死した姫と不老の体
「うむ、那津は七瀬に飲み込まれてこの賽の河原に連れて来られた。お前は七瀬の腹の中で死んだのだ。飲み込まれたお前の魂は死人のそれになった。しかし‥‥‥肉体は七瀬の霊力と何らかの魔力が複合的に働いて蘇り、うまいこと不老になったと思われる。このような例は私の知るところでは初めてなのだが」
成瀬が眉根を寄せ、ため息をついてから天を仰いだ。
七瀬が神妙な顔で成瀬に進言した。
「‥‥‥私がその前に魔霊毬藻 と滋養の薬草を幾つか食したのも影響したのかもしれません。または元より那津には何らかの守護の呪 いがかけられていた可能性もなきにしもあらず」
「そうだな‥‥‥呪いと幾つかの霊力が混じり合い、予想出来ぬ結果をもたらすことも珍しくはない。大抵はその様な場合は忌むことが起きるものだが‥‥‥那津は運が良い」
「妾には良くわからぬのう?‥‥‥昔話の男は不死になったのだろう? でも不老ではなかったから苦しんだ。だが、耐えて肉体が全て朽ち果て消えて魂の拠り所が無くなれば結局ただの霊となっていたはずじゃ。して、輪廻に戻れるのであろう? ならば、妾の場合はどうなるのじゃ? もう魂と体は分離しておる」
那津は横たわる自分の体を見ながら不思議な気持ちでいっぱいだ。
「お前は死んだが肉体は生きている。お前の体が生きている限り成仏して転生はかなわぬ」
「妾が妾の体に戻ることは出来んのか? そしたら生きてる人と変わらんではないか。それで妾は城に戻れるではないか」
成瀬が不憫 そうに那津を見た。
「那津。現世で年を取ること無く生き続けておれば、間違いなく化け物扱いされ、いずれ酷い殺され方をするのがおちだ。人とはそういうものだ。自分たちと違うものは恐れ、異物として排除する。そのような場合、身内とて巻き添えになる可能性が高い。それに‥‥‥もう、那津は肉体と魂が完全に分離しておるであろう? もうお前は完全に死人の魂だ。肉体に戻れぬこともないが、自身の霊力が足りぬ。一日ももたぬであろう」
「‥‥‥‥」
「それにその霊体のままのお前の魂は、そのままでいればやがてすべて消えてゆく。輪廻転生叶わず無になるのみ。この脱け殻は不死では無いから病気や怪我では死ぬ。那津よ、今お前は危うい状態と言えよう。まだよくこの黄泉の摂理が理解出来てはいまい」
那津はひととき黙って考え込んだ後、再び話し始めた。
「‥‥‥確かに。妾には理解にもう少しだけ時間が要るようじゃ。‥‥‥なあ、成瀬殿。これは妾の体じゃ。そうなのであろう?」
「いかにも、そなたの体だ」
「ではこれは妾のものじゃ」
「いかにも」
「ではこれをどうするのかは妾の勝手じゃな。今すぐ成仏したければ自分で自分を殺 めねばならぬのじゃな。これが生きている限りは成仏叶わぬというのなら。処遇は自分で考えるとしようぞ。所で‥‥‥いつの間にか七瀬が消えておるではないか? どこに行ったのじゃ?」
「ん? おや、本当だ。まったく‥‥‥ひとこと言っていけば良いものを。那津を置き去りにしてからに。那津、我らは陸より水の中の方が過ごしやすい。陸にいられぬ事もないのだが、水の中でないと余計な霊力を使ってしまうからな。‥‥‥七瀬は怪我もしているようだし多分疲れたのだ。一旦川に戻ったのだろう。」
「ほぉ‥‥‥なるほど。陸が苦手とな。それは良きことを聞いた」
那津がニタリとしたり顔をした。
それを見て成瀬は、ふふふんと 那津に負けぬ大袈裟なしたり顔をして見せた。
「おや、それは我らの弱みを知ったからか? そんなことはこの黄泉の者らは全員知っておる。我ら一族はそんな些細な弱みなど凌駕する力を持つぞ。はーっはっは!」
那津から見ると、七瀬も成瀬も優男で、とてもじゃないが強くは見えない。七瀬は冷徹には見えたけれど。
「‥‥‥ほぉ。それでは妾はひとまずそなたらに頼らねばならんのか。妾は誰かに借りを作るなどしとうないが、この状況では仕方があるまいな。魂の消滅の危機じゃし」
「その辺は打つ手がある。魂消滅まで、那津の場合は‥‥‥う~ん、時は多分200年前後はあるだろう。そのままとて暫 くは怯えることはないぞ。それに不老の体はよほどの加護が無き限り200年持つ事はまれだと聞く。まあ、那津の場合は魂が抜けていて自ら動く訳でもないから危険は少ないと言えるが。やはりな、寿命はその時が来ねばわからぬものよ」
「200年! そんなにあるのか? あいわかった。焦ることも無いのじゃな。では成瀬殿も一度川に戻るがよい。陸は疲れるのであろう? それでな、妾は七瀬に大事な話がある。まだ聞きたいこともある。ここで待つゆえ、また妾の所に来るように伝えてくださりませぬか?」
「承知した。ではな、向こうに庵 があるであろう? そこで休むが良い。この体もそちらに寝かせておこう。‥‥‥ったくな。七瀬は最初からそちらに運んでおけば良かったものを、こんな川原に放置しおってからに‥‥‥ほら、ついて来い、那津」
いなくなった七瀬にぶつぶつ文句を言いつつ、那津の不老となったとされる寝ている体をよいしょと抱えた。
「世話をかけるのう、成瀬殿」
「なんのこれしき」
成瀬は片目を瞑って見せた。
那津は父を思い出し少し切ない。
見かけは あばら家だったが、中は小綺麗な部屋になっていた。小さな土間の炊事場まであった。
ーーーなんと! これは町衆の住まいのようではないか。興味深いのう‥‥‥
好奇心旺盛の那津は、この場所が気に入った。
「那津よ、ほら、座敷に先に上がれ。そこの襖 を開けて床 を敷け」
「おう、ではお邪魔いたす。おお‥‥‥布団まであるのか」
那津は襖を開け、さっさか布団を引っ張り出した。
成瀬も三和土から座敷に上がり、魂は抜けたが未だ生きている那津の体をそっと床 に寝かせた。
深く眠っているような那津の体をまじまじと見ながら成瀬は那津を気遣った。
「‥‥‥いやいや、七瀬がまさか人間の小さき女を飲み込むとはな。あやつは少々短気でいかんな。お前さんもひどい目にあったものよ。後は全て七瀬になんとかさせるゆえ許せ」
「‥‥‥妾も軽率であった。妾は嫁にゆかねばならん蓮津のためにと思っての‥‥‥」
成瀬は、しゅんとなった那津の頭を撫でた。
「お前さんにも何か事情があったのだな‥‥‥。まあ、ここでひとまずひとりゆるりと休むがよいぞ。よいか? ここは霊界だ。下界にも危険は多いだろうが、ここには現世とはまた違う恐ろしさがある。我らの里には結界が張られているが、那津には境界線がわかるまい。遠くまでうろうろして出てしまうと危険じゃぞ? この小屋が見えなくなるほど遠くまで離れてはいかん。では私は行く。暗くなる前に七瀬を寄越すから」
「何から何まですまぬのう‥‥‥」
那津は心細くなり成瀬の後ろ姿を庵の前に出て見送った。
成瀬は川のへりまで歩いて行くと那津に手を振った。
瞬間フッと消えた。
辺りは何事も無かったように、寂しげな河原が広がっているだけになった。