現実世界の事を考えていた。

家族の事、仕事の事、目指していた将来、抱いていた願望。


今まで封印していたかのように考えなかった事が次々に思い浮かんだ。


あちらで俺が守りたかった物は何だろう?

改めて考えてみると、それはつまらない見栄や意地、結局は他人と比較して侮られたく無い、その程度の感情だったのではないだろうか。


漠然とした将来におびえていた。

現実を淡々と繰り返し、それを見ないようにしていただけだ。


多分、自分はどこか冷たい人間なのだろうと思う。

少なくともあちらではそうだった。

はっきりと意識せずとも、家族であってもどこか他人に接するような意識があった。


こちらでの生活を思う。


現実の日本では命のやり取りをする事なんて無いだろう。

そういう話は全て物語の中で語られる事であって、身の回りの出来事では無い。


今はたくさんの生死が身の回りにあふれている。

ゴブリン達が命をかけた一件は俺の心に深い楔を打った。

あれ以来、誰かのために力を尽くす事を真剣に考えるようになった。


こちらで将来に対する不安は無い。

それはいつ死んでもおかしくない、とでも思っているのだろうか。

戦いに対する忌避は無い。

自分は知らず、自棄になってしまっているのだろうか。


こちらで死ぬとどうなるのだろう?

案外、それで現実世界に帰れたりするのではないだろうか。

何しろ、この体はもともとの俺の体ではない。

という事はどこかに必ず俺の元の体があるのだ。


一度、死んでみれば分かる。

それは最後に試すべき事だろう。

何しろ、この世界の人たちは生き返らない。

俺が生き返れる保証は何処にも無い。

復活のアイテムは確かにホルダに入っていた。

死んでもこれを使えば生き返れる可能性は高い。

しかし、これは自分では使えないのだ。

誰かに使ってもらうしか無い。

ただし、それは他の誰が生き返らなくても、俺だけが生き返るという事を知ってもらう事になる。

それを聞いて、その誰かはどう思うだろうか。


今すぐ生死を分ける戦いが始まる訳では無い。

言うまでもなく死は忌避すべきものだ。

むやみにそれを試すのは気が引ける。


今すぐ帰れる方法が見つかった訳でも無い。

それでも、真実帰りたいと思わずに、既成事実を作るためだけに現実世界への帰還方法を探すのは違うと思った。






村へ向かう。

村の中は活気に満ちていた。

かつての集落とはまるで違う。

そこには昨日やった事、今日やるべき事、明日やりたい事が満ちあふれている。


今の俺とは大違いだった。


入り口近くの広場に腰を下ろすと、ただずっとその光景を眺めていた。


いつの間にかアルフレッドが隣に来ていた。

俺がいつもと違う事に気が付いたのだろうか。

アルフレッドも村の様子を眺めたまま何も言わない。


この世界での目的を持っていなかった俺に、それを持たせてくれたのはアルフレッドだ。

アルフレッドがいなかったら、俺はどうしただろうか?


がむしゃらに現実に帰る方法を探しただろうか。

違うと思う。

すぐにでも現実に帰りたい、そんな切実な願いを俺は元々持っていなかった事には、さすがに自分でも気付いている。


もしかしたら今でも日銭を稼ぎ、適当に飲み食いして、現実での生活のように次はあんな武器が欲しい、こんな防具が無いだろうかと、いたずらに欲望を暴走させていただけかもしれない。


「なにしてんの、あんた達」


アリアが何もせずに村の様子を眺めている俺とアルフレッドに気が付いて近づいてくる。


アリアにも出会う事は無かっただろう。

最初は苦手だと思った。

彼女のさっぱりとした性格と、何でも飾らないで言い合える関係は気に入っていた。


それもアルフレッドがいてくれたからこそだ。


不意に思った。

アルフレッドには真実を告げよう。


「アルフレッド、聞いてくれるか?」

「何でございましょうか」


「アルフレッド、俺は人間なんだ」


アルフレッドの表情に変化は無かった。

アリアは目を丸くしている。


「さようでございましたか」

「驚かないの?」


前にアルフレッドは言っていた。

人間とは大昔に存在した邪悪な存在であると。


それを聞いて思ったのは、自分達はモンスターだった彼らを散々狩り回った忌むべき存在なのだろうと。


「今更、何言ってんの、ノルは」


今更?

今更って何だ?


「ノル様にお見せしたい物がございます」


そう言うと、アルフレッドは自らの剣を抜いて俺に渡す。


銀色に輝く美しい剣だ。

刀身はまるで鏡のように光を反射している。

アリアから聞いていた通り、これは王の剣と同じ製作者なのだろう。

確かに似ている。


よくよく見ると、刀身に何か文字が刻んであった。


私の小さな友人に剣の加護を。


前の王はアルフレッドを友だと思っていたのか。

私の小さな友人に。

小さな?

これはつまり、前の王は大きかったのか。

例えば俺みたいに?


アルフレッドの顔を見る。


「私にその剣をお与えくださった方は、ノル様と同じ人間でした」


人間?

人間!


「それって!」


それはつまり!

いや、どっちだ?


こっちにだって人間はいたのだろう。つまりこっちに人間の生き残りがいたのか、それとも俺みたいにあっちからこっちに来たのか。


「その人の名前は?」

「ドレスミルクよ。ドレスミルク・ローザ」


アリアが口にした名前ははっきり言って変な名前だった。

何だその名前は。

分かりやすく日本人名だったら、確信が持てたのに、これではどっちか分かりはしない。

変な名前しやがって、と思ったけれど、人の事は言えない。


「消えちゃったって聞いたけど」

「そうよ。ある日、突然城からいなくなったのよ。前触れも無く」


前に聞いた時には、ふーん、と思っただけだった。

新しくゲームを始める時に語られるプロローグ程度に。


しかし、それは今、物凄く重要な意味を持っている気がする。


消えたとは、もしかして現実に帰って行ったのでは無いか?


前の王がもしも自分と同じようなゲームプレイヤーだったら、と考える。

ゴブリンを集めて国を作った。

ゴブリンを使って現実帰還の方法を探していたのだろうか。


何だっけ、確か世界を巡った的な事も言っていたはずだ。


この街に長く、腰を落ち着けていたけれど、ヒントになりそうな事は無かった。


コカトリスの話くらいだろうか。


ドレスミルクもひとつの街で調べても、埒が明かないと思ったのでは無いだろうか。


いや、もっと重要な情報があるだろう。


廃城。


かつてのゴブリンの国の跡。


そこでドレスミルクが消えたなら、そこで現実に帰還したはずだ。


一度、そう考えると、もう、そうとしか考えられなかった。


ホルダから王の剣を取り出す。


きちんと観察してみるのはこれが初めてだ。


しかし、アルフレッドの剣と違って、特に何も刻まれてはいない。

何のヒントも無さそうだった。


剣を鞘に納める。


「なんで言ってくれなかったの?」


出会った最初の時点で分かっていたはずだ。

アリアは何の話だか分からないという様子だ。

ドレスミルクが人間だって事を知っていたのなら、それは今更何でそんな話をしているのか、まるで分からないだろう。


アルフレッドは違うだろう。

人間って知ってるか?

そう聞いた彼は、まるで知らない振りをした。

俺の事ですとは言わなかった。


「今でも人間と聞いて、恐れを抱く者達もおりますれば、御身の安全のために余計な事は何もお伝えしないのが宜しいかと愚考致しました」


なるほど。

とも思った反面、今までのアルフレッドと違う、言葉に出来ない違和感も覚えた。

それは本当に些細な。

何だろう?


アルフレッドの顔は今まで見てきた表情と何も変わらない。

朗らかで落ち着いた表情だ。


自分でも良く分からなくなって思考を切り替える。


アリアもアルフレッドも、前の王が人間であるという事は知っていた。

ただし、突然消えたという話だ。

ある日、突然、気が付いたらいなくなっていた。


もしも現実世界がうんぬんの話をしていたのなら、そんな訳が分からない説明にならないだろう。

帰って行ったと言うはずだ。


そう言わないのは、人間だとは知っていても、異世界から来たなんて話はドレスミルクもしなかったのでは無いだろうか。


現実に帰る方法はある。

そう考えてみる。

あるのなら知りたいと思う。


それはどうして自分がここに来たのか、その答えも含まれているような気がする。


帰りたいか、帰りたく無いか、それをこの村で延々と考えていても答えは出ないだろう。


まずは方法を真剣に探す。


その上で、選べば良い。


帰る方法が無いのに、俺は帰りたいのか?なんて悩むのは、よく考えたらそんな馬鹿な悩みは無いだろう。


「アルフレッド、しばらく旅に出ようと思うんだけど」


決めた。

廃城だけでは無い。

打ち捨てられた城にどれほどの痕跡が残っているのかは不明だ。

街を周り、きちんと情報を探す。


「ノル様がそう望まれるのなら、私もそれに従うまでです」


アルフレッドは迷わず言う。

アリアは思案顔だ。


「俺と一緒に来るの?」

「私は御身の影にございますれば、それが当然の事にございます」


それは正直ありがたい。

やっぱりアルフレッドを頼りにしているのだ。

王の剣と同じく、彼にただ頼るのは嫌だ。

ましてや、彼は剣とは違う。物では無い。


しかし、アルフレッドには一緒に行ってもらわなくてはならないだろう。

俺はドレスミルクの事を何も知らない。

何処を周り、何を見たのか。

案内してくれる存在が必要だ。


今までと違って危険な魔獣が出るフィールドに行く事もあるだろう。

意地を張って、気が付いたら詰んでいた、では本当にただの馬鹿だ。


「村の事はどうする訳?」


アリアが聞いてくる。

その視線は下がっていて、俺の顔を直接見ようとしない。

見捨てる訳では無い。

どう言えばアリアにそれが伝わるだろうか。


「今すぐにでも出ようって訳じゃないよ。前にも言ったけれども、俺はここに俺の国を作りたい訳じゃない。俺はここで王様にはならないよ。それなら、彼らだけでもやって行ける、そんな集まりにしなければならない」


そうだろう?

それはアリアの望みでもあったはずだ。


ドレスミルクが突然いなくなって、ゴブリンの国は混乱したはずだ。

その時にアリアは深く傷ついたのだろう。

国を作っておきながら、なぜ見捨てるのかと。


俺はそんな消え方をするつもりは無い。

それでも突然、死んでしまう事だって無いとは言い切れない。


彼らは今、自立するにはちょうど良い時期を迎えている。


俺がいなくても、そんなには困らないだろう。

俺から教えられる事はもはや教えきっている。

後は単純な戦力としてしか必要は無さそうだ。


アルフレッドはどうだろう。

彼がこの村に存在する意味は戦力としてだけではない。

街との交渉や村の発展など、政治的な意味を持っていた。


「この村の者達にも交渉の仕方、ものの考え方や仕組みなどを指導して参りました。私の役割も終わりに近づいて参りました所にございました」


士農工商の士、工だけでなく、商の部分も育てていたらしい。

さすがアルフレッド。

万事において先まで見通している。


「そう」


アリアが顔を上げる。


「そうね。確かにこの村はノルの村って訳でも、アルフレッドの村でも無かったわね」


その顔は笑顔だ。


「あんた達が長い事いなくなっちゃったら、その間に私が王様になるしかなくなっちゃうじゃない。私はそんなのごめんよ」


「じゃあ、行くか!」


「何処までなりとも」


「適当な所までは付き合ってあげるわ」


3人で旅に出る事に決めた。


3人は間違いなく、この村の柱だった。


その柱が全て抜けるなら、その前にやっておかないといけない事があるだろう。


俺達はこれからの事を話し合った。


子供の成長の最後の一押し。

それがどうしたら成せるのか。


その話し合いはとてもとても楽しかった。

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