薬効最仙人の助け
キザシが七瀬に半殺しにされたあの夕暮れの対決から、早ふた月。
七瀬の金糸で受けた傷は深く、まだ完治とはいかない。
今日は霊界切っての薬師、薬効最仙人のもとへ薬を取りに訪れていた。
薬効最の店に入るには 人の形を取るのが原則なので 今、キザシは少年の姿だ。
ここでの治療代はべらぼうに高くつくが、薬効最仙人の薬の効き目は他では得ることが出来ないから、この際躊躇してはいられない。
キザシは未だ距離も飛べないし、何しろ動けば全身がミシミシ痛むのだ。だが、那津を一日も早く迎えに行くために、じっとしてはいられない。
───あの日
キザシは七瀬の金糸切りにより瀕死の状態であったが、霊樹の実で霊力補給し、一時的な体力を得て飛び立った。
そのまま巣に戻る途中にある薬効最仙人の湯治郷に向かった。
その日も 日の出と共に薬草畑に出て、朝の爽やかな空気の下 作業していた薬効最はビビった。
「ん? がわわわわっ! ワシに向かって? 何かが飛んで来るわい! あれは鷲かっ? ワシに鷲がっ!」
目の前に巨大な鷲が降り立った‥‥と言うより、勢いよく落ちて来た。
その鷲は、見事に折り散らかした薬草を下敷きにして、少し照れたように薬効最を見上げる。
「‥‥‥わりぃ‥‥‥薬効最のジジィ‥‥‥俺、やられちまって‥‥‥ハァー、ハァ‥‥‥」
「お前は‥‥‥ま~たキザシか? このヤンチャ坊主めっ! こんなになるなんて今度は何をやらかしたのじゃ? それにワシの薬草畑を目茶苦茶にしおって!」
「ハァ、ハァ‥‥‥今は‥‥‥それどこじゃねぇってば‥‥‥ゼー、ゼー‥‥」
「は~ん? そのようだのう。まあ、この台無しの薬草の分は治療代に割り増しじゃから気にするな。はっはっは!」
「ったく、相変わらずがめついぜ‥‥‥ハァー‥‥ゼー、ゼーゼーゼー‥‥‥」
そんな重傷のキザシを横目に、薬効最は何も動じる事も無く、手早く辺りから何種類もの薬草を背中の籠に集めて来た。
「ほら、これを食え」
キザシのくちばしを無理くり開けて、薬草の束を突っ込む。
「‥‥‥‥ぐぇっ‥‥‥くっせぇ‥‥‥がぐげぇっっ‥‥‥何だよこれ‥‥‥くそまじぃ‥‥‥」
文句を言いながらも何とか飲み込んだ。
その間にも薬効最は、またもや背中の籠にヨモギやカタバミなどの薬草を山積みにして戻って来た。
「‥‥‥ふっ、食ったか。よしよし。ならまだ死にゃせんわ。キザシ、まだ多少は動けるのじゃろう? こっちじゃ」
薬効最仙人は、岩場に湧いている温泉の一つにキザシを浸けると、薬草に呪文をかけてからそれも放り込んだ。
「出て入るを繰り返せ。うーん‥‥‥三日間くらいで良いかな?」
「‥‥‥薬効最、あれも追加で頼む」
「‥‥‥誰かに見つかったらまずいのじゃな」
「‥‥‥‥‥」
「ふむ‥‥‥ならば」
薬効最は、腰の巾着袋から小さめの白い霊力玉を選び出し、呪文で展開させた。
回りに結界が張られたのが分かる。
「この結界は水鏡の結界じゃ。内から外は見えるが、外から内は見えぬ。外側は周りの景色を反射して映しているのみじゃ。ちょい前に人魚の娘と美肌薬の軟膏と、この水鏡霊力玉20個と交換したばかり。ふっひゃっひゃ。女はな、『美肌』とつけばいくら高価な薬も買ってゆくのじゃ」
「相変わらずだなぁ、薬効最‥‥‥でも、ありがとよ。俺が元気になったらさ、大鷲様の特上の霊力玉が手に入るぜ? 楽しみにしてろ」
「はぁ‥‥‥まだまだ先になりそうじゃがな。3日後にワシの家まで下りて来い」
薬効最が結界から出て行くと、キザシはそのまま目を瞑り、体を休めた。
一人静かに目を瞑れば甦るあの光景。
一時は死を覚悟した。
霊界に生まれし者は、死んだら即成仏する。人間のように霊体となり、心残りを癒すことも晴らす事は出来ない。
今までの自分が、那津との思い出も即刻洗われて消されてしまう。
そんな危機はギリ乗り越えた。
何とかたどり着いたここで、再起のための癒しの時間が始まった。
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「後で必ず支払うからよぉ、いいじゃねえか! ケチ臭いじじぃだなぁ。ここまで来るのだって痛くて大変だったんだぜぇ」
勘定台のこっちと向こうで、キザシと薬効最はあーだこーだと言い合っている。
「そうは言ってもな、今までの治療費も薬代も未だ全部ツケのままじゃ! そんなおまえに一番上等で貴重な『極上鎮痛コカノキ薬効王丸』を寄越せと言われても、そういう訳にはいかんのじゃ! それにおまえさん程度ならばこっちの特急鎮痛アケビ仙丸で十分じゃ!」
「そうは言ってもさ、俺にはやんなきゃいけないことがあって急いでんだ。こんなにすぐに痛くなる体じゃ遠くまで行けねぇし」
「それは体がまだ休めと言っているからじゃろう。ここで無理したら治るものも永久に治らなくなるじゃろうに。こっちだとて相当な効き目があるぞい。‥‥‥無理して治りが遅くなるほどワシへの支払いは遠のくばかりじゃ‥‥‥」
遠い目になる薬効最にキザシは拗ねた顔になる。
長年世話になっている薬効最には親しみを持っていて、気安い。
「支払い‥‥‥。なんだよー。そこかよ! じいさん、俺のこと心配してくれてんのかと思ったらさぁ‥‥‥」
「世の中、互いに貸しも借りも作らん方がいいのじゃ。だが、おまえさんにはなぜだか特別待遇してやったわい。ふっふっふ」
──『ワシ、おまえさんはちょいと気に入ってるからな』
薬を棚から取りに、後ろを向いた薬効最のつぶやきはキザシには聞こえない。
「っち! じゃあそれでいいよ! アケビなんとかってやつ。‥‥ったく、ジジィ細けぇこと気にしやがって!」
キザシは霊界においてはいまだヤンチャな少年だった。深手を負ってはたびたびやって来るキザシのことは、薬効最も気になっていて、死んでもおかしくないような今回の深手には正直内心 冷や汗をかいていたのだった。
瀕死のキザシの前で薬効最が深刻な顔をしたら、キザシの気力も余計に削がれてしまう。意識して普段通りに振る舞った。
──あの、深き切り傷。よくぞこの短期間でここまで回復したものよ。さすが大鷲じゃな。
「キザシ、この世界では霊力玉を集めるのは大事なことじゃ。いくつあっても邪魔にはならん。おまえさんは自分の霊力が大きく万能じゃから それで事足りて、今まで他の霊力玉を集めることなぞ無かったのじゃろう。今回のようなことに備えて自分の霊力も日々少しずつ霊力玉にして貯めておくこと必要じゃ」
「‥‥‥それな。だけどさ、今俺にはそんな余る霊力なんて持ち合わせていねーし」
「キザシ、おまえさんはほれ、『必着の伝言』が出来るじゃろう。おまえさんの羽根さえあればわずかな霊力と呪文でどこへでも飛ばせるあれじゃ。それで他の種族の霊力玉を稼げばいいじゃろうて。お前の『必着の伝言』の噂を広めておけば客が勝手にやって来るだろうよ。相手の名前さえ分かれば飛ばせるのじゃろう? 人探しにも重宝じゃ。ほれ、その辺の小鳥たちに宣伝を頼むが良い。あいつらはおしゃべりが大好きだからな。あっという間に広がる」
「さすが仙人だぜ。そうする。俺もなにかと要り用だし」
那津を助けるために準備するべきものものがいくつか思い浮かんだ。
「そしてその稼いだ玉をまたここでたんまり使うのじゃな! はっはっはっ!」
仙人は楽しげに笑い、白いアゴヒゲを撫でながらキザシに薬の袋を渡した。
キザシは左目をしかめて見せてから受け取り、寄りかかった勘定場の台から肘を上げた。
「なんだよ? また俺がやられるとでも思ってんのか? ちっ。じゃあな。俺、帰る」
仙人は真顔で諭した。
「キザシ、金糸にかけられたのにおまえさんが助かったのは奇跡じゃ」
キザシも一瞬真顔になったがすぐにニヤっとしてから くるりと背中を見せた。
店の出口の手前で、顔だけ少し振り向いた。
「‥‥‥‥じゃ、ありがとよ! 俺は大鷲様だぜ? 次は簡単には殺られねぇよ!」
薬効最仙人は、キザシがあの黄金の鯉の七瀬にやられたなどとは夢にも思っていなかった。
まして、元はといえば、自分の作る不老薬が関係していた、などとは。




