蓮津、鯉の里へ
キザシと蓮津は仲見世通りの茶屋にいた。
二人の目的は一致している。キザシにとってはこの半年と二月に及ぶ袋小路から抜け出せる突破口となるのは間違いはなかった。
だからと言って、霊界に来たばかりの、たった16才の人間の霊である蓮津を危険に晒していいものか迷う。
──とりあえず話し合うしかないだろう。
店先の緋毛氈の敷かれた床几に、横に並んで座った蓮津の横顔を眺めながら、キザシの心は定まらない。
「キザシ様、七瀬様という男はどういうお方なんですの?」
蓮津は斜めに座り直し、隣のキザシの方に顔を向けた。
「ああ、外見はすげぇ整った奴だ。すました野郎さ。普段は那津には親切だったらしい。騙し討ちみたく自分と結婚させたくらいだから那津が相当お気に入りなんだろうな。那津のことになると容赦ねぇな。俺ももう少しで肉片にされるところだったしな。那津が不老の体を持ちながら死者の魂になっちまった経緯だって、あいつにしか分かんねぇし」
「なぜ、七瀬様はそこまで那津様にこだわるのでしょう?」
「さあな。那津の体が成長したら蓮津みたいに麗しくなるって思ってとどめているのかもな」
どの角度から見ても可憐な姿の蓮津を見ながら思ったことを口にする。
蓮津への褒め言葉にもなるが、反応は無い。慣れていて何も思わないようだった。
「‥‥‥実際に七瀬様に会えばわかりましょう。わたくし鯉の気持ちなら顔を見ればわかりましてよ。たぶん‥‥七瀬様という方は、那津様の心根の素晴らしさを見抜いていらしたのではないかしら?」
「‥‥‥鯉の気持ち? 蓮津はよくわかんねぇ女だな。それに俺はまだ、蓮津を鯉の里まで連れてゆくなんて一言も言ってねぇぞ?」
「‥‥‥那津様は必ずやお助けします。この身にかえても」
真顔になった蓮津のその瞳には、ただならぬ決心が見て取れた。
「っ、何で俺が連れてく前提なんだよ? ったく‥‥‥姫様は強引だな。なんだかんだとさっきの名波って侍も蓮津に言いようにあしらわれてたし‥‥‥」
「‥‥ま? キザシ様は口がお悪いこと」
蓮津はつんと向こうを向いたが、全ての感覚に優れたキザシには、刹那、蓮津の広角がわずかに嗤ったのがわかった。
──これは‥‥‥
美しい姿を纏う、純真無垢なお姫様って訳じゃなさそうだ。
ふいに、やさくれた二人組の男が並んで座っていた蓮津とキザシに絡んで来た。
「おう、見ろよ! こんなガキには勿体ない女だ。こんなべっぴんさん見たことねぇぞ! ねえさん、こっちへ来なよ」
男が蓮津の腕を掴もうとした。
「無礼者ッ!」
蓮津はキッと睨めつけ、男の手を振り払う。
「こんなガキといたって楽しめないぜ? ねえさん。クックッ‥‥」
「俺たちと来いや」
「‥‥‥やめとけよ」
キザシは座ったまま、ならず者たちを斜めに見上げる。
「お子様は引っ込んでな!」
キザシは、蓮津の肩に手をかけようとした男の足をガッと踏みつけた。
「痛ってぇー! なにしやがるっ、このイキったクソガキがっ!!」
キザシは、座ったまま床几に後ろ手をついて余裕を見せ、男たちを斜め上に見上げる。
「いいのかな? 俺、今は人の姿してっけど。‥‥‥初めましてだな。俺は大鷲のキザシ。‥‥お前らのその鼻の形と臭い。人形取っててもまる分かる。天狗の眷属してる天狗猿だろ? なぁ、噂で聞いてるよな? 古代樹の大猿3兄弟、どうなったか、思い出したほうがいいぜ?」
「はっ?! こいつが?‥‥‥まさかこのガキがあのキザシってのか? 嗤わせ‥‥‥」
「‥‥あっ! 待てっ、この髪の色は! こ、こいつに関わるなっ! 手荒なイカレ野郎だ。行くぞ」
片方の男と目があった途端、男は連れの腕を掴み、くるりと向きを変えた。
大股でふてぶてしく歩き、途中から突如走って去ってゆく彼らの後ろ姿を通りの向こうに見送ってから、蓮津がキザシに振り返った。
「まあ! さすが那津様の殿ですわ。頼もしゅうございますこと! わたくし、感服いたしましたわ」
蓮津が頬を染め、キラキラした瞳でキザシの左手を両手で取る。
「ん、まあ、那津は見る目があるからな‥‥‥ふっ。俺の相手になるヤツなんて こんなヤワなやつらが集まる都にはいねーって」
蓮津が、鯉の里行きたさに キザシをおだてているのは分かっているのだが、蓮津の顔を見ると、どうにも乗せられてしまう。
目の前にいる同じ年頃の可憐な女を意識して、どうにも照れてしまう。那津の姉だというのに。
蓮津はキザシと目が合うとハッとして、恥ずかしげにそっと握った手を解放した。
──那津に出会ってなかったら蓮津に惚れていたかもしんねぇ‥‥‥ヤベー。
二人の間を微妙な空気が流れる。
「‥‥う、ううんっ。あー、ところで蓮津。蓮津は本当に一人で行く気なのか? 俺は結界は通れないんだぜ? 手前までしか行けねぇんだ」
「‥‥‥わたくしを‥‥運んで下さるのですね? キザシ様」
蓮津が遠慮がちにキザシをチラリと窺った。
「それは‥‥‥」
いい淀むキザシに、蓮津はあくまでも自らの前提を壊しはしていなかった。
「ええ、七瀬様がそれほど那津様にご執心なら、姉のわたくしに金糸はかけられないでしょう。キザシ様は遠くから見守っていてくださいまし。わたくし必ずや那津様を取り戻してみせますわ」
──俺が止めたところでこの姫様の意志が変わることはなさそうだ。俺が断りゃ他に頼むだけだろう‥‥‥ならば。
「‥‥‥俺に出来ることがあったらなんでも言え。その蓮津の全財産のヨロズ袋は自分で持っていろ。何があるかわからない。役に立つかもしれないからな。それに那津のことに関し俺に報酬は要らない」
「キザシ様‥‥‥」
キザシは、うっすら涙目になった蓮津から目を反らした。
──なんだかわかんないけど、蓮津には惑わされるよな‥‥‥
キザシは指笛をピーッ、ピーッ、ピーッ‥‥と吹いた。
通りの向こう側の屋根から、一羽の小鳥が飛んで来てキザシの頭にとまった。
自分の指にとまらせてから、蓮津に紹介した。
「コイツ、霊鳥メジロのミツケってんだ。会うの二回目だったな? 蓮津のヨロズ袋に入れておけ。結界を越えたら出してくれ。こいつの伝言は なかなかだ」
「うふふ、ミツケさんのお陰でキザシ様にお会い出来ました。ありがとうございます。それにしても、この子、なんてかわいらしいのかしら!」
「聞いたか? キザシ。オレ、かわいいぴぴぴぴー!」
「るっせーな。‥‥蓮津、ヨロズ袋出せ。ミツケには、夕べの内に事情は伝えてあるし、今の話も聞いてた。全て知ってから。ほらよっ」
キザシはミツケをわし掴みにして、蓮津に差し出した。
「キザシ、乱暴ぴっ! 蓮津、助けてぴ!」
「はいはい、おいでなさい。うふっ、かわいい小鳥さん。よろしくね」
蓮津はミツケをそっと指に乗せ、くちばしに軽く口づけしてからヨロズ袋に入れ、懐にしまった。
一拍置いてから、さっと立ち上がった。
「さあ! キザシ様。今すぐわたくしを鯉の里へ連れていって下さいな」
──これでやっと那津様に近づける。待っていてくださいまし、那津様!
七瀬様から必ずや解放して差し上げますわ。
那津様の髪で出来た印を持つキザシ様をわたくしは信じます。キザシ様に奇遇に出会えたのも天の思し召しとしか思えませんもの。
この先を思い、蓮津の手は緊張に震えたが、おくびにも出さず隠している。
──今はこの蓮津の力に頼るしかない。俺では七瀬に近づく事が出来ない。
やっと那津を取り返す希望が見え始めた。
とりあえず蓮津はミツケに頼むしかない。ヨロズ袋に入っちまえば霊力は半分は隠せる。袋から半分霊力が漏れたとしてもミツケなら結界は超えられるはず。
キザシは蓮津とミツケを連れ、鯉の結界に向けて飛び立った。
キザシは結界の少し手前で降り立った。蓮津を降ろした後、辺りの気配をよく確認したあと、気は進まなかったが人に変化した。
七瀬にやられた時の苦すぎる体験を思い出す。
「俺は結界の外側からお前たちを見てる。人間の霊の蓮津では見えないだろうけど、もう少し進むと結界の壁があるんだ。日によって多少大きくなったり小さくなったりするからどことは言えないけど、近づくと風が強く感じる事が多い。ミツケなら分かるけど、結界内に入って落ち着くまで出すな。行き止まったらそこから大きな声で呼べば、見張り、もしくは近くにいる誰かが様子を見に来るはずだ」
「‥‥‥わかりました。ここまでありがとう存じます。あの‥‥キザシ様? わたくし、あなた様に何かあったら那津様に言い訳出来ません。どうかこのまま帰ってくださいませ。金糸にかかったら今度は命がないかもしれませんわ。わたくしがミツケさんの伝言を必ず送ります」
「‥‥‥外側遠くから見ているだけだ。俺のことは気にすんな。それと、危なくなったらすぐに結界から出ろ。俺だって蓮津になんかあったら那津に言い訳出来ねぇじゃん。出るのに障壁は関係無いから」
「‥‥‥わかりましたわ。では、キザシ様も十分お気をつけてくださいな。わたくしにはミツケさんがいますもの。大丈夫ですわ」
「‥‥‥無理すんなよ?」
「はい。わたくし、必ずや那津様を自由にして差し上げますわ」
蓮津はキザシの左足首の那津の印をチラリと見た。
「さあ、キザシ様は早くここから離れて下さいまし。今ここにこうしてキザシ様といるのはわたくしにとっても危ういことですわ。誰に見られているやも知れませんもの」
「わかった。緊急以外でも信書羽は出来れば日に二回、毎日寄越せ」
蓮津が無言で頷くのを見て、キザシは踵を返した。
蓮津は、雲行き怪しくなって来た空へ高く飛んで行くキザシを見上げる。
──キザシ様は那津様の大事なお方ですもの‥‥‥これ以上危険にさらすわけにはいかないのですわ。
大丈夫、落ち着いて。
全てはわたくしの所作にかかっている。今からは表情、動作、使うべき言葉、全ての立ち振舞いに間違いは命取り。
わたくしなら出来る。幼き頃からの母上からの厳しき教えがありますもの。
わたくしの企み通りに男の心を動かすくらい、どうにでもなるはず。
那津様を捕らえている七瀬様とは、一体どのような恐ろしきお方なのでしょう‥‥‥
嗚呼、わたくし、本当は怖い‥‥‥
索‥‥‥助けて‥‥‥本当は会いたい‥‥‥ごめんなさい‥‥‥
仕方がないの。索がいては、これからわたくしがすることには足手まとい。
蓮津は前に足を進めながら、見知らぬ場所へ踏み込む不安に、じわじわ飲み込まれて来た。
──いえ、弱気になっては最初から負けです。とまってはだめ!
那津様、もうじき蓮津がお迎えにあがりますわ。
『感じるぴ。もうすごく近くに結界があるぴ』
ミツケの囁きが聞こえた。
「ありがとう。ミツケさん」
そっとヨロズ袋が入っている胸元を撫でた。
ミツケの存在に励まされた蓮津はそこで立ち止まり、通る声で呼び掛けた。
「ごめんくださいませ。どなたかおりませぬか?」




