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不老の姫君

 那津とキザシの月夜の誓いから三月(みつき)経った。


 崖の中腹のキザシの巣の横には庵が増設されている。キザシは家にいる時は、なるべく人の姿で過ごすようになり、二人睦まじく庵で過ごすことが多くなった。


 ただ、那津の記憶は戻る見込みも無く、だが サバサバした性格の那津はもう気にしてはいない。


 薬効最にも諦めろと言われている。キザシも もうこだわってはいない。


 うーんと年をとってから、那津が忘れてしまったあの大猿の冒険譚を話してあげようとキザシは思う。


 二人の本当の出会いの物語を。



 その間にキザシは、蓮津とミツケの尽力により、七瀬から那津の不老の体を奪い返していた。


 那津の不老の体にはキザシが霊力という養分を与えながらヨロズ袋の中でつつがなく管理している。


 この生きた体のことは、なかなか微妙な問題をはらんでいるので、那津には落ち着いた時期に打ち明けるべきだと考えていた。



 そして小雪がちらつくこの静かな夜、キザシは決心した。



 キザシの結界に包まれた庵の、小さな暖かい二人の部屋にて。




「那津、大事な話があるんだ」


 キザシは座敷で那津と霊樹の実を食べながら切り出した。


「‥‥‥いきなりで驚くと思うけど、聞いてくれ」


「なんじゃ? 驚くこととは?」


「実は、那津には現世で生きていた時の体が生きたまま残っているんだ。しかも不老の体だ。それは年頃まで成長する。だから今も成長してる」


 那津の反応が気にかかり、じっと注意深く那津の顔を見つめるキザシ。


「ふぁ? なんじゃ? それは奇妙な‥‥‥どういうことじゃ?」


 那津にはなんのことやらで飲み込めない。



「那津が霊界に留まる理由はこれなんだ。那津はこれがあるから成仏出来無い。だって生きてんだからさ」


 キザシは、あまり深刻な口調にならないように気をつけた。


「えええっっっ! 生きてる!? なら何で妾は幽霊なのじゃ? ならば妾はその体に戻れば生き返るということか?」


 那津は霊樹の実を脇にやり、キザシを問い詰めるように真ん前に寄る。


「‥‥‥それは無理だ。那津はもう死人の魂になってしまっている。でも、那津は毎日少しずつ霊樹の実を食べている。普通の人霊よりもかなり霊力が上がってる。だから一日二日、自分の生きた体に戻るくらいは出来るかもしんないぜ。やってみないとわからないけどな」


「むむむ‥‥‥なぁ? 先ほどから戯れで妾をからかっているのではあるまいな?」


 那津が(いぶか)る視線をキザシに向ける。



「こんなことでからかうわけないだろ。俺の目を見てみろよ!」


 那津はキザシの目をじーっと覗き込む。


「‥‥‥ふーん。なにやら信じられぬ話じゃが。本当にそのような物があるのかの? ならばそれはどこにあるのじゃ?」


 那津は話半分に聞いているらしい。キザシにはその気持ちはわかる。


「あのさ、実はひと月ほど前に蓮津姫から受け取っていたんだけど、那津がここでの生活に慣れてからの方がいいと思って今まで言わなかったんだ。ごめん」


「蓮津から?」


「‥‥‥俺、蓮津から那津にってヨロズ袋を預かってんだ。その中に那津への贈り物と一緒に入ってる。俺、袋に霊力玉も入れといたからその体も年相応にちゃんと成長しているはずだぜ」


「蓮津が妾の生きた体を保管していたのか!」


「‥‥‥うっ。ちょっと違うけど‥‥‥えーっと、蓮津が側で見張ってたって感じ?」


「ふーん? 蓮津は達者かのう?」


「ああ、七瀬っていう連れ合いと仲良く暮らしてる。それとミツケっていうメジロがいてよぉ、ついに蓮津の飼い鳥になったって浮かれた伝言があったんだ。ミツケは役に立つ賢い鳥だ。いつも側にいて蓮津を助けてやれるだろう」


「そうか‥‥‥蓮津は達者でやっておるようじゃの。よきよき。会いたいのう。ほんに優しきお人なのじゃ。ふむ、その七瀬という輩、蓮津と連れ添うとは、なんと幸運な男じゃ! 蓮津は、美しくしとやかで姫の中の姫。妾の憧れじゃ。まあ、妾はああはなれんがの」


「ふふふ。だろうな。でも、俺には那津が一番だけどな。へへっ」


「いっ、いきなりそんなことを申して! てっ、照れるではないか。おかしなことを急に言うでないッ!」


 照れ隠しでキザシの腕をバシッと叩く。


「イテッ! 那津はマジ霊力強くなってんな‥‥‥」


 キザシはニカっと笑った。




「なあ、キザシ。妾の体を見てみたい。生きた体に戻れるなら戻ってみたいのじゃ」


「おう! じゃ、せっかく不老の体が戻ったんだ。試してみるか!」



 キザシは巾着袋の口を開け、手を入れ手探りで中を探る。


「うーん、形的にこれかな? これ、髪の毛?」


「これこれ、妾の自慢の黒髪じゃ、気をつけてくだされ」


「おっ? おう。慎重に、慎重に‥‥‥よっと!」



 キザシが巾着袋から抜き出すと、袋の口から途端に等身大に戻りながら、那津の不老の体が出て来た。


 色白で長い黒髪の眠りについた着物姿の少女が床に横たわる。



「‥‥‥‥‥‥‥‥妾じゃ」


 那津は無言でそれを見つめた。やがて、そっと手を伸ばしてその頬に触れた。


 思う所があるのだろう。しばし感傷に浸っているようだった。


 キザシは黙ってその様子を見つめていた。




 やがて那津は、ごしごし目を擦ってから、キザシに向いた。


「‥‥‥これは妾じゃ。だが、妾とは違うのう?」 


「うん、成長し続けているからな。那津が死んでからもう一年と半分くらい経つんだ。だからその分大きくなってんだ」


「ほぉ‥‥‥たった一年半で、ずいぶん違うものよのう‥‥‥」


「多分、今は人間の成長期の年頃なんだろ? 俺らとは違うからよくわかんねぇけど」


「‥‥‥そうじゃな」



 那津は、どうやら自分は死んだと理解してはいるものの、実感は無く過ごしていた。


 実際、死んだことに気づいていない人霊も ちょくちょくいるし、死んだことを認めない霊さえいるから、それも普通だろうとキザシが教えてくれたから、皆同じような感覚なんだろうと思う。



 だが、自分より大人びた自分の姿を見て、やはり自分は死人であることを改めて突きつけられたようで、もの悲しさを感じた。


 かつて城で過ごした数々の出来事が思い出される。


 生きていれば、この姿で今も城で過ごしていたのだ。



 キザシは察して那津の肩を抱く。


「俺がずっとそばにいる。那津」


「‥‥‥ありがとう。キザシ」



 那津は、またもや滲んで来た涙を手の甲でごしごし拭いた。


 気を取り直し、キザシに作った笑顔でにこりとして見せる。



「‥‥‥‥さて、どうすれば入れるのかの?」


「そうだな。俺が手伝ってやってもいいけど、自分でやってみるか? 何事にも挑戦した方がいい。自分で出来ることが増えてったら那津だって楽しいだろ?」


「おおっ! もちろんじゃ!」


「う~ん、でも最初は難しいかもな。気持ちを一点に集中しろ。この体に戻りたいって強く念じてみろ。もともと那津の体なんだ。お互いに呼びあっているはずだ」


「わかったのじゃ! がんばるのじゃ!」



 不老の体の那津の手を握り、那津は目を閉じ、意識を集中させる。


 温かい手の温もりが伝わって来る。



 ──生きた体とは良きものじゃな。存在感が大きい‥‥‥



 この姿で城で過ごしている自分を想像した。


 廊下をドタドタ走り抜け、相変わらずお恵に叱られている。いつまでたっても長い裾に慣れずつまずき転んで衣が裂け、菊乃に世話をかけている自分。


 皆の笑顔と笑い声が甦る。



 厳しき手習い。舞よりも得意だった剣術。供を引き連れて庭の散策。蓮津とお喋りしながら池の鯉へのまき餌。


 いつだって賑やかで明るかった那津の周囲‥‥‥‥



 ──那津が失った未来。




 不老の体の那津から、一筋の涙がこぼれ落ちた。



 涙が目尻を伝う感触に、那津はふっと我に帰る。



「うん?」


 眠りについていた不老の体の那津の目がぱちっと開いた。


「‥‥‥‥‥妾は入ったのか?」


 身動き出来ないまま、目だけがキョロキョロ周囲を見回す。



 覗き込んでいるキザシの顔が見える。



「すっげー! すげーじゃんか! 一発で成功させるなんて! 那津は人霊だけど、霊力使いの才能あんじゃね?」


 キザシの興奮した笑顔。


「そ、そうかのう? でもな、う‥‥‥この体、ずっと寝たきりじゃったのだろう? そのせいか、体が固まっておるようじゃ。少し慣らさねば動けまい」


 発する自分の声が、自分の声ではないように感じる。


 不思議な気分だ。



「そうかもな。なら無理しないで時間かけてゆっくり動けよ。怪我したらいけないし。霊体と違って生きた体の傷はなかなか治んねぇからな」


「わかったのじゃ‥‥‥」




 那津は、まずは握ったり開いたりして指を動かす所から始めた。



次やっと最終回 _φ(゜Д゜ )

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