使命遂行
蓮津は成瀬の鰭袋の中にいた。
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蓮津は、再び薄絹の打ち掛けを宙に舞わせた後、再び屏風の後ろに隠れた。さすればきっとまず、成瀬が覗きに来るだろうと察していた。
成瀬はあわよくば自分に近づきたいのだから。
そして予想通り、成瀬が来た。
蓮津は人差し指を唇の上で立て、成瀬を制す。
成瀬の右手を取ると脇に滑り込んで成瀬の目を見た。成瀬は驚いた顔をしたが、すぐに小さく頷き蓮津を右の鰭袋に入れ、何事もなかったように振る舞った。
成瀬ならここから自分を連れ出すことはためらわぬはずだと思った。
成瀬は前回、七瀬に一杯食わされたが、今回これにて七瀬に一杯食わせることが出来る。
蓮津は、鰭袋の中で、那津はもう眠りから覚め、七瀬と離縁したことを告げた。
成瀬は、那津は七瀬の鰭袋の中で眠りについているものだと思っていて、もう鯉の里にいないことを知らされ驚いていた。
那津にこの不老の体を返して差し上げたい旨を成瀬に訴えた。成瀬はそれは那津のものであるから当然であろうと返答し、今から蓮津に協力することを約束してくれた。
成瀬は川に戻った後、流美には酔いざましに行くと言って出掛けた。
そのまま蓮津が指定した結界の外目指し泳ぐ。成瀬の泳ぎは速い。あっという間に目的地まで来た。
人に変化し、川岸にて、鰭袋から那津の姿の蓮津を出した。
「成瀬様。まことに何と言ってお礼を申し上げたらよいものか。これにてようやく那津様にこの生きたお体をお返しできますわ」
「今は礼はよい! 一刻も早くしなさい。七瀬はもうとっくに気づいておる」
ひれ伏す那津の体から霊体の蓮津を抜き出す。
那津の体はひれ伏したまま前に倒れた。
抱き抱えようとしたが難儀する蓮津を見かね、成瀬が手伝う。
「私に任せなさい」
成瀬が軽々と那津を抱える。
「成瀬様はなんと頼もしきお方でしょう」
「これきしのこと、たわいも無きことよ。それで、これからどうするのだ?」
ミツケは蓮津の踊りの最後に窓から飛び出し、一足先にここへ向かっていた。
予定では、先にキザシと合流して、蓮津たちの元にキザシを手引きする手筈だったのだが、成瀬の泳ぎが想定外に速すぎて まだ到着していないようだった。
キザシは既にここにいるはずだ。多分、成瀬を警戒して様子を伺っているのだろう。
「キザシ様、出て来て下さいまし。この成瀬様はわたくしの協力者です。何も致しませんわ。那津様もここに。ミツケさんも後から参りますわ」
ガサガサッ‥‥‥草陰が揺れる。
人の姿のキザシが現れた。
朝の内に蓮津から、本日の計画は予定通りだというミツケの伝言を送っていた。
「蓮津。済まない。またもやこんな危険な真似をさせちまって」
「いいえ、これは正当なことなのです。危険だとて、せねばばならぬこと。それにわたくし、那津様のためでしたら火の中水の中なのをキザシ様はご存知のはずですわ」
「那津の不老の体‥‥‥このオヤジは誰だ? 金色の瞳! しかも七瀬に似てる‥‥‥」
キザシは、那津を抱える蓮津のすぐ横にいる男顔を見て警戒した。
「こちらは七瀬様のお父様の成瀬様ですわ。私をここまで連れて来て下さったのです」
「七瀬の? 何でまた‥‥?」
「事情はどうでもよいのです。那津様の不老のお体が那津様の元に戻る事が出来れば」
成瀬が値踏みするように、キザシをしげしげ眺める。
「ほぉ、今度はおまえが那津の世話をするのか。若い頃は気が移ろい易いとみえる。七瀬といい、那津といい。ま、本人が良ければ良いのだが。離縁したに関わらず、我が息子は未練がましく那津の不老の体を放さんでいたとはな‥‥‥。さあ、これを連れて早くここを立つがよい。七瀬が来たら面倒くさい」
成瀬は深き事情は知らぬらしい。キザシは、余計なことは言わずにさっさと那津を受けとる。
キザシの腕にずっしりと重みがかかる。本物の体は霊体よりずいぶん重たい。
「キザシ様、那津様の記憶はどうですの?」
「ああ、戻りはしないが俺たち二人の意思で婚約し直した。蓮津、ありがとう。俺、あんたに会えなかったら、いまだに一人苦しんでた‥‥‥」
一度は失った那津とここまで来れたのは、全て蓮津のお陰だったとキザシは思う。
「いいえ、わたくしは那津様に生前受けていた恩をお返ししたに過ぎませぬ。キザシ様がわたくしを恩に着る事など胡麻粒ほどもありませんわ。全ては那津様のためにしたこと。‥‥‥那津様をお願いしますわ、キザシ様。蓮津はいつでも那津様の幸せを願っているとお伝えくださいませ」
「蓮津‥‥‥」
「このヨロズ袋をお使い下さいませ。そのお体をここへ。そして、この中に蓮津から那津様への贈り物が入っております。さあ、早く行ってくださいな。七瀬様の邪魔が入る前に」
蓮津が開いた袋にキザシが那津の不老の体を入れ、小さな袋を受けとる。
「蓮津はこの後どうすんだよ? こんなことして七瀬に見つかったら酷い目に会わされる。俺と一緒に来いよ」
キザシは蓮津を憂いた目で見た。このまま置いて行くのは大変な気がかりだ。
「キザシ殿、蓮津のことは私に任せておくがよい。私がいる限り、蓮津に悪くはせん!」
ここまで手伝っておいて蓮津を奪われてはたまらない。成瀬は蓮津の腕を引き、自分の後ろに隠した。
「そうは言ってもよぉ‥‥‥蓮津? 来いよ。那津だっているんだぜ」
蓮津は七瀬の後ろから微笑む。
「ありがとう。キザシ様。ええ、ですがわたくしは大丈夫ですわ。うふふ。またミツケさんの伝言を送りますわ。早く行ってくださいな。七瀬様が来てしまいます。わたくしのここまでの労を無駄にしないでくださいな」
確かに、ここで七瀬に追い付かれ、那津の体を奪われてしまったらこれまでの蓮津の苦労が水の泡だ。
「‥‥‥わかった。何か助けが要るときは伝書羽を寄越せよ!」
そう言い残し、キザシは袋をくわえると 速やかに大鷲に戻り河原を飛び立った。
蓮津は、夜空に小さくなってゆくキザシを見つめていたが、視線を成瀬に戻した。
「ああ‥‥‥ほっと致しましたわ。わたくし、成瀬様にはなんとお礼を申せばよろしいのやら」
涙ぐむ蓮津に、成瀬は蓮津が初めてここに現れてからの事の次第を思う。
「蓮津。おまえは那津を七瀬から取り返しにここに来たんだね? 具合が悪くて那津は眠らせていると七瀬は申したが、何か水面下でゴタゴタがあったのだな?」
「‥‥‥成瀬様。わたくしは那津様のお心に沿ったまでなのです。わたくしは現世ではしきたりに縛られて、心のままに生きること叶わず失意のまま死したのです。ですから‥‥‥霊界では、恋の守護神と化したのかも知れませぬ‥‥‥」
「確かに恋とはままならぬものだ。現世でも、ま、ここでもな‥‥‥ハハハ」
成瀬が自嘲気味に嗤いをこぼした時。
「蓮津。父上とこのようなところで二人きりで何をしているのだ?」
遂に、七瀬が現れた。
「あ‥‥‥七瀬様。わたくし‥‥‥」
成瀬は怯える蓮津を素早く鰭袋に入れる。
それを見た七瀬が気色ばむ。
「父上! 私の妻となった蓮津を私の目の前で鰭袋に入れるなど、どういうつもりなのですッ?」
「‥‥‥蓮津が怯えているではないか! お前は今気が立っておる。しばらく私が預かる!」
「父上? お気は確かなのですか? 蓮津は私の結婚印を受けているのです。それは許されません」
「では、私が預かろう。なら文句はあるまい」
流美が突如現れた!
「母上まで、どうなさったのです?」
七瀬は、次から次の邪魔立てに苛立つ。感情はとうに抑えきれていない。
「お前が蓮津がここにいると見通せたのならこの私とて同じこと。成瀬とて 私の結婚印を受けている身。成瀬のすることは私には全てお見通し。聞くまでもあるまい?」
「‥‥‥蓮津をどうする気なのです? 私の妻だ」
「七瀬、お前は散々やり過ぎた。気に入らぬからと一々殺めていてもキリがあるまい。もう、さすがにこの辺で落ち着く時であろう。お前が反省するまで私が蓮津を預りましょう」
流美は大きなため息をついた。
「‥‥‥それは浅ましき者を排除して来ただけのこと。何を今さら‥‥‥母上も黙認していたではありませんか。蓮津を私から奪うのとは関係無い。なぜ、父上も母上も私から蓮津を取り上げるようなまねをするのです! 蓮津は私の妻となったばかりだというのに」
「‥‥‥七瀬。蓮津はもう我らの宝! お前一人で独占させはしない。しばらく我らが預り、お前が蓮津を傷つけぬとわかったら返そう」
「なんと‥‥‥‥蓮の香の毒の強きことよ‥‥‥」
この夫婦の目的が合わさってしまったからには、七瀬はもう引くしかなかった。
一月後に蓮津が七瀬の下に返されるまで、蓮津は 成瀬と流美が霊力玉をふんだんに使って建てた川底の宮殿で過ごした。
そこで、蓮津は舞を披露し、普段は陸に上がらぬ黄金の鯉族たちをも虜にした。
流美が望む時は横にはべり、流美の気の済むまで話し相手となった。
蓮津は卒なく相手の望む言葉を導き出し、与えることが出来る。
美しい蓮津に敬われ慕われることに流美は大変満足した。
成瀬も隙あれば蓮津を訪れ、霊界や鯉族について教示し、最近では誰も聞いてくれなくなった自身の武勇伝を語って聞かせた。
頬を染め質問を交えながら興味深そうに成瀬の話を聞いてくれる蓮津に、成瀬は心を充足させた。
二人はまだ蓮津を返したくはなかったが、蓮津が七瀬を気掛かりにしていることを申し出て、これからも度々ここを訪れることを条件に解放された。
なんだかんだ言って、成瀬と流美は婚姻の挨拶での宴席が楽しかった故、蓮津にもっともてなして貰いたいだけだったと蓮津は知っている。
蓮津が、河原の庵に戻った日の夜、七瀬がやって来た。
「七瀬様、わたくし戻って参りました。あの‥‥‥」
上目遣いで七瀬の顔色を恐々伺う。
「‥‥‥蓮津、もう止めよ‥‥‥」
「‥‥‥え?」
「お前はこれ以上蓮の香を振り撒くのはもう止めるのだ!」
七瀬は蓮津を優しく抱き締めた。
あと3話で終わる予定です。




