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七瀬の心

【注意】少し残酷表現があります。

 私は現世への使いを終え、霊界に戻って来た。

 

 

 ──さて、愛しい那津はどこにいるのやら。


 ああは言いつけたが、あの那津が庵で大人しくしている筈はない。

 

 またその辺で笹舟など作って川へ流して遊んでいるのかもしれない‥‥‥


 私は人形ひとがたになり、辺りの河原を一回りしたが見つからなかった。


 庵に? 


 声をかけ、覗いてみたがやはりここにはいない。 

 

 

 ──まさかあんな目にあっておきながらまた結界から出たりはしないだろうが‥‥‥

 

 

 那津には結界が見えぬようなので目印は教えてあるが、この辺りはどこも似通った景色ゆえによく分かってはいないようだった。


 私は心配になり、那津に着けた婚約印の鱗を頼りに居場所を探ろうと、意識を集中させようとしたら。

 

 

「お帰りなさいませ。七瀬様!」

 


 そこに、若い緋鯉の女が私の所にやって来た。

 

 

 おや、霊力に劣る緋鯉が人形ひとがたになれるのは珍しい。緋鯉にしては霊力が優れているのだろうか?

 

 どこかで? なぜ親しげに私の名を呼ぶ? そういえば見覚えがあるような人形ひとがた だ。

 

 ──もしかして。

 

 我が母上、流美が半年ほど前催した舞の宴で、舞を披露した舞子の一人だったかもしれない。その時、私に酌をつけてきたのは‥‥‥確か、緋鯉の女の人形ひとがた だった。

 緋鯉で人形ひとがた とは珍しき、と見た記憶がある。

 

 

 その女が言った。


「七瀬さま、お待ちしておりました。私は緋鯉族の子毬こまりと申します。これからは私が七瀬様のお相手をいたしますわ。あんな小娘では七瀬様のお相手は務まりませんもの」


「‥‥どういうことだ?」


「もう、あのガキは結界の外に行きましたわ。七瀬様のお邪魔になりますもの。追い出しておきました。でもこれからは私が七瀬様のお側におりますから大丈夫ですわ。私、なんでもいたしますわ。七瀬様なら‥‥‥私を好きにしてかまいませんのよ?」

 

 

 ──何を言っている? この女。

 


「‥‥‥そうか。承知した。それで那津はどこに行った?」


「さて、あの方向でしたら葦原の方かしら? 今頃はかっぱの花嫁にでもなっているかも。お似合いだわ。うふふ、それとも雄のかっぱたちにいいようになぶ られてているか‥‥‥ふふふっ。あいつらは人間の小娘が大好きですもの」


 

 女はクスクスと笑いながら上目遣いで私を見た。


 

「‥‥‥私がお前を好きにしてよいと?」

 

「‥‥‥ええ、七瀬様でしたら私、どんなことでも従いますわ」

 

 

 ──どんなことでも私の意のままでよいとは。では、遠慮は要らぬようだ。

  

 

「では、今ここでも?」

 

「くすっ‥‥‥仕方がありませんわ。そこまで七瀬様がお望みでしたら」

 

 

 ──なんと下世話な顔。   

 

 

「ほお‥‥‥では後ろを向け」

 


 女はまたクスクスして、しなを作りながら後を向いた。

 


「まあ、七瀬様。後ろからなさるおつもりですの? くすくすっ‥‥‥」


「ふふっ、私は情け深いからな。それほど乱暴にはせぬ。多少は痛みもあるかもしれぬが、それは許せ」

 

 

「‥‥‥そのようなこと‥‥‥覚悟の上ですわ。だって私、七瀬様のことをずっとお慕いし‥‥‥‥」 

 

 


 私は左の指先から一本の金糸を出し、後ろからふわりと女の首にかけ、そのままスッと引いた。

 

 


 女の首がごろりと石の河原に落ちた。

 

 

 それは中途半端な笑みを浮かべたまま。

 

 その目だけがそろりと動き、地べたから私を見上げたが、その目からはすぐに焦点も光も消えた。

 

 

 数秒ふらふら耐えていた胴も、バタッ‥‥と、後ろ向きに倒れた。

 

 


 すぐに変化へんげは解かれ、二つに分けられた緋色の魚が河原に転がるのみとなった。

 

 

 ──なんと身も心も(けが)らわしき女の末路。

 


 それらを蹴り上げ、川の流れに始末を任せた。

 

 

 

 こんなことに貴重な時間を取られるとは。

 

 急がねば、那津が。



「さて、那津は今どこに‥‥‥」

 


 私が念を込め、今度こそ那津の居場所を探ろうとした時、

 

「我が七番目の息子、七瀬よ。久しぶりだこと。お元気そうでなによりね」

 


 母が現れた。緋鯉の人形ひとがたに続き、これは更に珍しきこと。

 

 母上にお目にかかるのは、あの舞の宴以来半年ぶり。




「母上もご機嫌麗しく」


 私は目の前にひざまずいた。

 


「お前はあいかわらずだこと‥‥‥」


 川面に円を描いてくるくる漂っていた緋鯉の尾をチラリと見ながら言った。

 


「はて、何がでしょうか?」


「まあよい、何事もほどほどに。‥‥‥それで、お前の嫁は今どこに?」


「丁度今から迎えに行くところでした。母上」


「そうか。那津の不老、ご苦労様だったこと。ふふふ‥‥‥ずいぶんと散財したのではないですか?」


「‥‥‥何が苦労なのかわかりませぬが? 母上、それに散財などとは?」

 

 

 私は素知らぬふりをする。

 しかし、母上を誤魔化すことなど出来てはいないことは承知している。

 


「ふっ‥‥‥単純でお人好しな父の成瀬は騙せても、この母は騙せまい。‥‥‥だが、お前の好きにすればよい。期待出来る跡継ぎは他にいる。七番目のおまえは自由にせい」


「ありがたき幸せ。ありがとうございます。母上」


「何事もやりすぎは禁物だ。七瀬よ、無茶せぬように」

 


 母、流美りゅうびは言い残して川に戻った。

 

 やはり、あの人には逆らえまい。首が飛ぶ。我が子であろうと。

 

 

 

 那津には私の婚約印と結婚印がついている。私は那津の居場所だけでなく、那津が今見ているものも念を通せば見ることが出来る。

 

 もし、結界を出たとなればすぐに迎えに行かなければならない。これほどまで苦心して私の下に留めておいた那津の身に危険が及んだら一大事。

 

 私は思考を集中し、今那津に見えているものを探った。


 

 「!!」


 

 これはなんと高い場所に! 

 

 はるか眼窩に広がる樹海。大鷲が翼を広げて飛んでいる。


 

 ──あれは! あの時のキザシという若い大鷲に違いない! 那津に勝手に婚約印をつけた男。

 

  私の大切な那津を、ほんの隙をついてさらうとは!許せん! ここはどこだ?


 

 私はさらに集中し場所を探った。


 ──ここは‥‥‥おそらく薬効最やっこうさい仙人の山の更に奥の奥。私には到底行けまい。


  どうする‥‥‥?


 

 この私の手の届かぬ所に我が妻を連れ出すとは、小賢こざかしい真似をするものよ。

 

 

 私は精神を静めねばなるまい。怒りは判断を誤る。

 一旦、精神の集中を解放する。

 

 

 水面を見れば、あの緋鯉の体は流されたのか視界から消えている。

 

 

 ──あの緋鯉のせいで、私の那津が!

 

  

 私は那津を拐われた苦しみに耐え、今一度、那津の見ているものを私の脳裏に同時に映し出す。

 

 

 手のひらに包んだ紫色の実。これを持つのは那津の手。

 その向こうには、人形ひとがたのあの男の姿。大鷲のキザシだ。やはり、あの時の少年。

 


 私はそこで、思考を終わらせた。ひとまず那津が無事ならばよい。

 

 

 さて‥‥‥



 私は川に戻り体を休めた。これから忙しくなりそうだ。


 キザシは私の印を那津から外したいがために必ずや接触して来るだろう。

 

 気持ちをそのまま行動に表す単純な大鷲のことだ。すぐに来るに違いあるまい。なれば、私は入念に準備して待てばよい。



 ──必ず那津を取り戻す。那津は私のものだ。私が苦労して作り上げたのだから。

 

 那津の不老の体も、煌めいた心を留め置くその死した魂が成仏せずに霊界(ここ)にある、という状況も。

 

 

 

 *****




 夜も更けた頃、水中の私のもとに伝言が届いた。



 あの大鷲‥‥‥私の那津に結婚印をつけたのか! 私の妻と知りながら!

 

 その罪、どう(あがな)って貰おうか?

 


 

 ──勿論、その命で。


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