二人、物思い
あの仲見世通りの出来事からひと月余り経った。
季節は夏の盛りを迎えている。
崖の中腹の棚の上の巣は、キザシの霊力玉によって拡張し改装されて、半分は庵となった。周りには緑も移植し、涼やかな風が通る 那津にも過ごしやすい家となった。
一緒に過ごしているものの、キザシと那津の間には溝が出来ている。
那津は、必要な時以外はキザシには背を向けているし、キザシが出掛けていない時は、遊びに来た小鳥とお喋りして過ごしている。
二人にとって気詰まりな時間が過ぎていた。
那津はどんどん他人行儀になり キザシを傷つけていたし、キザシも那津には意地になって素っ気なく振る舞う。
どちらもこのままでは‥‥‥と、思っているが、きっかけが掴めないまま、だらだらと日にちだけが過ぎていた。
那津には気になっている事がある。
お喋りなハヤブサの雌から聞いた。
霊界では、愛の印として、雄は霊力を込めた体の一部分を贈る風習があるという。そして、逆もまたしかり。
それを相手が身につけることで、婚約や婚姻となるらしい。
種族によって好まれる部分は様々で、それぞれ呪術が施され、霊力強き者からは、守護や見守りが働く特上の印を贈られることもあり、それは憧れの的だと言う。
以前、キザシも仲見世通りで、『那津へ贈った結婚印の羽根の首飾りをずいぶん前に外した』と、言っていた。
──妾も以前はキザシの印を贈られていたのじゃ‥‥‥
その事実は嬉しくもあり悲しくもある。
キザシは蓮津に雇われて那津の霊界の指南役をしていたわけではなく、元妻が、記憶を無くして難儀となったため、蓮津に頼まれ引き取ったのでは‥‥と、今では推察している。
離縁した理由が分からないから悶々とする。大変な気がかりである。
ひと欠片でも思い出そうとして思考を頭に集中させても、ももやもやするだけで何も思い出せない。
以前、忘れた過去は自分で思い出したいなどと言った手前、今さらキザシに教えてくれなどとは言いにくい。
考えるに、那津自身の失態で離縁になったのなら、キザシがこれほど親身に世話をしてくれる訳はないと思う‥‥が、キザシは優しいから同情を寄せて親切にされているのかとも思う。
──もしやキザシが原因で、ということも? キザシが仕出かした事に怒った妾が離縁を申し渡したのじゃろうか?
あの優しき勇者のキザシに、妾が離縁を突きつけるほどのことがあったとはとても思えんのじゃ。
なぜ、キザシと妾は離縁したのじゃ?
気になるのはキザシの左足首に巻かれている黒髪の印。
キザシは何といっておったかの? 確か、あの黒髪の印に好きで呪われているとか? あれは誰の印じゃ? 妾の髪の可能性はあるのかの?
だとしたら、キザシはまだ妾を好いてくれておるのか?
聞いてはみたいが実際を知ることが怖い。
このままでいいわけは無い。
いつもは積極的で物怖じすることなど無かった那津だったが、この件に関してはためらう気持ちの方が勝っていた。
一人鬱々と思いを巡らす。それは堂々巡り。キザシのことばかり考えて。
キザシもここの所の那津との関係には気が塞いでいた。
このままでは、近々那津がここを出て行く、と言い出すのではと恐れている。
──そんなこと言われたら、俺はどうするんだろう? 想像すらしたくない。
俺は那津が、離縁の理由が知れないことにわだかまっているのを知っている。
だけど那津へ贈った印を外した理由など言える訳がない!
それは七瀬と那津の関係を告げることになる。
七瀬のことを告げてしまえば、那津に忘却の薬を飲ませた意味を全てなくし、さらに俺の記憶まで無くしたという負しか残らないんだ。
恋ではなかった。けど、那津は俺を想って印を外させた。自身を犠牲にして。
俺たちは望んで別れた訳じゃない‥‥‥‥
いっそ全て暴露してしまえば那津は自分に戻って来てくれるのでは、と自棄になりそうにもなったが、決して言うわけにはいかなかった。七瀬の妻に収まった蓮津にだって迷惑をかけてしまうのだから。
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いつしか秋も深まって来た。
相変わらず一緒にはいるが、心がすれ違った暮らしぶりをしている二人。
キザシは大鷲の姿のまま、以前からある巣の部分で過ごす事が多くなり、那津は、隣に繋げて増築された庵部分で過ごすようになっていた。
まん丸の月が美しい夜だった。
「キザシ? まだ起きておるかの?」
那津が庵から出て来てキザシの隣に改まって座った。
「どうした? 那津。眠れないのか?」
「‥‥‥キザシに聞きたい事があるのじゃ。少しいいかの?」
「‥‥‥急になんだよ?」
キザシに、嫌な予感がよぎる。
急遽、人の姿に変化し、那津と向かい合って座る。
──まさか、ここを出て行くとか言い出すなよ?
その夜、那津は決心していた。
「キザシ、妾に教えて欲しいのじゃ。キザシのその左足につけられた黒髪の印のことを。キザシは妾に、その黒髪の印に好きで呪われていると言った」
「‥‥‥‥」
「それは誰の髪なのじゃ? 妾の知らぬ者であろうか? それとも‥‥‥」
那津はとても緊張している。
もし、違っていたらここから出て行く決心をしていた。
「‥‥‥それとも妾のものであろうか?」
「‥‥‥何か思い出したのか?」
キザシの喉がゴクリと鳴った。
「いや、何も。妾はただ‥‥‥」
「ただ?」
「それが妾の印だったらよいのにと思っているだけじゃ。キザシを呪って縛りつけているのが妾だったらよいのにと」
キザシに横顔を見せる那津の顔は熱い。
「‥‥‥えっ?」
那津はバッと正面を向きキザシの視線を捕らえた。
「違っていても構わんのじゃ! さあ、言うのじゃ!」
こんなキザシの顔を那津は初めて見た。
キザシの目は見事に見開かれ、その体は時が止まったの如く固まっていた。




