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柳先輩の幽霊新聞  作者: 成原ムタ
3/3

柳先輩と幽霊トンネル【3】

****

夜の23時過ぎ。

私は柳先輩に言われたとおり私服姿のまま、自宅の玄関で待機していた。約束の時間は既に過ぎている。


「先輩、本当に行くつもりあるのかな」


これから私たちが行こうとしている場所は、普通の人間ならあえて寄り付こうともしない場所だ。更にこんな夜更けに出歩こうだなんて、変人以外の何者でもない。何ならこのまま先輩が現れなくていいとすら思い始めたその瞬間——。

玄関の向こう側から、重厚な走行音が響いてきた。そして、私の家の前でその音が静まると、そのまま人の近づいてくる気配がする。もしかして、


「柳先輩?」


私以外には祖父しかいない家だとは言え、祖父は既に床に入っているし、今からこっそり家を抜けようと言うのだ。私は玄関の呼び鈴が鳴らされる前に、自ら玄関の扉を開く。

するとそこには、扉に手を掛けたまま、目を丸くしている柳先輩が現れた。マスクとタートルネック姿なのはいつもと変わらないが、ラフなジーンズを履いていて、普段固いイメージのある先輩から若干だが親しみやすさを感じる。


「…中宮、」

「こんばんは、柳先輩」

「お前、こんな夜更けに相手が誰かも確かめずに玄関を開くのはやめろ」

「先輩が遅刻してきたせいじゃないですか。祖父がもう寝ているんです。呼び鈴を押されたら困ります」

「着いたら連絡するって言っただろ」


そう言って、柳先輩は握り占めていた携帯電話を左右に振った。確かに、来る前に連絡を入れるとは聞いていたが、何だかソワソワして玄関で待機していたなど、口が裂けても言えない。それは、今から訪れる心霊スポットへの恐怖、そして、人と会うためにこっそり自宅を抜け出す緊張感があったせいだ。


「不用心だな。次からは確認して玄関開けろよ」

「…分かってますよ。こんな時間に幽霊の出るって噂の場所に連れ出そうとしている人の言葉だとは思えませんね」


ムッとして、皮肉で返す。深夜に無理やり連れ出される挙句、理不尽なお叱り。遅刻された私の方が怒りたいのに。


「ずっと玄関で待ってたのか」

「別に、ついさっきです」

「そう?それにしては玄関開くの早かったけど」

「気のせいです」

「何だ。俺に早く会いたくて待ってたんじゃなかったのか?」

「じっ、自意識過剰も甚だしいです!」


玄関の扉に手を置いたまま、私を傍から見下ろしてくる先輩は、マスク越しでも分かるくらいに目がニヤついていた。冗談もいい加減にしてほしい。呆れて溜息しか出ない。


「はぁ…それで先輩。その幽霊が出るトンネルってのは、確か0時ぴったりに現れるんですよね?」

「ああ」

「あと30分もありませんけど、間に合うんですか」

「大丈夫だ。時間もそうだが、その赤い女とかいう幽霊はある条件を満たさないと絶対に現れない」

「……条件?」


そういえば、京子もあることをしないと赤い女は現れないと言っていたような気がする。

関わりたくも興味もない私は、あえてその条件を聞こうとはしなかったけど。

柳先輩は、私を先導するかのように、玄関に背を向けて離れていく。先輩について石造りの門を抜ければ、塀の横に沿うように手入れの届いたバイクが一台止まっていることに気付いた。


「このバイク…」

「俺のだ」

「先輩、免許持ってたんですか」

「まぁ、俺の趣味は足が命だからな。」


……趣味って言いきったよ。この先輩。



****

私のバイク初体験は、柳先輩との二人乗りとなってしまった。こんな場面、万が一学校の女子達に見られたら勘違いの末に殺されるかもしれない。

落ちるからと無理やり先輩のお腹に回された腕にドギマギしているうちに、あっという間に目的の場所についてしまった。

辺りは森の生い茂る山道で、当然人の気配は感じない。


「誰もいない…」

「今は深夜だ。当然だろ」


一応数メートル間隔に街灯はあるが、既に使われていない旧道なだけあって、いくつかの電球は消えかけだったり、完全に切れてしまっているものもあった。

昨日降った大雨で、路面は滑りやすくなっている。

私は、先輩のバイクから降りると、ヘルメットを外した。

バイクに乗る前に肘と膝とを守るプロテクターも柳先輩から渡されている。

柳先輩って意外と心配性なところがあるよな。なんて思って、私の隣をバイクを押して歩く柳先輩の横顔をちらりと覗き見た。

暗闇をかすかに照らす街灯の下。幽霊トンネルを目指しているとは思えないほどに微塵も恐怖を感じさせない柳先輩は、ジッと道路の向こう側を見据えている。

そんな先輩の横顔を見ていると、何故だか無性に私の恐怖心が湧き上がってきた。

そう。今目指してる場所は、私の苦手とするものがいるかもしれない場所なのだ。

キュッと拳を握りしめると、私は黙って先輩の横を歩いた。怖い。怖い。怖い——。

怖いけれど、私にはもっと恐ろしいことがあるから、何も言わずに柳先輩に付いて行く。


「………」

「おい、中宮」

「…何ですか」

「お前、震えてる」


私の握った拳を見て、柳先輩はそう言った。

確かに、自分でも分かるくらいに震えている。


「怖いのか」

「当然じゃないですか。誰が好き好んでこんなところに」

「でもお前、他の場所だとそこまで震えてたことなかったよな」


そういえば。これまでも私は先輩に連れられて、様々な心霊スポットを回らされている。でも、ここまで恐怖を感じたことは、柳先輩と初めて出会ったあの一件以来、一度もなかったはずだ。


「こんな深夜にこんな場所に来るのは初めてなので。そりゃ、怖いですよ」

「そう?案外、今回は当たりなのかもな」

「ちょっと!やめてくださいよ。怖くて震えてるってのに!」

「…ま、俺がいるから、安心してていいぞ」


「一応、守ってやるから」そう言うと柳先輩は、隣にいる私の頭を乱暴に撫でまわした。

くさいセリフで照れたからって、ただでさえヘルメットで乱れた髪を乱すのはやめて頂きたい。

「無理やり連れてきたんですから、当然です!」と私は頭に乗せられた柳先輩の手を大げさに振り払った。

気付けば、体の震えはなくなっていた。



そんなやり取りをしている間にも、忽然と目の前に大きなトンネルが現れた。ぽっかりと空いた暗闇は、今からこの中へと入ろうとしている私たちを飲み込もうと待ち受けているかのようだ。


「案外大きいですね。中、真っ暗で何も見えない」

「大昔の炭鉱を広げてそのまんまトンネルにしたって噂だぞ」

「あー…だからこんな山奥にあるんですね」

「高速道路が開通した今じゃ、誰もこんなトンネル寄り付きもしないけどな。それより、ほら」


柳先輩は、バイクに備え付けられていた荷物入れから懐中電灯を取り出すと、私に手渡してきた。


「いいんですか?先輩の分は、」

「どうせ準備してないだろうと思って。それ、お前の分。無くすなよ」

「無くしませんよ!…ありがとうございます」


携帯のライトしかなかった私には正直有難い代物だ。まさか、トンネルに明かりもないとは思っていなかった。

私がライトの点滅の確認をしていると、先輩はバイクを押して早速トンネルの中に足を踏み入れようとした。私も覚悟を決めて、先輩の背に付いて行く前に、携帯の時間を確認した。23時54分。0時までもう少しだった。



真っ暗闇のトンネルを歩いてしばらく、滑りやすい足場の頼りはバイクのライトと、手元の懐中電灯のみだ。

トンネル内には、じめっとした肌にまとわりつくような嫌な冷気が漂っている。

どことなく、生臭いような、雨と土以外のものが混ざり合ったようなにおいが充満している。

普段は使われていないトンネルだ。生き物の死骸などが放置されていてもおかしくはない。

私は足元を照らしながら慎重に先輩を追う。

暗闇に差し込む幽かな月明りが足を進めるごとに遠のいていく。


「……この辺りでいいか」


柳先輩は、パッと私を振り返った。


「赤い女に会う条件、まだ説明してなかったよな」

「は…はい」

「説明しながら実際にやってみるから、中宮、あそこに立て」

そう言って、柳先輩は押していたバイクを片手で支えながら、トンネルの奥の方を指差した。


「えっ!今ですか!」

「当たり前だろ。噂の検証なんだから。ほら、早く。時間がないぞ」

「早くって言ったって…先輩が自分で行けばいいのに、」


ぶつぶつと文句を溢しながら先輩の横を通って、仕方なく先輩の前に立った。

振り向いて、「本当に私が行くんですか?」と問えば、真顔で頷いて、暗闇を指差したまま何も答えてくれない柳先輩。

……ここでも私に選択権はないんですね。

がっくりと肩を落とすと、先輩が指差すトンネルの奥へ向かって、少しずつ歩みを進める。

背後からバイクのライトで照らされているとはいえ、トンネルの向こうまで光は届いていない。

周囲を手元の懐中電灯で照らしながら進んでいく。

バイクのライトに比べると、細く一直線しか照らさない懐中電灯の光が、先ほどよりもひどく頼りなく感じた。柳先輩の後ろを付いて行くだけでも恐ろしかったというのに、一歩一歩、自身で闇の中を進んでいく恐怖は、計り知れない。


「柳先輩。もう、いいですか?」

「全然進んでないだろ。もっと奥だ」

「えー…もうこれ以上進みたくないのに」

「何か言ったか?」

「いえ、何にも!」


暗闇の中で、私と先輩の声だけが反響している。

今にも目の前の闇から何かが飛び出してきそうで、一歩進むごとに心拍数が跳ね上がっていく感覚があった。私が先へ進むごとに、柳先輩との距離も広がっていく。


「さ、さすがにもういいですよね?」

「…ああ。その辺で待ってろ」


先輩はバイクの横に立ったまま、そこから数メートルほど離れた場所に私を立たせた。

振り返れば、柳先輩の顔が分からないくらいの距離が出来ている。

先輩よりもトンネルの奥に立っているこの状況に、自然と足がすくみだした。怖い、怖い。

さっきまで一時的に薄れていた恐怖心が蘇ってくる。

柳先輩は、あくまで噂の検証を目的としている。私が恐がっていても、気にも留めていない様子だ。

数メートル先に立つ私をみて、ふらふらと手を振っている。あれで励ましているつもりなんだろうか。


「や、柳先輩。どうするって言うんですか」

「中宮、お前、俺の方じゃなくて、顔あっち」


そう言うと、再び先輩はトンネルの向こうを指差した。柳先輩を視界に入れて何とか平静を保とうとしているのに、これ以上私を恐怖に陥れようと…?

頭おかしいんじゃないのこの人。と、目いっぱい先輩を睨みつけてやるが、こんな暗闇の中だ。お互いの表情までは読み取れない。

ついに先輩はシッシと手を振ってくるものだから、仕方なく目をつぶって恐る恐る暗闇を前に体を方向転換した。大丈夫。後ろには柳先輩がいる。

このまま目をつぶっていても、何も見えないのはそれはそれで恐ろしい。ゆっくり目を開けば、映るのはやはり、真っ暗な闇ばかりだった。

再び懐中電灯で周囲を照らしてみる。懐中電灯の幽かな光でも、凹凸のないトンネルの壁は薄汚れて見えた。

トンネルに入ってから、体感では既に数分は経っている。

ちょうど。日付を越す頃ではないだろうか。良かった。やっぱり、ただの噂話だったんだ。

そう思った時、


「中宮、絶対にこっちを振り向くんじゃないぞ」

「わっ…!」


私の背後から、バイクの明かりが消えた。


「えっえっ!?柳先輩!!」


圧倒的な闇に、手元の懐中電灯も殆ど意味を為していない。

思わず振り返ろうとするが、今ほどの柳先輩の言葉で振り返ることは躊躇われた。

そして、再び、背後からライトが灯される。

急な暗闇から、目が上手く開かない。

バイクのライトで照らされた闇の中に、薄目で目を凝らしてみる。

———暗闇の奥に、ナニカが立っている。


「……あ、あ、」


一歩後ずさる。上手く身体が動かない。

そうしている間にも、再びライトが落とされ、闇が広がった。暗闇の中で先輩に呼びかける。心がぽっきり折れて闇の中にこのまま消えてしまいそうだ。


「せ…せんぱい!あ、あの、あの!」

「分かってる」


短い返事の後、再びライトで私の背後から正面を照らされる。

赤いナニカは、明らかに私に近づいていた。


「ででで、出た!!」

「今回は当たりか。やっとお出ましだな」


柳先輩は、声音から喜々としてそれを視ているようだった。そして、無情にもライトが消される。次の瞬間には照らされる赤いナニカ。パチパチとライトの明暗が繰り返されるその行為に、私の心臓は何かに掴まれたように呼吸が難しくなっていった。

一瞬の闇が訪れ、次に光に照らされるたびに、赤いナニカは確実に私に近づいてきている。はっきりとそれが赤い血でまみれた女だと認識できた頃には、私は既に虫の息だった。


「はぁっ…はぁっ…!」

「もう少しだ、頑張れ、中宮ー」

「が、頑張れって、柳、先輩…!」


こ、殺したい!恐怖のあまりに芽生える柳先輩への殺意を、目の前の赤い女にぶつける。何で私がこんな目に合わなきゃいけないの!?

恐怖と怒りが入り混じった目で赤い女を視認すると、既に顔がはっきり分かるくらいの距離に近づいていた。

顔は何かで擦られたように真っ赤にただれ、鼻は削げ落ちている。頬から抉れたように見える肉は、あまりにも生々しい。生前着ていたであろうワンピースは血の色に染まっている。おおよそ人だったとは思えない風貌に、目を背けようとした。が、


「……えっ?」


赤い女は、既に目の前にいた。

そして、目をひん剥いて口からごぼごぼと血を垂らしながら、私の肩を掴み、湿った道路に私の体を叩きつけた。


「うっ!」


バイクのライトは消えたままだ。唯一ある明かりは、柳先輩に手渡された懐中電灯のみだった。それも、今ほどの衝撃で地面に落ちて幽かな光を灯しているだけである。

———先輩、柳先輩は…!?


「や、なぎ…先輩…!」


地面に打ち付けられた衝撃で、方向を完全に見失った。先輩も、暗闇の中何故か黙ったまま答えてくれない。

ズルリとした濡れた感触の手が、私の足首から這い上がってくる。

怖い、怖い、怖い、怖い、怖い!


「いやああ!助けて!先輩!」


ぬる、と私の足に伝わる血に濡れた感触が広がっていく。


「いや…いやあ…たすけて、」


私の足首を掴んだまま、暗闇で姿の見えない赤い女が、ズルリ、ズルリと少しずつ私の体を地面に擦ってトンネルの奥へと引きずっていく。

そして、次第に私の体が赤く染められていくのだ。

あぁ…京子が言ってたみたいに、私このまますりおろしリンゴみたいにされちゃうのかな。

結局柳先輩も、守ってくれるって言ったくせに、役立たずだったし。なんて、知らず知らずのうちに走馬灯が駆け巡る。

赤い女が私を地面に引きずるスピードは段々と速さを増していく。唯一の救いは、バイクに乗る際に渡されていた、肘と膝のプロテクターだった。おかげで噂程、私の体はまだ大したケガはない。しかし、それも意味のないこと。私はこのままこの赤い女に噂通り殺されるのだ。

あーあ。次の行方不明者は私か。と諦めかけた次の瞬間。急に、私の体が重力を無視したようにふわりと宙に浮いた。そして、私を照らすように再びバイクの明かりが灯った。


「わっ!」


宙に浮いた直後、私の体は再び地面に叩きつけられた。しかし、そのおかげか、足にまとわりついていた女の手の感触が、いつのまにやら消えている。


「あ、あれ…?」


———助かったの…?

暗闇に照らされた、眩しいライトの先を薄目で見ると、二つの影があった。

本人を見なくても分かる。柳先輩と、赤い女だ。

ライトに照らされた赤い女の影からは、糸のような影が私の足元へと伸びていた。そして、それを先輩が掴んでいる。


「中宮、頑張ったな」


柳先輩は地面に倒れたままの私にいつもよりも優し気な視線を向け、一言告げた。そして、いつも必ず身につけているマスクをゆっくりと外すと、目の前に対峙している赤い女には目もくれず、私の足元に伸びている糸のような影をピンと張り詰めた。

糸のようなものを掴まれた赤い女は、身動きの取れない様子で、柳先輩を真顔で見つめている。

そして、柳先輩は形のいい唇をそっと開くと隙間から歯をのぞかせた。白い歯の並びに、二本だけ、赤黒い糸切り歯が見える。

その糸切り歯で、掴んだ影の糸をプツリ、と噛み切ると、対峙していた赤い女は煙の様に姿を消した。


「……終わったぞ」

「~~~!先輩!」


私は、柳先輩の背中に飛びついた。そして、思いっきり、膝カックンをかましてやる。


「…うおっ!」

「聞いてないですよ!こんなこと!」

「聞いてないって何がだ?」

「私をおとりみたいにしたじゃないですか!」

「おとりじゃない。エサだ」

「一緒ですよ!バカ!信っじられない、最低ですよ!」


先輩相手にもかまわず罵倒してしまった。本当に、それほど恐ろしい体験だったのだ。


「ちゃんと、幽霊から守ってやっただろ?」

「守るって…途中まで完全に私の事無視してましたよね?エサにするために」

「そういうわけじゃないけどな。糸がなかなか伸び切らないから」

「……はぁ、」


驚くことに柳先輩は、幽霊を除霊することが出来る。それも、映画や漫画に出てくるような除霊の仕方ではない。柳先輩が持つ、特殊な糸切り歯で、念糸と言う、幽霊の怨念のこもった糸のようなものを噛み切ることで除霊するのだという。

しかし、その怨念の籠った糸を噛み切るには、普通の糸と同じように、ピンと張った状態じゃないと上手く断ち切れないらしい。

怨念の籠った場所から移動すればするほど、その念糸はよく伸びるのだという。

だからこそ、私が上手く使われたのだ。私が、幽霊が視え、昔から、狙われやすいから———。


私は、その場に膝をついてへたり込む。

柳先輩はマスクで再びその口元を覆うと、バイクを押して私の傍にやってきた。何も言わずにヘルメットを押し付けてくる。どうやら、本当に終わったみたいだ。

安心して、柳先輩からヘルメットを受け取ろうとする。

ガシャン!

しかし、ヘルメットは受け取る前に先輩の手から滑り落ちた。


「……先輩?」

「………ぐっ!」


柳先輩は、その場に右肩を押さえてうずくまると、突然にうめき声をあげた。思わず傍に駆け寄って、背中を支える。

もしかして、私の見てない間に幽霊に襲われて…!?


「ちょっ!先輩?大丈夫ですか?」

「…………」

「まさか、どこかケガを?肩が痛いんですか?」

「…………なーんてな、」


そう言うと、先輩はどこから出したのか、パシャリと私の顔を正面からカメラに収めた。急なフラッシュに思い切り眉をしかめる。


「中宮の焦った顔ゲットー」

「ちょ、先輩!今のまさか演技だったんですか?」

「んー?何が?」

「何が…って。もういいです!」


冗談に腹は立つが何ともないならそれでいい。私も、地面に叩きつけられた時に少しだけ両手を擦りむいただけで済んだ。出来るだけ早く、こんな場所からは立ち去りたい。


「柳先輩、もう行きましょう」

「ちょっと待て。上手く撮れてるか確認するから」

「は?何をですか」

「何って、これ?」


そう言うと、柳先輩は私にカメラを寄越した。選択された画像一覧を見ると、私、私、私、私。

どれもこれも、私の姿が映っている。何、これ。


「あー…やっぱり赤い女は映ってなかったな。ま、中宮が影に引っ張られてる写真が撮れてるだけマシだったか。残念」

「残念、って先輩。いつの間にこんな写真!」

「まぁ、合間にパシャリとな」

「こっ…こんな写真撮ってる暇があるならもっと早く助けてくれても良かったじゃないですか!」

「中宮。あくまで俺達は新聞に載せるネタの検証に来たんだ。目的が幽霊になったらそれはもうおしまいだろ?」

「せ、先輩に言われたくないですよバカ!」

「まぁまぁ、顔にはモザイクかけてやるからな」

「変なところで気を回すのはやめてください」


———本当に、この先輩は。

憤慨したまま、地面に転がっているヘルメットを拾い、被った。

その場に片膝をついていた柳先輩も、ようやく帰る気になったのか、カメラを携えたまま立ち上がった。何故だかいつもよりも、動きが遅いのは気のせいだろうか。

柳先輩はバイクに跨ると、行きと同じように私に腰に手を回すように促した。どうやら、帰りはトンネルの中からバイクで帰るつもりらしい。

むしろ、行きもバイクのまま来たほうが楽だったんじゃないだろうか。

全身に冷たい風を浴びながら、バイクは走る。

幽霊の浄化と共に、淀んでいた空気も、森の空気に澄んだものへと変わっていったらしい。


「結局、幽霊の出る条件ってなんだったんですか?」


ガタつく山道。柳先輩の腰に腕を回したまま尋ねる。先輩は前方を向いたまま、一切こちらに気を取られることなく答える。


「まだあのトンネルが普通に使われていた頃。バイクに追われてトンネルに逃げ込んだ女がいたらしい。その男は女のストーカーだった。逃げても逃げてもライトで照らされて、遊ぶように追い回されて。捕まえられてからは体がボロボロになるまで引きずり回されて死んだって話だ」

「そんな…ひどい、」

「噂に聞いた条件だと、その女が陥った状況を真似することで現れるらしい。つまり、バイクのライトの点滅がトリガーになってる」

「トンネルの中までしばらく歩いたのは…?」

「女はバイクに追われていたんだ。自分の足で歩いてトンネルの中まで行かないと意味がない」

「……なるほど」


女の怨念は、とても深いものだっただろう。追い回された挙句、あんな暗いトンネルの中で死んだのだから。

無念のあまり、悪霊となってしまうのは、仕方がないのかもしれない。しかし、ひとつ疑問が残る。


「でも、どうして狙われたのは私だったんですかね。本来なら、バイクの運転手の方を標的にすればいいのに」

「お前が元々狙われやすい体質だから、ってわけじゃないだろうな」

「どういう意味ですか?」


柳先輩は、軽く腰を上げると、再び体制を立て直した。森を抜け、ようやくまともに街灯のある場所に来ると、ホッとする。


「幽霊だって、万能じゃない。バイクっていう逃げ足のある奴と、身一つで走って逃げるしかできないやつ。お前ならどっちを狙う?」


そんなこと、考えるまでもない。


「それはまぁ、バイクに乗ってない人間ですね」

「そう。やつらも同じだ。狙いやすい方から狙う。それに、噂話を広める人間も残さないといけないしな」

「幽霊の、ですか?」

「噂を広める人間が生き残っていないと、次にエサになる人間をおびき寄せられないだろ」


怨念のみでを他者を殺めようとする幽霊には、意思もあるということだろうか。そうとなれば、尚更質が悪いと思う。


「わざと噂になるように仕向けてるっていう事ですか。すりおろしリンゴみたいに血だらけになって殺されるとか、翌日には大雨が降る…とか」

「噂には多少尾ひれが着くくらいがちょうどいいんだろ。幽霊にとってはな」





****

私の家に着いた頃には、既に深夜3時を回っていた。明け方と言ってもおかしくはない。

あのトンネルの中、時間の進み方まで狂っていたのだろうか。


「送ってくれて、ありがとうございます」


不本意ではあるが、一応お礼は言う。バイクから降りて、ヘルメットと、行きから付けたままだった肘膝のプロテクターも先輩に返す。


「これ、今日一番役立ちました」

「そうだろ。渡しといて正解だったな」


やっぱり。先輩は私があの幽霊に引きずられてしまうことまで予測していたんだ。


「分かっててこれを貸してくれたんですね」

「念のためだ。まさか、お前だって噂が本当だとは思ってなかっただろ?」

「まぁ…そうですけど。でも、ちょっとは痛かったんですからね!」



ほら、と体を打ち付けた時にかばって擦りむいた両手を、柳先輩へと見せつける。

大した傷ではないが、薄皮がすこし剥けて赤くなっている。痛み自体はもう殆ど感じていなかった。

少しでも、先輩に罪悪感が芽生えればいいと思ってやったことだった。すると、


「わ、」


柳先輩が、私の両手を優しくすくった。


「悪かった」

「………え、」


普段、めったに人に謝ることのない先輩が。あの、私に対して横柄な先輩が、謝った!


「お前にケガまでさせるつもりはなかった。その前に片づけるつもりだったんだ。でも、ちょっと、あの赤い女を……、」

「……先輩?」

「いや、何でもない。とにかく今回は悪かった。次からはもっと、上手くやる」

「ちょ、次なんてありませんよ!」


どさくさに紛れてなんてことを言うのだろう。この先輩は。


「絶対にもう嫌ですからね!」

「じゃ、また」


私の否定の言葉も虚しく、先輩はそのまま背を向けて行ってしまう。去っていく先輩の後姿から「また、違ったか」と、ぼそりと呟く声が聞こえた気がした。




****

後日、校内新聞6月号が発行された。

各階の渡り廊下に張り出されるそれを、ひとり眺める私。


【マスク貴公子柳光明のスクープ!幽霊トンネルの謎に迫る!】


幽霊トンネルにまつわる事件と噂話。そして柳先輩の検証結果を新聞部の面々が上手く文章にまとめたらしい。柳先輩の撮った写真を添えて。

影のようなものに暗闇へ引きずられていく私の顔には、確かにモザイクがかかっていた。しかし、


———どうして、この写真まで使われてるの!?


先輩に駆け寄った際に、至近距離でフラッシュを浴びせられた、顔をしかめたどうみても恐ろしいあの写真。モザイクは掛けられているが、おどろおどろしく加工されてしまっている。そして【これが噂の赤い女か!?】と失礼な文言まで添えてあった。


「……もう絶対、次は柳先輩には付いて行かない」


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