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橡(つるばみ)色の挽歌  作者: 小山彰
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無量不善(むりょうふぜん)

 北村は九州営業所で行われる販売店向けの新製品発表会にスタッフとして参加するため部長の光石とともに福岡へ飛んだ。

「このあいだ、山田のところへ泊ったんだって」

 伊丹空港を飛び立ってまもなく光石が隣りに座る北村に声をかけた。

 営業本部長の光石は体格のよい豪放磊落な九州男児である。仕事に対する姿勢は他に類をみないほど厳しいものがあったが、包容力と優しさをあわせ持つニューリーダーであった。

 光石と山田は中途採用組で、ともに前の会社が同じだった。当時、光石の部下だった山田が、ヘッドハントされ転職していく光石を慕って行動を共にした。すでに営業所長としてキャリアを積んでいた光石は転職後、新天地でも部長職まで駆け上がったが、山田は成績を伸ばせず左遷の憂き目を余儀なくされていた。何かにつけて山田を可愛がる光石も今回の人事については対処しかねているようだった。

「ええ、先日おじゃましました」

 北村は腰巾着のように光石にすりよる山田が、早速にも北村の家庭のいざこざを光石に話して聞かせたのかと思い、憂鬱になった。妻との確執は取り返しのつかない状況になっている。北村は光石との会話がそこへ転じないことを願った。

「あいつ、出向のことなにかいっていたか」

 光石は山田の転勤に触れた。

「ええ、単身赴任で頑張るといっていました」

「そうか、嫁さんを残すのか……心配だな」

 どこから見ても悩みなどありそうもない山田に、部長の光石が心を痛めているようなことを口にするのが、北村には意外だった。

「山田係長がどうかされましたか」

 北村は話題が自分に転じなかったことを安堵していた。

「あいつも今では呑気に見えるかもしれないが、以前はけっこう仕事の鬼だったんだ。仕事で家を空けることも多くて、嫁さんがキッチンドリンカーっていうのか、アルコール依存症になってしまってなぁ」

「えっ……!」

 北村は山田の嫁の顔色が少しさえなかったことを思い出した。

「九州の片田舎から嫁いできての大阪暮らし。きっと寂しかったんだろう。今は神戸に家を建てて落ちついているが、以前は近畿エリアを引っ越しばかりして、たいへんだったんだ。それに加えての貧乏暮らし。おれもそうだけどね」

 安定飛行に移り、キャビンアテンダントがドリンクのオーダーを取りに訪れたが、光石はサービスを受けずに話を続けた。

「あいつの嫁さんは地獄めぐりで有名な別府の出身でね。のどかな温泉地で暮らしていたんだよ。嫁さんは別府の短大を出て、俺と山田が勤めていた前の会社に就職。今のうちと同じで大分には営業所が無いので博多にある福岡営業所に配属された。山田が出張で福岡へ行った時に見そめて社内恋愛、そして結婚ってわけさ」

 光石は山田の妻のプロフィールを紹介した。

「それが七年前にちょっとあって」

 すこし伏し目がちに光石が言った。

「なにか、あったんですか」

「今の会社に転職した頃だったかなぁ。山田の嫁が突然、蒸発してな」

「蒸発、ですか」

「そうや。数日後、実家へ帰っているという連絡があって俺と山田はその日のうちに大分へ飛んだ。だけど俺たちが向かったことを知った嫁さんは車で実家を出て、明礬温泉郷近くで事故にあってしまってな」

「交通事故ですか」

「いやちがう。まあ幸いにも傷は浅く命は助かったが、その後はうつ病の症状が重くて数年は精神科の病院に入院していた。あれ以来、山田は別人になったように家族を大切にするようになった。罪滅ぼしのつもりだろう。家庭と仕事の両立というのは口でいうほど簡単なものじゃない。仕事ひとすじだった山田も、見ての通りだ。俺にはそれを責める資格はない。実のところ、そこまで山田を追いこんだのは、上司だった俺なんだ」

 北村は何も答えず、隣席の光石を見つめていた。少しやつれていたような表情を見せていた山田の妻にそんな過去があったとは思いもよらなかった。

「お前のところはどうなんだ」

 光石は北村を見つめながらたずねた。

「はっ? といいますと」

「仕事じゃない。家庭のことにきまっているだろう。こりゃお前も気をつけないといけないようだな。ハハハハ」

 光石はそういうと、豪快に笑い飛ばした。北村は光石の眼鏡の奥に光の粒が見えたような気がした。

「今日、あっち(博多)についてインナー(社内)の打ち合わせだったな」

「そうです。明日が販売店の説明会になっています」

「あさっての日曜日はフリーだから大分まで足をのばしてみるか」

「わたしは結構ですが、部長はお疲れじゃないですか」

「いや、俺も大丈夫だ。山田の妻の実家は鉄輪温泉で湯治宿をしてるんだ。そこでゆっくり骨休めでもしよう」

 機体は着陸態勢に入った。

 北村は眼下にひろがる雲間から、哀しげな幸子がこちらをのぞき見ているような気がしていた。

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