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予期せぬ来訪者

「蓮の香? わたくし、七瀬様の言っていることがよくわかりませんわ」


 蓮津は七瀬の胸から顔を上げて、不満げに首をかしげて見せた。



「これからは私の妻として私だけのために尽くせばよい。わかったか?」


「ええ、わたくしは七瀬様の妻で、あなた様を慕っておりますのは、始まりから変わり無きことでは?」


「私は、もう父上と母上には構わなくてよいと言っているのだ!」


 忌々しそうに吐き捨てる。


 出会った頃は感情を読まれぬように澄ました顔を崩さない七瀬であったが、あの河原での一件の時から、随分と心を出していると蓮津は思う。


 出さなくとも蓮津には推量出来てはいるのだが。


「そうは申されましても。わたくしは月に一度はご機嫌伺いに行かねばなりません。この庵に戻る条件ですもの」


 七瀬の舵取りをする後ろ楯として欠かせない二人だ。蓮津はこのまま良好な関係を続けるに決まっている。



「ちっ‥‥あの二人、抜け目なくそんな約束をしていたとは‥‥‥」


「まあ、いけませんわ。お義父様とお義母様にそのような言い方をされては」



 蓮津は七瀬の胸を押して一旦離れた。


 (くりや)で天目に清水を注ぎ、七瀬の前に差し出した。



「どうぞ、これを飲んで落ち着いて下さいませ」



 一口、口の中を潤すとギロリと蓮津を睨んだ。


 蓮津は遂にあの事に言及されるのだとヒヤリとしたが、おくびにも出さない。



「で、‥‥‥那津の不老の体のことだが‥‥‥よくも私を出し抜いてくれた」


「‥‥‥出し抜く? そのようなつもりはありませんわ。あれは那津様のものですもの。持ち主に返して差し上げて当然ですわ。それに‥‥‥‥」


 蓮津は、憂いた目で七瀬に訴えた。


「‥‥わたくし、七瀬様がいつまでも那津様に固執されているのには耐えられません。お子を欲するのであれば他の側室をお迎えになればよろしいのでは? わたくしは悲しく思いますが、致し方無きことにつき構いませぬ」



「ふっ‥‥‥私に側室を勧めるとは。お前は本当に私を慕っているのか疑問だ」


 七瀬はそう言いながらも蓮津を抱き寄せた。


 二人のくちびるが触れあう寸前、入り口の木戸を叩く音がした。




「蓮津。ここに七瀬、七瀬はおるかっ?」


 成瀬の声だった。



「ちっ」


 舌打ちした七瀬は、蓮津を放し立ち上がった。


「私が出る。蓮津は奥に行け」


 久々の蓮津との逢瀬をいきなり寸前で邪魔されて七瀬の不機嫌は絶好調だ。


 蓮津を取り上げられて以来、成瀬に対して以前ほど敬って接する気は無い。



「どうしたのです? 父上。私は今夜久しぶりに蓮津に会えた所なのに。これ以上の邪魔立ては止めて頂きたい」


「すまぬな、七瀬。だが‥‥‥」



 七瀬の耳元でこそっと付け加えた。


「急ぎの内密の話だ。蓮津のことで」


 七瀬は後ろを振り返る。


 蓮津は言われた通り奥の間に行ったようだ。



 成瀬が顎を外にクイッと振って七瀬に外に出るよう促した。



 初冬が感じられる月明かりの夜だ。


 河原から庵へ続く小道の途中にある、一本の松の木の下まで来た。



「いや、蓮津が戻ったその日にすまん。だが、緊急なのだ。今しがた報告があった。結界の直前に男の人霊が来て騒いでおるらしいのだ。その男は蓮津を探している」


「‥‥‥蓮津を? 何者だ?」


「名波という侍の人霊だ。蓮津とは生前、恋仲だったらしい」


「‥‥蓮津の生前の? こんなところまで追いかけてくるとはなんという執念。よくも無事に人霊がここまで来れたものよ。人霊が死者の道を外れたら、魑魅魍魎どもに魂は喰われてしまうのが常だというのに」


「どうしたわけか、その侍、霊力を帯びた黒い(やいば)の刀を持っているらしい。口達(こうたつ)によれば大鷲の霊力らしい」


「‥‥‥大鷲?」


「これは我らで受け持つが無難な事態。その侍、どうしたもんか?」


 成瀬が七瀬の意見を窺う。


「面倒だ。殺ってしまえばいいではありませんか」


 七瀬は即断する。


 成瀬は眉をしかめる。


「また。お前はそんなことを。その侍はお前に直接何もしておらんだろう。蓮津の夫となったお前の存在すら知らぬはず。挑まれて果たし合いもせず、いきなりそのようなことを言うでない!」


 成瀬の徳は深い。


「では、私が侍の霊と果たし合いをせよと? それでも結果は同じではありませんか。どちらにしろその人霊は消えて無になる」


「いや、七瀬は挑まれてもいぬではないか。話して聞かせればよいではないか? 蓮津はお前と結婚していると」


「‥‥‥父上らしい意見。わかりました。私が直接話す」


「おお、そうしてくれるか? では私も同行しよう。お前が不測な事態を起こさぬとも限らぬし。お前の因業(いんごう)を止められるのは私だけだ」


「‥‥‥‥」


 七瀬は、後ろに大鷲キザシの影がちらつくその侍の霊など、さっさと始末しようと思っていたのだが、成瀬には見抜かれていた。



 七瀬は庵まで一旦戻り、蓮津に声をかけた。


「急用だ。一時(いっとき)程で戻る」


「まあ、お忙しいこと。‥‥‥わかりましたわ。ちょうどミツケさんが窓から遊びに来たのです。お話しながら七瀬様のお帰りをお待ちしていますわ」


「七瀬、急がなくていいっぴよ? 蓮津の相手は俺がいるぴ」



 七瀬はミツケを無視し、外に出た。





 二人は泳いで川を下り、伝令で伝えられた場所へ急いだ。



 人の姿に変化(へんげ)し、明かりを灯し辺りを照らしながら歩く。


 陰の部分でなければ月明かりで周りは良く見えた。



 向こうに消えそうな焚き火が灯っているのに二人は気づいた。


 その後ろには、大きな石に寄りかかり座り込んでいる男がいる。七瀬と成瀬は目配せを交わす。


 多分、この人霊の男で間違いは無いだろう。





「お前、このような所で何をしている?」


 七瀬が座り込んでいる若い侍に声をかけた。


 その男は警戒した様子で立ち上がって一礼した。


「‥‥私は名波索と申す。人を探している。ここの鯉の里にいるはずなのだが、なにやら不思議な術が施されている模様。私には入ることが出来ぬので困っておるのです。どうしたら入れるのかご存知ではあるまいか」


「‥‥‥誰を探しているのだ?」


「清瀬川家の姫、蓮津姫を探している。あなた様はご存知ないか? 蓮の華の化身と謳われるほどの美しい娘だ。姫を一目見た者は忘れることはない」


 七瀬はその男に上から下まで視線を這わせる。


 その侍は端正な顔立ちながら、その身はボロボロで、その顔は汚れ疲れ果てている。



「‥‥‥名波索、私はその者をよく知っている」



 一瞬にして索の目に輝きが戻った。その顔に期待の笑みが浮かぶ。


「おお、それはまことか? 今どこにいるのか教えて頂けまいか? 私と成仏の道に向かう途中、訳あってはぐれてしまったのだ」


 索は頭を深く下げる。


 七瀬は無表情で淡々としている。


「ほお‥‥名波索、お前は私の妻にどのような用があるというのだ?」



 理解出来ぬようだった。


 呆けた顔で七瀬を見つめる。



「‥‥‥今、何と?」


 固まったまま、索の目だけがきょときょと動いている。



「私の妻にどのような用だ、と言った」


 七瀬は不快そうに繰り返した。



「は?‥‥‥そ、そんなことは‥‥まさか‥‥!」


「ゆえに、お前のような奴に会わせる事はない。さっさと死人の道を行け。さもなければ‥‥‥」


 七瀬の指は、金糸を出す用意をしている。


 成瀬は後ろにいるし、今ここで瞬時に始末して仕舞えば、成瀬とて止めることは出来ない。これで後の憂いは無くなる。


 そのような 自身のきわどい立場を知る由もなく、索は石の河原にガクッと崩れ落ちた。



「‥‥‥そうか‥‥‥ああ、そうだった。キザシ殿も‥‥‥(それがし)に死人の道へ進めと言って霊力玉を私に恵み、逃げるように去って行った。‥‥‥知っていたのだ‥‥‥この事態を」


 索の無念の吐露だった。


 がっくりと座り込んだ索はそのまま放心してしまった。



 索のその言葉は、七瀬に対抗させるためにキザシがこの名波索を送り込んだ訳では無いと、図らずも示した。


 その放心の様子は、芝居をしている訳でもないと七瀬は見た。



「‥‥‥‥‥‥」



 七瀬は無言で(きびす)を返した。


 後方から事態を見守っていた成瀬を見る事も無く、すっと通り過ぎ、一人、元の道を戻ってゆく。



 その遠ざかる後ろ姿を成瀬は見送る。


「‥‥‥七瀬にしては上出来だが。‥‥‥この名波索とやらはどうしたもんか。このまま放っておいては哀れ もののけに喰われてしまう。その霊刀と、こやつの技でなんとかここまで来れたのだな。だが、その刀に付与した霊力も、もう残り僅かのようだ。か弱き人霊では、ここから死人の道までは とてもじゃないが無事戻れまい‥‥‥」


 独り言を言う成瀬の視線は、咽ぶ索に向かっている。



 この男は余りにも惨めに成瀬の目に映った。


「私は成瀬と申す。鯉の里を管理する者だ。‥‥‥名波索とやら、立て。こういうことは、時の運だ。うまく行かないことも多々。そう、この私とて。‥‥‥いや、それはいいのだが」


 索が顔を上げた。


「名波索、この先の望みは無いのか? なんなら私がお前を死人の道まで連れて行って差し上げてもよい。お前はある意味私の同士。力になるぞ」


 索が知ることでは無いが、七瀬に出し抜かれた同士だ。


「‥‥‥同士?‥‥どなたか存じませんが、かたじけない‥‥‥。お見苦しい所をお見せした」


 索は立ち上がり、深く頭を下げた。


「あの男の申したことは残念ながら事実だ。蓮津は今、幸せに過ごしておる。なればお前もこの先のことを今すぐここで考えろ。私が去ればもうお前を救うものは現れまい。その刀も そろそろただの なまくらに戻る」


「成瀬様‥‥‥‥私が来世を生きたとて、ここに留まる蓮津とはまた巡り会い添うことは叶わぬ。ならば現世で家族を見守り守護し過ごせたならば心の慰め」


「おお、その望み、今すぐ私が叶えてしんぜよう」



 心優しき男、成瀬により名波索の魂消滅の危機は回避された。




 *************




 成瀬より一足先に戻った七瀬は川から河原に上がり、庵に向かっていた。


 月明かり照らす、庵に続く小道の脇の松の木に、年の頃は十二、三くらいの少年が、腕を組み寄りかかって立っていた。



「‥‥‥何者だ? ここで何をしている?」


 七瀬が立ち止まる。



「‥‥‥これ、見なよ」


 うぐいす色の髪をした少年が木に寄りかかったまま、素足の細い左足をスッとまっすぐ高く上げた。



「この足首の印、蓮津の髪で出来た印だぜ。ふふん」







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