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恋の成就

 私は名波さく

 

 武家と言えど、武士の中においては下級身分の武家の次男に生まれた。

 

 城に仕える職務は大抵は父親の役職を長男が継ぐようになっている。父は早世し、若くして後を継いだ5才年上の兄は私の憧れの存在で、私のことを一番理解してくれる存在だった。


 ある日の昼下がり、兄が私たちの屋敷に突然、姉妹とみられる二人の娘を連れて来た。

 妹の方の鼻緒が切れてしまったらしい。


 兄は鼻緒を直しながら姉の方と仲よさげで、楽しそうに話がはずんでいた。

 

 一方、妹の方は座敷で一人休んでいた。チラリと見たところ、私よりいくつか下だろう。町娘の格好をしていた。どこかの裕福な商家のお嬢さんだと思った。

 

 兄たちのお喋りはまだまだ終わりそうにない。私は妹の方を庭遊びに誘おうと思って自分の替えの草履を縁側に持って庭に回った。

 

 すると、澄んだ小さな歌声が聞こえて来た。

 

 

 ──あの子が歌っているんだ。‥‥‥今、僕があの子の前に出て行ったら、止めてしまうよ。

 

 

 私は、縁側からそっと覗いて見た。

 それは私がはっきりと蓮津を見た最初の瞬間だった。

 

 

 蓮津は一人、扇子をハラハラくるくると舞わせながら、歌い舞っていた。

 

 

 ‥‥‥それはまさしく天から降りてきた乙女そのものだった。こんなに美しい女の子を見たのは初めてだった。

 

 彼女のしなやかな舞に、目がくぎ付けだ。

 

 次第にそのたおやかな指先に触れてみたくてたまらなくなった。

 

 


 彼女の舞が終わったところで、縁側から声をかけた。

 

 きっと、あの時の私の声は緊張していて、少し震えていたかもしれないな‥‥‥

 

 

 なつかしきあの頃。 

 

 

 

 

 二人で庭に出て、小さな池の私が世話していた錦鯉を披露した。

 

 私の宝物を蓮津に見てもらいたくて。

 

 最初、何を話したか良くは覚えていない。私は緊張を隠すのに精一杯だったから。

 

 

 私は、一目見た時から美しい蓮津に恋をしていた。

 

 

 そして、彼女は自分は蓮津、と名乗った。


 蓮津はあまり子どもに人気の遊びを知らないらしく、私が平らな小石を投げ、ぽんぽんと水の上を2、3回弾ませて見せるだけで、私のことを尊敬の目で見た。

 

 私はこのような美しい娘に『索はすごいことが出来るのね!』と、大きな目を見開き、驚きを持って褒められ、舞い上がってしまった。

 

 もっとこの子に褒められるようなすごいことを見せたいと思った。

 

 

 他の遊びをしようと二人で駆け出した時、小雪と呼ばれていた彼女の姉と、兄が慌てて庭にやって来た。

 

 兄は蓮津のことを『蓮津姫様』と呼んだ。

 

 小雪と呼ばれていた女性にょしょうと蓮津は姉妹ではなかった!

 

 後の私の義姉上あねうえとなる小雪殿の引率の下、姫である蓮津が世相を学ぶ、という名目のもと、息抜きのため隠密で連れ出すことを許されていたのだ。


 

 まさか私が恋をしてしまったのがお姫様だったとは‥‥‥

 

 

 これは諦めざるを得ない。そう思っていたのに。

 


 

 

 その後から小雪殿と蓮津は、たまに我が家に訪ねて来るようになった。

 

 多分、義姉上あねうえと兄の思惑の為そうなったのだと踏んでいたのだが、蓮津も私との遊びが楽しかったようだった。

 


 小雪は母とも気が会うらしく楽しげにすごし、その間、蓮津は私と遊んだ。一目につかぬように屋敷内からは出られなかったが、かるた取りや双六すごろく、駒回しなどもしたし、家中を使ってのかくれんぼでは、蓮津は押し入れに隠れたまま すやすや眠ってしまっていたり。


 楽しかったな‥‥‥あの頃。

 

 蓮津にとっても普段では体験出来ぬ楽しき時間だっただろう。

 それは、この私とて‥‥‥

 

 

 私は蓮津が月に一度やって来るあの時間を心待ちにしていた。

 

 私は美しく素直で心優しい蓮津に、会うごとにますます引かれていった。しかし、姫様相手に私の気持ちなど伝えられるはずはなかった。


 

 

 そして蓮津と私が初めて出会ったあの日から季節が二周する頃、兄と小雪が祝言をあげた。

 

 同時に蓮津が訪れることは無くなった。

 


 私は勉学に励み、兄の城での評価も加わって、なんとか城に仕えることが出来ることが叶った。だが、城の中に入れたとて下っぱの私などが姫様である蓮津に会えるはずもなかった。


 

 そこで私は義姉あねの小雪殿にわがままを申し出た。


 一度だけ。私が城に仕えることになったことを、蓮津姫様の幼なじみとして内密にご挨拶しておきたいと。

 

 義姉は私たちが隠密で仲良く遊んでいたことを知っているため、姫様もお喜びになるだろうと一度だけならば、と伝を辿って蓮津のお付きの千蒔という腰元に頼んでくれた。


 

 約束の時間に、城の池に架かる小さな太鼓橋の真ん中で待っていた。

 

 本当に来て来れるのか疑心暗鬼だった。不安と期待が入り交じり、来てくれるのを祈りながらそわそわ待った。

 

 

 遠目に二人の女性がこちらに向かって来るのが見えた。

 

 

 期待に胸が熱くなる。 


 

 ──そして遂に蓮津が現れた橋のたもと。

 

 

 二年間会えない間に、さらに美しさを増していたその姿。

 

 蓮津には、私のことはどう見えるのだろうか?

 

 

 私は、蓮津が私に向かって駆け出すのを見て、彼女がこの二年の間、私と同じ気持ちであったと確信した。

 

 蓮津と私はお互いに想い合っていたのだ。ずっとずっと会えない間も。

 

 

 私は蓮津にこっそりと私の思いをしたためた手紙を渡した。

 

 それがきっかけとなり私と蓮津は逢い引きするようになった。

 

 

 千蒔殿は一度は手引きを手伝ってくれたが、次からは気が引けているようだった。

 

 それも当たり前だった。これが露見すれば千蒔殿にもどのようなおとがめがあるかわからなかった筈もない。

 

 私は自分のことしか考えていなかったのだ。私は身分違いであるのは十分わかっていても、自分を押さえる事は出来なかった。

 


 再会が叶ってから二年と経たない内に、蓮津は大目付様の嫡男の側室に迎えられることに決まった。

 

 蓮津の周囲は、にわかにざわめき出し今までとは全く違ってしまった。

 

 蓮津と私はもう逢うことは叶わなくなった。

 

 


 苦しい日々となった。私たちが結ばれることなどありえないとわかっていたが、蓮津以外の女など私には目には入らなかった。

 

 その頃には既に私の行動に不審を抱いていた兄夫婦は、私に幾度となく縁談を持ち掛けて来たが、私は不機嫌を隠すこともせずすべて断っていた。

 

 

 その頃からだ。私はふと、何者かに見られていることに気がついていた。


 

 私の周りで何か嫌な気配がし始めていた。

 

 私が家族と住む屋敷に何者かが忍び込んだ形跡が二度あった。

 

 私と蓮津のことを薄々気がついていたらしき兄は、私を隠れて問い正したが、私は何も言わなかった。

 

 もし、認めてしまえば兄夫婦にもわざわいが降りかかるだろうとわかっていた。

 

 先日は寸でで、崩れる積み荷の下敷きになるところだった。塀に並べて立て掛けてあった木材が、私が通りかかるのに合わせて倒れて来たこともあった。

 

 何者かが壁の向こう側にて細工していたのは間違いはない。

 

 

 私は明らかに命を狙われていた。

 

 私のような小物が狙われるのはなぜなのか、見当は考えるまでもなかった。

 

 

 そのうち私は消されるのだろう。

 

 

 逃げても無駄だ。私が姿を消せば難癖をつけられて次は兄夫婦にお咎めが下されるだろう。


 

 

 家族に迷惑をかけぬよう、密かに書き置きをしたためた。

 

 私の身に何かおきたとしても病死として届ける旨。私の短い人生に後悔はないこと。母上と兄夫婦へのお詫び。


 

 最期に一目、蓮津に会いたかった。

 


 消えることがない苦しみは早く終わるほうがいいだろう。


 私は逢魔が時、一人で薄暗い神社の境内に入った。誰もいなかった。

 


 ふと、一人の虚無僧が現れた。私はただ、見ているだけだった。


 虚無僧は無言で私を一太刀にした。





 ──私には余りにも大きな思いを残していたためか、死後もこの世に留まっていた。

 

 一番迷惑をかけたであろう母上と兄夫婦はどうなっているのだろう。


 

 

 暫く見ていたが、特に何のお咎めもない様子だった。

 

 私が病死と届けられ、楯突く気は無いと示したためだと思われる。向こうも故意に目立つことはしたくはないだろう。

 

 

 これで心残りが一つ消えた。もう一つは‥‥‥



 蓮津は私の死を知ったのだろうか‥‥‥? いや、私の名など最早もはや蓮津の前で出す者はおらぬだろう。

 

 

 私はせめて一目蓮津に会わなければこのまま現世をさまよい続け、あの世には行けない。

 

 

 

 それゆえに‥‥‥




 私は眠っている蓮津の夢枕に立った。


 私の愛しい人は私に願い事をした。

 

 私は愛しい人の願いを拒んだ。

 

 私の愛しい人はそれでも私に願い事をした。

 


 私は愛しい人の願いを叶えることにした。


 私はその日から毎夜愛しい人と愛を語りあった。


 私はその日から毎夜愛しい人と愛し合った。


 愛しい人は日に日に衰弱していった。

 


 そして‥‥‥

 

 

 私の愛しい蓮津は、ついに私のものとなった。





『まだ未完、だから夢中に迷妄中』の3章で、死の間際の蓮津姫と名波索の死の真相がちらりと出てます。


お話は落花生高校2年の明るい女の子と気弱男子のファンタジー入りの学園ラブストーリーです。

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