第二章〜理由
「さて、バンデ=メビュラ卿、お愉しみもいいが、程々(ほどほど)になさいませんと・・・。もし本当にこの娘が例の姫であらせられたとなったらば、後々(のちのち)面倒なことになりますぞ。まぁ、それはともかく・・・。ところで卿、この娘が例の眠りの姫君であることには間違いはないのかな?一般の人民は決して入るのを許されないことになっておるこの宮殿に、曲がりなりにも招き入れてしまったからには、人違いでは済まされませんぞ。すべては、それを一存でお決めなさった貴殿の責任となります。よろしいかな?」 言葉は一旦途切れて様子を窺ったようだが、すぐに続けられた。 「貴殿とて、眠り姫を直接目にしたことなど一度とてあるまいに。なのに何故、そうであると確信出来るので?」 また新たな登場人物の声が響いた。先程の人物より少し年増に思える枯れた声だ。 周囲の壁に反響するらしい声の響きから、この場がとても広い、少なくともソフィア=メフィアの実家なんかより遥かに広大な部屋の中であることが予想された。年増の言葉に応じたのか、ソフィア=マメフィアの身體を這い回っていたイヤらしい手がぴたりと止まった。ソフィア=メフィアを弄っていた張の本人が『バンデ=メビュラ卿』と呼ばれた人物なのであろう。 ━━ふぅ。 ソフィア=マフメィアは少しほっとしたが、相変わらず事態は飲み込めないままだった。 ━━どういうこと?わたしはどうしてここにいるの?自分はどうやら眠り姫とやらの人物と人違いされているとしか思えないだけれど、その眠り姫とは一体、何処の誰なの?なぜわたしと間違われるの?それはどこかの国のお姫様なの?王女か何か? ソフィア=メ゙フィアは、目を閉じたまま、考え続けた。 しかし、考えはいつまでも堂々巡りするばかりで、一向に結論には至らなかった。 バンデ=メビュラが答えた。 「確かに。『眠り姫』については書物の記述と噂ぐらいでしかわからぬ。それと書物に載っていた写像とな。しかし、この娘、その写像の様と非常に酷似しておるのじゃ。いや。瓜二つと言ってもいい。この娘は、眠りの姫君に違いないのだ。それに・・・」 ━━それに? バンデ=メビュラは、そこで一旦言葉を切った。一同を見回したかのような気配があり、それから言葉は続けられた。 「この娘・・・姫君は、この城塞の西の外れにある農家の馬小屋の中でで深く眠っているのを衛士によって見つけられたという事実があるのだ。それがなりよりの証拠なのじゃ」 また思わせぶりに言葉を切った。ソフィアメ゙フィアには、なんのことだかまったくわからないままの言葉が続いた。
彼が何を言おうとしてるのか、予想もつかなかった。 「例の伝説の御話ですかな?」 また別の男が声を出した。 「さよう」
我が意を得たり、とばかりにバンデ=メビュラが頷く気配があり、彼が続けた。 「伝説で語り継がれてきた記述と一致するのだ。そう。つまりは・・・。ある日、突然やって来る『眠り姫』は、西の方角にある山村からやってきて、都の西の外れにある馬小屋の中で深い眠りに入る。そして、姫がひとたび眠りに就くと、次に目醒めるのは、いつになるのかは誰にもわからない。ニ、三日で目醒めることもあれば、その後、一、ニ週間眠り続けることまである。いや、それどころではない。ひと月も、場合によっては何年も目醒めないことすらあるという。それが眠り姫と称される所以だ。ただし・・・」 「・・・そこが問題だな。伝説が本当だとすれば・・・」 また他の男が話を引き継ぐように言葉を挟んだので、ソフィア=メフィアはどき、とするのであった。 ━━どういうこと?『眠り姫』の意味はわかったと言われればわかったのだけれど・・・。わたしはこのまま眠り続ける演技をしなければならないってことなの?いえ、わたしが自分を眠り姫だと思わせたいとするのならきっとそうだわ。 わたしはそれでいいの?わからないわ。 ソフィア=メフィアは必死に考えた。それでも眠ったフリを続けるしかなかった。自分がその眠り姫と間違われてるのだとしても、間違われたままにしておいた方がいいのだと、やはり本能的に感じたのだ。 「そう。眠り姫が眠り姫なのだとすればそれは、その伝説の姫が目を醒ました時がちと厄介なのじゃよ」 バンデ=メビュラの声であった。こころなしか、溜息混じりに聴こえたのであるから、ソフィア=メフィアは不吉なものを感じざるを得なかったのである。 「眠り姫が目を醒ました時。醒ました場所にある国では必ず空前の厄害に見舞われることになるのじゃ。飢饉、洪水、竜巻、地震などの自然災害、そして民衆による反乱、、さらには他国による侵略、などなど、考えつく限りのあらゆる害悪がやって来るのだ」 一同の者が息を呑む気配が、眠るフリのソフィア=メフィアにも伝わった。彼女は不吉な予感に身を硬くするしかなかった。 ━━違う!ちがうの。わたし、眠り姫なんかじゃない!人違いなのよ! そう叫んで飛び起きてしまいたかった。聞けば聞くほど、自身に降り掛かる過酷な運命しか感じられないのであったから。 ━━なんとかしてわたしは眠り姫などではないと証明しなければならなそう。 それは、予感、であった。確信でもあった。ソフィア=メフィアは必死に考えた。 しかし、考えがまとまる前に、彼女は絶望の淵に突き堕とされることとなった。 「しかし、だ。みすみす我が国の民を混乱と困窮の渦中に堕とす訳にもいきますまい」 初めて耳にする男の声がそう言い放ったのだ。士官か何かか、若いが自信と威厳に満ちた声だった。 「いかがいたしましょう?シュトラヴィッツ=バウアー侯?」 また新たなる登場人物。侯、と冠されるのだからおそらくは支配階級、皇帝、国王、そのような身分の人物なのであろう。 ソフィア=メフィアは自分が何処で眠っていたのを拐われたかも思い出せないのだから、今居るこの国が何処のなんという国なのかさえわならないのであった。それに、他国の地理や歴史にも疎かった。 だから、シュトラヴィッツ=バウアーの名を聞いたのは初めてだったし、一体どこの国の支配者なのかも見当すらつかないのだった。 すると、そのバウアーと呼ばれる男が、彼女にとっては絶望的な言葉を口にしたのである。こともなげに。 「もしこの姫君が目を醒ますようなことがあったのならば、この姫君の身體を人身供犠の儀式に捧げる。つまり、国を守る為の生贄とするということしかなかろう。伝説の書かれた書物には、それによって国にもたらされる数々の災いを失くす事ができる、とあるのだ。仕方あるまい」 言葉はそこまでだった。それを聞いたソフィア=メフィアはと言えば、 ━━ひぇっ!そ・・・、そんな・・・。とんでもないことになっちゃったわ。わたし、目を醒ましたと見做されたらころされちゃうの?生贄の儀式ってなに?やっぱころされちゃうの?イヤよ!!絶対にイヤ!!そんな理不尽がこの世にあっていいハズはないわ!! わたし、まだいきていたいわ!お母さんとお父さんにもまた会いたいわ!美味しいものだってもっと食べたいし、異国への旅行だってしてみたい。、素敵なひととの出逢いもまだなのよ! と、心の中で叫んだ。 なんとかしなければ、この場から逃げ出すか、誤解を解くかしなければ・・・。この世にいられなくなってしまう。だって、ずっと眠ったフリなど、し続けられるハズないもの! 彼女は絶望した。そして、自分は眠り姫などではないと訴えてみるしかないと決意し掛けた。 ところが、その決意は、脆くも崩れ去ることとなつた。士官らしきが言った。 「まあ、その時にはこの姫君はおそらく、自分はその眠り姫などではないとのたまうであろう。命乞いをするであろう。しかし、それは無駄だ。この姫君が眠り姫であることはもはや確実。いかなる言い訳も言い逃れも通用はしない。この姫君は間違いなく眠り姫である。そう考えておかなければ最悪の事態が起きるのだ。国を守る為だ。仕方ないのだ」 ━━そんなぁ!ひどいわ!わたし、違うのよお!ほんとよ!信じて! しかし、その訴えはきっと受け入れられないと悟るしかなさそうなのだった。 ソフィア=メフィアはもう、涙を流したかった。しかし、そんなことをしたら、眠ってはいないことがバレてしまう。彼女は密かに唇を噛むだけだった。 が、救う神もあるものだった。バンデ=メビュラがこう口を開いたのである。 「 まあしかし・・・、この姫君がハイターンの日曜日まで眠り続けることが出来たのなら、話は別らしいがな。ハイターンの日曜日とは、十月三度目の日曜日のこと。その日に眠り姫が目醒めた場合にのみ、決して厄害は起きないとのこと。運良く姫がその日まで眠っていたのなら、命も救われるというものであろう」 ━━ハイターンの日曜日?なにそれ?その日まで我慢すれば、わたしは助かるの?ほんと? ソフィア=メフィアは、心の中で歓喜の叫びを上げるしかなかった。 そして、その日までの我慢と忍耐の日々が始まるのであつた。