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月夜に想いを

 キザシの驚愕ぶりに、言わぬ方が良かったかと後悔が走ったが、ここまで言ってしまったからにはもう後には引けぬ。


「‥‥‥どうなのじゃ?」



 いつも側にいてくれたキザシが、この瞬間なんだか遠く感じる。


 今まで何も考えずに受け取って来た キザシのその温かき眼差しも、その優しき心も、その親切な行為も、"当然のように与えられるのもの" では無いことを悟った。


 それは "絶対的なもの" ではなく、いつ終わりを告げられたとて不思議ではないものだった。



 キザシと出掛ければ、町の見も知らぬ娘たちがキザシを見てキャイキャイはしゃいだり、キザシに手を小さく振って頬を染めて見ているのを知っている。


 キザシ一人の時はきっと話しかけているに違いなかった。


 那津はそのような娘らを疎ましく感じる。


 こんな気持ちは初めてで、キザシには自分のことだけを気にかけていて欲しいなどと鬱屈した想いを抱いたりする。


 キザシが他の娘に優しくしているなどと考えると、ジリジリと悋気(りんき)が起こる。


 キザシを独り占めにしたい。他の娘に構わないで欲しい。そう願っている自分勝手な自分がいて苦しい。



 那津が自由だとキザシが言うのなら、キザシだって自由だ。だが、それが切ない。


 ならいっそ、ここでキザシに想いを告げて決着をつけなければこの苦悩は続く。


 初めての恋に思い(わずら)い、いつまでもたってもどうしようか決断がつかず、この想いはいっそ運に託そうと思った。



 ──次の満月の夜が晴れて美しい月夜だったのなら、その時は妾は腹を決めるのじゃ。



 運が自分に寄り添ってくれる夜に懸けてみようと決心していた。


 キザシに受け入れられなかったら、申し訳ないが蓮津を頼ればよい。蓮津ならば善きに計らってくれるはずだった。



「‥‥‥それって、俺にずっと側にいて欲しいってこと? これから先もずっと‥‥‥」


「‥‥そっ、そうじゃが無理にとは言わぬ。妾が勝手にそう望んでいるだけのことじゃ。それに、妾たちはどういう訳か知れぬが離縁しておるのじゃろう? それはどちらかに問題があったのじゃろうし‥‥‥」


「‥‥‥‥‥ない」


 キザシがうつ向いて何か呟いた。


「‥‥‥ん?」


 聞き取れず、那津は首を傾げる。


「‥‥‥も‥だ‥‥ない」


 キザシは下を向いたままモゴモゴ独り言を言っている。


「キザシ?‥‥‥どうし──」


 那津が言いかけた時、キザシが急にハッと顔を上げた。



「どっちにも問題なんてあったわけないだろッ!」



 言うと同時に那津をバッと抱き締めた。


「うわっっっ! キザシ?」



 キザシは高ぶりを抑え切れない。


 待ち望んでいた。那津からの想いを告げられる日を。ずっとずっと‥‥‥



 那津の耳許でささやく。



 ──俺、ずっとこの瞬間を待っていたんだ。愛してる、那津。



 那津の瞳からは涙が溢れる。



 もう、覚えていない過去のことなど、どうでもよいと思えた。


 今、目の前にいるキザシが全てなのだから。




 **********




 抱き合う二人の気持ちが収まった頃、キザシは那津を立たせ、その前にひざまずいた。


 まっすぐ那津の目を見上げる。



「‥‥‥那津、俺の婚約印を受け取ってくれ」



「キザシッ!」


 那津はキザシの首に飛び付いた。


「わわわわッ!?」


 キザシはそのまま後ろにひっくり返った。


 仰向けに倒れたままのキザシに、那津は上から馬乗り状態だ。


 キザシはこの状況に甘美な情緒を感じない訳にはいかない。が、腹の上に乗ってる那津の顔はどう見ても険しい。



「なあ、キザシ、名波と仲見世で会った時のことを覚えているかの? あの時キザシは妾に言ったのじゃ! キザシは妾への結婚印を外し、妾は自由だと。ここの世界では自分で結婚相手を選ぶことが出来るから、妾は妾の選んだ好きな相手と結婚出来ると」


「‥‥‥覚えてるけど?」


「妾を愛しているのなら、なぜそんな意地の悪い事を告げるのじゃ!」


 顔を間近に寄せられ、真上から責められた。キザシは気恥ずかしくなり、横を向く。


「それは‥‥‥那津がまた俺を選んでくれることを信じて言ったに決まってんだろ!」


「‥‥‥妾にはキザシ以外を選べと言っているように聞こえたのじゃが」


「えええっ!?」


「よく、思い返してみるのじゃ、キザシ」


 那津に両手で頬を挟まれグイッと顔を正面真上に向けられた。



「‥‥‥俺、あんまよく覚えて無ぇ。もしかして‥‥‥それであの日から俺に冷たくなっていたのかよ?」


「‥‥‥これからは言葉には気をつけるのじゃな」


「くぅっ! 今日までとんだつまんねぇ時間を食っちまったな。よーし、今から取り戻さねーとなっ! 那津‥‥‥で、那津の返事は?」


「では、妾は喜んでキザシの婚約印を受け取るのじゃ」


 那津の今までの憂いは月夜に溶けて消えた。


「ありがとう。妾もキザシが大好きじゃ」


 月明かりに照らされた那津。その姿、キザシに伝説の月の乙女のかぐやを思い起こさせる。




 ‥‥が、ついに色々と我慢の限界が来た。



 ──ダメだ。このままでは俺は‥‥‥



「く、苦しい‥‥‥那津‥‥‥速攻俺の腹から降りろ!」


 キザシが赤い顔のまま呻いた。





 キザシは頭の高い位置でひとつ結びにしている長き髪をほどき、耳の上から白い髪を一つまみ引き出し、細い三つ編みを作ると引き抜いた。


「いてっ!‥‥‥! 痛ってぇなぁ‥‥だがこれをするのはこれで最後の最期だ」


 ひりひりする頭皮をぐりぐり揉んでから髪を元通りに結い上げた。



「羽は明日、明るくなってから生きてる羽から選べ」


「どれでもよいのじゃな? キザシの羽はどれも美しい。迷うのう‥‥‥」


「ふふ、手入れは怠っていねーから。那津、まずはこれを首に」



 那津は長い黒髪を左側に寄せて細い首を見せる。



「俺を選んでくれてありがとう。俺、那津と一緒ならどんな困難も乗り越えられるって思った。那津のその強き心が好きだ」


「‥‥‥妾も、キザシの勇敢を合わせ持った優しさを愛する。この魂有る限りずっと」


 キザシは後ろで繋ぎ霊力を流し入れた。


「よし、上手く繋げた」


「‥‥‥‥‥」


 那津は、黙ったままキザシの左足を見ている。


「キザシ? 妾はキザシにそれを贈った記憶は無い」


「何だよ? 今さら疑ってんのか? これは那津の髪だってば。だから霊力なんてほとんど持ってないぜ?」


「それを妾がどんな気持ちを込めて送ったのか思い出せ無いのは残念なことじゃ‥‥‥」


「俺はこれを貰った時の事は忘れていない。それでいいじゃん」


「‥‥‥‥‥」


「俺の心はこの印を受け取った時から那津に縛られている。これからもずっと。俺がそう望んでいるから」


「キザシ‥‥‥」


「那津、那津が十六になったら、あと二年経ったら、俺たち結婚しような」


「きっとあっという間じゃな」



 那津は頭をキザシの肩にもたれた。




 *********




 明くる日、那津はキザシの羽を授けられた。


 二人だけの婚約の儀式。


 那津の首飾りに黒き一枚の羽根がつけられた。



「よーし、これで俺たちは元通りだ!」


「元通りなのかは妾にはわからんがの」


 しゃらっと那津が笑う。


「大丈夫。俺たち、これから始まるのさ!」


「そうじゃが‥‥‥気になることも多くての」


 那津は胸元の羽の感触を手で確かめつつ、どこかぎこちない。



「どうかしたのか?」


「‥‥‥なあ、キザシ。妾が成仏出来ぬ訳とやらをそろそろ聞いてもよいかのう?」


「‥‥‥それは、もう少し待ってくれ。ごめん」



 今は話せない。


 那津の不老を得た生きた体のことは。まずは取り戻すのが先だ。



 今は七瀬の鰭袋の中だと蓮津から聞いている。



 ──那津は取り戻した。次は七瀬から那津の不老の体を取り戻す!


 だが、あの七瀬が簡単に返すとも思えねぇし。さて、どうやって‥‥‥?



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