別れ道
───わたくしを鯉の結界まで連れて行って欲しいのです。わたくし、その那津様を拐ったという七瀬様の所に行って、その鰭袋の中を調べて来ますわ。
蓮津のキザシへの頼み事に、索が声を荒げた。
「だめだ! 蓮津。そのような危険な所に! しかも、私にひとりで先に死者の道へ進めなどと言われても行けるわけないだろう!」
索が、蓮津の横に躙り寄り、その端正な顔には怒りを滲ませている。
今朝早くに蓮津の決心を打ち明けられてから、なんとしても翻意させようと先程からずっと説得していたのだった。
「いいえ、索。わたくしが自分の事ばかり考え、索に心を残していたがため 那津様はお亡くなりになったのです。その那津様を今度はわたくしが何に代えてもお救いしなければならないのは当然のこと」
蓮津は索をまっすぐに見据えて凛と背筋を伸ばしている。
「真に悲しいことですが、索とはここでお別れですわ。‥‥‥でも‥‥索のこと‥‥わたくし、ずっと心の中で思い続けております」
蓮津はその黒目がちな瞳に うっすら涙を浮かべ、索の手を取る。
「わかって‥‥‥索」
索は愛しい蓮津の手を強く握り返した。
「‥‥‥だから、某も共に行くと言っているでないか!」
「‥‥‥いいえ、わたくしが索のことを諦め、心を強く持ち、落花生城の姫として全ては運命と受け入れ、大高見澤家に輿入れする気概があったのならば那津様はお亡くなりになることも無く、今頃は現世にて殿様を助け、家臣や民に慕われ過ごしていたのです。那津様が井戸で亡くなられた理由を知った今、もはやわたくしは索といることは出来ないのです」
「ならば某にも罪がある! 某とて那津様のお力になれるはずでは」
「いえ、索には関わり無きこと! 那津様はわたくしのために井戸に飛び込まれたのです! わたくしはこの魂に代えても那津様を取り戻しに行って参りますゆえ、索の同行は許しませぬ」
「だめだ! 蓮津の魂が消えて無くなるかも知れぬのを、某が黙って見ていられる訳が無いっ!」
いくら説得しても食い下がる索に、蓮津は遂に心を鬼にして言わねばならなかった。
蓮津はスッと立ち上がった。そして帯に差していた扇子を右手に取り、先端をバシッと索に向けた。
「‥‥‥名波索。これは蓮津では無い。蓮津姫からの言葉として受けとるがよい。『おまえの同行は許さぬ!』 これでよいか?」
蓮津は厳然と言い放った。
「くっ‥‥‥!」
索は蓮津に差し向けられた言葉に絶句した。
索は城に仕える家臣。城の姫の意向に逆らえるものでは無い。
苦痛で顔を歪ませながらひれ伏した。
「‥‥‥はっ、姫様」
蓮津は平身している索を尻目に、先程から呆気に取られて黙っていたキザシを促した。
「さて、キザシ様、参りましょう。よろしいかしら?」
蓮津は昨日と打って変わって、今にも折れそうな弱々しさが消えていた。
一晩の内に凛とした芯の強さがはっきりと見て取れる。
──見かけは男がいかにも引き付けられる可憐な女だけど‥‥‥どこか解せない女。心の底に那津みたいな温かみが無いような。
と言うより、なりふり構わずってところか。
さっきから蓮津にとって那津よりも尊いものは無いかのような振る舞いだ。男を捨て、全財産まで俺に寄越そうとして、自分の魂の存続まで懸けようなんて。
「‥‥‥ああ、あんたたちがいいなら俺は‥‥‥」
索の背中を見下ろすキザシは、この突然の宣告には同情せざるを得ない。
‥‥が、口出しするのは憚られる。
部屋の戸を開ける前に、蓮津は索のために振り向いた。
「索。ごめんなさい‥‥わたくしの心からあなたが消えることは決してありません。さようなら‥‥‥」
最後通牒の蓮津の別れの挨拶に、平身低頭のまま咽ぶ索。
キザシは、索に同情し、遣る瀬無い思いを飲み込んで そっと部屋の戸を閉めた。
「‥‥‥うわっ!? なんだよお前ら!」
キザシは戸を閉め、くるりと廊下を向いた途端、ぎょっとした。
廊下には他の部屋の客と中居らが五、六人、睡蓮の間の前に集まっていて、誰か出て来るのを今か今かと待ち構えていた。
「何でここにいるんだよ! 俺らに何か用か?」
キザシはさっと前に出て、蓮津を背に回し護る。
にやにやしながら見知らぬじいさんがキザシをこづいた。
「よお、若いの! お前やるじゃねえか!」
「は?」
キザシは片眉を上げる。
うふふふ、と笑いながら太った中年の女がキザシの後ろの蓮津を覗き込む。
「あんたも罪つくりだねぇ、きれいなねえさん」
「あ?‥‥‥ええ、本当に。でも、誰に何を言われようとわたくしの決心は変わりませんわ」
女と一瞬目が合った蓮津は、伏目がちに答えた。部屋に残された索を想いながら‥‥‥
「ほ~ら! やっぱりね! そうだったのよ!」
生前の病の体から解放されたのだろう。痩せて青白く儚げな姿をしているのに活気溢れる若い女が、訳知り顔で言った。
「うっせーな! 盗み聞きしてたのか知らねーが、余計なこと言ってんじゃねーよ! 蓮津、こいつらはほっといて行こうぜ!」
キザシは左手で蓮津の肩を抱き、右手で野次馬をかき分け廊下を進みさっさと階段を下りた。
キザシと蓮津が通り過ぎた後も、廊下ではまだ話は続いていた。
それぞれが好き勝手な想像をし、口々にお喋りが止まらない。
「昨日さ、今の若い男がさー、あの綺麗なねえさんを奪いにやって来たらしいぜ? あの侍の色男から」
「知ってるわ! 夕べからずっと揉めて話し合ってたのよね!」
「いやーん、まるで芝居物みたいね。イケてる男がいきなり私を奪いに来るのっ! 素敵だわ‥‥‥」
「振られた方は可哀想に。ほら、聞こえるか? あのお侍、まだ嗚咽してるぜ?」
「大丈夫よ? 残った方のイケてるお侍さんは私がお慰めして差し上げるわ」
「ちょっと、待ちなさいよ! 私を差し置いて何言ってんのよ!」
「お待ちよ? あんたたち、こういうのは年上の私が先だよ」
「おいおい、おまえら三人とも落ち着け。あの侍はどう見てもガチ面食いだろ?」
「‥‥‥‥こ」щ(゜▽゜щ)
「‥‥‥‥ろ」 ( ・-・)
「‥‥‥‥す」 (#・∀・)
「ギャー! 痛ぇ! や、止めてくれッ! おいらもう死んでるって!」
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キザシは宿屋を店先で振り返り、索が部屋から出る時の事を思い、非常に同情した。
──蓮津に袖にされ、とどめがあの野次馬かよ‥‥‥?
どっから湧いて来たんだよ? あのお喋り野郎ども。
‥‥そういえば俺が昨日ここに来た時から番頭の様子も変だった。
ちっ! いい加減な噂の元凶はあいつか!
あー? 俺、来た時から妙な誤解されてたってわけ?




