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金の鱗

 一地方の弱小な城主の側室の娘、という立場ながら、蓮津は大変美しい少女だったため、側室としての輿入れの話があちこちから寄せられていた。

 

 蓮津には、出来るだけ高貴な家柄、もしくは財政潤う身分高き権力を持つ家へ蓮津を嫁がせ、この藩を安定化させるために役立って貰わねばならなかった。

 

 清瀬川氏は、中央政権から遣わされた統治者ではなかった。

 

 清瀬川氏は、はるか昔にこの地域に土着した有力豪族の血筋の家柄であり、この地には並々ならぬ地元愛を持つ一族でもあった。

 

 されば、成り上がりの中央権力側に隙を見せれば、いつ言いがかりをつけられ追い落とされてもおかしくはない立場であった。あちらとしては出来ることならば古くから付き従い信用のおける古参の家臣を送りこの地を支配させたいのだから。

 

 身の振りを誤り中央の不興を買ったり、隙を見せれば清瀬川家は滅びかねない。

 

 美しく引く手あまたの蓮津は、この藩にとって大変貴重な駒だったと言わざるを得ない。

 

 婚姻は慎重に相手を選ばねばならなかった。

 

 

 なので、大抵の申し込みは、蓮津にさえ知らされないままありきたりな理由をつけて断わられていた。

 

 特に生みの親のお蘭の方の望みはべらぼうに高く、富貴で石高の高い相手を独自に水面下で模索しているらしかったが、今のところは蓮津に具体的な縁談になるような兆しは無かった。

 

 お蘭の目にかなわぬが、無下に出来ない相手の場合は、お蘭の策応により、蓮津は急にやまい にかかり伏せったことにしてやり過ごしていたし、蓮津自身も縁談話は聞く耳を持つはずも無かったのでそれは渡りに舟であった。

 


 しかし、蓮津が15になったばかりの頃、幕府の要職である大目付の嫡男の側室にとの話が持ち上がった。先に行われた桜を見る会で蓮津が披露した舞があまりに可憐で美しいと評判になっていたのだ。

 

 

 さすがに蓮津の辞退の願いは殿より却下された。これを断れば今後、この小さな城と領民に、どの様な難題が起きるか想像にかたくはない。

 

 この縁談には今まで幾つもの縁談を突っぱねて来たお蘭の方も大賛成であった。

 

 もはや蓮津の思いなど通る訳もなく、とんとん拍子に縁談は進められてゆく‥‥‥

 

 

 

 

 蓮津は然るべき大名家の養女となった後、そこから輿入れすることに決定した。

 

 

「ああ、千蒔‥‥‥わたくしは‥‥‥領民のため、この城のため、嫁がねばならないのです。わかっていたのですわ。来るべき時が来るだけなのです。ですが、わたくしは‥‥‥わたくしの心は‥‥‥索にあるというのに‥‥‥」

 

「‥‥‥わかっております。おいたわしい姫様。しかし、名波様と姫様では所詮結ばれぬ身分違い。いつかこのような日が来るのは存じておりましたはず」

 

 

 千蒔はわかっていながらそれでもずるずると姫様を名波索に引き合わせてしまったことを詫びた。

 

 本当はただ一度だけ引き合わせて差し上げる手はずであったのに、それがきっかけとなり蓮津と索の恋仲は深まるばかりであった。

 

 千蒔としては、あるつてから願い出があり、自由のきかない姫様を喜ばせたい一心で一度きりならと引き合わせることを承諾しただけだったのだが。

 

 

「いえ、千蒔。索に再び会えたことはわたくしの人生すべてなのです。この先もずっと。わたくし、死んでも千蒔に感謝し続けます。決して後悔などありませぬ」

 

 

 

 千蒔は、はらはら涙を流しながら手を合わせた。


「ああ、あの黄金の鯉の鱗が一枚あったらよろしいのに‥‥‥」

 

「‥‥‥千蒔、それはなあに? それは何かのおまじないなの?」

 

「昔からのこの土地に伝わる下々の言い伝えでございます」

 

「‥‥‥わたくしに聞かせてくださるかしら? 千蒔」

 

 

 どうにもならない運命だとわかっていながら、それでも藁にもすがりたい蓮津であった。

 

 

 時にこの城の井戸にもかつて実際に何度か現れたことある黄金の鯉。


 その鯉は 冥土に行く途中で通る三途の川から来ているという伝承がある。

 

 

「姫様、これはただの言い伝えにすぎませぬゆえ、戯れにお聴きくださいませ。腹を出すと雷様にへそを取られるとか、茶柱が立ったら良いことがあるとか程度の民間伝承に過ぎませぬ」

 

「構いませぬ。この地の領民に伝わる話ならばわたくしとて無関係ではありませんもの」 

 

 

 千蒔は、蓮津の期待には到底沿えない戯れ言を口走ったことを後悔したが、姫は聞かなければ気が済まないだろう‥‥‥と、観念した。


 

「‥‥‥はい、では」

 

 

 

 千蒔は語り始めた。 

 

 

 

 黄泉の国に入ってまもなく行き当たる三途の川には見事な金色の鯉の一族が住んでいるという。

 

 彼らは、あの世とこの世を自由に往来できる。代償を支払えば、伝言、時には品物、人間でさえ彼岸と此岸を超え運んでくれる。その代償は‥‥高くつくが。

 

 

 その黄金の鯉はこの世に来た時は清水に姿を現す。

 

 例えば、人里近くの湧水の池や川、庭先の池、井戸の中など。

 

 その姿は神々しく輝き、美しく、尊い。人々は、思わず手を合わせてしまうほどに。

 

 彼らはそこでしばし身を休め、長ければ2、3日はそこにとどまることもある。

 

  

 

 その昔、周囲がいさ めたにも関わらず、井戸に現れしその黄金の鯉を捕らえ食した壮年の強者がいたという。

 

 

 その者は不死となった。

 

 

 その結果、年を取り肉体が滅び、腐りはじめても死ぬことは叶わなかった。

 そう、死なないだけ。

 

 彼は不老は授からず。ただの不死となったのだ。

 

 だが、もちろん人間の肉体には寿命というものある。長い年月には耐えきれず肉体は萎み滅びゆく。

 

 限界を超えた肉体は傷も病も癒すことは出来なくなった。結果、生きたままに肉にハエがたかりウジが湧く。

 

 肉体の全てがチリとなるまで痛みと苦しみは果てなく続くのだ。

 

 腐りゆく体から離れることも叶わず、苦しみに耐えかねた男は心より死を願った。

 

 そして霊界の住者に手を出したことを心から懺悔し、半年ほど天に祈りを捧げ続けた。

 

 

 ある日、懺悔の最中に美しい若者が彼の前に現れた。

 

 若者は言った。

 

「‥‥‥噂を聞いて来てみれば、これは哀れ‥‥‥。お前の死の願いを慈悲ある我が聞きいれようぞ。しかし、良く聞け。私がお前に死を授けたなら、お前の魂は永遠に消え去り転生も叶わぬ。‥‥‥このまま肉体がすべて無に帰るまで耐え、償いが終われば、お前は霊となり、元の人の輪廻に戻れるのだ。良いのか? それでもお前は無を選ぶのだな?」

 

「‥‥‥はい、俺は‥‥‥もう‥‥‥耐えられない。どうか‥‥死を‥‥与えたまえ」

 

 しわがれた、声にならない息のような声だった。

  

「‥‥‥承知した。では、お前に "無" を」 

 

 

 若者は一枚の金色の鱗を、ひざまずく男の腐った手に乗せた。

 

 

「さあ、死を願うがよい」

 

 

 男の死を願う気持ちは本物であった。

 

 

 だが、ある思いが、刹那通り過ぎた。

 

 100年以上も後悔し続けていたのだから。

 

 

 周りの諌めにも応じず黄金の鯉を捕らえてしまったあの日あの時に戻り、やり直せたら、という思念が頭を掠めたのだ。

 

 

 

 

 ───男は井戸の前に立っていた。

 

 井戸の中には黄金に輝く鯉がいる。周りの者たちが男を止めていた。これに手を出せばどんな厄があることかと。

 

 とっくに死んだはずの懐かしき長屋の人々に、やいのやいのと囲まれている。

 

 

 男は自分の手を見た。たくましい肉厚の掌、胸板。顔を触る。肉がついている。髪もある。筋骨の脚。

 

 頬を思いっきりつねる。

 

 普通に痛い。そして‥‥‥

 

 

 今まで感じていた死ぬほどの全身の痛みと苦しさは消え去っている。

 

 

 

 

 男は金色のうろこ によって願いが叶えられたのだと悟った。

 

 あの金色の鱗は、死を与える物ではなく、願いを叶える秘宝だったのだと。

 

 

 

 

 

「姫様、このような荒唐無稽な昔話なのでございます。市井しせい の者はみな困った時には、口癖のように、『金の鱗があればいいのに』などと言ってしまうのですが、このようなことを本当に信じているわけではないのです」

 


「‥‥‥そうなのですか。この城の井戸にも黄金の鯉が現れたことがあるそうね?」

 

「はい、しかしながら霊界の使いとされている神聖な生き物ゆえ、手を出す者などこの城の中にはおりませんわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

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