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七瀬の決断

『七瀬様は那津様を解放するべきですわ。那津様がいれば七瀬様の苦悩は増し、それが続くのですもの‥‥‥』



 私をその袖で優しく包み込む蓮津。耳に柔らかな温かい吐息を感じる。


 私の胸は切なく、だがなぜか心地良い。



 悩ましいことだ‥‥‥


 蓮津は、那津を解放するべきだと私に言う。那津をこの鯉の里に留め置くことが私の不幸になると。


 しようとしていることは、私が消したあの緋鯉の女のしたことと同じではないか。


 なのになぜだ? 私は怒りもなければ、まして断罪に処そうなどとは全く思わない。



 乙女の可憐さを持って私を惑わすこの女。

 私の心を、いとも簡単に見透かすこの女。



 私はどうすればいい?


 私の心を真に救えるのは蓮津、おまえなのだろうか?


 那津には無かった大人びた聡明さを感じる。



 蓮津が私を解き放し、対面にかしこまって座った。



「七瀬様‥‥那津様のことはどうか忘れてくださいな。そして‥‥かわりにわたくしを側室にお迎えくださいませ。わたくしの心はとうに決まっているのですわ」


 平伏しながら、ずいぶんと大胆なことを言うものよ。


 那津を私から引き離すため言っているのだろうか? きっとそうなのだろう。


 だが、それでもよいかもしれぬ。乗せられてみるのも悪くはない。


 この、清らかで、まるで睡蓮の花そのままの美しさを持つ蓮津を手に入れられるのなら妥当な取引だ。


 那津のように3年待つ必要も無い。


 この興味深き姫は、是非とも私の側に置きたい。父上に蓮津は過ぎるだろう。



「わたくし、七瀬様のお顔を見れば、その抱える孤独の深さに気づかないわけにはまいりませんわ。七瀬様を癒せるのは那津様ではありません‥‥‥わたくしなのです」


 美しい姫から、このように迫られて断れるわけが無い。


 目の前でかしこまる蓮津に手を伸ばす。


「‥‥‥来い」


 自分から私を誘っておいて、平伏したまま顔を上げようとしない。


 床についた指は、見るからに震えている。


 

 だが、この夜が明けぬ内に私は実質とも蓮津を手に入れなければ、父上の側近らによって(ひるがえ)されてしまうだろう。



「‥‥‥那津の‥‥‥私の印を外す。これでよいか?」


 蓮津はゆっくりと頭を上げる。



「七瀬様‥‥‥ありがとう存じます‥‥‥」


 蓮津は、一瞬目を合わせたがすぐに反らして床を見た。


「‥‥‥私が怖いのか?」


「‥‥‥いえ、そのようなことは‥‥‥」


 口とは裏腹に、その瞳は怯えを(あらわ)に、落ち着きを無くしている。



 ふふ、弁は立つが、それ以外ではうぶな娘であったようだ。


 あの触るのも穢らわしい下餞にまみれた緋鯉の女と比べるとは、私はおかしなことを。



「なればこちらに───」




 ***********




 私はこの嵐の夜に、那津を手放す決心をした。


 思いがけぬ代替えを手に入れたから。



 外の闇がわずかに薄らいで来たようだ。


「‥‥‥蓮津、私は一時川に戻る。父 成瀬が来る前にまた来る。穏便に済ませるから安心しろ」


「は、はい。七瀬様」



 私の腕の中の蓮津は背を向けたまま答えた。蓮津は私と目を合わそうとしない。


 

 恥じらっているのか? それともこの私に不満があるとでも?


 いや、こうなった事を後悔しているのだ。



 私は無愛想な蓮津に少しばかり当てつけがましいことを言った。


「気が変わったのならそれでもよい。今夜のことは父上には黙っていればよいだけのこと。そのかわり那津は渡さないが」


「いっ、いえ! 私はそのようなこと望んではおりませんわ!」


 不意にくるりとこちらを向いて焦る蓮津の様子に、私は満足を覚える。


 心の底では私を愛してはいない蓮津を恨んでいるのだろうか。


 

 私は確かに聞いた。


 蓮津が最中に、私のことを『さく』、と 無意識の中で呼んだことを。


 私は嫉妬している? この私が‥‥‥?



「‥‥‥‥許せん」


「きゃっ、七瀬様!?」


 

 思い出し、蓮津のことが憎くなり、私は、今一度その身を思いのまま奪う。


 おまえは私の心を満たす存在に変わらねばならない。

 



 身も心も、完全に私のものにならねばならない。


 そのためには───



 私には考えがある。




 *************




「約束を果たそう」


 私は寝床から起き上がり、深き眠りについた那津を鰭袋から出し、蓮津の隣に横たえた。


 そして私の呪を通し、眠ったままの那津の手の甲から婚約印と結婚印を外した。



「これで私と那津はもう夫婦では無い。まあ、もともと夫婦らしきこともしたことはないが」


「那津様‥‥‥」


 蓮津はいとおしそうに那津の頬を撫でた。


 愛しき『さく』、とやらを差し置き、妹のためにその身を私に委ねるとは、麗しき姉妹愛を見せつけてくれたものよ。



「まだ解放は出来ぬ。順序がある。しばし待たれよ」


「はい、分かっております。那津様の印を外して下さったこと、感謝いたしますわ」



 私は今一度、那津を鰭袋にしまう。



「蓮津、私と婚約だ。左手を」


「‥‥はい、七瀬様」


 蓮津は衣で胸元を隠しながら細く白い腕を私に差し出した。


 その手を受け、甲に私の鱗を与える。


「そして今すぐ結婚印もだ。右手を出せ」


「‥‥は、はい。七瀬様」


 蓮津の右手の甲に、もう一枚の鱗を授けた。



 私は蓮津の乱れた髪を撫で、口づけし、庵を後にした。




 父上に奪われる前に、私の目論見通り事は運んだ。父 成瀬はどんな顔をするのか? 楽しきことよ。くくっ‥‥‥



 ここまではほぼ、私の術計通りに進んでいる‥‥‥

 

 




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