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水蓮の華の香

「そういうことで、じゃあまた明日な! 七瀬」


 その少年はシュッと うぐいす色の小鳥に変わると、夜の暗闇に溶けた。


 ──今のは、あの小憎たらしい鳥か‥‥‥



 父上と母上からやっと蓮津を返されたと思ったら、生前 蓮津と恋仲だったと名乗る男が現れ、成仏の道へ連れ去ろうとする。


 庵では毎日、ウザいお喋り鳥のミツケが、蓮津のまわりをチョロチョロ飛び回っている。


 なんと騒々しき。これでは落ち着かぬ。私が蓮津に心を慰められる暇が無いではないか。


 蓮津を迎え、私の回りは変化するであろうことは承知していたが、ここまで多事多難だとは。



 私はやや不機嫌を伴い庵の戸を開く。



「帰った、蓮津」


 庵に入ると蓮津は私のために晩酌の用意をして待っていた。


 蓮津が(くりや)から顔を覗かせた。



 私の顔を見ると、そそくさと嬉しげに駆け寄って来る。



「お帰りなさいませ、七瀬様。急なお務めでしたわね。お疲れでございましょう」


 その向けられる可憐な笑みに私の心はくすぐられ、眉間に入った力は緩む。


 蓮津は私だけのもの。水面下で密かに持つその(とげ)までが私には魅力となっている。



 この宝、失いそうで、だからといって失ってはいぬ。(はかな)(もろ)いこの状況。



 私は自らこのギリギリを楽しんでいる?


 ふと、問いたくなった。



「蓮津、もしここに生前の想い人が現れたらどうするのだ?」



 蓮津は私のこの前触れなき問いかけに驚いたようだ。その美しい顔から笑みがふっと抜けた。


「‥‥‥わたくし、前にもお話しましたわね? ある方にお別れを告げてからここに来たのです。辛い言葉を投げつけて。その方はわたくしに出会ったばかりに不幸になってしまわれたのですわ。わたくしが離れることがあの方のお幸せだと、今ははっきりわかるようになりました。なれば、わたくしがあの方に近づくことなど二度とありませぬ。‥‥‥それにその方はもうとっくに成仏の道へ進まれたことでしょう‥‥‥」


「来世は幸せになっていらっしゃるようにと、わたくし毎日心で念じております‥‥‥」



 蓮津の心の奥に住む名波索。その存在はその魂を消したとて、蓮津の心には生き続ける。


 人の目も(はばか)らず(むせ)ぶあの男の哀れな姿を見れば、蓮津の心は翻るやも知れぬ。一旦は憐れみをかけたが‥‥‥


 あの後の父上の対処が気になる所‥‥‥


 父上のことだ。死人の道へ送り届けてやった、という所だろうか。



 忘却の秘薬の悔やまれることよ。



 ‥‥‥私はなぜ、あの時蓮津に使わなかったのだろう? なぜ、大枚はたいたあの高価な秘薬を大鷲などにやってしまったのだ?



 ‥‥‥この私が蓮津の手のひらに? まさか。



「‥‥‥七瀬様?」


 いかん。考え事をしていて。



 蓮津が不安げな顔で私を見上げている。



 新たな懸念。



「あのメジロのことだが‥‥‥」


「ああ、そうだわ! 聞いてくださいませっ」



 何やらのひらめきに蓮津の笑顔が輝く。


 頬を染めて胸の前で手を合わせて嬉しそうだ。



「あのかわいらしいミツケさんが、わたくしの鳥になりたいぴっておっしゃって下さったのです! わたくしを手伝うために雇われてこの里に来ましたけれど、もう仕事も終わり、いつ去ってしまわれるのかと実はずっと恐れていたのですわ」



 ──仕事。


 ここまで来ればもう全ては明白だ。


 思惑が一致していた大鷲と蓮津。


 どうしたことか、それは大鷲の執念か、二人は出会った。


 私はまんまと那津の魂と不老の体を奪われ‥‥‥そして蓮津を得た。



 ミツケはキザシの使い魔として蓮津と共に来たのだろう。ここには自身では入れぬものだから。


 あのような小さなメジロならば誰も警戒はせぬ。


 大鷲の霊力では母流美の編み出した、この強きを弾く特殊結びの結界は突破出来ぬ。小細工で入れるメジロとはケタが違う。




「私に平気で敵意を向けるあのメジロをまだ側に置くと?」


「まあ? あんなに小さく可愛いらしい小鳥さんから少しばかり憎まれ口を言われたくらいで拗ねて見ないで下さいな。ミツケさんはキザシ様に憧れている故、キザシ様と仲のお悪い七瀬様をお好きになれませんのよ。だからと言ってわたくしの夫であるあなた様だということはしっかりとわきまえている賢き子なのですわ」


「‥‥‥それは同意しかねるが」


 あのメジロ、蓮津の前でだけはそれなりに悪態は控えているらしい。益々小憎らしき。


「わたくし、ミツケさんに正式にわたくしの小鳥になって頂きました。だってミツケさんはとっくにわたくしの大切なお友だちですもの。ミツケさんがいなくなってしまったらこの寂しき賽の河原では退屈過ぎますわ。わたくしの髪を脚に結ぶように言われて髪を切って結び、印をつけました。うふふ。これでミツケさんはずっとわたくしの側にいて下さいますわ」


 蓮津は嬉しそうに話した。


 ミツケが人に変化(へんげ)出来ることは知ってか知らずか? 人に変化出来る者に結べばそれは婚約印でもある。


 霊力の弱き人霊の髪などに何の力も効力も無いが、それは他者に示す象徴となる。


 まさかあんなに小さなメジロが人の姿になれたとは、信じられぬあっぱれ。

 されど、我々のように安定したものではないだろう。そこが救いか。



 大鷲の次はメジロ。やれやれ‥‥‥


 私には鳥(なん)の相が出ているに違いない。


 蓮津のお気に入りなれば、傷つける訳にもいかぬ。メジロがいなくなれば蓮津は退屈し、また那津の二の舞になりかねん。



 これまた厄介。メジロは間もなく青年になる。


 先ほどの松の下を思い出す。私とはまったく違う部類の人の姿。愛らしき少年の姿。


 この先も平坦ではなさそうだ。が、私が蓮津を奪われるなどあり得ない。




「蓮津、二度とお前の髪を切って誰かに結んではならぬ。いいな?」


「まあ? わたくし、小鳥はミツケさんがいてくださればそれで十分ですわ。何羽も要りませぬ。もしかして、ここが鳥屋敷になるのを心配なさっているのですか? でしたら心配御無用ですわ。うふふっ」


 あざときその上目遣いなれど、蓮津ならば容易く赦されてしまうその美しさ。


「あ‥‥‥でも、ミツケさんが(つがい)を見つけてメジロの雛が生まれて‥‥‥。鳥屋敷、ありえますわね」


 横目に首を傾げて右の手のひらを頬に当てた。


 蓮津の言葉も仕草も全て計算されているのを感じる。


 なれどそれでも私の心は絡み取られてゆく その魔性。



「あの‥‥‥」


 ふと、蓮津はしおらしくうつ向く。急にどうしたことか?



「七瀬様‥‥‥あの‥‥勝手に那津様の不老の体を持ち出したこと、申し訳なく思いますわ。でも、あれは那津様のもの。お返しになるのは当然なのです。もし、わたくしの不老の体があったとして、キザシ様がお持ちになっていたら、七瀬様はどうするのです? 放っておきますの? そうだとしたらわたくしはいと悲しゅうございます‥‥‥」


「‥‥‥‥‥」


 そのようなこと許すわけはあるまい。キザシを殺し、奪い返すのみ。

 蓮津の弁明にはぐうの音も出ぬ。



「‥‥‥那津様とキザシ様は幸せになられたご様子。わたくしの気掛かりもなくなりました。これで蓮津は七瀬様だけのことだけを思って暮らせますわ。わたくし、七瀬様の寂しそうなそのお心にわたくしの真心を差し上げたいのです。愛する方を満たして差し上げ、そしてわたくしも満たされる。それはわたくしには決して叶わぬ天命にて、生前の夢でした」



 蓮津は私の胸の中、私の顔を潤んだ瞳で見上げながら言った。


 私にはわかる。今の蓮津は、素の蓮津だと。今こそは自然な素顔の蓮津。


 なれば蓮津は本当に私のことを愛しているのだ。


 周りの者らを懐柔し、私を欺き那津の不老の体を奪い、すかしたまねをするかと思えば私に無垢な素顔を無防備にさらす。


 そしてその多面が蓮津の魅力。並の男が近づき過ぎれば不幸になることこの上ない。



 清廉にて悪女。


 やっと手に入れた、この私に釣り合う女。


 私だけの美しい睡蓮の華。



 なれど覚えておくがよい、蓮津よ。一時手放したからといって取り返せぬわけではないことを。



 ()れば、私の側にてずっとこの私を見張るがよい。




 ‥‥‥私も‥‥今ひととき睡蓮の華の香りに酔うとしようか‥‥‥





書いてたらどんどん長くなってしまいました。でも、今度こそあと1、2話で終わる予定。



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