前編
この物語は、ある考古学者が北海道の雪深い因習村で遭遇した、世にも恐ろしい事件の記録です。
古地図に隠された地名の謎と土着信仰の正体とは。
外はすっかり春めいてきましたが、どうぞ、部屋を少し暗くして、寒さに震えながらお読みください。
第一章:札幌発 稚内行
札幌駅の冷たいホーム
朝の光を反射する「特急スーパー宗谷」の先頭車両。
私(久世倫太郎、札幌の大学に勤務する考古学者)は、窓際の席で古地図のコピーを広げた。
そこへ大学生4人組が、スノーボードウェアのような派手な格好で乗り込んでくる。
「……すみません、もしかして久世先生じゃないっすか? 論文読みましたよ、あの『歪められた地名考』!」
話してみると、彼等は大学のミステリー同好会の仲間で、目的地は久世と同じ道北の山間の村
『御猿辺村』(おさるべ)
とのこと。
かの地には昔より黄金伝説が言い伝えられている。若者達の好奇心を満たすには丁度良い「獲物」いや、そんな風に考えてしまうのは、神経が昂っているからなのかもしれない。
目的は違えど行き先は同じという事もあるのか、リーダー格の佐伯君が、人懐っこい、だがどこか計算高い笑みで話しかけてくる。
私は、彼らの若々しさと、これから向かう地との不調和に、かすかな胸騒ぎを覚えた。
札幌駅を出発した「スーパー宗谷」の車内。座席のテーブルに広げた明治期の古地図から顔を上げ、通路を挟んで座る四人の若者たちに視線を投げる。
考古学者の悪い癖だ。無意識のうちに、目の前の「痕跡(人間)」からその背景を読み解こうとしていた。
まず目に留まったのは、グループの中心にいる佐伯君だ。最新型のブランドパーカを羽織り、高価なミラーレス一眼レフを膝に置いている。でも、そのカメラのストラップは革がまだ硬く、使い込まれた感じが全くない。(形から入るタイプか……それともこの旅のためにわざわざ新調したのか)
佐伯君が冗談を飛ばすたび、隣でスマホを弄っていた高橋君がワンテンポ遅れて大げさに笑う。その笑い声には、集団からはぐれるのを恐れるような卑屈さが混じっていて、少し居心地が悪い。
高橋君の向かい側で雑誌をめくっている美波君は、一見華やかだが、指先が微かに震え、ネイルもところどころ剥げている。防寒具も道北の厳冬期には明らかに薄すぎる。(自発的にこの旅に来たわけじゃないな……)
そして窓際に額を押しつけて眠ったふりをしているのが中島君。四人の中で唯一、本格的な登山ブーツを履き、リュックも使い込まれている。彼だけは仲間たちの浮ついた会話に加わろうとせず、ただ黙って外の景色を見つめているようだった。
(……奇妙な集団だ。共通の目的(ミステリー同好会)で結ばれているように見えて、その実はバラバラだ。佐伯という核を中心に、恐怖と依存、異なる堆積物が無理やり固められている。
不自然な堆積は、必ずどこかで大規模な崩壊(地滑り)を引き起こす。彼らがこれから向かうのは、黄金の夢か、それとも…)
数時間の揺れの後、我々は音威子府駅で下車する。
名物の真っ黒な蕎麦を啜る大学生たちの喧騒から離れ、駅前の駐車場で待つ一台の泥まみれのジープに歩み寄る。
「よお、倫太郎。相変わらず難しい顔して掘り歩いてるな」
運転席から降りてきたのは、熊のようなヒゲを蓄えた、がっしりとした男、河合誠司だ。同じ大学の考古学研究室で、共に土にまみれた旧友。今は地元に戻り、家業を手伝いながら郷土史を細々と調べている。
「……久しぶりだな、筋トレに目覚めたと聞いてはいたけど、その様子だと雪かきには困らないだろう」
「ハハッ、違いねえ。だが、今回の現地調査は雪おろしとは訳が違うぞ」
河合は笑ったが、その目は笑っていなかった。
第二章:御猿辺村山狩集落
御猿辺村へと続く国道を走ること1時間ほど
「……なあ、倫太郎。お前、本当にあの『山軽集落』に入るつもりか? 考古学者として、歴史の真実を暴くのが仕事なのは解ってる。だが、あそこは……学問で測れる場所じゃない」
「お前らしくないな。かつては曰くつきの古墳だろうが、夜通し一人で発掘してたじゃないか」
「あれは『死んでる』過去だ。だが山軽は……今も『生きて』やがる。かつてこの地は『御猿辺村山狩集落』と呼ばれていたのは知っているな?本来のアイヌ語では『オ・サッ・ペツ』――川尻が乾く川、という意味だ。…だが、明治の金掘り師たちが『山狩』と地名を付け足した、山を狩るのか、あるいは山が人を狩るのか。いずれにせよ、縁起が悪いって事で戦後に、今の山軽って地名に改名した。って爺さんが言ってたな」
車は泥と雪の混ざり合う山道へと差し掛かる。
やがて、錆びついたトタン屋根のバス停が見えてきた。そこが、御猿辺村の入り口だった。河合はそこで、急ブレーキを踏んだ。
「……悪いな、倫太郎。俺はここまでにさせてくれ。この先へ車を入れるのは……どうしても、死んだ爺さんの遺言でな、子供の頃から口を酸っぱくして言われ続けたもんでな、体が拒否しちまうんだ」
河合は助手席の久世に向き直り、ガシッとした大きな手で久世の肩を掴んだ。
「いいか、倫太郎。何かあったら、なりふり構わずここまで走って戻ってこい。このバス停で待ってろ。この先は電波が通ってないけど、ここならギリギリ電話が通じるから何かあれば、20分もかからずに迎えにくるからな?…あの村の奴らはマジでイカれてる、深入りはするな、約束だぞ、倫太郎」
河合の車が逃げるように去っていく。
振り返ると、そこには霧の向こうに、「見ざる、聞かざる、言わざる」、そして腹を縦に裂いた「死なざる」の猿の石像が、音もなく並んでいた。
「…ここが境界線」
(アイヌにとって、山の神は羆だ。猿を神に据え、あろうことか腹を裂く……。これは信仰じゃない。入植者たちが、この地の『何か』を隠すために作り上げた、欺瞞の偶像か?)
私の考古学者の勘が「この村は当たりだ」と告げていた、興奮と恐怖が入り混じる感覚に思わず口角が上がる、–18℃の極寒だというのに体の芯に熱が入る。
雪道を歩く事5分ほど
やがて現れた集落の異様さに、予感は確信へと変わっていった。
北国特有の、雪を落とすための急勾配なトタン屋根。それも、何十年も放置され赤錆にまみれた粗末な小屋が並んでいる、かと思えば、その隣には、札幌の高級住宅街にあってもおかしくない重厚な造りの家々が建ち並んでいる。
各家の駐車場には最新型のレクサスやメルセデスが平然と停められている。
この「歪な成金感」が、強烈な違和感を与える。
「大した産業も無い村に高級車、それも一台や二台じゃない…近くのホタテ漁が盛んな村なら理解出来るが…」
好奇心に独り言が止まらない
いいしれぬ恐怖に少し早歩きで、村の入り口にある木造の駐在所に立ち寄る。
私はフィールドワークでは、集落に着いたら先ずは駐在に挨拶をする事にしている。無用な通報やいざこざを避ける為だ。
出てきたのは、高級そうな腕時計をギラつかせた山中と名乗る初老の警官だった。
「ほう、考古学の先生か。この村には何もないよ。大人しく引き返すことを進めるけどねぇ」
山中の目は笑っていない。その背後で、若手の小林巡査が、顔を真っ青にして震えていた。
すれ違いざま、小林は蚊の鳴くような声で囁いた。
「……先生、逃げてください。夜、大きな音を、立てちゃいけない……ヤマガル様が、起きてしまう」
(やまがるさま?)
聞き慣れない言葉に、つい聞き返そうとしたが、山中の視線に気づき踵を返す。やまがるさま、ヤマガル様、山狩様?…情報量が多すぎて整理が追いつかない、思考をまとめるために足早に村唯一の宿「山下旅館」へ向かう。
その夜、村の「公民館」と称される豪邸に招かれた。
山下旅館で再開した学生達も、こんな歓迎を受けるとは思いもしなかった!と、やや興奮気味に騒いでいたが…
一行は、道北の山奥とは思えぬ贅を尽くした食事を振る舞われた。
だが、その宴は死臭に似た沈黙に支配されていた。
給仕に立つ村人たちの動きは、まるで機械仕掛けの操り人形のようにぎこちない。
彼らの多くは、耳に厚く不潔な包帯を巻き、あるいは顔の下半分を隠す異様な猿の面を被っていた。時折、包帯の隙間から黄色い膿が滲んでいるのに気づいた時には、世界を渡り歩いた流石の私も閉口してしまった。ふと河合の髭面が浮かぶ、「あいつなら気にせず食うだろうな」と思いながら供された食べ物にはあまり手をつけずビールばかり口にしていたのと長旅の疲れもあって、早々に宿に戻って眠ってしまった。
深夜
妙な物音に目を覚ました。
吹雪の音に混じって、時折「ヒィ、ヒィ」という、猿とも人ともつかない啼鳴と「グチャッ、グチャッ」という、濡れた重い肉をコンクリートに叩きつけるような鈍い音が響いていた。
それは悲鳴を押し殺したような、あるいは言葉になる前の絶望の音にも聞こえてしまうのは、この村の異様な雰囲気のせいだけだろうか。
目が覚めてしまったので、お茶を淹れ、河合から借りた近辺の町史を開く「やまがるさま、やまがるさま」
近辺の言い伝えや伝説をまとめたページにその名前を見つけた。
『ヤマガル様』かつてこの地で発見された金塊を盗賊から守るという守り神の伝承、黄金を奪おうとする者は五感を奪われ死ぬ事も許されぬ祟りが下るという。
部屋の時計の針の音が大きく聞こえる
いつのまにか吹雪は止んで、あの悲鳴にも似た音は消えていた、時計を見れば午前4時、タバコに火をつけ、空になった湯呑みにバーボンを注ぐ、凝り固まった不安と緊張と思考がゆっくりとほぐれていく…
何時間経ったのか、時計を見ると午前7時
外が騒がしい
学生達の一人、高橋君の姿が消えたという。
狂ったように村を捜索する学生たちの後を、私は小林巡査の怯えた視線を感じながら皆の後を追った。
村外れの、戦後に放棄された古い選鉱場。錆びついた鉄扉を開けた瞬間、冷気と共に「鉄と腐肉」の混ざった臭いが立ち込めた。
「ひ……っ、あ、ああ……っ!」
美波君が、声にならない叫びを上げてその場にへたり込んだ。
薄暗い選鉱場の中心。高橋君は、世界最大級と言っても過言ではない、歪な形をした巨大な砂金の塊を、愛おしそうに両手で抱きしめて座り込んでいた。
その顔には、もはや眼球は存在しなかった。
両の眼球は無慈悲にくり抜かれ、その空洞には、溢れんばかりの細かな砂金がぎっしりと詰め込まれている。
高橋君は死んでいなかった。ただ、溢れる砂金をこぼさぬよう、カチカチと歯を鳴らして震え続けているのだ。
「ヤマガル様が、お目利きになられた……」
背後に、音もなく現れた村長の山上岩蔵が、恍惚とした表情で呟いた。
「これでもう、この男は俗世の汚いものを見ることはない。黄金の輝き――ヤマガル様の御光だけを、脳髄に焼き付けて生きるのだ。なんと慈悲深いことか」
小林巡査が嗚咽を抑えきれず涙目になりながら
「だから言ったんだ、帰った方が良いって、だから…」
と呟きながらも佐伯君と中島君の手を貸りて、高橋君を診療所へと運び出して行くのを見守る。
「見ざる、聞かざる、言わざる、死なざる…」
村の入り口の4体の猿の像が頭に浮かぶ
(目を潰された高橋君、見てはいけない何かが、ここにはあるのか?)
彼の座らされていた場所からの視点の先、崩れかかっている壁に違和感を感じた私は、無言で歩み寄り、壁を軽く指で弾いた
「カーン」と
冷たく硬い音が、静寂を切り裂く。
(この壁の継ぎ目だけ、やけに新しい。それに、叩いた音の広がり。世界中の王墓の玄室にもこんな仕掛けは沢山あったな、必ずこの奥に本命の部屋があるはずだ)
山内岩蔵の頬が、痙攣するように歪んだのを、私の考古学者としての眼は見逃さない。
三章:連鎖する惨劇
救急車を呼ぼうにも電波は圏外
河合と別れたバス停付近は電波が通るはず、と一縷の望みをかけて村外へ向かおうとする先にあったのは「絶望」であった。
村外と繋がる唯一の道は、通行止めのゲートによって厳重に封鎖されているところだった。
駐在の山中がニヤニヤと笑いながら
「大雪で一週間は通れんよ。お前さん、山を舐めちゃいかん」と告げる。
村は、白銀の監獄と化した。
私たちは、逃げ場のない黄金の檻に閉じ込められたのだ。




