大白狐の父子
「何ごとじゃ! これでは座敷牢の如し!」
那津は、竹で作られた檻の隙間に、むぎゅむぎゅ肩を押し込んで見たが、どうしても頭がつっかかって通らない。何度も柵の隙間の場所を変えて試みたが無駄だった。
ならばと降りた扉を上げようとしたが、那津の力ではびくともしない。
「困ったのう‥‥‥こんな事になるとは。七瀬に知れたらまたお小言じゃ。面倒な‥‥‥」
那津は七瀬を思うと、城にいた頃の教育係のお恵を思い出す。那津にとって七瀬は夫というより霊界の手ほどきをしてくれる指導者のような存在だ。頼りにはしているが、わりと煙たい。
ふと、檻の中を見回すと棒に刺して吊り下げられた大きな胡瓜が浮かんでいる。
「わかったぞ! これは鈴虫を捕らえる罠かのう? それにしてはばかデカいがのう? そうか! こちらの鈴虫はすごく大きいのかも知れんな。なんせ霊界は現世ではあり得ぬことばかり起こるからのう‥‥‥まあよい。この胡瓜はこの檻に入った者のために用意されたものじゃ。妾がいただくかの」
那津は青竹を組んだ床に座りこみ、外したきゅうりをかじって一休みした。
それからまた悪戦苦闘してみたが、脱出は出来なかった。
檻の回りは葦の茂みで覆われている。
上を見上げれば葦の葉に囲まれた隙間から、格子模様の青空が見える。
「困ったのう‥‥‥。きっとここは結界の外じゃ。あれだけ出るなと注意されておったのにな‥‥‥。これでは七瀬に助けも求められぬ」
那津はここで七瀬に頼る気持ちがあれば守護呪術が働き、檻は切断されたはずだが、守護呪術発動の条件など とうに忘れていたし、今回は七瀬に頼る気持ちさえ起きてはいなかった。
がさっ、がさがさっ、がさがさっ‥‥‥
葦をかき分け、何かが近づいて来るようだ。
遅れて、かん高い声ではしゃぐ子どもの声と、それに答える大人の太い声が響いて来た。
「ねぇ、おとと様。今日こそはかかってると思う?」
「どうかな。ええと、仕掛けを置いたのはこの辺だったね。早く探して見てごらんよ」
「うんっ!」
急に陰りが出て、回りが暗くなった。
那津はぎょっとした。見上げた天井の檻の格子の向こうに見えたその生き物の大きさに。
「今度はキツネの化け物のようじゃ‥‥‥」
那津は尻餅をついて、巨大な檻の真ん中にへなへなと座り込んだ。
「あっ、なんかいるよっ! おとと様」
大きなカギ爪にひょいと引っかけられ、がさがさ葉擦れの音を響かせながら那津を捕獲した檻は草むらから高く持ち上げられた。
急に周りが開けてしまった。
下は四方蘆原。空は青空。そして横には‥‥‥
すぐ横には赤く隈取られたキツネの大きな目が覗いている。黒い縦長の瞳孔を細めた黄土色の瞳が、柵越しに那津の目の前まで近づいた。
この大狐にしてみたら、那津は猫くらいの大きさしかないだろう。
「あれー、これカッパじゃないよ、おとと様。‥‥‥ちっ」
「ああ、本当だね、残念! これはなんだろうね? よくわからんが、これもかわいいじゃないか。これを飼えばいい」
持ち上げられてキツネの全容が見えた。
見事な大白狐。しかもキツネなのに二本足で歩いている。
那津をじろじろ見ながらふさふさした大きな尻尾をパタパタ左右に揺らしている子どもキツネ。その尻尾はひとつではない。たくさんあるようでいくつ生えているのか不明だ。
子どもキツネさえ那津の3倍はありそうだ。それよりさらに大きい白狐が、子ギツネの肩越しに持ち上げられた檻の中の那津を見ている。
その大きく裂けた赤い口からは、白く尖った犬歯が覗いている。
──大猿よりは大分かわいらしきかのう。そうじゃ、大猿より話は通じそうではないかの? 妾よ、落ち着くのじゃ。
那津は良い所だけを考えるようにして自分を励ました。
角にうずくまりながら、とりあえずは成り行きを見守る。
──じっとしていよう。キツネが檻を開けてくれさえすれば、逃げ出す隙はありそうじゃ。
やっと罠にかかったこれでいいとしよう、という親キツネの説得にも駄々をこねる子ギツネ。
「ええーっ! やだっ! カッパじゃないとやだっ! おいら こんなの要らないっ!」
子狐が檻を葦原にえいっと投げた。
「ひゃー!」
那津はとっさに格子に掴まった。
投げられた檻は葦の茎の弾力によって支えられ、ほわんっと少し弾んでから、葦原に埋もれた。
「こらこら。おまえは乱暴だな」
「だって~‥‥‥。もうこれで3度目だよ? 今度こそってすっごく期待してたのにあんなへんてこなのが勝手に入っててさ。とっておきの胡瓜だって入れておいたのに!」
「残念だったな。よしよし。場所が悪かったのかもな。今度はもっと水辺に仕掛けてみようか」
声が遠ざかってゆく。
巨大な白狐の親子はそのまま行ってしまった。
──妾は捨てられてしまったぞ。これは幸か不幸かはてさて。
妾の力では入口は開けられぬ。ここからどうやって出ればよいのじゃ‥‥‥
傾いた檻の中で空を見上げた。
──今日はこんなにも良い日和だというのに、妾は何をしておるのじゃ‥‥‥
珍しく落ち込んでいると、急に強い風がびゅうびゅうと吹き荒れて来た。
葦の原がざわざわと鳴り出す。
──なんじゃ、今の今まで のほほんとした日和だったのに。
空を見上げたが、先程と変わらず雲一つ無い。
──おや? もう風が止んだ。ただ突風が通り過ぎただけだったのかのう?
間近で聞き覚えのある声がした。
「よお! 那津! ずいぶん面白いとこにいるじゃねーか?」
葦をがさごそかき分けて、檻の前に少年が現れた!
少年は、斜めになった檻の中で立つことも出来ず、角でしゃがみこんでいた那津をニヤりと見た。
「ややっ! そなたはキザシではないか!‥‥‥う、キザシよ。聞くが、おぬし今、腹が減っているのではあるまいな?」
怯える風を装いながら、那津の目は再会を嬉しそうに笑っている。
那津がふざけているのがわかったが、その冗談はキザシには気に入らない。
キザシが那津を傷つけることなんてあり得ないのに。ましてや食らうなんてことは。
キザシは目を細め、不機嫌な顔をして見せた。
「‥‥‥あー、俺 急用を思いだしたわ! じゃあな~」
空々しく告げて後ろを向いた。
「ほわっ? 待つのじゃー! 冗談の通じん奴めっ!」
キザシは、慌てた那津に顔だけ振り向いた。
那津のマジで焦ったその顔が、かわいい。
二人目が合う。
「ぷくくっ‥‥」
「くっくっく‥‥‥!」
数秒沈黙の後、こらえきれず二人で大きく笑い合った。
「もしかしてお前、また逃げて来てこのざまかよ? ここ、鯉の結界の外じゃん」
「おお、よくわかったのう。石を投げつけられてのう。もう戻って来るなと言われてのう‥‥‥。走って逃げて来たらこの罠にかかってしもうて‥‥‥」
那津は赤い髪の派手派手しい若い女のことを思い出し、苦々しい顔になった。
しかし、キザシの頭に浮かんでいたのは、もちろん七瀬の姿だった。
「何だって? あいつ‥‥‥。那津にそんな仕打ちをするなんて! よし、今そこから出してやる。そんで俺と一緒に来な!」




