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那津の一興

 蓮津は清瀬川家の姫の一人としての役割は十分心得ていた。

 

 側室に入ったおりには蓮津の美貌で殿の心を掴み、陰から操る影響力を持たねばならない。

 

 その方法については、幼少の頃から母親であるお蘭から、子どもには生臭すぎるであろうことまで、手取り足取り伝授され仕込まれていた。

 

 お蘭は、自分の美しさをそのまま受け継いだ蓮津には、それほどまでに期待をかけていた。

 美しきゆえに玉の輿に乗り、皆に羨まれて来た自分よりも更に上にのぼ り詰めることを蓮津には望んでいた。

 

 その為、蓮津の教育には並々ならぬ力の入れようだった。

 

 手習いに、舞踊、和歌の嗜み、古文に漢詩などの教養はもちろんのこと、普段の人前での所作、厄介な人のかわし方とあしらい方、人心掌握術。特には、殿方と接する場合の振る舞い、会話術、寝所の作法などまでも。

 

 

 そのような教育を受けて来た蓮津は、最早ただの美しき娘ではなかった。

 

 

 お忍びでの出会いにより、なんの駆け引きも無く素のままで接していられた索は、蓮津にとってかけがえの無き心の拠り所で、唯一無二の存在であり、索を失う痛みに耐えられるのか、蓮津自身でさえも不明瞭だった。

 

 

 ーーーわたくしは自分の役目を果たさなくてはいけないの。この城のために。この町で暮らすあのたくさんの者らの生活を守るために‥‥‥

 

 わがままは許されない。わたくしはこの城の姫なのだから‥‥‥

 

 

 町で生き生きと暮らす人々を実際に見て来た蓮津。

 

 領民を、領土を守るため、自分の嫁ぎ先は自分ではどうにもならないことはわかってはいるのだが、心の中は索のことでいっぱいだった。気がつくと索のことばかりを考えていた。

 

 

 ーーー索はわたくしの縁談が決まったことはもう知っているのかしら‥‥‥?

 

 

 この縁談が持ち上がってからは蓮津のお付きの者が増やされ、もはや隠れて索と会うことは不可能となっていた。

 

 文すら届かず、また渡すことも叶わなかった。

 

 

 

 

わらわ はつまらんぞ! なぜそんな湿気たつら をしておるのじゃ!」

 

 

 蓮津は、ぼんやりしていてはっとした。那津の部屋に呼ばれ相手をしている最中だった。

 

 

「受けよ、とりゃっー!」 

 

 

 いきなりのことで蓮津は目を丸くした。

 

 那津姫が、一段上の上座から紙つぶてを一掴ひとつか み、ぼわっと投げつけたのだ。

 

 

 どうやら着物のたもと に、たくさん用意してあったらしい。

 那津のいたずらは日替わりで何が来るかわからない。

 

 

「まあ、那津様ったら! 節分はとっくに過ぎましてよ?」

 

 蓮津は膝の上に乗っかった紙つぶてをひとつ手にして開いてみた。

 

 紙に墨の染みが見えたので、那津のことだから、きっと何かがあると思ったのだ。

 

 

「ふふふ、那津様ったら‥‥‥。今度はこんな遊びを思いついたのですね」

 

 

 広げた紙には『豆菓子九つ』、と書かれている。

 

 これは那津姫の好物で、南京豆という舶来の豆入りのかき餅の菓子だった。

 

 那津を喜ばせるために下女中しもじょちゅう らにより考案された菓子の一つだった。

 

 

「‥‥‥あら、那津様はわたくしに菓子を九つ下さるの?」

 

「大当たりじゃ! でかしたぞ、蓮津! 後ほど蓮津の部屋に届けさせようぞ。では特別じゃ、もうひとつ開くがよい」

 

 

 那津はたぶん、最近元気がない蓮津を楽しませようとして考えたに違いなかった。 

 

 蓮津はそんな那津の思惑にすぐに気がついた。

 

 

 蓮津は、那津姫のこんなところがいと おしくてたまらないのだ。

 

 このような企てをされたら蓮津とて、乗って見せるしかあるまい。

 


「楽しき遊びを思いつかれましたのね。では遠慮無く。えっと‥‥う~ん、わたくし どれにいたしましょうぞ‥‥‥」

 

「ふっふっふ‥‥‥とんでもなく外れもあるからのう‥‥‥。慎重に選ぶがよい」

 

「まあ! 恐ろしいこと! どんなことなのかしら」

 

「‥‥‥知らぬ方がよいな」

 

 那津がニヤリと嗤う。

 

 

 周りの腰元たちがクスクス笑っている。

 

 蓮津は楽しげにどれにしようか迷った挙げ句、一つ手にした。

 

 それを見た那津姫は部屋にいる女どもに向かってぐるりと閉じたままの扇子の先を回した。

 

 

「よーし、ここにいる全員一個引くのじゃー!」

 


「きゃー! わたくしたちもですの?」

 

 皆が楽しげにはしゃぎ出した。

 

 

 ーーー那津様の回りはいつも明るい。那津様には皆を幸せにする不思議な力がおありなのです。

 

 蓮津は那津と接しているといつもそう思う。

 

 那津は相当に賢き姫だったが、することはかなり がさつな娘で、母の腹の中に男の一物を忘れて来たのでは‥‥‥と揶揄される始末だった。跡継ぎと認められぬ女であることを大層惜しまれ、なれど城の者らは皆、この那津姫を心底愛していた。

 

 蓮津は側室の姫であり、正妻の姫の那津には一歩下がって接していたが、そこには那津の生まれ持つ 上に立つ者としての資質への尊敬も含まれていた。

 

   

 

 蓮津は手にした紙つぶてを広げた。

 

「那津様、今度は『鯉に撒き餌』、と出ましたわ」

 

 

「ほおー、そうか。ではさっそく池に行くとしよう!」 

 

 

 那津は着物の裾も気にせず、片膝を見せてがっ と立ち上がった。

 

 

 

 

 供数人を引き連れ、庭に出た二人は池の鯉を眺めた。

  

 

 

 錦鯉は蓮津に索を思い起こさせる。

 

 想いは無意識のまま、やはり会えない索へと向かう。

 

 

「‥‥‥色々な模様の鯉がいますわね、色も皆それぞれ違って、美しいこと‥‥那津様の一番心引かれる鯉はどれかしら?」

 

「うーん、みな優雅で美しいが‥‥‥妾は、あの金の鯉が好みじゃ」

 

 

 那津は全体が薄い金色がかった太った鯉を指差した。

 

 

「‥‥‥きっと本当の黄金の鯉はもっと見事な小判色なのでしょうね‥‥‥黄金の鯉のうろこ がほんの1枚あれば、わたくしの願いも‥‥‥」

 

 

 蓮津は千蒔から聞いた地元の伝承を思いだし、つい口走った。


 

「何じゃ、それは?」

 

 那津は、またもや浮かぬ顔になった蓮津の横顔をじっと見た。

 

「いえ‥‥何でもありませぬ。それより、鯉が餌を待っております。ほら、見てくださいませ。みんなお腹がすいた顔をしておりますわ」

 

「あの顔のどこを見ればわかるのじゃ? いつも変わらんではないか。妾には鯉の喜怒哀楽はさっぱりじゃ。そんなことがわかるとは蓮津はおもしろいのう」

 

 那津が少し餌を撒くと鯉が一斉にこちら目がけて集まって来た。


 

「あれまあ本当に全員腹が減っておるのか? おまえら今まですまして優雅に泳いでおったのに‥‥‥ほんにわからんやつらじゃ」

 

 

 那津はきゃっきゃと笑って楽しそうに餌を撒いた。蓮津はそんな那津とも、もうすぐ離ればなれになるのかと思うと胸の中がぎゅっとした。

 

 

 

 ───これが、蓮津が、生きている那津と会った最期となった。

 

 

 それから七日後、那津は井戸の中に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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