黒羽の黒炎の呪詛
突然現れた巨大地蜘蛛。
キザシが思うにこれは、この森に一本だけ生えている霊樹の木のせいだと思い当たった。
その木に実るは大地からの贈り物、汎用の霊力を蓄えている霊樹の実。
霊界の生き物が持てる霊力量というのは種族や個体によってまちまちだ。
にもかかわらずその実を食べ過ぎ、遥かに自分の許容以上の過剰の霊力を取り入れてしまうと体は耐えきれず、死ぬ。
そうなる前に余った霊力は自分色の霊力玉にして取り出しておくのが基本だが、下等な生物にはそのような概念は無い。
しかしかなり稀にだが、過剰摂取に見事耐え、肥大化し、生き残る個体もなきにしもあらず。それらは原始の本能に基づいて闊歩するため、厄介な輩として昔から恐れられている。
されどそれは伝説程度の話であり、キザシは、そのような化け物が存在したとしてもまさかこの果てない世界で自分が出会うとは思いもしなかったのだが。
だがこうして、向こう岸に突如現れた巨大な地蜘蛛。
粘着の糸の束で捕らえられたキザシ。
両腕を拘束されたままの那津。
「那津は行けッ! 来んなッ! ぐわっ‥‥‥うううっ」
地蜘蛛に引かれる力に抵抗しながらキザシが叫んだ。
徐々に蜘蛛に引きずられてゆくキザシをどうすることも出来ずに、那津はただ懸命に叫ぶ。
「ぎゃーっ! キザシーッ!!」
このままでは、キザシは森の中に引き込まれてしまうのは確実だった。
そしてその次は即、地蜘蛛の餌食となるのだろう。
那津の頭に、この先の凄惨な展開が次々と浮かんで来ている。
「‥‥‥やめるのじゃ、キザシを放せーーーッ!!」
地蜘蛛は無情にも向きを変え、キザシを引きずり森の中に戻って行く。
「那津っ、川に沿って逃げろ! うぐぐぐッ‥‥‥薬効最のもとへ‥‥‥がぐはッ」
キザシは為す術も無く、遂に泉から引き上げられられた。
極度の混乱に陥り、泣き叫ぶ那津。
「‥‥‥うぐぐぐッ‥‥‥なんてバカ力だ‥‥‥クソ蜘蛛めッ!」
地蜘蛛は、粘着糸で捕らえたキザシを、ずるずると森の奥に引きずり込んで行く。
「キザシを放せ‥‥‥嫌じゃ、おのれ、キザシを放せーッ!」
那津はこの恐ろしき光景の中、このままキザシを見捨てて逃げようなどとは思いもしなかった。
目の前の光景が赤く染まって見えるほど激昂していた。
手は動かせないが足は動く。
水の中を必死で進み、キザシを追う。
助け出せる算段など無きにも関わらず。
それは途中で転び溺れそうになること数回。蜘蛛の粘液と自分の長き髪でぐちゃぐちゃになりながらも後れ馳せながら向こう岸に到着した。
「げほげほっ‥‥はぁ、はぁ‥‥‥両腕が動かせぬとは、なんという難儀じゃ‥‥‥」
地蜘蛛がこちらに向かって来る時に、森の木が倒され開けたが、今度はその倒された木は、引きずられて行くキザシの体で脇に避けられ、険しいながらも道らしきものになっている。
那津は自分でもこのような勇があったと今知ったが、なぜか意外とも思わなかった。
──このまま何もせずにキザシを見殺しにするなど言うに及ばず!!
前方に見える大蜘蛛と引きずられるキザシを追った。
キザシは那津が追って来ているのには気づいてた。
遠くに小さく見えている那津。幾度となく倒れながらもこちらに向かってついて来ている。距離は次第に離れて来ているものの。
──逃げろってったのに。那津‥‥‥
そうさ、初めて会った時もそうだった。無謀にも大猿に啖呵切って喰われそうになってて。弱っちいくせに‥‥‥信念は貫き通すんだ。最後の最期まで。
変わらない。やっぱ那津は那津。俺が好きになった那津のままだ。
今、逃げおおせたとしても、こんな森の奥で一人にされちまったら、那津は無事でいられる訳が無いよな。だって俺の守護印は、まだ渡せていないんだ‥‥‥
だから俺は───
「このまま俺は殺られはしないぜッ‥‥‥だって、だって‥‥俺が殺られたら那津はどうなっちまう!」
那津の為に、このまま屠られるわけにはいかなかった。
それはキザシを滾らせるには十分すぎる理由だった。
キザシは引きずられながらも首を曲げてくちばしで胸の体羽をむしり取り、空中に飛ばした。
「炎っ!」
キザシが羽に命じると、空中に飛んだ5枚の羽は赤黒い五つの火の玉に変化した。
ふわふわ浮かびながら引きずられるキザシについて来ている。
黒羽の呪いの炎が無事生まれたことを確認すると再び命じた。
「縛!」
赤黒い五つの炎はふわふわ飛んで行き、大蜘蛛の胴体にそれぞれ降り立った。
それは、すっと膜となりて全身に拡がり、その体を赤黒い光で包みこんだ。
大蜘蛛はキーキー高音を発しながら八本の足をじたばたさせもがく。
「グハッ! 暴れんなッ、グオエッッッ‥‥‥」
糸の束で繋がったキザシも大きくガクガク揺さぶられる。
地蜘蛛から伝わる激震に耐え、黒羽の黒炎の呪詛に次を命じる。
「業火!」
キザシが一言発すると、大蜘蛛の体表にうっすらと炎が灯る。大蜘蛛の糸を伝ってきた黒き炎がキザシに巻き付いた蜘蛛の糸を溶かすように燃やしてゆく。
就縛を解いたキザシは、最後の仕上げに取りかかる。
「焼尽!」
言霊呈上と同時に、翼で疾風を巻き起こす。
地蜘蛛の体から一気に黒炎が舞い上がった。
悔恨の悲鳴とも取れる、擦れる金属音のような地蜘蛛の声が空を切り裂く。
やがて渦を巻き始めた炎は、辺りの風も誘い込み成長し、更なる上昇気流の渦を巻き始めた。
巻き込まれた木の葉や枝は瞬時にチリとなって消滅してゆく。
それはまさしく地獄の業火。
キザシはゼイゼイ息切れしながら、自らが起こした炎が焼き尽くす様を見つめている。
──あいつ、ホントはありふれた地蜘蛛だったに違いねぇ‥‥‥
あの声。最期は正気に戻ったのかもな。許せ。来世で、また、な。
やがて、黒炎は勢力を失い、鎮火した。
大蜘蛛は 束の間、炭素化したまま何とか形を保っていた。が、耐えきれず一気に崩れ落ちた。
それはやがて風に吹かれ、少しずつ地面を舞う塵となってゆく。
‥‥‥さわさわさわ‥‥‥ざざざっ‥‥‥
そよ風が葉を揺らす音がする。
何事も無かったの如く、森には元の閑静が戻っていた。
しかし、この焼け焦げた異様な臭気と苦悶の霊気は、この闘いの残滓として漂うのだった。




