代替なりえる者
時間は少し戻って、七瀬目線にて。
もう昼下がりも過ぎた時刻だった。突然父の成瀬から呼び出しの使いが来た。
もう、父上とはかれこれ半年以上は会ってはいない。
『七瀬様。至急なれど成瀬様からの呼び出しでございます。那津様も共にとのことでございます』
父上に従順な使者は、私をそのまま父上の元まで連れて行くつもりらしかったが、『余りに唐突なことで、支度もありますれば後ほど必ず伺う』と、言付けて帰らせた。
突然思いついたように呼び出しをされたら、こちらは大変な迷惑であることが、あの方には わからないのだろうか?
だからと言って私も誰も父に逆らうことは決してない。なぜならあの男は我々一族の表上の重要な位置にいるからだ。
父上は、優しき善良な男にて鯉族最強の霊力を誇る。
ゆえに周りからの信任暑く衆望を得ているし、過去の武勇伝において名声も集めている。
この怪力乱神の世界、妖怪変化が蔓延る霊界において、周囲の尊敬を集める父上がいればこそ我ら一族は統率されているのだ。
しかし‥‥‥
あの男は物事を深く考えることはしない。裏を読む事などまずない。現実の上部をそのまま受けとめるだけ。面倒なことは全て母上に丸投げしている。ゆえに母上には頭が上がらない。
お人好しで単純で武勇の優れた心優しき男だが、機嫌を損ねると面倒くさい男。それが黄金の鯉の成瀬。
それは、策略家の母の流美にとっては大変都合がよい。
裏にて全て取り計らっているのは母上と兄たち。
彼らは良き組み合わせにて、大変巧くやっている。
私は用が無い限り、彼らにはなるべく近付かぬようにしているが、直で呼び出された以上、行かねばならない。
私を那津と共に突然呼び出すなど、どういう風の吹きまわしだろう? 見当がつかない。
──ここは少し探ってみた方がいいだろう。
父上と母上が住まう清水が流れ込む洞窟。
入口の真鯉の門番はいつものように無言で私を通す。
そのままそっとすすんで様子を探る。
奥から、ぼそぼそ話し声が聞こえてくる。父上と母上だ。
そっと聞き耳を立てていた私は驚いてしまった。
──父が側室を持ちたいと母に相談しているではないか! かれこれ三百年近く母といるらしいが、そのようなことを言い出したのは初めてのことらしい。
いったい誰を? まさか私を呼び出すとは、私から那津を奪おうという気では?
私は耳をそばだてる。所々聞こえぬゆえ、やきもき苛立つ。
結局、母の流美は、その女なら子も為せぬゆえいいだろう、と許可した。
‥‥‥だとしたら、相手は不老の体を持つ那津ではない。
それも当然だ。いくらなんでも那津と父上では釣り合わぬ。母上も許す筈もない。
私はあの大鷲の一件以来、疑心暗鬼に取りつかれている。
それにしても‥‥‥今さらどんな気の迷いを起こしたのだろうか?
側室話が私に関係ないのなら、父上は何の用で私を呼び出したのだ?
私は素知らぬ顔で、二人の前に顔を出した。
「父上、久しぶりでございます。ご機嫌うるわしく。急な呼び立て、驚いておりますが」
「おお、七瀬、よく来た。恙無くやっておるか? 私は、おまえと那津とは、ずいぶんと会っておらなかった。おや、那津はどうしたのだ?」
「‥‥‥はい、申し訳ありませぬ。実は‥‥‥私が結婚印を授けてから、那津の具合が思わしくなく、大事をとって今は眠りにつかせております。薬効最仙人の薬が手に入るまで眠らせてあるのです」
「おお‥‥そうだったのか。それはそれは。お前も結婚した早々に辛いことよ。私に出来る事があればなんなりと言うがよい」
「痛みいります。父上」
「‥‥‥でな、私がお前を呼び出したのはその那津のことだったのだ。私は先程那津の姉の蓮津という娘の霊を畔の庵に連れて置いた。那津に会うため死人の道へは行かずに、こちらへはるばるたった一人で探しに来たのだ! お前は今から庵にいる蓮津を訪ね、那津のことを説明してやるがよい。折角の機会、那津が寝ている姿だけでも見舞わせてやったらどうだ?」
──那津の姉。あの黄金の鯉の鱗を欲したという娘か。姉も若くして亡くなったとは不幸が続いたものよ。
しかし‥‥‥死人の道からここまで娘一人で来られる訳は無い。一体どうやって? 誰を頼ってここまで来れた?
誰に那津がここにいることを聞いたのだ? ここに那津がいるとを知っている者は、ほんの僅か。
‥‥‥答えはいとも容易に分かるではないか。
きっと、姉の蓮津は大鷲のキザシ側に取り込まれている可能性が高い‥‥‥
──ならば。
「はい、承知いたしました。用意出来次第、すぐに参る所存」
「頼んだぞ。私は明日の朝また訪ねるゆえ、今夜の面倒はあの庵で見てやってくれ。蓮津が難儀せぬようにな。どうか丁重にもてなしてくれ」
「はい、お任せください。父上」
──大鷲キザシ。
ここの所 キザシの信書羽は来ていなかったが‥‥‥
あれでまだ生きていたとは驚いた。しかもまだ諦めてはいないらしい。
未だ私から那津を奪おうと画策しているとは。
河原に出ると小雨が降っていた。この空気の湿り気があれば今夜一晩中陸にいても問題ない。
那津の姉は、私が留守の時に那津が住まう畔の庵にいるらしい。私は心地よい雨の中、庵に向かった。
半開きの窓から中の様子を伺った。
美しい萌葱色の薄絹の着物を纏った女の姿が見えた。
落ち着かぬ様子で、立ったり座ったりを繰り返している。風が戸を叩く音に、ビクリとこちらを振り向いた。
私はそのまま構わず見ていたが、向こうは私に気づかない。
──なんと、見目麗しい姫君だ! 数年経てば、不老の体の那津もあのような美しい姫になるのだろう。あの年頃にしか無い清楚な色香が漂っている。
そうであったか!
私の疑問は蓮津を見たらすぐに解けてしまった。
父上 成瀬と母上 流美の、先程の会話が思い出された。
父上は蓮津を我がものにしたいのだ。明日の朝ここに来ると言っていたその時に側室話を持ちかけるに違いない。
成瀬が望めば周りの誰もが望みを叶えて差し上げようとすることだろう。
最早このままでは、蓮津は成瀬の手の内からは逃げられまい‥‥‥
──そうなる前に、私は今夜確かめねばなるまい。
私は那津の美しき魂を我が体の中に留めているが、それだけで満足出来るわけもない。那津と話し、ともに過ごせないのだから。だが心がキザシに寄ってしまった那津を今、解放するわけにはいかない。
薬効最仙人のあの薬が完成するまで。だが、それはいつになるかわからない。何ヵ月、何年、何十年?
だが今、我が魂を慰め癒す存在になり得る新たな者が目の前にいる。蓮津の魂も美しきものなのか? 私は急いで確かめねばなるまい。今夜中に。
そのためには‥‥‥多少の謀計も必要。
体裁も、虚飾も、思惑も取り去った 素の蓮津姫を見定めるために。
そのためには、いささか私の来訪は待って貰わねばならん。
私は一旦引き返した。




