表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「あなたに彼は似合わない」と婚約破棄を迫ってしまったモブ令嬢の私は……

作者: ぷよ猫

 私には好きな人がいる。婚約者以外に……。

 それを悪いと思ったことはない。所詮は親の決めた政略結婚だ。お互い愛情はないのだし、別に不貞しようというわけじゃないもの。

 私の想い人ヴィンフリート様は、王家の忠臣ロイス侯爵のご子息だ。学園の一つ先輩で成績優秀、卒業後は王太子付きの魔法騎士として華々しい未来が約束されている。

 そのうえ、超、超イケメン! ダークブロンドの髪に澄んだ空のような青い瞳。いつもポーカーフェイスのせいか、たまに口元をほころばせているのを見かけると『今日はツイている!』なんて気分が上がるのよね。長身ですらっとしていて、指一本動かす仕草にすら品があって……とにかく素晴らしい方なのだ。

 当然、学園一の人気者である。

 そして残念なことに、私はヴィンフリート様にとって存在すら認知されていない赤の他人だ。


「ま、間に合わなかったかしら!?」


 今朝はいつもより家を出るのが遅れてしまい、急いで校門をくぐる。顔なじみの令嬢が「いいえ、まだですわよ」と声をかけてくれたので、ホッとして歩く速度を落とした。


「よかった! もうダメかと思いましたわ」


「アルマ様が遅れるなんて、めずらしいですわね」


「ちょっと支度に手間取ってしまって」

 

 髪に結ぶリボンを選んでいて……とは恥ずかしいから言わないでおく。

 ちなみに始業時間には、まだ三十分ほど余裕がある。では何をしているのかといえば、朝の挨拶をするためにヴィンフリート様を待っているのだ。

 学年が違うため学校生活で接点はなく、伯爵家の我が家の方が格下なので気軽に話しかけるわけにもいかない。つまり私にとって、これが唯一、好きな人とお近づきになれるチャンスであり毎朝のお楽しみってわけ。

 校舎の入口には、同類のご令嬢が集まっている。ざっと見たところ……三十人以上はいるわね。明日からは、もっと早起きせねば!

 気合を入れたそのとき、「きゃぁぁ~」と黄色い声が上がった。ヴィンフリート様が登校したのだ。


「おはようございますっ」

「おはようございます、ヴィンフリート様!」

「今朝も素敵です!!」


 ヴィンフリート様は口々に挨拶を投げかける令嬢たちを一瞥し、麗しいテノールボイスで「おはよう」と素っ気なく返すと、歩みを止めることなく校舎の中へ入っていった。その後ろ姿に、またもや黄色い声が飛ぶ。

 ああ、眼福。ほんの一瞬の出来事でも、早起きの甲斐があるというものよ。

 私は毎日髪のリボンを変えている。今日はヴィンフリート様の瞳と同じ青、明日は何色にしようかしら。少しでも目に留めてもらいたい、願わくばキレイだと思われたい――その乙女心が婚約者に向けられたことは一度もない。



「そういうのを『推し』って言うんだろう? 僕が学生の頃も令嬢たちがキャアキャア騒いでいたよ」


 私の話を聞いて懐かしそうに目を細めるのは、婚約者のラルフ様。八歳も年が離れているせいか異性というよりは、なんでも話せる兄のような存在である。

 あちらも妹みたいに思っているのだろう。月に二、三度、こうしてお茶の時間を設けているけれど、恋に発展する気配は今のところ皆無だ。


「へえ、ラルフ様の学生時代はモテモテだったんですね」


 紅茶のカップを手にしながら、ラルフ様をチラリと見た。さもありなん……銀糸のような長髪に琥珀色の瞳の端正な顔には、ヴィンフリート様ほどではないが神秘的な魅力がある。

 するとラルフ様は、ハハハと笑い声を上げた。


「僕じゃないよ。王弟であられるウィンター公のご子息が同学年でね、いやぁ、あれはすごかったな。登下校のたびに『出待ち』の令嬢たちが大勢集まるものだから、当初静観していた学園側も特別に職員用出入口の使用を許可するほどだった」


「あら、そんなに? ヴィンフリート様よりすごい方がいらしたなんてびっくりです」


「父親のウィンター公に近づきたい家も多かっただろうし、王家の血筋への憧れもあったんだろう。いずれにしても彼と恋愛できるとは誰も期待していなかったと思うよ。アルマもそうだろう?」


「それは……そうですけど」


 確かに、ヴィンフリート様が振り向いてくれる可能性は限りなくゼロに近いだろう。それに、あの美貌の横に並び立つ自信なんてない。私はよくある薄茶の髪と瞳をした中肉中背の極めて平凡な容姿なのだ。


「まあ、今のアルマは恋に恋してるようなものだよ。恋愛小説に夢中なお子ちゃまだからな」


「お子ちゃまだなんて、ひどい……!」


「本当のことだろう。ほら、ニコル・レーヴェの新刊。ここへ来る途中で買ってきたんだ。この優しい婚約者様に感謝しろよ?」


 冗談めかして渡されたのは、本日発売されたばかりの小説だった。感激のあまり「ひゃー」と自分でも驚くほど大きな叫び声が出た。

 ニコル・レーヴェは、一年ほど前にすい星のごとく現れた新進作家だ。王子に婚約破棄された公爵令嬢と若き宰相が数々の難問を解決していく『探偵令嬢』シリーズが人気を博している。

 私は先生の大ファンなのだ。フィクションだとわかってはいても、犬猿の仲だった公爵令嬢と宰相が、事件を通して徐々に距離を縮めていくラブストーリーについ胸がときめいてしまうのよね。


「うそぉ、嬉しいっ! 予約しそびれたから諦めていたのに……ラルフ様って、実はエスパー?」


「だったらよかったんだけどね、単純に君がわかりやすいだけだよ」


 身を乗り出して本を受け取った瞬間、ラルフ様に頭をくしゃっと撫でられる。

 その直後、パタパタと足音が近づいてきたかと思うと妹のリーゼが部屋へ駆け込んできた。ノックをしないのはもともと扉が開いていたから。婚約者と言えど、異性と二人きりの場合はそうするものらしい。


「お姉様、どうしたのっ。大丈夫!?」


 私が大声を出したので心配して来てくれたのだろう。よほど急いだのか、グリーンの瞳は見開かれ薄茶の長い髪が乱れている。


「ええ、見て! ラルフ様からいただいたの」


 もらったばかりの新刊を両手で掲げてみせると、リーゼから「人騒がせな」と言わんばかりの恨めしげな視線を向けられた。

 三歳年下の妹は、私よりずっとしっかり者だ。「じゃあ、僕は仕事があるから、そろそろ失礼するよ」と席を立つラルフ様に「うちの姉がいつもすみません」などとフォローしてくれている。

 二人してラルフ様を玄関ホールまで見送ったあと、目を吊り上げたリーゼがくるりと振り向き、こちらを睨んだ。


「お姉様、いい加減になさいませ。あれではラルフ様がかわいそうですわ」


「な、なんでよ?」


「先ほどの淑女らしからぬ、はしゃぎっぷり。どうせお姉様のことだから、ヴィンフリート様への懸想も包み隠さずベラベラと話しているのでしょう?」


「う、うん。懸想じゃなくて『推し』って言うらしいわよ」


「婚約者とのお茶会でほかの男性の話題なんて、気遣いがないどころか常識を疑います。逆の立場だったら、不快に思わないんですか?」


「私たちは政略結婚だもの。それにラルフ様が話を聞いてくれるものだから、つい……」


「はぁ~、ヴィンフリート様にも婚約者がいらっしゃるのでしょう。ご迷惑よ」


「だって、朝しか会えるチャンスがないんだもの」


 ちっとも反省しない私の態度に業を煮やしたのか、リーゼは夕食の席でも「お姉様はおかしい」と両親に訴えていた。しかし、いかんせん我が家は娘に甘い。

 お父様は「まあまあ、学園を卒業すれば落ち着くだろう」と楽観的。お母様に至っては学生時代に私と同じような経験があるらしく「アルマはわたくしに似たのねぇ」と呟いただけだった。


***


 リーゼが言うように、ヴィンフリート様には婚約者がいる。平凡な私にもラルフ様という伯爵家嫡男の立派なお相手がいるのだし、侯爵家の跡継ぎともなれば当然のことだけれども。

 私はこの事実を可能な限り考えないようにしてきた。だって誰もが羨む彼の婚約者が、同じクラスのエミーリア・グレーデン子爵令嬢だなんてあり得ない! 

 彼女はいつも眠たそうにボーッとしていてエレガントとは言い難いし、髪飾り一つない伸ばしっぱなしの黒髪と大きな丸眼鏡が容姿の地味さに拍車をかけている。学力は優秀だけど、とてもヴィンフリート様とは釣り合わないわ。

 かといってエミーリア嬢の代わりに自分が……などと大それた野望はない。

 ただ、もっと彼にふさわしい才色兼備な令嬢がいるのではないかと納得できないだけなのだ。

 たとえば公爵令嬢ユリアーナ様が彼の婚約者だったなら、こんな燻った感情は抱かなかっただろう。誰もが認める淑女なうえに家柄も申し分なく、ヴィンフリート様の幼馴染みだ。艶やかなプラチナブロンドの巻き髪、大きな瞳に縁どられたまつ毛は長く、色白の美肌に伏し目がちな表情は儚げに映る。可憐という言葉は彼女のためにあるのだと思う。


「ヴィンフリート様には、ユリアーナ様のような方こそふさわしいのですわ……」


 学園の裏庭でサンドイッチをつまみながらラルフ様にもらった小説を読みふけっていると、隣のベンチでランチをしている女生徒たちの会話が聞こえてきた。

 想い人の名前が出たのが気になって彼女たちの方を見ると、六名ほどの輪の中心にユリアーナ様がいて、困ったように首を傾げている。

 まただわ……。私と同じように考える令嬢が多いのか、裏庭で読書中、こんなふうにユリアーナ様へ直訴している場面に出くわすことが何度もあった。


「婚約は両家で正式に決まったことだもの……わたくしにはどうにもできないわ」


 ユリアーナ様が悲しげに目を伏せ、令嬢たちは「そんな……」と息を呑む。


「幼い頃、わたくしと彼は結婚の約束をしたのよ。けれど家のための結婚は貴族の義務でしょう? いいの……たとえ結ばれなくても心が通じ合っていれば」


「お二人は想い合っているのに、引き裂かれてしまうなんてあんまりですわ!」


「そうですわ!」


 一人の令嬢が泣き出すと、釣られたようにほかの令嬢たちも涙ぐむ。その中には朝の『出待ち』の常連も何人かいるようだ。

 毎回ここまではお決まりの展開。しかしこの日は――。


「エミーリア様さえいなくなれば……」


 誰からともなく言い出した一言が、悪意を帯びてその場に広がっていくのを感じた。背筋がゾクッとする。

 とても小説の続きを読む気になれず、もう教室へ戻ろうと立ち上がった瞬間、ユリアーナ様と目が合った。


「そうね……エミーリア様が婚約を辞退してくださればいいのだけど」


 視線が外されないまま彼女の唇が動き、話しかけられているかのような錯覚に陥る。そんなはずはないのに「そうですわね」なんて危うく返事をしそうになって、私は足早にその場を去った。



 それ以来、エミーリア嬢への嫌がらせを目にすることが増えていった。

 最初はペンケースがごみ箱に捨てられていたとか、教科書の表紙だけが破かれていたとか、出来心のような悪戯だったと思う。それが段々とエスカレートしていくのに時間はかからなかった。

 証拠がないから、あの日裏庭にいた令嬢たちの仕業だとは断定できない。彼女たちのせいだという確信めいたものと、違うかもしれないという考えが渦巻く。

 裏でコソコソ物を壊すような陰険なやり方は嫌いだ。

 心の柔らかい部分が針で刺されたようにチクンとするけど、小心者の私は何もできないでいた。エミーリア嬢のことは好きではないし、助けてこちらにとばっちりが来るのも怖かったから。

 鞄を隠されても、机に黒いインクがぶちまけられていても、エミーリア嬢は何も言わなかった。俯き、粛々と雑巾を手に持って掃除を始めるのだ。

 

「あの、これ、よかったら」


 さすがにノートが水浸しにされていたときは、そっと自分のノートを差し出した。

 学力だけが取り柄というか、頑張っている人なのに、それすら台無しにしなくてもいいんじゃないの? と思って。

 

「え? あ……」


 エミーリア嬢は、一瞬キョトンとしてから私のノートを受け取った。そして「来年、女官試験を受けるので助かります」とお礼を言う。


「出仕されるつもりなのですか?」


「ええ……家の事情で必ず合格しなくてはいけないのです」


 卒業後は婚約者と結婚する令嬢が多いので意外だった。ヴィンフリート様と結婚するのではないの? いや、既婚の女官もいるのでおかしくはないが。

 夜遅くまで勉強しているから時々眠そうにしているのかな? なんて疑問に思うことはあれど、根掘り葉掘り尋ねるのも憚れる。


「頑張ってくださいね」


 そう声をかけるのが精いっぱいだった。



 ラルフ様の説明によれば、グレーデン家は文官家系なのだそうだ。二年後に王太子殿下の結婚が控えており、お輿入れする隣国の王女様のために新しい女官をという声が上がっているらしい。


「エミーリア嬢が女官になっても不思議ではないよ。グレーデン家のご息女なら、王家としても安心できるだろうからね」

 

「信頼されているんですね」


 私はラルフ様の長い銀髪を三つ編みにして深紫のリボンを結びながら話す。

 たまに気まぐれに始めるこの行為を「またラルフ様をオモチャにして!」とリーゼはいい顔をしないが、私は彼のサラサラな銀髪をとても気に入っているのでやめられそうにない。

 ラルフ様は焼き菓子を食べながら、されるがままになっている。彼は大人だから、小さなことに目くじらを立てないのだろう。


「もしかして、アルマも女官を目指したくなったとか?」


 ラルフ様が急に振り向くので、手元が狂いそうになる。


「ぎゃっ、動かないで! 違いますよ。女官のような難しい試験は、私には無理です。実は彼女、嫌がらせをされていて……」


 ユリアーナ様に味方する令嬢たちの仕業ではないかと疑っていることを伝えると、ラルフ様は「エミーリア嬢に対する嫉妬もあるんだろうね。くだらない」とため息をついた。


「でも、嫉妬してしまう気持ちはわかりますよ」


「エミーリア嬢を攻撃したって婚約解消になるわけでもあるまいに。まさか君、嫌がらせに加担しているわけじゃないよね?」


「まさか! そんな陰湿なことをするくらいなら、堂々と『ヴィンフリート様と別れてください』ってお願いしますもん」


「アルマならそう言うと思った。だけど、こういうことには関わらないほうがいい。家が巻き込まれたら大変だからね」


「はい、わかってまーす」


 元気よく返事をすると、ラルフ様にくしゃくしゃと頭を撫でられた。お茶会の前に侍女が整えてくれた髪がボサボサになる。


「わっ、何するんですかっ」


 慌てる私の様子を見てラルフ様はクスッと笑う。そして髪に結んだ深紫のリボンをなびかせ「仕事が忙しくなるから、しばらく会いに来られそうにない。いい子にしているんだよ」と言い置いて帰っていった。

 これって妹というより子ども扱いなんじゃないの?

 一人残された私は拗ねて頬を膨らませ、リーゼに「だから子ども扱いされるんですよ」と呆れられてしまった。

 それでも、いい子にしているつもりでいたのだ。なのに――。


***


「お願いです、ヴィンフリート様と別れてください!」


 気づけば、私はエミーリア嬢にそう叫んでいた。

 こんなことで婚約解消にはならない――ラルフ様はそう言っていたはず。

 でも心のどこかで『エミーリア様が婚約を辞退してくださればいいのだけれど』というユリアーナ様に共感する気持ちが残っていたのだと思う。

 そしてそれは、その後も時折裏庭で耳にするユリアーナ様の言葉でどんどん強くなっていった。

「この婚約はもともとグレーデン家に恩のある先代侯爵が決めたものだから、エミーリア様さえ頷いてくだされば白紙に戻すのは簡単なの」と。

 だから音楽室へ移動中の中庭で二階の窓からエミーリア嬢をめがけてバケツの水が落ちてきたとき、静観できなかった。

 頭から水を被った彼女の眼鏡はどこかへ流され、制服がビショビショに濡れて雫が滴っている。

 私は駆け寄り、ハンカチでなんとか顔だけは拭ったけど、ほかはどうにもならなくて……動揺のあまり言うはずのない言葉が飛び出したのだった。


「だってそうすればヴィンフリート様とユリアーナ様は幸せになれるし、エミーリア様だってこんな嫌がらせをされずにすむでしょう?」


「でも、わたくしたちの婚約は……」


 全身ずぶ濡れの状態でいきなり婚約破棄を迫られたのに、エミーリア嬢は冷静に言葉を返す。

 けれど私はこれが最善の策だと信じ、彼女の言葉を早口で遮ってしまった。

 

「女官は結婚しなくてもなれます。いえ、逆に未婚の方が仕事に没頭できるじゃないですか。それに――」


 まくし立てているうちに、なんだか自分がすごく正しいことを言っているような気分になる。どうしたんだろう? 唇が勝手に動くのを止められない。


「アルマ様? どうか落ち着いてください」


「ヴィンフリート様には、ユリアーナ様のような美しい方こそふさわしいんですっ。お願いします! 婚約を破棄して、彼を解放してあげてください」


 勢い余ってエミーリア嬢に縋ろうとした瞬間、横から腕を掴まれ阻止された。


「無礼なヤツだな。俺の大切な婚約者に危害を加えたのはおまえかっ!?」


 ギリッと私の腕に力を込め、射殺さんばかりの鋭い眼光で怒りを露わにしているのはヴィンフリート様だった。

 違う――。

 そう言いたいのに私の口から出るのは、相手を傷つけるような暴言ばかりだ。


「エミーリア様は地味だから、ヴィンフリート様には似合わない。これ以上、ユリアーナ様の邪魔をしないで……」


 発した言葉とは裏腹に、眼鏡を外した彼女の素顔をキレイだと思った。学力だけが取り柄じゃなかったのだ。凛と大人びていて、ふわふわした可愛らしさとは別の楚々とした美しさ。


「勝手に決めるな。俺はユリアーナのことなんて、なんとも思っていない。迷惑なんだよ。俺はおまえたちみたいに、人の表面しか見ないでキャアキャア騒ぐような輩が一番嫌いだ」


 はっきり否定されてもなお「ユリアーナ様とお似合いだ」「二人は愛し合っているのだ」と言い募る私。どうして? 止まらない、誰か助けて……!

 エミーリア嬢は「なんだか様子が変よ」とヴィンフリート様に訴えている。

 そうこうしているうちに人だかりができて、騒ぎを聞きつけた野次馬がどんどん増えていく。

 ヴィンフリート様は不快な表情でチッと小さく舌打ちをすると、自分の上着を脱いでエミーリア嬢に着せ掛け、それから呪文を唱えた。まずはエミーリア様の服が乾き、次に私の瞼が重くなる。

「俺はエミーリアを愛しているんだ」という想い人の声を最後に、私の意識は遠のいていった。



 目覚めたのは翌日の夕方だった。

 それから強制的に病院に連れて行かれ、今は王立病院魔法病棟……魔法による疾患の専門病棟に入院している。つまり私は、なんらかの魔法をかけられていた疑いがあるとして検査にまわされたのだった。

 そして入れ替わり立ち替わり魔法省の調査員と学園の職員が事情聴取にやって来て、数日後にやっと家族との面会が許された。


「んもう。お姉様のバカバカ! だからあれほど自重するように言ったのに」


 お見舞いに来るなり妹の叱責が飛んできた。けれど涙目になっていて、心配させてしまったのだと申し訳ない気持ちになる。


「ごめんね。私……」


「洗脳魔法ですって。お姉様は操られていたんですよ。今、お父様たちがお医者様に詳しい説明を受けています」


「洗脳って……それ、禁呪じゃないの」


「昨日、シェンク公爵家のユリアーナ嬢が西の魔塔へ幽閉されたそうですよ」

 

 我が家に伝えられた魔法省の調査結果によると、ユリアーナ様は父親の執務室の金庫で厳重に保管されていた禁書を勝手に持ち出していたらしい。

 そして私は洗脳魔法によってヴィンフリート様への好意を増幅させ、エミーリア嬢と破談になる言動をとるように操作されていた。

 この魔法の厄介なところは、ほんのちょっとでもヴィンフリート様への好意があると洗脳されてしまうことだ。少しずつ何度も重ねがけすることで本人とその周囲に気づかれにくいだけでなく、洗脳が深くなり操りやすくなる。

 術自体も声や瞳から簡単にかけることができるため、ユリアーナ様の術の発動中に近くで耳をそばだてていた私も、ほかの令嬢たちと一緒に洗脳されてしまったのだろうということだ。

 美男のヴィンフリート様を嫌う令嬢のほうがめずらしいから、ユリアーナ様はそれを利用して『エミーリア嬢とは釣り合わない』『別れるべき』という風潮を作り上げていった。また、自分に憧れを持つ令嬢たちには『ヴィンフリート様にはユリアーナ様がふさわしい』『ユリアーナ様のためにエミーリア嬢を排除しなければ』という思考を植え付けた。

 その結果、令嬢たちはエミーリア嬢に悪質な嫌がらせを行い、私は婚約破棄を迫るという奇行に走ったわけだ。

 洗脳魔法の使用は生涯幽閉、場合によっては死罪となる重罪だ。


「ユリアーナ様は、罪を犯すほどヴィンフリート様のことが好きだったのかな……」


「幼馴染みだから結婚するものだと思い込んでいたみたいですよ。というか、自分のお見合い相手がヴィンフリート様より劣るのが許せなかったらしいです。迷惑な人ですよね。どうせなら直接本人を洗脳すればよかったのに」


 リーゼが鼻息を荒くする。


「あ、それは無理だったんじゃないかな。ヴィンフリート様、これっぽちもユリアーナ様に愛情なんてない感じだったもの」


 エミーリア嬢を愛していると言ったあの声が夢だとは思えない。きっと結婚の約束なんていうのも、洗脳のための嘘だったのだろう。ユリアーナ様の言うことを鵜呑みにした私にも落ち度はある……。


 結局、私は学園を辞め、ラルフ様とも婚約を解消することになった。

 公爵令嬢による禁呪の使用は、世間で大きな事件として取り扱われたからだ。私がエミーリア嬢に婚約破棄を迫ったことは多くの人が目撃しており、醜聞となってしまった。洗脳されていたのだと同情的な見方をされる一方で、醜態を晒した私とは関わりたくないと距離を置く貴族は多い。

 エミーリア嬢は「アルマ様は悪くないのだから」と庇ってくれたらしい。けれど、私がひどいことを言ってしまったのは事実で、それらは彼女を見下していたから出てきた言葉だ。優しくされる資格なんてない……。

 皆に迷惑をかけた。お父様とお母様は私の後始末に奔走し、リーゼにも肩身の狭い思いをさせている。

 ラルフ様も仕事で会えないうちにこんなことになって驚いただろうな。私たちの婚約は政略だったから、代わりにリーゼが婚約するの? いや、まさかね……。

 ラルフ様に寄り添うリーゼを思い浮かべた。とたんに胸がぎゅっと締めつけられ、涙が一筋、頬を伝う。

 ああ、そうか……バカだなぁ、私。今頃、自分の気持ちに気づくなんて――。


 最後に直接謝罪したいという希望が叶えられ、私はラルフ様と会うことができた。


「ラルフ様、迷惑をかけてすみませんでした。今までの態度も、ごめんなさい。私はすごく嫌な婚約者でした。親が決めた縁談だったから、お互いに愛情がないんだと思っていたの。だけどお別れすることになって、やっと気づいたんです。私はラルフ様のことが大好きでした。もう会えないけど、幸せになってくださいね」

 

 素直な気持ちを伝えて深々と頭を下げた。涙をぐっと堪える。

 

「仕事ばかりしている息子を案じた両親が、半ば強引に纏めた縁談だったからね。愛がないとアルマが思うのも無理はないよ。僕が、もう少し気を配るべきだった」


「そういえば、ラルフ様の仕事ってなんなんですか?」


「今さら、それを聞くのか」


 苦笑するラルフ様に、わしゃわしゃと頭を撫でられた。


「す、すみません。いつも私の話を聞いてもらうばかりだったから、ラルフ様の仕事とか趣味とか全然知らなくて……後悔しているんです。本当に今さらですよね」


「まったくだ」とラルフ様は肩をすくめる。それから分厚い茶封筒を差し出した。


「ほら、ニコル・レーヴェの新作。どうせしばらく外には出られないんだろう。優しい元婚約者様に感謝しろよ?」


「えっ、もう新作が? さすが先生、天才だわ」


 我慢できず涙声になった。優しい()婚約者様……どうしてもっと大切にしなかったんだろう。 

 ラルフ様を見送ってから、封筒の中身を見て嗚咽する。

 ニコル・レーヴェの生原稿――。その筆跡はラルフ様のものだった。


 ***


 三年後――。

 私は修道院にいた。醜聞のある姉が家にいたのではリーゼの将来に差し支えるし、私に縁談はもう来ないだろうからラルフ様と別れたあと自ら希望したのだ。


「謹慎するのなら、領地の別荘でもいいんだぞ」


「そうよ、アルマ。なにも修道院へ行かなくても……」


 そう言って両親は引き止めてくれたけれど、別荘で使用人たちに世話をされながら生活するより、自分のことは自分でする日常に身を置きたかった。

 以前のように髪のリボンを毎日替えることはできないし、食卓に肉料理なぞ一切並ばない清貧な生活。

 私はここで白いんげん豆のスープを煮たり、長い廊下を掃き清めたり、シーツを洗ったりといろいろなことができるようになった。

 祈りの時間には、家族やラルフ様、エミーリア嬢……皆の幸せを願う。

 昨年、王太子殿下の成婚パレードが執り行われた。国内が祝賀ムード一色になったことで、ユリアーナ様の起こした洗脳事件は風化しつつある。

 ヴィンフリート様とエミーリア嬢も無事結婚し、魔法騎士と女官として夫婦で王太子夫妻を支えているそうだ。

 リーゼからは、たまに手紙と一緒に『探偵令嬢』の新刊が送られてくる。私はそれを院長に見つからないようにこっそり読んでいたけど、今作でとうとう宰相が公爵令嬢にプロポーズし完結してしまった。少し寂しいがハッピーエンドでよかったと思う。


「十九、二十……あと三つ」


 夕食用のじゃがいもを丹念に洗っていると「アルマさーん、院長がお呼びよ」と仲間の修道女から声をかけられた。


「はーい」


 濡れた手を拭きながら院長室へ向かう。そこで手渡されたのは、お父様からの手紙だった。


 ――急なことだが、おまえの縁談が決まった。相手は収入の安定しない年上の男だ。新居はイーストサイドのアパートメント。雑役メイドが一人。条件が悪いから断ってもいいぞ。だが困ったことに、リーゼは「お姉様がこの縁談を断るなら、わたくしは一生結婚しません!」と頑ななんだ。リーゼが婿を取らないと、このジーベル家はどうなる? どうか助けると思ってお見合いだけはしてもらえないか。 


 慌てていたのか、およそこのような内容が乱れた文字で綴られている。

 イーストサイドは中流階級の人が多く住む治安のよい地域で、メイドが雇えるということはそれなりの収入があるのだろう。家を継がない貴族令息は自力で身を立てる必要があるので、弁護士などの職に就いている次男三男かもしれない。

 嫡男の妻にこだわらないなら、さほど悪い話ではないように思う。でも、一度評判を落とした貴族の娘を嫁に欲しがる人なんているのだろうか。

 もしかして訳あり? 親子ほど年が離れているとか。それでもリーゼのことを考えるとお受けしたほうがいいのよね。お父様たちには迷惑をかけたし……事態を呑み込めずにグダグダと考え込む。


「二日後に迎えが来ます。それまでに荷物を纏め、準備をするように」


 厳かな表情をした院長からきっぱりとした口調で告げられて、ようやく腹が決まった。家のためになることならなんでもしよう、と。


 当日。

 家紋付きの馬車が到着し、一人の男が降り立つ。銀の髪は三つ編み。深紫のリボンが結ばれている。

 嘘でしょう!? それじゃ、縁談の相手って――。


「ラルフ……様?」


 ポカンとする私にラルフ様は「迎えに来たよ」と微笑んだ。

 

「執筆業に本腰を入れたいから、弟に跡継ぎを譲って出版社に近いイーストサイドに引っ越したんだ。一階は本屋、二階に住居スペース、三階と四階は賃貸に出す。メイドは一人、不便ならもう一人雇う。新作は真っ先に読める。君のお父上は渋い顔であの手紙を書いてもらうのに一苦労だったけど、条件はそんなに悪くないと思うんだ。どう?」


「最高です! でも、その……私で、いいの……?」


 私は『あの事件の』って噂されてしまうような娘なのよ、と声が尻つぼみになった。ラルフ様なら、ほかに条件のいい令嬢と結婚できるだろうし。

 

「近々、王太子妃の懐妊が公式に発表されるんだ。そうなれば世間はまたお祝いムードだろう? 事件のことなど思い出す暇なんてないさ。それに今まで言わなかったけど――」


 ラルフ様の手が伸びてきたので、てっきり頭を撫でられるのかと思いきや、腕を引かれ抱きしめられる。


「僕はアルマを愛してる」


「私も」


 涙が頬を濡らす。

 初めてのキスは、少しだけしょっぱい味がした。 


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ