看破
「キザシ様、わたくし運命なのですわ。七瀬様に婚約印と結婚印を頂いたのは」
「‥‥‥蓮津、あんた本当にいいのか?」
懸念がありありと現れたキザシと、頬を染めた蓮津。
「実は無理矢理なんじゃないのか? なあ、俺には正直に言っていいんだぜ?」
「いえ、結果的には違いますから」
「それって、那津の身代わりに‥‥‥!」
「ですから、そうではなくなりましたの」
あの時、蓮津は七瀬に目的を持って身を投げ出したのは間違いない。
でもその時の蓮津の気持ちはそれだけではなかった。
七瀬の心の断片を感じとり、同情し、この方を癒して差し上げたいと思う気持ちもあった。
七瀬にそこの部分を否定されてすべてが計略であるかのごとく言われ、蓮津は傷ついた。それはまさしく自分が七瀬に恋をしたからだと悟った。
そして先ほどの、見目麗しい七瀬の熱烈な言葉とともに求愛を受けた事実が、蓮津の乙女心に魔法をかけてしまった。
今は索のことも、遠い過去の出来事に変わってしまっている。
「おい、大鷲。お前は那津に私のことを忘れさせたいのか?」
七瀬が顎を上げて高飛車に下目でキザシを見た。
「そりゃ、あんたとの関わりなんて消えて無くなったらどんなにいいか知れねーよ! だけど、勝手に那津にそんなことすんのは許されることじゃない」
「ですが‥‥‥那津様が忘れた方が幸せだとキザシ様が思われるのなら飲ませてもいいのでは?」
蓮津としてはこの薬の存在は消してしまいたい。しかも誰かの役に立って無くなるのなら申し分無い。
多分、七瀬もキザシを死の直前まで追いやったことを考えれば、那津に忘れられた方が都合が良いと思っているのではと思う。
その証拠に蓮津の提案には全く反対はしていない。
「は? 俺がどうするか決めんのか?」
「そうですわ。だってキザシ様は那津様の選ばれた殿方ですもの」
「‥‥‥まあ、そうだけど」
チロリと七瀬を見て嘲笑いを浮かべる。
「キザシ様! こんな機会は二度とありませぬ。那津様のお幸せの為にどうか決心なさって!」
蓮津は眠る那津の髪を撫でながら、切迫感を醸しつつキザシを振り返る。
「‥‥‥蓮津。俺は‥‥‥勝手だけど、那津には俺のために七瀬のことを忘れて欲しいと本当は思ってる。那津がこいつに感じてる恩義から解放してやりたい。だけど‥‥‥」
それでもまだ迷うキザシに蓮津はだめ押しをした。
「那津様は本当に優しいお方なのです。側室の姫であるわたくしのことを好いて下さいました。あげく、わたくしのために無茶をして短い生涯を終えられたのですわ。今度は那津様が幸せになる番なのです。キザシ様、那津様を幸せにして差し上げてくださいませ。これは那津の姉からのお願いでもありますの」
キザシの右手を取り、両手で握りながら蓮津が切々と訴えた。
「‥‥‥蓮津がそう言うんなら‥‥‥那津にも許して貰えんのかな‥‥‥」
間近過ぎる蓮津にうろたえるキザシ。
そこに七瀬がキザシに薬の入った小瓶を差し出した。
「ではこの薬を大鷲に。この間の詫びだ」
「‥‥‥‥‥」
キザシは、七瀬の言葉をどう受けとれば良いのかわからずに無言で受け取った。
「これは人間の霊専用に作られた薬。飲ませる前と後、霊力を込め私の名を唱え、この紙に書いてある呪文を耳の中に流せ。終わったら私が目覚めさせよう。これが指示書だ」
「‥‥‥だけどさ、寝ている那津にどうやって飲ませりゃいいんだよ?」
「人の霊の薬は我らには効かぬ。口移しで良かろう」
「お、俺が?」
「ふっ、私にやって欲しいのか?」
「なっ! 俺がやる。お前らあっちに行ってろ!」
***********
七瀬と蓮津は庵の外に席を外していない。
キザシは床にあぐらをかいて那津の前に座る。すやすやと眠る那津を見つめている。
──俺、本当に那津の記憶を奪ってしまっていいのか? ああは言っちまったけど、俺はまだ迷ってる。
それに‥‥‥この薬を口移しでって。ホントにそんなんで寝てる人にちゃんと飲ませられんのか? 七瀬の野郎、さらっと言いやがって! まるで‥‥‥まるで‥‥?
──やったことがあるみたいに。
あったとしたら、
‥‥‥いつ?
ふと、キザシのこれまでの疑問が、収まる所を探してスッーと動き出した。
普通の奴等には手が届かない薬効最仙人の高価な薬。
その中には老化を止める秘薬があるという噂がある。
あいつがずっと鰭袋に入れていた那津の体。
鰭袋で眠らされていた那津の魂。
那津が七瀬に飲み込まれてから気がつくまでひと月。
七瀬は那津の体と魂をわざと引き離した?
生き返らせないために。
あいつはまだ生きていた那津の魂を死人のそれに変えた?
成仏させぬよう体には霊力を注ぎ生かしながら。
その時だ。
眠る那津に不老の秘薬を飲ませたんだ!
那津の魂を霊界に留めるために。生きた体を持つことで成仏させず、手元に留めるために。
それはまさに七瀬が作り上げた那津。
──それを俺が奪った?
それで七瀬は怒り、俺を金糸で殺ろうとした?
そうだったのか?
そしてこの『忘却の秘薬』
俺なんかでは絶対手が届かない高価な薬。
今日、これを俺に渡す時、薬効最仙人が言った。
『これを作るのに半年も要してがっつり苦労したわい。なれば十分気をつけて運ぶのだぞ! おまえには買えぬ高価な薬じゃぞ!』
これは人間の霊専用の忘却の秘薬。那津に使うように半年前に注文されていた。
誰を忘れさせるため?
俺だ! 那津に俺を忘れさせるため。
だが、気が変わった。なぜ?‥‥‥蓮津が現れた。那津の姉、見た者を魅了する美しい蓮津。
七瀬は乗り換えた。乗り換えさせられた? 蓮津に。
本当は那津はここにいるはずでは無かったんだ! 本来は、まだ生きていたか、もう成仏していたか。
なんて事だ‥‥‥
七瀬と結婚させられていたことなど忘れさせた方がいいだろう。
こんなことが那津に知れたら、七瀬のせいで失ったものの大きさにどんなに苦しむか知れねぇ。
あいつのことは全て忘れさせよう。関わんな。
那津、勝手に記憶を変えてしまうこと、許せ!
キザシの迷いは消えた。
那津の耳元で七瀬を忘れる呪文を霊力とともに唱え、耳に吹き込んで暗示を与える。
──でもさ、眠ってんのに暗示が通じるのか? 夢ん中で聞いてんのかな?
ま、薬効最の薬なら、なんにしても効き目抜群のはずだよな。スッゲー高いらしいし。
──那津、俺たちこれからは、誰にも邪魔されずに幸せに暮らそうな。
キザシは那津の頬にそっと指を這わす。
那津の首の下に片腕を回した。くちびるが開き、可愛らしい前歯が覗いている。
キザシは薬の栓を噛んでガッと抜き取り床に落とすと、一気に口に含んだ。
屈み込み、那津の口の中に何回かに分けてゆっくりと流し込んだ。
キザシがくちびるを放すと、那津の口の端から黒い液体の筋が一筋垂れていた。
指で拭い取り、手の甲で自分の口をスッと拭いた。
もう一度那津に呪文を通さなければならない。
キザシは指示書通りに事を済ませた。
那津の体には何の変化も無いように見えた。
──ちゃんと七瀬の記憶が消えていればいいけど‥‥‥
起きてみねーとわかんねーな。
でも、でも、これで後は那津が目覚めたら俺たちは‥‥‥!
キザシは逸る心で大声を出す。
「よっしゃ、七瀬。終わったぜ! 早く那津を起こせ!」




