戸惑いの那津
──あいつ、ホントはありふれた地蜘蛛だったに違いねぇ‥‥‥
あの声。最期は正気に戻ったのかもな。許せ。来世で、また、な。
意図せず怪物になってしまったのであろう地蜘蛛のためにキザシは祈った。
もう、大丈夫だろうとホッとすると、愚痴の一つも出て来る。
「‥‥ったくよう‥‥‥地蜘蛛の野郎。俺、死ぬとこだったじゃん。何でよりによって、那津を連れた今日に限って出てくんだよ? はぁ~っ‥‥‥」
全てが燃え尽きたのを見届けると、キザシは大きく息を吐き出し、後ろを振り返った。
奇しくも、地蜘蛛とキザシの共同作業により突貫工事で出来上がった道の向こうで、胴体が粘着糸でぐるぐる巻のままの那津が突っ立ってこちらを見ている。
よほど恐ろしかったらしく、呆然としているようだ。
「那津!」
キザシは一番小さい風切羽を一本、くちばしで抜いて咥えたまま、人に変化した。
口に咥えた羽根を手に持ち替える。
「刃!」
風切羽は、黒き刃を光らせた一本の合口へと変化した。
「那津! もう大丈夫だ。すぐほどいてやっからな!」
駆け寄って来るキザシを見て、那津の瞳は潤む。
「‥‥‥キザシ‥が‥生きて‥‥る‥‥よかっ‥‥‥」
一歩踏み出し、キザシに歩み寄ろうとした那津の目は焦点が曖昧で、めまいを耐えているかのように足元をふらつかせた。
「解呪!」
キザシは咄嗟に合口を羽根に戻し、結わえた髪に挿す。
那津が気を失い地面に倒れる直前に滑り込み、尻もちをつきつつも那津をしっかりと両腕で抱えた。
「‥‥‥那津?」
頬をぺしぺし軽く叩いてみた。
起きない。
那津はすうすう眠っていた。
張りつめた緊張がほどけて気を失ったようだ。
「‥‥‥那津。怖い思いさせてごめんな。俺、那津がいたから頑張れた。なあ? 起きたら褒めてくれる? それとも俺、怒られたりして‥‥‥?」
キザシは地面に座り込み、抱えた那津の寝顔に話した。
腕の中のその赤く染まった目元と鼻の先。濡れたまつ毛。
全てがいとおしい。
「‥‥‥‥‥」
そのくちびるをそっと奪う。
──愛してる。
しみじみと那津の無事を噛み締めた。
それからキザシは那津を腕に、よいしょと立ち上がった。
地蜘蛛とキザシによって開拓された道を戻る。
泉に戻り、再び風切の黒き刃を発動させ、那津に絡まった粘液の糸を慎重に削ぎ落とす。
「俺の黒炎使ったら糸だけじゃなく那津まで燃えちまうからな。他にいい方法は思いつかねーし‥‥」
やっとで大半の粘着糸を取り除いた。
仕上げに、残った粘着を洗い落とすため、両腕に抱えて泉の清水に浸ける。
浅瀬に座り、膝の上に乗せて髪をすすいでやる。
「う‥‥ん‥‥‥」
水の冷たさに、那津は目を覚ました。
「う‥‥‥ハッ! キザシッ!!」
突然目を覚ました那津は大きく見開いた目で間近にあるキザシの顔を捉えた。
「おっ、気がついたな。よかっ‥‥‥」
キザシが言い終わる前に首にすがり付いて来た。
「キザシが‥‥‥喰われてしまうかと思って‥‥‥ひっく‥‥‥ひっく‥‥」
「ごめんな。怖かったよな」
「‥‥‥無事で良かったのじゃ‥‥‥」
キザシは那津をぎゅっと抱き締めた。濡れた那津の頬に自分の頬を寄せる。
「那津‥‥‥‥」
「ん?‥‥‥‥ぎゃー!」
突然の那津の悲鳴に身を起こす。
「どうした? 那津」
「わっ、わっ、妾は何も纏っていぬではないか!」
「‥‥‥最初から真っ裸で水浴びしてたじゃないか」
「そっ、そうだったかの‥‥‥」
なぜだか那津は急に素肌をさらしていたことが恥ずかしく感じる。
「わっ、妾は自分で洗えるのじゃ! キザシはあっちにいっててよしじゃ!」
急によそよそしく振る舞う那津に戸惑いながら、腕の中の那津を離すと、那津はそのまま水に沈んでキザシから離れて行った。
「なんだ? 急に‥‥‥」
首をかしげながら泉から離れ、日陰の樹に背をもたれてしばしの休憩を取る。
キザシは昨日から食いっぱぐれていて地蜘蛛との闘いでも相当の霊力を消費し、くたくたになっていた。
いつしか、うつらうつらしていた。
ふと、気配に目を開けると着物を着た那津が立っていた。
「待たせたな。キザシ」
目線を合わせず横を見ている。
「疲れただろ? 一旦、巣に戻ろうぜ。那津もあちこち傷だらけだ。俺を追いかけて来るなんて無茶しやがって」
「‥‥‥返って迷惑だったかのう‥‥‥」
しょんぼりうなだれた那津がいじらしい。
「まさか! 俺、那津がいたから頑張れた。いなかったら殺られてたかもな?」
キザシが那津に微笑むと、那津はホッとしたように小さくニコリと微笑んだ。
その那津の表情は、なぜだか初めて見たような気がして、どぎまぎする。
「さあ、帰ろう」
キザシは大鷲に戻った。
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キザシは巣に那津を残し、霊樹の木に向かった。
地面に降り立ってみれば、木の下に落ちた霊樹の実に小さな生き物が集っている。その中には勿論、地蜘蛛もいる。
「お前ら、欲張って一気に食べ過ぎんなよ! 腹がいっぱいになったら終いにしとけ‥‥‥って言っても虫には通じねーか」
キザシは樹のてっぺんに移動する。キザシの翼が起こした風で、熟し切った実が地面に更にぽとぽと落ちた。
「‥‥‥ま、木の上まで手が届かないやつらもいるから丁度良くね? 誰の物でもないし、みんなで分け合えばいい」
キザシが去った後は地上の小動物が競ってここに集まることになる。
そんな訳で、キザシがここに来ることは、密かに歓迎されているが、実際キザシは知る由は無い。
霊樹の実を存分に食べるキザシ。使った霊力は相当で、いくら食べてもいいくらいだった。
存分に腹に納めてから一枝折って咥えると、薬効最の元に向かった。
そこで、霊樹の実一つと交換で那津の傷薬を貰った。残りの実は那津の分だ。
ついでに薬効最に巨大地蜘蛛の話をすると、
『そりゃ良い薬の材料になったかもしれんのにのう‥‥‥燃え尽きてしまったのはまことに残念じゃ。次回は脚の一本も残しておいてくれ。いや、燃えかすも何らかの効能があるかもしれん。持ってきたらワシが買い取ろう!』
などと言われ、この仙人の薬作りオタクぶりにはかなり引いた。
あんな巨大蜘蛛に再び会うなんてまっぴら、冗談じゃない!‥‥‥と、二度目など無き事を祈りつつ、湯治郷を後にした。
家に帰ると、那津はうつらうつらしていたらしく、寝ぼけまなこだったが、霊樹の実を見せると興味深そうに手のひらに乗せて観賞した。
「これが霊樹の実とな? なんと可愛らしき美しい実じゃ!」
キザシは那津が喜ぶであろうことは分かっていた。
「疲れているのであろうに、妾に薬まで。ほんにありがとうなのじゃ‥‥‥」
「さあ、食ってみろよ。那津はきっと気に入るから」
那津は霊樹の実を手のひらに、黙ったままぼんやりとキザシの顔を見ている。
「‥‥‥‥どうした那津? どこか痛いのか?」
「‥‥‥‥‥‥」
「あん? もう、大丈夫だぞ! あそこまでの怪物は早々会うことは無ぇし。俺だってあんなデカイやつ生まれて初めて見たんだぜ?」
「‥‥‥そうではないのじゃ」
那津の目に大粒の涙が浮かんだ。
「どっ、どうしたっ?」
「‥‥‥妾にも訳がわからん‥‥‥」
命懸けで那津だけは守ろうとしてくれたキザシ。
キザシの無償とも言える優しさは、那津の胸に染みた。
初めて感じるこの思いは置き所が分からず、戸惑う。
那津の大きな瞳には、那津の突然の涙にあたふたしているキザシの顔が映っている。




