権謀術数
私は蓮津が寝静まったであろう深夜になってから再び庵を訪ねた。
蓮津は座ったまま私が来るのを待っていたのだろうが、そのまま倒れるように寝てしまっていた。
その無防備な可愛いらしい寝顔に見入ってしまう。
これが那津であったならと隣で横になりながら眺めていた。
雨風が激い。風がガタガタ板を鳴らすごとに蓮津は一抹、眉をしかめている。
風が一段と大きな音を立てた時、蓮津が目を覚ました。
私の顔を見た時の蓮津の慌てようは、いとおしいとしか言いいようが無い。
『何者ですッ!! ぶっ、無礼者は出て行きなさいっ。わ、わたくしに指一本触ることは許しません』
『きっ、聞こえぬのか? おっ、お前が出てゆかぬのならば、わっ、わっ、わたくしが出て行きますゆえ、そ、そこから動かないで下さいませっ!』
目覚めたら見知らぬ男が目の前にいたら、それは恐ろしかろう。
相当に狼狽させてから私は名乗りを上げた。
目論見通り、周章狼狽し、蓮津の取り澄ました部分は剥がれ落ちたようだ。
取り繕うことも忘れて私の言葉に反応する。
鰭袋のことも知っていたし、那津がそこに入っていることにさえ新たな驚きは無い。
どうやって繋がったのか知らぬが、やはりこの女、キザシにあれこれ言い含められてここまで来たに違いない。
私は、那津を眠らせて薬が出来上がるのを待っていることを伝えた。
心を乱している蓮津は注意力も無くなっている。
私は一言も那津が病気などとは言ってはいないが、病 にかかっていると思い込んだ。
那津のことは真に心にかけている様子。
私の父上に取り入ったせいで自身に災難が降りかかろうとしているのも知らず、そしてこの私を惹きつけてしまったことも知らず、人の心配とは‥‥‥
那津に会うために私の鰭袋に入る事を承諾した。
私は蓮津の肩を抱く。緊張した蓮津はまるで置物のようだ。
自らこの私に身を預けようと企む男慣れした下品な輩とは違う所も好ましい。
さて、蓮津はどの様な魂を持っているのか?
那津のように真の肉体が無いので気を通して事情まで深くは探れぬが、その魂の体を鰭袋に入れれば、ある程度の色は見えよう。
蓮津の魂は‥‥‥まさしく蓮の花のようだ。清楚にて一途。清廉にて麗美。春の日差し暖かさと時に自らには秋霜の厳しさを持っている。那津とはまた違う美しき魂!
哀しみも感じる。深く蒼き穴となって。
そして‥‥‥これは? 若き娘に、なぜか感じる老獪。
──誰にでも黒き部分はあるものだ。気にする事でもないだろう。
私は蓮津を手に入れなければならなくなった。
父、成瀬より先に。明日の朝までに。
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『蓮津、聞こえるか?』
私は鰭袋の中の蓮津に呼び掛けた。
『は、はい。七瀬様。あの庵と同じ部屋に‥‥‥那津様が二人おりますわ。二人ともすやすや眠っておりますが、ですが‥‥‥』
『?』
『一人はわたくしの知っているままの那津様ですが、もう一人はそれよりも確実に成長なさっておりますわ‥‥‥』
『蓮津、おまえは本当は知っているのであろう? なぜ那津が二人いるのかを。那津の霊体も肉体もここにいれば安全だ』
『‥‥‥そ、それは』
『隠しても意味は無い』
『‥‥‥‥‥』
『本音で話せばよい』
『‥‥‥那津様は‥‥‥どこがお悪いのでしょうか?』
『心だ。悪き者に触れてしまったゆえに』
『心? どういうことですの?』
『大鷲のキザシだ。知っているのであろう? 蓮津はどう聞いて来たのか知らぬが、どうせ私を貶める噂を信じてここまで来たのだろう。那津を連れ出すために』
『えっ!』
──さて、ここからが私の今夜の目的。
『所で、蓮津、このままではお前は朝になったら成瀬の側室にされてしまうぞ? いいのか? ここで七瀬に逆らえるものなどほぼ皆無』
──母上以外は。その母上の許しも出ているおまえは、もう籠の鳥。
『ええっ! ど、どういうことですの! わ、わたくしさっき少し出会ったばかりの方ですのにまさか‥‥‥七瀬様の嘘です。そんなことありえませんわ』
『おまえの生前のことは那津から聞いている。舞いを披露していた時に一方的に見初められ、見も知らぬ男の側室になると決まっていたのだろう? 同じことだ』
『‥‥‥そんな‥‥‥死してまで同じことが起きるなんて‥‥‥』
『私の察するところでは、おまえは、我が父 成瀬に一時しのぎの助けを得るため、愛想を振り撒いた、というところだろうか? 自業自得では?』
私は蓮津を鰭袋から出した。
私は私に寄りかかり横座りしている蓮津の肩を抱く。
そんなことは気にする余裕を無くした蓮津は狼狽えたままだ。鰭袋から出されたことすらどうでもいいくらいに。
「あ、あの‥‥那津様の心がお悪いとは? キザシ様にわたくしが騙されているかのように言われ、その上わたくしが側室などとは?‥‥‥わたくしは何がなんだか‥‥‥」
「まず、人のことよりも取り急ぎ自分の身を案じるのが先だろう。もう夜が空けたら決まってしまう」
「そ、そんな。わたくしどうしたらいいのでしょう? 外が嵐とて、わたくし、とりあえずこの結界から出ますわ」
「蓮津は那津を連れ出しに来たのだろう? 一人で逃げ出すのか? このまま逃げ出せば蓮津は二度とこの鯉の里には来れまい。那津にも二度と会えなくなるというのに」
蓮津は私の言葉に逃げ出す事には躊躇している。
もう、おまえは私の手の中同然。何を信じれば良いのかあやふやになったことだろう。
私が正しいのか、それともキザシをそのまま信じていればよいのか。
「‥‥‥見透かされていた?‥‥‥初めから?‥‥‥わたくしは何のために‥‥‥?」
蓮津は力が抜けてしまったように私に寄りかかっている。
心折れた今こそ、蓮津に希望を与えてやらねばならない。
「成瀬の側室になるのを回避する良い方法がひとつだけある」
私は、蓮津の頬を両手で挟み、こちらに向けた。
その瞳は絶望の涙を流しながら一縷の希望を探っている。
「それはどうすれば? どうか、早く教えてくださいまし‥‥‥」
「私の鱗をお前の左手につけるのだ」
私の言葉が腑に落ちず、落胆したようだ。
「‥‥‥そのようなお呪いごときで成瀬様の側室にならずに済むのですの?」
「それは私の婚約印。お前は成瀬ではなく私の女になるのだ」
「そ、そんな‥‥! それは那津様と同じものなのですの? わたくしはそのようなことのためにここに来たのでは‥‥‥」
──決断すべき時に急かすのは常套手段過ぎるが。
「夜が明けるまでに決められなければお前は成瀬のものになる。そうなったらもう誰も、もうどうにも出来まい。さあ、どうするのだ? 蓮津」




