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伝言の依頼

 キザシは、鳥にとって肝心(かなめ)の両翼に、特に深い傷をくらっていた。ゆえに、元のように飛べるまでには更に半年もの月日を要した。



 翼の調子も良くなった頃から、よい天気の日には、鯉の里の結界の上空を回っては那津の気配を探したが、微塵も感じることが出来なかった。


 この半年間で那津に『信書羽』を何回か飛ばしてみたが、返信も一度も戻って来ることは無かった。


 キザシの『必着の伝言』が 那津に届いていない可能性は限りなく低いというのに。


 キザシが自らの無事を知らせたのに、那津が返信の伝言を乗せて返さないのは、七瀬に見つかり止められているのだろうと考えている。



 キザシは、日が沈むごとに、季節の移ろいを感じるごとに焦燥が募ってゆく。



 ──いったいどうしちまったんだ? 気配すら無い。


 上空からなら那津の姿を、チラリとくらいは確認くらい出来ると思ったのに。なぜだ? 那津は鯉の結界の中にいないのか?


 ‥‥‥まさか不老の体が死んだとかで、俺を置いてさっさと成仏しちまったんじゃないだろうな?


 いや、七瀬は那津を成仏させるわけがない。それは確信してる。やつの那津への執着は強い。残る可能性は‥‥‥たぶん‥‥‥‥‥




 那津の消息を知りたいが、鯉の里の結界内には自分は入ることは出来ない。


 七瀬を見つけられればいいのだが、鯉族は基本川の中にいることが(ほとん)どで見つからない。


 こうなると何からどうすればいいのかも分からなくなっていた。



 そんな日々がさらに二月ふたつき過ぎた。


 冬を越え、春が過ぎ、もうすぐ水無月という頃。



 那津との別離から半年と二月ふたつきほど過ぎたある日の昼下がり、キザシの崖の巣に霊鳥メジロからの『信書羽』が届いた。




 霊鳥メジロのミツケは、キザシが古代樹のてっぺんに住んでいたころ知り合った。二人は気安い仲だ。


 同じ古代樹に住む小鳥たちは皆、キザシを恐れ距離を置いていた。


 キザシは小鳥を狩らないことは皆知っていたが、やはり小鳥たちからすれば大鷲は恐ろしい存在らしい。


 キザシはそんなことはとっくに承知しているので、こちらから話しかけはしない。


 そんな中、1羽だけ、てっぺんのキザシの縄張りまでお喋りに来る小鳥がいた。


 それが、このミツケだった。


 ミツケはメジロのくせに規格外に霊力が強い。キザシより年下だが、このまま成長すれば人の姿に変化(へんげ)出来るようになるかも知れないくらいだ。


 だからって、小鳥が大鷲のキザシに敵うわけがないし、キザシの気分によっては食われる恐れがなきにしもあらず‥‥にも関わらず、ミツケはてっぺんまで遊びに来た。


 度胸がいいのか抜けているのかよく分からないが、近づいてくる理由は、どうやら大鷲のような強い鳥に憧れを持っているせいらしかった。



 ミツケのお喋りは、小鳥の言葉が抜けきれず聞きづらいのだが、キザシは最近ここに来てその訳は分かって来た。敢えて口にはしないが。



 どうやら、わざとこの喋りをしているようだった。人形ひとがたの女の子に向けて、あざとく『かわいい小鳥ちゃん』受け狙いしているらしい。


 さすれば、その姿と喋りで さらに女の子から、かわいいかわいと褒めそやされるのだ。




 その、霊鳥メジロ、ミツケのうぐいす色の一枚の小さな風切り羽が目の前に浮かんでいる。



「ミツケからキザシ様に言付けピピピッ! ミツケからキザシ様に‥‥‥‥‥」


「わかった。で、何?」


 キザシが言うと羽根からミツケの声が聞こえて来た。 




『死んだ人間の女の霊からの依頼があるぴっ。人探しをしているぴっ。とにかくキザシの『必着の伝言』を希望しているぴ。誰かに依頼出来るまでずっとそこにいるって言ってるぴ。死人の道入口手前の仲見世通り焼き鳥屋の裏の宿屋ですぴっぴ』



 ミツケの『信書羽』は、運べる言葉はほんの数行分しかなくて、言葉が長くなるほど距離を飛べないから必着とは行かない。相手が凄く遠い場所にいた場合などは途中で落ちてしまう可能性がるから、長距離や人探しには向かない。


 そんな時は、キザシに仕事を回してくれるのだった。


 キザシの信書羽は、ほぼ必着する。『必着の伝言』が出来るのは大型霊鳥の一部だけだ。


 それを商売にしているのをキザシは他に知らない。



 ──人間の霊か。なら自分の霊力玉は持って無ぇな。じゃ、何持ってんだろ? 取り敢えず話を聞いてからだ。



「おお、ありがとよ。ミツケ。その女、ずっとそこで待ってんの? なら、すぐ行ってみる。上手く行ったらミツケの報酬は1割。楽しみに待ってろ。‥‥‥‥よし、これでいい。羽根よ、戻っていいぞ!」



 うぐいす色の小さな風切り羽は返信を受け、夕暮れの空へすうっと流れるように(くう)を滑り出した。



 キザシはすぐに飛び立った。ここから死人の道の入り口まではかなり距離があったが、キザシは上空高く気流に乗って一気に飛んで行った。数時(すうとき)はかかりそうだが、今から急げば、夕げの食事の後くらいの時刻には着けるはずだ。



 キザシは死者の道に繋がっている霊界の繁華街、仲見世通りの少し手前上空で人に変化へんげ し、地上にシュタッ‥‥と着地した。



 ──さて、仲見世の焼き鳥屋‥‥‥の裏っと。焼き鳥屋‥‥‥ってなーんか嫌な感じだな。旨そうな匂いだけどよぉ。じゅるり。



 焼き鳥屋の繁盛を横に目に、裏手の通りに回ると、そこはいくらか灯りは灯っているものの人通りもまばらだ。



 ──ここだな。‥‥‥人間の霊からの依頼なんて初めてだ。どんな訳ありなんだろう? 



「こんばんわー! 俺、キザシってもんだけど、女、待ってる?」 



 受付の中年の男が、キザシの上から下までじろじろ視線を這わせた。


「ああ?‥‥‥そうそう! キザシ様ね。ハイハイ、来たらすぐに通してくれってあのねえさんに言われてんだった! 入んな。どういう関係だか知らないが揉め事は起こさないで下さいよ。他にも客はいるんだ。この階段上がって突き当たりの睡蓮の間だ。ああっと、にーさん、間違って他の部屋開けんなよ! あんたそそっかしそうだ」



 男にはどこかいやらしい笑みが浮かんでいる。  



「ありがとよ! そう言うあんたはくちさがねーな。一言多いぜ!」  



 なんだか腹が立って、キザシは自然とドスドス音を立てて階段を上がった。



 ──ったく、みやこ のやつらはいけ好かねぇ‥‥‥ええーっと‥‥はーん、ここが、睡蓮の間だ。この分じゃ、俺を呼んだやつもろくなもんじゃ無ぇかもな。礼儀は無用だぜ! 




「よお! 『必着の伝言』のキザシが来たぜ! 伝言の依頼をしたのはおま‥‥‥」


 イラついたキザシは、いきなり睡蓮の間の障子戸を空けた。


 中にいた女が、はっと振り向いた。


「まあ!」


 嬉しさがにじみ出た驚きの表情は可憐。女はこちらを向いて正座し直し、指をついて美しいお辞儀をキザシに見せてから顔を上げた。



 キザシのその手は障子戸に張り付いたままで、言葉は途中で止まってしまった。女のその美しい所作と姿形に驚いてしまったのもあるのだが‥‥‥



「まあ、もう来てくださったのですね。わたくしたち、もう二十日近くもここにいたのです。人を探して。こんなにすぐに来て下さるなんて! 大変有り難く思いますわ‥‥‥ん? キザシ様、どうかなさいまして?」


 ハッとした顔のまま、自分の顔を見て固まっているキザシの姿に首を傾げた。


 キザシと年の端変わらぬ十六、七くらいに思える美しい女だった。


「あ‥‥‥スミマセン‥‥‥あんたが俺の妻にどこか少し似てたもんだから、思い出しちまって」



 無礼だった振る舞いに恐縮しながら、キザシは意味も無くこめかみを指先で擦る。



「まあ! キザシ様の奥方様に?」


 女は正座したまま顔だけ振り向いて、奥に控えている男に微笑んだ。男はその女より若干年上のようだ。女にやさしく微笑み返した。



「どんな方なのでしょう? わたくしに似ているなんて。このような世界にも他人のそら似があるのですね」



 女は柔らかな微笑みをキザシに向けた。


 蓮の葉に浮かぶ朝露のような輝きを連想させるその女の美しさに、キザシは顔が熱くなってしまった。



「‥‥‥えっと‥‥いや、俺の妻もあんたと同じ人間の霊なんだけど、あんたみたいにおしとやかじゃねぇんだ。なんたってさ、死んだ理由だって元気が無ぇ姉さんに黄金の鯉の鱗をあげたくて井戸に飛び込んで、あんなクソ野郎にウッカリ飲まれちまった‥‥ってくらいお転婆なんだ。いつも元気でかわいくて、優しいし頭も良くて、一本筋が通ってるし、度胸もあるし、それから‥‥‥‥おい、どうしたんだよ? あんた!」



 キザシは那津の自慢話をしていると、みるみる女の顔色が急変した。



 その女からは、先程までのおっとりとした落ち着いた雰囲気は消え去っていた。


 震えるその華奢な指は、慌てて横に(いざ)り寄った男の袖をぎゅっと掴んでいる。

 ただでさえ白かった顔が青ざめ、今にも伏してしまってもおかしくは無いくらいだ。



 女は、苦痛に満ちた顔を隣の侍に向けた。



「それは‥‥那津様?‥‥それしかあり得ないのですわ。‥‥‥すなわちそれは、わたくしのために死んだと?‥‥‥わたくしのせいで?」


「ま、待ってくれ、これは一体どうなっている‥‥‥?」 


 隣の侍も困惑の色をにじませて、キザシと女をそれぞれ見比べてた。



「あああ‥‥キザシ様は言いましたわ‥‥‥ねぇ、聞きまして? 索! キザシ様は言いましたの。妻は姉に黄金の鯉の鱗をあげるために鯉に飲まれ死んだと! 索は知っていたのですかっ? そのことを!!」


「まさか! それがし は知りませぬ。そのような話は‥‥‥噂にも聞いてはいない」


「‥‥‥‥そう‥‥かもですわ。あの所為の真意は本人にしかわかりませんもの」 



 女は男の顔を見て、目で何かを訴えている。


 青い顔で頷いた侍がキザシに尋ねた。



「済まぬが教えて下され。キザシ殿の妻は今どこにおられるのだ? 名は何という?」


「何なんだよ、お前ら那津の知り合いなのか?」



「やはり!」 



 キザシの言葉にその女は男と顔を見合わせ、女は即座に手をつきキザシに頼んで来た。


「キザシ様! 不躾にも失礼なこととは重々承知なのですわ。けれども、お願い致します。わたくしを那津様に会わせてくださいな。わたくしは‥‥‥那津の姉の蓮津と申します‥‥」



 女は潤んだ瞳でキザシをじっと見つめてから深くひれ伏した。





 

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