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那津の目覚め

 七瀬は眠る那津の口の中に、金色に鈍く光る小さな霊力玉を含ませた。


 七瀬が呪文を唱えると、金色のさざ波が、那津の頭から爪先まで何回も走り抜けた。



「今、目覚めよ! 清瀬川の姫、那津」


 七瀬の声に反応し、那津の体がピクリと動いた。



「じき目覚める。那津は私の呪文により現世の楽しき夢を見ていたであろう。那津は眠っている間、幸せに過ごせていたはずだ」


「まあ! そうでしたの? 七瀬様は、非情なのにお優しいのですわ」


「‥‥‥ふっ、面白き事を言う姫だな。この私に向かって」



 七瀬を貶しつつ褒める蓮津の言葉に、七瀬とキザシはチロリと視線を交わす。



「‥‥‥あんたら、案外お似合いかもな」


 ──これくらいの女じゃなきゃこの七瀬とはやってけないのかもな。



 キザシの言葉を受けて、蓮津はうつ向いて はにかんだ笑みを浮かべた。


 その肩を七瀬が片手で抱いた。



 キザシは、起きそうで起きない那津に()れた。


「おい、那津。起きろっ!」


 那津を膝に抱いて揺さぶる。


「‥‥‥う‥‥‥ん‥‥‥」


 那津のまつ毛がわずかに動いた。



「那津! 目を覚ませよっ!」


 キザシが那津の頬をふにふにとつまんだ。



「う‥‥ん‥‥うん?」


 突然、ぱちっと那津の目が開いた。


「ん?‥‥‥」


 大きな瞳が右、左と確かめるように動いてから真上のキザシを捉えた。


「那津っ!」


 キザシは感激し、那津に頬を寄せ、ぎゅっと抱きしめる。



「ああ、那津様!」


 蓮津が覆い被さるように、キザシごと那津を抱きしめた。



「‥‥く‥‥苦しいのじゃ、蓮津!」


「あ、ごめんあそばせ! 那津様」



 キザシと蓮津は那津から体を放す。


 那津を膝に乗せ、抱き抱えたキザシの前に、蓮津はきちんと裾を正し座り直した。


「那津様‥‥‥ずっとお会いしとうございました‥‥‥」


 蓮津は那津に(みやび)やかにひれ伏した。



 ある日、何の前触れさえ無きまま井戸に消えてしまった那津。

 蓮津の想いはひときわ胸に迫るものであった。


 身を起こすと、キザシに抱えられている那津の手を取った。


 その目には嬉し涙が光っている。



「蓮津? 何を言っておるのじゃ? 妾とはしょっちゅう会っているではないか? 大袈裟じゃのう。それで‥‥‥ここはどこじゃ? それに妾を抱えておるそなた、なぜ妾を膝に乗せておるのじゃ。妾はお子様ではないのだぞ?」


「那津? 何言ってんだ?」


 那津から『そなた』と呼ばれ、キザシは、面食らう。



「‥‥‥よくわからん男よのう? そなたは初めて見る顔じゃ。この家の者か? まあいい、蓮津、城に帰るぞ。菊乃はどこじゃ?」


「那津様?」


 蓮津は那津の様子に困惑した。



「お(けい)はどうした? 早く呼べ。妾は忙しいのじゃ」


「え?‥‥‥那津様? まさか‥‥‥」



 蓮津とキザシの目が合った。


 悪き予感が押し寄せ、蓮津はグラリとめまいを感じる。


 キザシの胸には、にわかに黒い霧がかかり始める。



「那津、それって現世でのことなんだろ? たぶんまだ寝ぼけて混乱してるだけだ」


 蓮津とキザシは目線を交わす。



「おまえたちが何を言っておるか妾にはわからん」


 那津が訝しげにキザシを見た。それは到底、印を交わし合った者に向ける瞳では無かった。


「‥‥‥那津、死んだ事も、ここでの事も、全部忘れちまったのか? 俺のことも?」


 キザシは小さく震えながら那津の目を覗き込む。那津の顔が滲んで行く。



「死んだ? 誰が亡くなったのじゃ?」


 那津が気遣わしげに蓮津に問う。



 キザシは、カッとして叫んだ。


「‥‥‥七瀬! お前か! さっき那津におかしな術を!」


「‥‥‥私は誓って何もしてはいない。なればお前の投薬の仕方がまずかったのではないのか?」


 七瀬も当惑の様子だ。


 キザシは、七瀬の戸惑いは本物だと感じた。



「おい、那津ッ! どうしちまったんだッ! なぜ俺の事まで忘れちまうんだ! くそっ!」


 どこにもぶつけようのない怒りがキザシの体にみなぎり、震えとなって現れる。



 那津は事情がわからずきょとんとしたままだ。


「とにかく手を放せ蓮津よ。なぜ泣く? 男。そなたも妾を放せ」



 那津は、よいしょとキザシの膝から立ち上がった。



「妾の草履はどこじゃ? 見当たらぬが」


「これを使え」


 七瀬が霊力玉で咄嗟に草履を作り、三和土たたきにおいた。


「おお、これはなんと美しい金色の草履じゃ。新しくしつらえてくれたのじゃな。礼を言う」


 那津は草履をきゅっと履くと庵の戸口を開けた。



 庵から出るとそこは賽の河原である。


「‥‥‥ここはどこじゃ?」


 那津が振り返って3人を見回した。



「那津様‥‥‥」


 蓮津は駆け寄り、那津の体を抱きしめた。そして、少し屈んで顔を同じ高さにつき合わせ、目をしっかり見ながら伝えた。


「那津様。聞いてくださいませ。わたくしたちはもう死んでしまったのです。わたくしも那津様も。‥‥‥わたくしたちは幽霊なのですわ。ここはあの世。賽の河原なのです」


「‥‥‥それは面白き話じゃが。そうではなく、真面目に話すのじゃ」


 那津は信じてはいない。


「わたくしは真面目にお話しておりますわ」


「戯れはもうよい。どうしたのじゃ? 蓮津」



 こうなったら、那津が霊界に落ちるきっかけとなった出来事を投げ掛けてみた。



「‥‥‥那津様は、わたくしのために黄金の鯉のいる井戸に飛び込まれたのでしょう?」


「あん? 少し前にそんなこともあったな。菊乃が慌てて井戸に飛び込み妾を助けてくれたのじゃ。あの時は、ほんに世話をかけてしもうて」


 もはや那津の前世の記憶までも夢に侵食されていた。


 蓮津は、すがる目線で七瀬を振り返る。


「‥‥‥前世の続きの夢を自分で描いて眠っていたのだ。霊界に来てからの全てを忘れてしまうとは私とて予想外のこと」


「ああああー!!」


 キザシが苛ついて頭をガガッと掻きむしった。


「‥‥‥嘘だろ?‥‥‥冗談だって言ってくれよ。俺のこと忘れちまうなんて! 俺らが出会った日の事も、印を俺にくれたことも、霊樹の実で俺を助けてくれたことも‥‥‥」


 キザシが取り乱す姿を目の前にして、那津はどうしたものか対処に戸惑っている。


「おまえたちは何をそんなに深刻な顔で話しているのじゃ? そなたら、大丈夫かの?」


 蓮津は、知りたくはない重要なことを恐る恐る確認した。


「‥‥‥那津様? このキザシ様のことを‥‥本当に忘れてしまわれたのですの?」



 キザシという男がイラつく姿と、今まで見たことがない蓮津の苦痛に満ちた涙は、自分が原因らしいと那津は気づく。


 ならばこの者らの言い分も聞かねばなるまい。



「‥‥‥わからん。ならば何がどうなって妾は死んだと言うのじゃ? 本当にここは死後の世界だというのか?」



 那津は蓮津の涙を自分の袖でちょんちょんと拭く。



 七瀬が、ふらつく蓮津の肩を抱いて支えてからキザシを見た。


「大鷲よ‥‥‥このような時こそおまえが冷静でいろ。悲観に陥っていても どうにもならぬ。今は那津も混乱しているのだろう。時間が経てば思い出すこともあるのではないか?」


「無理なこと言ってんなよッ! クソッ!」



 蓮津は、自分が仕向けて飲ませた薬のせいで那津がこのような事態になったことに打ちのめされていた。


 キザシにも顔向け出来ぬほど申し訳無く思う。


 泣いていても仕方がなかった。今、出来る最善を導き出し、尽くすべきだった。



「あの、キザシ様、今すぐ那津様をその薬効最というお方の元に連れて行かれてはいかがでしょう? お代は私のこのヨロズ袋の中の物を全て使ってくださってかまいませんわ」


 蓮津が、帯の間から小さな錦の巾着袋を出し、キザシに差し出した。


「‥‥‥悪い。俺、取り乱しちまって。ありがとな、蓮津。これはしまっておけ。前世の思い出の品なんだろ?」


「‥‥‥ごめんなさい。わたくしが、お薬を勧めたばかりに‥‥‥」


 蓮津の頬にまた涙がこぼれ始めた。


 蓮津の心遣いに、キザシの心はなだめられ落ち着きを取り戻して来た。


「ちげーよ! 飲ませるって決めたのは俺だ。だから俺が何とかする」


「キザシ様‥‥‥」


「じゃ、俺、那津を今すぐ連れてくわ! 落ち着いたら信書羽送るから」


「お願いしますわ。助けが必要な時はいつでも言ってくださいませ。わたくしにとっては那津様は何物にも代えがたい宝なのです」



 それからはキザシは那津に対して以前のままに振る舞った。


「那津、帰るぞ!」


 キザシは無理矢理作った笑顔で那津を呼んだ。


「ん? そうか、籠がやっと来たのじゃな。蓮津、城へ帰るぞ!」


 やはり何も分かっていなかった那津に、蓮津は何とか作った微笑みを向けた。


「那津様。わたくしはここにて所用が残っておりますの。このキザシ様とお先にお帰りになっていて下さいな」


「そうか。あいわかったのじゃ。では、行こうぞ、キザシとやら。籠はどこじゃ?」



 キザシと那津は賽の河原に出た。



 庵の入口では、七瀬に肩を抱かれた蓮津が、新たな試練を迎えし二人を祈りを込めて見つめていた。




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