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戻らぬ思い出

 昨年、キザシが黄金の鯉の技、金糸切りを仕掛けられ、瀕死の重傷を負ったばかりだというのに、金鯉族の七瀬の使いでキザシが薬を取りに来るなど、訝しくは思ってはいたが、こちらから事情を聞くことなどしてはいない。


 客に秘密があろうとも、薬効最に深掘りなどする気など全く無い。


 探られたくないのはお互い様、ということで。


 薬効最には、薬作りにおける禁忌は無かった。闇の薬作りも厭わない。


 薬効最としては、『薬の素となる物質』と『呪文における言霊の作用』と『種別による霊力』の 複合がおりなす様を研究することが一番大切なことなのだから。




 キザシの話を聞いた薬効最仙人が言った。


「うーむ‥‥‥それは那津が霊界に来てからの出来事はすべて七瀬に関わっておったせいじゃろう。関連事項も全て記憶の奥に沈められたと考えられるのう」


「ええっ、そんなこと聞いてねーよ!」


「説明書きの裏にしかと書いておいたぞ? 消したい設定した事に関連性の強い事柄も消える恐れがあると」


「裏っ? 知らねーし見てねぇ‥‥‥」


「考えても見ろ。話によれば那津の霊界での記憶は七瀬から始まっておるのだろう? 故におまえさんと那津の出来事は、全てに七瀬が繋がっておるんじゃないのかのう?」


「ううう‥‥‥確かに。全部あいつに絡んでる。七瀬無しには那津と俺のことは何も語れねぇ。‥‥‥なぁ、元に戻す薬は何かないのかよ? 代金はさ、高くても少しずつ返すからよぉ。頼む!」


「バカいうな! あんなヤバい記憶を操作する秘薬を続けて使うなど、あり得んわ!」


 キザシの目の前が一気に暗くなった。



「‥‥‥時間が経てば自然に思い出すってこと、あんのかな?」


「さて、う~ん‥‥‥隠されただけで消え去った訳ではないからのう‥‥‥何とも言えぬが、この我、薬効最の秘薬だからなぁ、完璧な出来映えじゃろうし、ほぼないじゃろうな」


「くっそ! やっと七瀬から取り戻したってのに!」



 キザシは、売台を拳でバンッと叩いてイライラをぶつけた。



「落ち着くのじゃ。店を壊さんでくれよ、キザシ」


「‥‥‥ゴメン、じーさん」



 キザシは、頭を抱えて売台に突っ伏した。



 かつては薬効最は、七瀬に対し、人間用の不老の秘薬と、今回の人霊用の忘却の秘薬を売っている。


 薬効最は、キザシの相談により、七瀬が不老薬を那津という姫に使ったことを知った。


 おぼろげながら、薬効最に概要の想像がついて来た。



 薬効最は霊界で暮らす生きた人であるが、人間の域は遥かに越える仙人だった。


 かつては恋に落ちたことも何度かあり、年は取ったとて、その辺の機敏は心得ているつもりだ。



 自分が作った薬が関係していることもあるし、キザシの想いもなんとかしてやりたいが、立て続けに那津という女に秘薬を投薬することは危険過ぎる。



 キザシの背中を撫でながら薬効最は諭した。


「話を聞けば、おまえさんと那津は知り合ってからはともかく、ともに過ごしたのは実質数日間での出来事じゃろう? そんな数日の期間の事を忘れたとて困ることもあるまい」


 キザシは、売台に突っ伏したまま横を向き口を尖らせる。


「何言ってんだよ! 俺たち結婚したんだぜ? 那津はそれを忘れちまったんだぞ!」


「なら、今日からまた始めればよいでないか。今日から又共に過ごすのじゃろ? ならまたお前に惚れさせればよい。一度出来たのなら又出来るはずじゃ。 楽しみが増えたじゃないか!」


「なんだよ! 俺たちの愛おしい思い出を那津がペロッと忘れちまったんだぞ! なんとかなんねぇのかよぉ?」


「‥‥‥何かのきっかけで思い出すこともあるかもしれんが‥‥‥それもこれから新たに作ればよいではないか」


 キザシが寄りかかった売台からやっと上身を起こした。


「ったく、役にたたねぇ仙人だぜ! いくら金儲けだっておかしな薬つくんじゃねぇよ!」


 憎々しげにキザシが言った。



「なんだと? おまえはそのおかしな薬を使ったくせによく言うわ。まったく‥‥‥」


 薬効最仙人は大きなため息をついた。


「‥‥‥‥‥」


 キザシは痛いところを突かれてうなだれしょんぼりとなった。


 やはりキザシは薬効最にとって、憎めないかわいい存在だった。



「くっくっく‥‥‥」


「‥‥‥笑い事じゃない‥‥‥」


 うなだれたまま、上目遣いで薬効最を睨む。


「おまえさんはいい男じゃ」


「何だよ? おだてたって俺は怒ってんだからなっ!」


 顔を赤くして、薬効最に怒鳴る。


「‥‥‥いつまでも起こってしまったことを恨んでも変わりゃせん。どうだ、これからは暇を見つけて那津と二人で思い出の場所巡りでもしたらどうだろうの?」


「‥‥‥うん、それ、いいかもな」


「いつでも相談に来い、キザシよ」


「‥‥‥ありがとよ。薬効最。俺、怒鳴ってゴメン‥‥‥俺、行くわ」




 キザシは、薬草園まで行って指笛を三回鳴らした。



 奥の薬樹園の方から那津の声が遠く響いて来る。


「キザシ~! こっちじゃ~! 早くこーい!」



「今行く!」


 キザシは声が聞こえた方へ走った。


「妾を助けるのじゃ~! こいつらに追われてしもうて」


「それで木に登ったのか? そんなに上の方まで」



 那津はなぜか見事な月桂樹の大木の上にいる。


 那津の登った木の下には那津の金の草履が転がり、幹の回りには、七羽の鶏が幹の回りをうろついている。


 立派な真っ赤なトサカとたくましい脚、鋭い爪。その脚の後ろ側には大きな上向きに湾曲した蹴爪(けづめ)がある。これで攻撃されたら皮膚は大きく裂かれることだろう。


 鶏の存在は知っていたが、もし那津が出会ったとしても那津なら大丈夫だろうと踏んで、キザシは先に、特に注意を与えてはいなかった。



「ん? 那津、鶏より速いんじゃ無かったっけ?」


「うぬぅ。鶏より速いから逃げられたのじゃ! あの見たこともない筋骨隆々の脚で飛びかかられたらたまらんのじゃ! なあ? これは鶏と言えるのかの? 妾の知っている鶏とは一味違うのじゃ」


「ああ、こいつら薬効最の店の闘鶏の身張り番だ。おい、散れ! 鶏ども! こいつは荒らしじゃねーよ! しっし」


 コケッ? コッコッコ‥‥‥


 鶏はキザシに追いたてられ、素直にトコトコ四方に散ってゆく。



「那津、今行く。じっとしてろ」




 キザシは数歩の助走をつけて跳躍し、一番下の枝を掴んだ。そこから脚を絡めて枝に立つと、あっという間に那津の元まで登って行った。


 木の幹にすがって座る那津をひょいと跨いで向こう側の隣に座った。


 葉の隙間から見える向こうは、夕日が微かに空を染め始めている。



 那津と霊樹の木に登り、実がついた枝を手折(たお)ったあの日のことを思い出す。



「よくこんなとこまで登れたな? 手は大丈夫か?」


「平気じゃ。火事場の馬鹿力じゃ! さっさか登れたのじゃ。いきなり追いかけられての。 あのくちばしにつつかれたら痛そうだし妾は必死じゃ! 後からここから見下ろして、あの太くて鋭い蹴爪に気がついてのう‥‥‥青ざめたわ。あははっ」


 語る那津の豊かな表情は、あの時と全く変わらない。


「なあ、那津は木に登ったことあんのか?」


 ほんの少しだけ、期待を込めて聞いてみた。


「妾は姫じゃ。あるわけないのじゃ。だが、ずっと木登りはしてみたいと思っておったのじゃ! 今日は思わず望みが叶ったのう‥‥‥」


「‥‥‥そうか。よかったな? 那津」



 那津の純朴な笑顔に、キザシは意識して作った笑みを向ける。



 こんなに切ない夕日を見たのは初めてだった。








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