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蓮の華の虜

 蓮津は屏風の後ろから出て、流美と成瀬の前にひれ伏した。



「今の舞はまた違う趣で素晴らしい! 蓮津よ。この殺風景な河原でこのような優雅な時を過ごせるとは‥‥‥七瀬、さすがお前の選んだだけはある」


「母上、お褒めいただきありがたき幸せ」


 七瀬が軽く頭を下げる。



「もう一つ、別の趣向の舞を披露しとう所でございましたが‥‥‥」


 蓮津の顔が曇る。


「どうしたのじゃ?」


 成瀬が流美と視線を交わす。


「七瀬様の手助けが必要なのですわ」


 蓮津はニコリと七瀬に微笑みを送る。


「ならば、七瀬よ、蓮津に手を貸してやるがよい。私はもっと蓮津の舞が見たい」


 流美が七瀬に命じる。


「はっ、母上様。蓮津、私に何を手伝えというのだ? まさか私に一緒に踊れと言っているのではあるまいな?」


 眉間にシワを寄せ、蓮津に不審の眼差しを向けた。


「うふふ。まさかでございますわ。わたくし一人で舞いまする」


「では、私は何を?」


「では、最後にかわいらしい子どもの舞をお見せしとうございます。七瀬様、那津様の体をお貸しくださいませ。小柄な那津様の姿でなければこの踊りは滑稽に見えますれば、是非お願いしとうございます」


「‥‥‥何を言い出すかと思えば。そのままでよいではないか」


「このように皆が揃う機会は中々ありませぬ。七瀬様も宝を隠し持っているだけでは意味はありませんわ。減るものでもありませぬ。わたくし、お義父様とお義母様に是非とも愛らしき子どもの踊りをお見せしとうございます」


「何っ!? 何を急にそのようなことを! 蓮津、何を企んでいるっ?」


 七瀬が険しい顔をして蓮津を咎める。


 蓮津は悲しげな顔で義両親に救いを求める視線を送った。



「いいではないか。七瀬はケチくさいことよ! 私はもっと蓮津の舞が見たいぞ。なぁ、流美」


 成瀬は七瀬には、蓮津を目の前でかっさわれた恨みもある。

 今日改めて蓮津に会い、得られなかった無念が益々頭をもたげている。



「ええ、私も蓮津の舞がもっと見たい。七瀬、つべこべ言わず出すがよい」


 流美の冷たき視線が七瀬を刺す。


 最高権力者の流美と武力を誇る成瀬に逆らう事は命取り。七瀬はしぶしぶ那津の不老の体を差し出す。


「では、七瀬様。わたくしをこの体に入れてくださいな」



「愛らしいうぐいすの舞をご覧にいれますわ」



 那津になった蓮津は、先ほどの薄絹を裾を引きずりながら頭上に掲げ、子どものかわいらしい歌声とともに軽やかにちょんちょん跳ねる。


 ミツケも陰ながら協力し、メジロながら、ホーホケキョと合いの手を入れて盛り上げる。


 最後に薄緑の薄絹を、風に舞わせるように走り、鳥の飛び立ちを表現する。



 衣を舞わせながら、


「それでは、わたくしの舞台は終幕ですわ‥‥‥! これにて失礼致します」



 薄絹を更に大きく舞い上げてパアッと広げて放る。


 皆の視線を衣に反らした。


 そこに一羽のうぐいす色の鳥がさえずりながら衣の陰から飛び立ち、窓から飛び去った。


 蓮津とミツケの息はぴったりだ。


 気づけば那津の姿はどこにも無い。



「まあ! 蓮津は小鳥になって飛び立ったのね! なんとしゃれた楽しき趣向だこと!」


 流美はこの演出に大満足のようだ。


「ふふ、私は騙されぬ。またそこの屏風の裏に隠れているのだろう。わかっているよ。蓮津」


 成瀬は無粋にも屏風の後ろを覗きに立ち上がる。


「‥‥‥‥おや?」


 屏風の回りをくるりと一周した成瀬は怪訝な顔で流美と七瀬の顔を見る。



「どこにもいぬぞ! もしや蓮津はウグイスの精霊だったのではあるまいか? 鳥になって飛び立つとは。はっはっは!」


「ほほほ、そういう事にしておきましょうぞ。蓮津はいったいどこに隠れたのやら。美しく、しかも茶目なところもある。ずいぶん面白い嫁だこと。この趣向も蓮津も気に入った。ああ、今夜は楽しい宴でしたわね、あなた」


 流美は機嫌良く席から立ち上がった。


「あ、ああ、七瀬はいい嫁取りだった。はっは、果報者だな。では我々はこれにておいとまするとしよう。流美」



 成瀬と流美が伴の者らと帰った後も、那津の姿のままの蓮津はどこにも無い。


 七瀬は手伝い二人を早々に帰した。



 七瀬がくちびるを噛む。



「くっ、蓮津にしてやられた! 父上と母上を手なずけて自らの味方にさせるとは! 父上は仕方がないが、実の息子を差し置き母上までも!」


 七瀬は(くう)を睨み付ける。



 ──那津の不老の体を私から奪うための見事な策略。



 蓮津の魂は確かに清廉で清らかで一途だった。


 その蓮津の一途は絶対的に那津に向いている。分かってはいたが、これほどまでとは。


 初めて出会った時から、気になることが無きにしもあらずだった。だがその程度のことは、自分ならばどうにでも扱えるだろうと楽観していた。


 深い紫色に染まる小さな塊が美しき水晶の魂の奥深くにあり、その塊が虹色を映す魂を侵食するかのように毛細血管を這わせていた。



 蓮津は、想いを貫くためには裏切りも(やぶさ)かではなかった。


 美しいその姿と仕草で周りを惑わし、美しい涙を流し同情を得て、人を都合良く動かそうとすることなど、七瀬は最初から知っている。


 相手の表情を読み解き、次を展開させる当意即妙。


 哀しいかな蓮津には悪意は無い。


 それが蓮津にとっては正しきことだから。


 だが、蓮津の那津を思う気持ちが七瀬に寄せるものよりも、ここまで強いとは七瀬の誤算だった。



 ──那津のためにこの私を出し抜いた。


 蓮津はただの美しい睡蓮の華ではない。水面下の茎に(とげ)を隠し持つ睡蓮の華。私はそれを手折(たお)った。


 油断すれば棘が私に突き刺さる。


 そしてその華の香りを嗅いだ者はもう美しい蓮の華の虜だ。あの母上までもが‥‥‥



「‥‥‥ふふっ‥‥‥あっはっはっは!」


 七瀬は誰もいない庵の一室で大笑いする。



 ──だが蓮津は知らぬはず。


 私の婚約印でおまえが今どこにいるのか知れることも。結婚印で、今おまえが見ているものが私にも見えることを──



 私が蓮津を逃すことなどありえんのだ!





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