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美しき男と美しき魂

 那津は七瀬の鰭袋ひれぶくろに入れられていた。


 そこは不思議な空間で、その中では那津の落花生城での部屋だけが、何もない空間にぽっかりと構築されている。


 そこにある障子戸を開けば、なつかしきあの部屋。それは那津の記憶がそのまま再現された空間。


 以前那津がここで念じた時に、七瀬の霊力で現れた部屋だ。




 その部屋にて柔らかい布団に横たわっている那津。


 悪夢を見てはうなされ、起きてはすすり泣く。繰り返している内に、那津は時間の感覚を無くしてしまっていた。




 あの時。 


 ──妾がキザシの印を外さなければキザシの命が無くなるのは明白じゃった。



 那津は、一刻も早く外さなければならないと思った。自分のせいでキザシが死ぬなど言語道断だ。


 倒れたキザシの傷を見て、那津はキザシに死の影を感じた。





『那津‥‥‥俺‥‥‥お前が好きだ。ずっと‥‥変わらない‥‥‥』


『妾もじゃ‥‥だが‥‥、このキザシの印を外せ。これは妻の命令じゃ』


『‥‥‥嫌‥‥だ‥‥‥』



 キザシの声が脳裏に甦る。


 瀕死の状態だというのに、那津に着けた印を外すことを拒んだキザシの言葉。


 それは那津の胸を詰まらせ、そして覚悟させた。


 那津はこの時、キザシは絶対に死なせぬと自分に誓った。



 自分の心とは裏腹な言葉を吐きキザシの印を失うことは、キザシの命を前にして、こだわるべきものでは無かった。



 ──しっかりせい! 泣いている場合では無い! お前は仮にも落花生(おかき)城の那津姫じゃ!



 自分で自分を叱咤した。キザシの深き想いを受けとった那津は最善を尽くす。



 ──キザシよ? お前は妾をもう姫では無いと申したが、妾はやはり姫じゃ。妾は落花生城の姫。このような修羅に備え、我が夫を助ける女子の心構えと立ち振舞いは心得ておる。


 まさかこのような教えが役に立つ時が訪れようとは思わなんだが。




 幸いにも那津は霊樹の実を持ち合わせていた。キザシのために着物のたもとに忍ばせて来たわけではなかったが、霊樹の実を持って来たことは正解だった。


 霊樹の実の力は身を持って知っている。


 那津は、あの実を一つ食べただけでキザシの張り巡らせた巣の結界が透明の膜として見えるようになった。鯉の里の結界も初めてわかった。一時的なものかもしれないが、強力な効力があるのは明らかだ。



 那津は七瀬には気づかれぬように、弱々しくうずくまりながら、たもとから実を取り出しキザシの脇腹の陰に実を隠し置いた。



 なぜか那津に固執している七瀬。


 自尊心を傷つけられた故の報復が、キザシだけに向けられていると感じた。


 七瀬は、話し合いなど最初からする気は無かった。


 

 那津は七瀬の下に戻り、七瀬はキザシを解放することをお互いに誓い合った。が、那津は七瀬のことなど最早信用など出来はしない。


 ああは言ったが、このままではキザシは最後の最期に七瀬にとどめを刺されるであろうことを那津は予感した。


 冷酷な光を宿す七瀬の目は、那津を用心深くさせた。



 ──とにかく今は妾を取り戻さなければ気が済まぬようじゃ。



 七瀬の意識をキザシから反らすため、那津は朦朧としているふりをした。



 ──さすれば妾に手がかかり、キザシから妾に気を向ける事が出来よう。妾を抱き抱えれば七瀬の両手も塞げる。このような非道を平気な顔でする七瀬ならば、妾を油断させておいて最後にキザシを切り刻むことも考えられるのじゃ。


 一刻も早く七瀬とともにキザシから離れなければならん!



 那津は考え、そしてあくまで振る舞った。

 七瀬に抱き抱えられながら、朦朧とうわ言を言い、手足を適度にばたつかせ七瀬の気を引いた。


 キザシの命を救うために那津に出来る精一杯だった。



 ──後はあの二人でもいだ あの霊樹の実に託そうぞ。生きるのじゃ! キザシ!



 鯉の結界を超え、ここまで来れば‥‥と、気が(ゆる)んだ那津は、本当に朦朧となり気を失ってしまった。




 起きたら既に鰭袋に入れられ、自分の部屋で寝ていた。



 ──あれからどれくらいの時が過ぎたのじゃろう? キザシは霊樹の実を食べて無事帰れたであろうか? 無事を知りたいのじゃ‥‥‥




『那津、起きているのか? そろそろ落ち着いた頃だろう』


 七瀬の声が響いて来た。


 那津は布団の中に潜り込み寝ている振りをした。



 もう、これは何度か繰り返されていた。




『‥‥‥‥』


『起きているのはわかっている。なぜ返事をしないのだ?』


『‥‥‥‥』


『話がある。出て来なさい』





 無理矢理鰭袋から放り出された場所は、あの河原の庵の一室の床の上だった。 



 部屋に差し込む日は、もう夕暮れの日差しで、あれからまる一日? もしかしたらもっと何日も経過しているのかも知れない。


 横であぐらをかき座っている七瀬は那津を咎めた。




「那津、私がお前に求婚しお前は承諾して間もないばかりだというのになぜあの大鷲のもとへ行こうとしたのだ?」


「‥‥‥‥」



 那津は正座したまま、素知らぬ顔でぷいっとよそを向く。



 那津は七瀬の下にいると誓ったものの、七瀬がキザシにしたことが許せず、口さえ聞きたくはない。



「夫の私が留守の間に妻の那津がいなくなり、そしたら知らぬ男が私の妻に結婚印をつけ、次の日には私に離縁を迫るなど、どうみても那津と大鷲がおかしいのではないか? 賢い那津ならわかるだろう」



 私の身になり考えてみなさい、と七瀬は諭した。



「‥‥‥だからといってキザシにいきなりあんなに酷いことを!」



 キザシの半死半生の姿を思い出し、那津はキッと七瀬を睨み付ける。



「やっと口をきいたと思えばそのような名を出すとは! 聞け。私は妻を盗まれたのだ。あれくらい当たり前ではないか? 私は妻を守らねばならん」


 七瀬をすがめた目で見ながら那津は言う。



「‥‥‥七瀬は、妾を守らなくていいのじゃ。そなたの同情は要らんのじゃ。妾は自分でキザシといると決めたのじゃから。ここの世界では結婚は自分で決めてよいのじゃろう? 好きなものと結婚するのじゃろう?」


「そうだ、だから私は那津に求婚したのではないか。そして那津は承諾したではないか」


「ほぉ‥‥‥では今、妾は七瀬と同じことを言わねばならんようじゃ」


「那津から私に求婚するのか?」 


「ふっ、まさか。では返そうぞ? 七瀬は妾が好きだと言うのじゃな? ならば妾の願いを叶えよ! 妾を離縁するのじゃ。妾の幸せを願っているのならば」


 七瀬が那津に強引に詰め寄って来た時を真似て冷たく言い放った。



「ばかな。それでは私の望みが叶わぬではないか。私は那津の魂そのものを愛しているのだ。那津の魂が私と共にいてくれるのを欲しているのに」



 七瀬は心外そうに、冷たい視線を向けてくる那津の顔を見た。



「どういうことじゃ?」



 同情を向けられているだけだと思っていた那津は、さっきから七瀬が何を言っているのか微塵にも理解出来ないが、そんなことはもうどうでも良いことだった。


「考え直す気はないのか?」


「世話になった七瀬には済まぬが、妾には全く無いのじゃ。で、七瀬は妾をどうするのじゃ?」  


 那津は(いと)わししげに斜め下の床に目線を下げた。



「ふふっ‥‥‥我々の誓いの言葉は何だったのか? 実は私は最後にあの大鷲は殺す気でいた。成り行きで殺り損ねたが。まあ、あの傷ではどうせ朝まで もつはずも無かっただろう。そして那津‥‥‥お前も、私の下にいると誓ったあの言葉は偽りだったのだな」



 キザシの安否に触れた言葉が、那津の心を波立たせる。



 ──キザシは生きている。妾は信じている。キザシは妾を残して消えてしまうわけは無い‥‥‥そうじゃろう? キザシよ‥‥‥



 どこか楽しげな七瀬の口調に、不気味さを感じたが、ここで怯む那津では無かった。



「‥‥‥‥それではお互い様じゃ。それがわかりし今、妾をどうする気じゃ!」


「‥‥‥‥ならば、こうするのみ!」



 七瀬は言い終わりに間髪を入れず、横にいた那津をいきなり床に押し付けた。



「無礼者ッ! 放すのじゃっ!!」



 七瀬は那津にのしかかり、手首を押さえつける。



「放せッ! 妾にこのような狼藉を働くとは許すまじきこと! 妾は那津姫じゃっ!」



 那津が七瀬の力に敵う訳は無い。

 七瀬は、那津の頬を両手で押さえ込み、その唇に口づけをした。



「‥‥‥うぐっ!」



 驚きで大きく見開かれた那津の瞳。



「おのれッ‥‥‥何を‥‥‥わら‥‥‥わ‥‥‥に‥‥‥‥‥」



  ‥‥‥が、抵抗虚しくそのまぶたは、ゆっくりと、とろんと閉じた。



 ───那津は、眠りについた。



 無防備に床に仰向けに倒れる那津を見下ろす七瀬。その瞳には、憐憫(れんびん)と慈愛が浮かんでいる。



 七瀬の左の口角がわずかに上がる。



「‥‥‥仕方がないのだ、那津よ。お前の美しい魂は私のもの。誰にも渡すことは出来ぬ。私のこの孤独が癒される日まで 私の中に留まるが良い。それはこの自身でさえ、いつのことになるかなど知るよしもないのだが‥‥‥」



 七瀬が口づけで無理矢理那津に含ませた夢路の呪文。


 夢の中を漂いながら眠る那津。



 不老の体を預かっている右の鰭袋に那津を入れた。





 **********




 七瀬は鯉族の中でも『黄金の鯉の一族』、という賽の河原の中では最上位の一族に生まれた。


 この霊界に住まう霊獣や霊鳥、霊魚の中で、人の姿に変化へんげ 出来る者は、ほんの一部の者にしか過ぎなかった。


 それは霊力、知力に優れ、霊界で選ばれし者の特権だと言えた。


 あまり推奨はされてはいなかったが、そのような者たちは、異種族でも交わることが出来た。


 大抵は親の特徴を半々引き継ぐ事が多いが、稀に、うまいこと両親のいいとこ取りして、人魚のような思わぬ高貴な姿が生まれることもあれば、反対に魚人のような好まれざる姿が生まれることもある。


 霊界に様々な霊界生物がいるのはそのためだった。様々が遥かな年月の間、血は混じり合い、弱き者は淘汰され、強き者は生き残る。




 ここでは主に、その体から生み出せる霊力の強さと質が物を言う。


 中でも七瀬は最上位の優位な霊力を誇る一族の一人の上、彼の人の変化へんげ は極めて美しい容姿であった。


 すらりとしたてい、端正な顔立ちに魅惑的な金色の瞳。さらりとなびく長い黒髪は、見る者らを引き寄せた。


 自分で意識しなくとも、そこかしこから人に変化した女や、男までもが まだ幼き七瀬に寄って来た。


 そのような者たちは、七瀬の目前で互いに争い、その姿は醜く、その者らの卑下た微笑みは、七瀬を腹の底から嫌悪させた。


 その内、なびかぬ七瀬に勝手に逆恨みをして、彼を害そうと企む者たちも現れ始めた。


 見も知らぬ者から嫉妬をされ、身も知らぬ噂を流され、七瀬の心は成長と共に どんどん冷えきってゆく。




 ──私の身分と外見だけ見てたかってくるハエども。


 お前たちの魂は醜い。


 私の美しさに酔いしれて見ているだけならまだしも、私を手に入れようと企むなど図々しくも迷惑甚だしい。


 あまりにうるさいハエは殺されて当然のこと。


 今、私が望むものは穢れのない美しい魂。


 この私を満たしてくれる者は、容姿美しく、しかも美しい魂を持つ者のみ。



 それがやっと見つかった。



 ──それは私が現世にて偶然飲み込んでしまった那津姫。



 やっと手に入れた途端、那津はこの私よりも あの向こう見ずで愚にも付かない大鷲を選ぶというのか?



 そんなことは許されない。



 私にふさわしき者は、この100年の間、那津より他に見たことは無いと言うのに。


 私をまた孤独にするのはやめてくれ。



 那津。


 美しく煌めくその魂は、私の中で現世の続きをすれば良い。



 夢の中で。









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