第三章〜はじまり
我慢と屈辱の日々は始まるのだった。 ひととおりの会議めいた会話が終わると、『眠り姫』の眠る部屋からは、人々は退出していったようだった。 辺りは静寂に包まれた。 ソフィア=メフィアには、自らの呼吸する荒い息遣いしか聴こえなくなった。背中に布団の柔らかい感触だけが感じられた。衣服である民族衣装が少し汗で湿っているようだ。 それでも眠ったフリを続けなくてはならないソフィア=メフィアには、部屋の中に誰もいないのを信じる気にはなれなかった。 だから、彼女は、硬く眼を閉じて息を殺したまま、室内の様子を探らなくてはならなかった。万が一にでもベッドの傍らにでも衛兵かなにかが立っていて監視でもされでもしていようものなら、眼を開けた途端に、狸寝入りをしていたことがバレてしまうから。 だが、視覚を除いた感覚器だけを使って部屋の様子を観察するなど、容易ではなかったのだ。他人と比較してもどちらかといえば鋭敏な感覚を持つ彼女といえども。 ソフィア=メフィアは、気づかれない程度には小さく、クンクンと鼻腔をビクつかせて周囲の匂いを嗅いだ。 現在に繁殖してしまった黴のような匂いから、そこが建物の中、それもある程度の歴史を感じさせるような古く由緒正しいものであることは推察出来た。さらに、黴臭よりも強く、貴族や王族が使っていそうな高級そうな香水らしい残り香が鼻に入ってくるので、そこはいかにも王宮の類いであるようだった。壁は石造りか。きっと分厚くて遮音性が高いのだろう。周囲の部屋や、屋外らしきからの物音のたぐいは一切、漏れては来なかった。 ━━壁は厚そう。たとえ大声で外界に助けを求めたとしたって、わたしの声など届きそうにはないわ。 ソフィア=メフィアは、そう諦めざるを得なかった。 ぎゅっと眼を閉じ続けるのは案外、苦痛なものだづた。 ともすれば瞼は自然に開いてしまいそうになり、そのたびに彼女は気合を入れ直し、瞼にき力を込めるのだった。 少しの物音で、衝動的に眼を開けてしまいそうで、以外に集中力を要する忍耐なのであった。 ━━わたし、頑張るのよ。何としてでも生きるのよ! ソフィア=メフィアは、そう自分に言い聞かせることで自らを鼓舞した。
聴衆が去ってから数時間してから実感したことであるが、排泄と食事を我慢とするのはことのほか、重労働なのであった。 考えてみれば、最初から覚悟しておくべきだったかもしれない。眠っていなければ、いや、仮に本当は眠っていたとしても、おしっこはしたくなるだろうし、お腹だって、すくのである。 そのいかんともし難い生理的欲求は、時間をおうごとに、重荷になってきた。 まだ我慢しきれない程でもないが、そのうち限界を迎えるだろうことは当たり前のようにわかって彼女を悩ませた。 ━━いやだわ。わたしこのみでは、これ以上は・・・。 思った。 そもそも本物の眠り姫は一体、眠りに就いている間はその欲求をどうやってそれを遣り過すのだろう? 眠っているとはいえども、冬眠中の熊ではあるまいし、おなかがすかないということもなかろう。出さなければならないものも出すハズだ。 眠りながらそれらをこなす能力を持っているとか?そんなことはあり得るのだろうか? わからない。いや、例えわかったとしてもソフィア=メフィアはそもそも眠り姫などではないのだ。それと同じ能力を持っているハズもないではないか。 それどころか、そもそも眠り姫など実在せず、あくまで神話の中だけの存在なのを彼らが実際に存在するものとして盲信しているだけかもしれないではないか。 しかし、たとえそうだとしても、彼女は、眠り姫を演じなければならなそうであった。 少なくとも彼らは本気で眠り姫はの存在を信じていそうだったから。 彼女は方策を考えなければならなかった。 そして、こんなふうに考え至ったのである。 ━━そうだわ。この宮殿?かどうかはわからないけれど、の中のこのお部屋だって、宮殿の中にあっていずれ何処かのお部屋に繋がっているのだろうから、隙を見て、この寝床を抜け出し、密かに邸内を探し回れば、御不浄の間も、食べ物のある場所も探し当てられるのではないか?と、そんな甘い期待を抱いたのである。 いずれ、ソフィア=メフィアは、本物の眠り姫ではないのだからその手を使うより他になさそうなのであった。 ソフィア=メフィアは、祈るようにその方策が成功しますようにとねがいながら、しばし本物の眠りに就いたのであった。 無垢な彼女はまだ稚さか抜け切っておらず、世の怖さを知らなかったのかもしれない。