表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

獣男と蛍と百姓

作者: 追憶
掲載日:2026/06/09




 あるところに百姓がいた。

 山へ茸を採りに入っただけなのだが、ついつい道のように豊満に生えているので導かれるように奥へと入った。そしてはっと気づいた時には「ここは、どこだぁ……?」と頭の襤褸襤褸ぼろぼろ笠を指で傾げて見回していた。勝手知ったる山ではない。参った。このままでは夜までに村にもどれないかもしれない。火打石は持参しているから薪を作ることは出来るから、獣除けして朝まで過ごすことは出来るだろう。ただ採った茸が毒でねぇか婆ちゃんに確認しねえと食えねぇなあ。今夜はひもじくなりそうだ。ひもじい、それだけで済めばいいのだが。

 がそろそろと落ちかけて冷気が漂いかけた頃、森の中で開けた場所を見つけて薪を集めて石を打った。完全に暗くなるまでには火も明るく燃え盛り、百姓の顔も辺りの木々も、円を描くように照らされている。ひもじけれど手を伸ばせば温かい。それもまた幸せなのだと百姓は思っていた。


 ――と――。


 ドサドサドサッ。

 百姓の背後で大きな影が地に落下した音がした。

「えっ……えぇっ!?」

 百姓は恐怖した。山の冷気など慣れっこだが、奥深くに住む物の怪などに出くわしたらどうしよう――食われてしまうのだろうか、生贄を差し出せと言われるのだろうかと内心びくびくしていたからだ。逃げたい。だが逃げるわけにはゆかない。逃げたら火から遠ざかる。山の獣に襲われてしまう。どちらにしても命の危険。だから、じっくり正体をみるしかなかった。火を焚いているのに近づくならば、山の獣であるはずがない。ならば何だと細めれば……若い、たくましい身体で陽によく灼けた、男だった。だが……人間、ではあるようだ。頭頂から長く伸びた髪が前髪すら地面につきそうな長さであって、それが矢に射られた獣のごとく倒れた体を護るように覆っているのだ。あきらかに里の者ではないのだが、火を求めて来たなら困りごとでもあるのかもしれない。もしこいつが悪人ならば――百姓は腰に差した小刀の位置を後ろ手に確認した。戦えはしなくとも、逃げることはできるだろう。

「も……もうし……」

 声をかけられた男はビクッと頭を動かした。気を失っていたのか頭を左右に回して状況を確認し、目の前に頭巾を被った百姓が覗き込んでいるのが目に映る。

 ガァッ!!

 男は吼えた。まるで虎のようだった。

 まさしく虎のように四つん這いになり、上体を低くして腰を高くし、今にも百姓に飛びかかりそうな姿勢で睨みつけてくる。男の瞳にちろちろ焔が反射する。

 しまっ、これでは間に合わな――百姓は腕を腰に回す間もなく恐怖した。

 ヴァッ!!

 上半身は裸だが、下半身を股引のような太い履物で足首まで覆った男が百姓を押し倒してきた。

「ひえぇぇえっ! お助け~!」

 百姓は男に倒されてわが身を守るかのように両手を合わせて短い念仏を唱え始めた。自らを喰われる様は見たくない、眼を閉じて神様仏様のご加護を祈っていると……べろ、っと何かが鼻を撫ぜた。べろっ。今度は頬、べろ、顎、ぺろっ、唇。おそるおそる瞼を開くと、浅黒い男が百姓の顔を嬉しそうに舐めていた。まるで犬か猫が主人にやるように。

「えっ、えっ……どうしたんだい」

 まったく頓珍漢な展開に百姓はすっとぼけた声しか出なかったが、男は一通り百姓の顔を舐めまわすと満足したのか、立ち上がると百姓が採った籠いっぱいの茸を取り出した。そして腰を落として座ると前に広げて、匂いを嗅いだり眺めまわしたり、触り心地などで何かを確認すると或る茸は前に残して、或る茸は後ろに棄てる。そんなふうに残したものを籠に戻すと、百姓に渡してきた。どうやら毒があるものは選別してくれたらしい。一応中を見てみると……確かにいつも食べているものにそっくりだ。すぐに食べるのはさすがに怖いが、どうも獣男けものおとこの親切らしい。

「お……恩にきるぜ」

 百姓が礼を言うと獣男は眼を細くした。笑っているつもりらしい。どうやら意思の疎通はできるようだし、人食いでも無さそうだ。そう思ったら百姓は緊張から安堵してしまい、うとうとうつつの世界から夢へと入っていった。

 百姓が眼を覚ますと薪は熾火になっており、煙が細長く立ち上がる早朝の気配の中にあった。獣男の姿はなく、太陽の位置から里の方向の見当がついた。帰れる。百姓は籠を背負って下山した。黒く艶のある長い髪を垂らした、獣男の姿を脳裏に焼きつけたまま。


 再度、百姓は山へと入った。

 今度は山刀を持っている。攻撃する為ではない、薪をとる為だ。

ついこないだまで大人に混じって田んぼの手伝いをしていたはずだが、いつの間にか自分も大人と言われる年ごろだ。村には好いた子もいるが、俺なんかのところに来てくれるかなあ……俺も所帯を持つなど考えてはみても実感がわかず、ぐだぐだしていると幼なじみに「そんなこったら、すぐ持ってかれっぞ」とからかわれる始末だ。鶴の恩返しなぞ言うけんど、俺は誰かを助けたことも無ぇし……と、ふと、先日の獣男を思い出した。懐かれる原因もとは知らねぇが、気に入ってはくれてるらしい。話はしねぇが意思は通じる。この際、獣の嫁入りってのも悪くねぇかもな~~なんて言ったら村八分になっちまう。恐ぇ恐ぇ。

 さて、そんな冗談は抜きにして。百姓は両手を口に添えて大声をあげた。

「お――いお前! いるのかぁ――――?」

 かあーかぁーかぁーぁー。

 百姓の声がこだまする。と同時にばさっと樹の上から獣男が降りて来た。どうやら枝から枝へと伝って百姓をけていたらしかった。地面に膝を突いて無表情に百姓を見上げる獣男の様を見て、百姓はにっこり無邪気な笑顔となった。

 開けた地で二人は向き合って座った。百姓は土産に干し柿を持ってきていて獣男と分けあった。獣男も慣れているらしく、もぐもぐと食べている。その顔を見てみると、本当にここいらでは見ない顔立ちだ。すっと通った鼻筋に黒々とした大きな瞳。骨の凹凸が解る彫りの深さはまさに獣に近いと言えるかもしれねぇけど、「整っている」という見方ならそうかもしれねぇ。まあ、獣の美醜なんぞそうそう見比べたことなんてねえけど。こいつに別嬪を紹介して貰えたりするのかなぁ――。なんてことを思いながら百姓は干し柿を喰っていた。別に懐柔するわけではなかった。ただ、なぜ親切にしてくれたのか知りたかったのと好奇心なだけだった。

「なぁ――、お前」

 獣男が顔をあげた。

「お前、ツレとか家族とかいねぇのかい」

 獣男は首を振った。言葉は解るらしい。

「そうかい……ま、期待しちゃいなかったけどよ」

干し柿をむしゃむしゃ喰いながら、百姓は話を続けた。

「そろそろ嫁取ってガキこさえなきゃならねぇ歳になっちまったい。人手もいるし、流行り病やひもじさでバッタバッタ死んじまうからな。居るに越したこたぁねぇんだ……」

 言いながら百姓は黙ってしまった。あまりにも百姓が黙りこくるので、獣男は首を傾げて続きを催促してきた。それに乗じてなのか、百姓は天まで細く長くのびる杉の先端を見るように仰向いた。

「あーあ。なんだか遣る瀬ねぇなぁ。俺んちは代々百姓で、ガキん時から働いて、生きてる間も働いて、コロッとおっんで終りなんだ。神様仏様を拝んでいりゃあ天国に行けるって言うけどよ、一度は現世このよで天国を見てみたいもんだぜ……なんてな」

 はぁ、と百姓はため息を一つ吐くと、最後の干し柿をもしゃもしゃと食べてしまった。獣男は黙って聞いていたが、立ち上がると「ちょっと来い」とでも言うように手招きをしてガサゴソと森の奥へと入っていく。

「あっ、おいちょっと!」

 百姓も慌ててついていった。獣男に会えたらどんな展開になるか解らないので、夜になった時のために松明を持参していたのだ。どうやら役に立ちそうだ――。お天道さまが真上を過ぎてとっぷり陽が暮れてもなお二人は歩き続けた。すると、さらさらと気持ちの良いせせらぎを通して清水が流れる小川が視界に開けてきた。あたりを蛍がひらひら舞っている。

「へぇっ! ずいぶん明るい蛍だなぁ……田んぼに舞ってるのとは段違ぇに大きいぜ」

 百姓が感心して蛍を眺める様を見て、獣男は眼を細めた。笑っているらしい。

「で、なんで俺にこんな良いとこ教えてくれたんだ? 女としけこめってか?」

 百姓が冗談を言うと獣男はますます眼元を細くした。

「へへっ……」

 百姓は頭をかきながら、少し困ったようにしゃがんでしまった。沈黙する間も明るく蛍はあちらこちらを舞っている。

「いや――俺には元々兄ちゃんや姉ちゃんがたくさんいたんだけどよ、流行り病でおっかぁを残してバッタバッタ死んじまったんだい。だから良い嫁とってたくさんガキ作んなきゃいけなくなっちまったんだ――たかだか五男坊だってのによ」

 獣男は口を閉じたまま瞳を百姓に向けている。

「俺ぁ女も好きだが男も好きでさぁ。頃合いを見て街にでも出て行こうかと思ってたんだ。気楽な百姓の五男坊だからよ。上手くいかねぇもんだなあ」

 親孝行してぇしよ、と百姓はぼつりと呟き、また黙ってしまった。獣男も彼を見たまま立ち尽くしていたが、再度「こちらへ来い」という合図をして男を山奥へと連れて行った。連れて行かれた先は、獣男の棲家すみからしかった。人間が両腕を伸ばしても足りないような太い幹の足元に穴が開いており、そこはゆうに大人一人ならくつろげるほどの隙間があった。獣男は彼なりに快適に過ごせるように、落ち葉を布団のように敷き詰めたりしているらしかった。そして入口で立ち尽くす百姓を振り向きもせずに、中央に座って横になり、そのままド――――ンと大の字になった。抱けということらしい。漢らしい形貌 (なり)で抱かれようとする意図に気づいた時に、百姓は笑ってしまった。

「おまっ……いくら俺が男好きだからってよ、誰でもいいわけじゃねぇんだよ」

 気持ちはありがてぇがよ、と百姓はカラカラ笑った。何だ違うのか、という風体で獣男は起き上がった。百姓は獣男に妙な気などおぼえていないが、その好意はうれしいと思っていた。なんだか弟が生きていた頃みてぇだ。だから獣男の肩に腕を回して聞いてみた。

「お前よぅ、なんで俺にそんなに親切なんだい? ご恩返しされる徳を積んだ記憶もねぇし。っても答えられないのか?」

 百姓に水を向けられた獣男は、もご……と口を咀嚼した、ようにみえた。喉の奥からグルルル……という音がする。そしてゆっくり息を深く吐き出すように、音を吐いた。

「か……み……さ……ま」

「……神様?」

「み……て、……る」

 そうとだけ言うと、獣男はまた黙りこくって喉を少し撫でていた。発声をすることは出来るらしい。いやそれよりも。

「神様が見てるってぇ……」

 なんのこっちゃ、と百姓――いや、吉五郎きちごろうは思うのだった。



 夏祭りの季節が来た。

村中総出で神輿を担ぎ、神社の境内でみんなが盆踊り。屋台に並ぶ団子や飴玉、玩具にくじ引き。どれも目を引くものばかりだ。男女が声を掛け合って茂みの奥に行くのも暗闇にちらほら見える。だが吉五郎は仕事を終えると、天ぷらとそばを土産に持って獣男の元へと向かった。約束していたわけではないが、吉五郎が近づくと風に乗った匂いで気がつくのだろうか、あの良く光る蛍を見かけた小川で落ちあうようになっていた。

「よう、ケモ。飯もってきたぜ」

 ケモと呼ばれるようになっていた獣男は、天ぷらを受け取るともぐもぐと食べていた。

「今日も蛍が見えてるなぁ……ご先祖様の魂か、おっ死んだ皆も帰って来ているのかなあ……」

 ケモが咀嚼するかたわらで、吉五郎は空を見上げながらつぶやいた。

「俺なんざてぇしたこともしてねえし、お念仏で極楽に行ければもうけもんだよなぁ……」

 視線を感じて吉五郎が目を遣ると、ケモがっと見て来た。

「なんだよ、天ぷらはもう無ぇぞ」

 ケモは掌を小川で洗うと、陰に置いていた物を吉五郎の頭に載せた。

「なんだい、これ……」

 それは編み笠だった。粗末だがおろしたての様に整った編み目であって、なのに何度か使ったような風合いがある。

「ただの笠じゃねぇか」

 ケモは喉を抑えながらゆっくり話した。

「あな、た、が……僕に、くれた」

「俺が? おめぇに? おめぇみたいな面白ぇやつと遭ったのは夜の山が初めてだ」

 だがケモは頭を軽く振った。

「あなた、が……おじぞう、さま、に、笠を、そなえ、た」

「ふえっ?」

 そう言われると同時に、吉五郎の脳裏に数年前の寒い冬の日が思い出されて来た。あれは十一月に年貢を納める日で、酷く雪が積もっている道を一人で歩いて帰路についていた。吉五郎一人だったのは、日帰りで村の皆と帰っていた時に脚をくじいてしまい、すぐに追いつくから先に行っててくれと言ったのだ。しばらく休んで足が楽になった途端、今度はちらほら雪が降ってきた。ケッついてねぇなと悪態をつきながら樹の下に身を寄せると小さなお地蔵さまが『在った』。お地蔵さまなんて珍しくもない、だが吉五郎はある昔話を思い出していた。

 吉五郎の爺さんの爺さんの頃であったか、酷い干ばつがあったという。雨は降らず大地は割れて、なおかつ御上からの年貢は変らず要求される。そして――恒例の儀式として『子ども』が生贄となって龍神に捧げられることがあったのだ、と――。この樹の下のお地蔵さまは、その子どものために建てられたものだと聴いたことがあったのだ。

 吉五郎は、ふと流行り病で死んだ兄姉を、弟妹を思い出した。親より早く亡くなったあの子達は賽の河原で石を積んでいるのだろうか、そして度々鬼に崩されているのだろうか、泣いていはしないだろうか、お地蔵さまが守ってくださっているのだろうか――……。なんだか他人事のようにも思えずに、手を合わせて「お地蔵さま、こんな物しかありませんが」と言って年貢を納めるためにおろしたばかりの笠を乗せ、自分は髪に雪を降り積もらせながら帰って来たのだった。そんなことが、あった。

「あ――、ケモ……お前はあの時のお地蔵様が守ってた子だったんだなぁ」

 ケモは目を細めた。

「ってぇと、俺の家族もみんな賽の河原にいるのかい? やっぱり鬼が来るのか?」

 ケモは首を振った。違う、というよりも話すこと自体が困難なようだった。

「あぁ、いいよ。話してくれてありがとうよ……とにかく、お前はあの時のお地蔵さまが導いてくださったんだな。な? それが解っただけでも俺ぁ嬉しいぜ」

そうして暫く吉五郎は甘酒を獣男と酌み交わしていたが、呑み終えるとケモが来いと手招きをした。例の棲家に何かあるのだろう。

 暗い夜の山を、松明で照らしながら たどり着くと、樹洞うろの中に一人の女が横たえられていた。寒くないようにとの配慮なのか、落ち葉が山のように敷き詰められて、布団のように掛けられてもいる。明かりで顔を覗き込んでみれば……長く黒い髪を後ろで一つに結んだ色白の美しい女だった。

「えっ……!」

 吉五郎は声を喪った。頬や手がが土や埃で汚れているが、こんな天女のような娘を、村より遥かに栄えた街ですら見たことがなかったのだ。

「ケモ、どうしたんだい。こんな別嬪……まさか、お前が」

 攫ってきたのか? と疑うと獣男は首を振る。

 すると娘が人の気配に目が覚めたのか、うぅ……と低く唸った。低く?

 ぱっと瞳を見開いた娘が葉っぱを散らして勢いよく上体を起こした。松明に照らされてもなお暗い樹洞を見上げて周囲を見回し、明かりの主の吉五郎に気がついた。

其方そなたは……村の者か?」

 その声はハッキリ低い男のものだった。そして品がある。格もある。少なくとも只者ではない。

「へっ……へっ!」

 吉五郎は松明を片手に捧げたまま、慌てて片腕を折って頭を地面に向けた。戦乱期はとうに終っていたが、何かのいさかいに巻き込まれた尊い御方かもしれない――。何やらケモが妙なものを拾ってきたな、と吉五郎は思った。蝉を見せる猫じゃあるめぇし、ジーワジーワと鳴く代わりに麗しい鳥の声みてぇに囁きなさる。

「蝉」は自棄気味なのか、身の上話をぽつりとぽつりと話し始めた。

 吉五郎は内心うっとりしながら女、いや男……? の声を聞いていると、その人はどうやら城仕えの小姓をしていたらしい。小姓というものがよくわからないが、お殿様に仕える男だとのこと。やっぱり男だった。

 殿の寵愛を城随一の宝として受けていたが、ある日他愛のないことで殿の不興を買って身一つで追い出された。身に着けていた衣装や小物を、足元見られて安値で買われてその日その日を暮らすうちに、こんな襤褸を着て山奥まで辿りついたこと。小川で水を飲んだところまでは覚えていたが、その後はぷっつり消えて――今、目を覚ましたこと。

「おそらく、嵌められたのであろうな」

と美丈夫は言った。

「拙者ばかりが殿の寵愛を受けているものだから、奥方様はともかく側室、ほか控えの小姓ども、敵はいくらでも居たことだろう。行いには気をつけていたつもりであったが……悪く言う者が多ければ白も黒となるのであろうな。殿に何事かを囁いた者も少なからずあったやもしれん」

「へぇ……」

 吉五郎には元小姓の言う事がわかりにくいと思ったが、どうやら嫉みで追い出されたみてぇだ、ということはわかった。こんなに別嬪だからって、うまくいく世の中じゃねぇんだなあとガッカリする気持ちまで出た。吉五郎も悪口を吹かれないように率先して人の手伝いなどすることもあったのだが、それが報われない時もあるようなのだ。なんて世の中ってのぁ難しいんだろう。

「吉五郎よ。拙者はもはや戻るところがないのだ。誠に相済まぬが、そちの元に身を寄せては貰えまいか。恩は必ず返す」

 そう言って、女――ではなく男、武家の息子であった小姓は襤褸を着ながらも両手をついて深々と頭を下げた。ただの水呑み百姓の吉五郎に向けて。もはや命を助けてくれる者ならば、身分など関係がない。苦労するうちにそんな境地にまで達したらしかった。そしてどうやら己の話を聴く吉五郎に、道すがら遭遇した悪人どもとは違う『誠意』を見出したのかのようだった。吉五郎は慌てた。

「とっ……とんでもねぇです! 俺なんかにもってぇねえ……でも、こんなに別嬪な方が俺んに来てくださるなら本当に……大切てぇせつにします」

 美丈夫はゆっくり顔をあげると微笑した。長い逃避行で紅などついているはずがないのに、薄く赤色づいている。

「では、今後ともよろしく頼む……吉五郎」

 獣男は目を細めた。


 吉五郎は小姓であった男と相談をし、その美貌から『嫁』として迎えるのがいいだろうということになった。女としての名前は作物からとって、およね。女物の着物を用意して、行商の娘だったが山賊に遭い逃げて来たところを吉五郎が見つけたという嘘を二人で決めた。

 殿の小姓が勤まるほどだから、当然読み書き算盤、唄も出来、農作業を手伝うより村の子を集めて作物と引き換えに学を教ほうが良いだろうということになった。村人も子ども達から数えを学び、街に出ても勘定で騙されることが減って少しずつ村が豊かになり、『嫁』と吉五郎は村人たちに感謝されるようになっていった。嫁の学は「商人の娘だから身についていた」ということにしていた。

しかし子どもの問題がある。

 いくら感謝されようとも『嫁』の美貌と美しい仕草と人並みはずれの存在感。そして豊かになりつつある吉五郎を妬んで「石女の嫁」(うまずめ)などと陰口を叩く因業婆どももいた。お米が小姓として城勤めしていた時と同じ構図だ。いくら美貌でうまくいこうと、そつなく人の為にとこなそうと、婆どもの嫉妬についた火は消えない。村の役に立っているから男どもにも老人たちにも庇われているとはいえ、お米も吉五郎もなんとはなしに肩身の狭い日々が続いた。

 そんなこと言ったってガキはできねぇしなと『嫁』と吉五郎がこぼしていたら、今度もまた獣男が何も言わずに何処からか子どもを連れてきた。帰れぬ迷子や、喰いぶち減らしのために山に置いてかれた子どもたちを見つけてきたらしい。

「よぅ、おめぇ迷子かい? ……うちの子になるか?」

 指をくわえた幼子は、言葉はわからずとも意味はわかったと見え、うなずいた。

血は繋がらずとも、人手があるのはありがたい。何より家が賑やかになる。『嫁』の知恵で家計も回り、子を養えるほどの蓄えが出来るころに、ひとり、ふたりとまた迷子を獣男が山中から連れて来た。攫ってくるはずがないと思えるのは信頼している証拠だ。獣男がお地蔵さまの使いなら、子どもが吉五郎の家に来るのもうなずける話であった。吉五郎のところに遣ればたらふく喰えるという噂も近隣にひろまったと見えて、親が近くの山で放したらしい子もあった。

 結果、十人ほどの子が出来た。吉五郎はまるで子ども時代の家族が顔を変えて戻ってきたみたいで嬉しくなった。

 ということで、めでたしめでたしの段となる。



 獣男と出会って一年ほど経って一息ついた頃、吉五郎は小川で獣男と蛍を眺めていた。もうそんな季節が廻っていたのだ。男と獣男は川辺に座り、あぐらをかきながら祭の甘酒を酌み交わしていた。

「ケモよぉ、おめぇと出会ってから驚くことばっかだけどよ、これからもよろしくな」

 しかし獣男は一息で甘酒を呑みほすと、何も言わずに立ち上がった。蛍を通して何処か遠くを眺めているようで、思案気にも見える。すると次第次第に獣男の周囲まわりに蛍たちが集まり始め、まるで夜明けの夢に輝く仏様のような様相になってきた。

「ええ……? ケモ、どうしちまったんだい」

 獣男は相変わらず無言だったが、目を細めて手を挙げた。まるで『別れ』を告げるみたいだ。先祖たちがあの世に還るみたいに、獣男のケモまで? 吉五郎はハッとした――そうだ、こいつはお地蔵さまの使いだったんだ――。

「おい、ケモぉ!」

 吉五郎は叫んだ。蛍は集まった。獣男の身体じゅうにまとわりついた。大きく光輝いた。そして――消えた。

「ケモ……」

 吉五郎は立ち尽くした。

 まるで、何も、誰も、いなかったかのように。

 そばでさらさら小川が流れる音がする。

 清い水がどこまでも流れる音がする。

 あれはいつしか轟轟ごうごう鳴って、吉五郎が見たことのない『海』へと至るのだろう。そして大海へと溶けてゆくのだろう。そんなふうにケモの魂もどこか遠くへ溶けてしまったのだろうか……お地蔵さまの使いだったケモは、ありがたいお話で聴くナントカ童子様と云われるような存在だったのかもしれない。俺が差し出した笠の代わりに顕れて、俺の願いを叶えてくれたのかもしれない――。

 だが。

 ケモはもう、戻ってこないだろう。

 あの色黒で背が高く、髪も地面まで垂らした頑丈な体躯の男。

 俺の行く末を見届けて、安心してあの世に還って行ったのかもしれない。今頃も極楽浄土でお地蔵さまの使いをしているのかもしれない。それはひどく尊いことだ。けれど。

「なんで、俺ぁ泣いてるんだろうなぁ……」

 吉五郎の両目からは、ぼろぼろ大きな涙つぶがあふれてこぼれて頬を伝って顎まで流れ、地面にぽた、ぽたと落ちていった。

 ひとしきり泣いた後、腕で頬をぐいっと拭いてとぼとぼ吉五郎は村へと帰った。

祭の余韻で村人は去っても神社の境内には櫓が残り、星空に照らされている。吉五郎は神社に近寄らずとも見上げて訥々(とつとつ)話し始めた。

「ああ、神様……俺はただお地蔵さまに笠を乗しただけなんです。なのに、こんなに幸せでいいんでしょうか。ケモがお役目を果たして去ったなら尊いことでござんしょう。けれど……どうもぽっかり穴が開いたように思うんです。ケモが極楽浄土でお地蔵さまにお仕えなさっているなら喜ばしいことでしょう。けれど、もう二度と逢えないのかと思うと家族と別れたように思うんです……」

 ふと見ると誰かが食べ残したのか天ぷらが二個、屋台の中に残っている。吉五郎は何を思ったかむんずと鷲掴みにしてがつがつと食べ始めた。去年の盆にケモと小川で会った時、美味そうにしていたのを思い出したのだ。またもやぼろぼろ涙の粒が吉五郎の頬を伝い始めて、しゃくりあげながら天ぷらを神社の境内の暗闇で喰う男の図が出来上がった。


 その絵図は今でも残されている。

 吉五郎の家では盆になると先祖への供えの他にも必ず天ぷらが仏像の前へと捧げられた。

 この話は数百年も前のことであるというのに、代々のしきたりとして必ず毎年行われている。吉五郎の『嫁』が殿の小姓であったことだけは戦時下では伏せられて、側室だったということになっている。

 私はこの逸話を書き留めた時、今の時代まで仏教信仰を確たるものにする為の方便であっても、実話でも……これらの伝承で人々が力強く生き残るための智慧になったのであろうと類推する。造り話であったとしても何とも愛しくいじらしいことであろう。そこに人間ひとの業を見るのだ。

 これは長者吉五郎の村に伝わる、異類婚姻譚の亜種である。



――――民俗学者、Y記す





カクヨム様にも投稿しております

※AI小説ではありません

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ