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唯一の恋

落花生城の蓮津は‥‥‥

「今、何と言っていたのです? 今の話は本当なの? わたくしに隠さないで話しなさい!」


 行儀見習いの若い女二人が廊下で噂話をしていた。

 

 突然、蓮津姫が廊下の角から現れたので彼女らは慌てふためいた。

 


「こ、これは蓮津姫様、失礼いたしました。私たちは何も‥‥‥」


 そそくさと足早に立ち去った。

 


千蒔ちまき!」


 蓮津は後ろに控えている千蒔を青ざめた顔で振り返った。


「‥‥‥千蒔は知っているのでしょう? 今すぐわたくしの部屋に戻り聞かせてちょうだい!」


 

 蓮津の心の臓が早鐘を打っていた。

 

 

 ──まさか‥‥嘘だわ!そんなこと!


 

 千蒔は顔色失い、うつ向いている。

 


 ──さくが死んだ? どうして? ううん、そんなことはきっと間違いです!



 蓮津は部屋に戻ると同時に崩れるように座り込んだ。

 


「‥‥‥姫様。姫様はほんの少し前まで那津姫様のことで臥せっておられてやっとお元気になってこられたところ。このような話、今、千蒔は出来ませぬ。お許しくださいませ」

 

 蓮津の横にひれ伏した千蒔の声は震えている。

 


「いえ、許しませぬ。話さぬなら他の者に聞くまで。ですがわたくしは千蒔から聞きたいのです!」

 

 弱々しく崩れ落ちながらも、蓮津の口調とその目つきは鋭い。

  


「‥‥‥」

 

 刺さる視線にいたたまれず、袖で顔を覆う千蒔。

 


「千蒔? わたくしに隠すつもりなの? あるじ に対してそのような無礼は許しませぬ!」

 


 蓮津はもういつものしと やかな蓮津ではなくなっていた。

 

 今まで、自分の奉公人に手違いや粗相があろうと このようにきつく言い放つことなど一度もなかった。


 

 千蒔は観念した。自分が今、伝えねばならなくなったのも運命だと悟った。

 

 かつて睡蓮の咲く太鼓橋にて蓮津と名波索を引き合わせた罪はどこまでも千蒔を苦しめる。 

 

 

「‥‥‥姫様。承知致しました。すべてお話し致しますゆえ‥‥‥お心強くお持ちになってくださいませ‥‥‥」


 

 千蒔の頬にも涙が伝わっていた。

 

 後悔と憐憫れんびん と苦悩の涙が。

 

 

 

 

 五日前、索は亡くなっていた。

 

 その日の夜、索は何者かに呼び出され、切り殺されていた。

 

 

 索の帰りが遅いため、探していた兄が神社の境内で倒れていた索を見つけた。既にこと切れていた。

 

 索の死は鮮やかな一閃を受けたことによる死で、どう見ても剣客の仕業であった。


 名波家では病死と届け出た。

 

 なぜ索が殺されたかはおおよその見当がついていた。だが、名波家の身分ではどうしようもない事だった。索の兄もまた、母親を、妻子を守らなければならないのだ。

 


「まさか‥大目付様の手の者が‥‥! わたくしたちのことを知って‥‥?」


「姫様、滅多なことを口走ってはなりませぬ。我が城のお殿様にまで禍が及ぶやもしれませぬ。こらえてくださいませ。それに‥‥‥そうとも限りませぬ‥‥‥」

 

 

 千蒔は思い当たることがあったのだが、それは決して言うべきでは無かった。今度は自分の命さえ危うい。これが精一杯の答えだ。

 


「‥‥ええ、哀れな索‥‥‥わたくしは何も知らずにのうのうと‥‥‥」


「ご自身を責めないでくださいませ。私が‥‥‥私が名波様を手引きしたばかりに、このような結果に‥‥‥」


 千蒔は目を瞑った。

 

 あれは間違いだった。姫様をほんのひと時お慰め出来ればと承諾しただけのはずだった。

 

 

 苦悶の表情の千蒔を見て、蓮津は抑えきれずに感情的な態度を千蒔にぶつけてしまったことを恥じた。


 

「千蒔‥‥‥ごめんなさい。千蒔は索の死を知って一人で苦しんでいたのですね‥‥‥」

 

 蓮津は千蒔の手を取った。

 

 

 黙ってうつ向いている千蒔の頬からは、ぽとりぽとりと涙が落ちている。

 

 

「千蒔は索の死には関係ありません。それに、いいこと? 今のようなことを二度と言ってはなりませぬ」

 

 千蒔の手を握る蓮津の指に力がこもった。

 

 千蒔は、つられて顔を上げると蓮津と目が合った。


 

「‥‥‥姫様」


「わたくしは索とのことを後悔することは絶対ありません。それは索とて同じだと信じています。だから千蒔も同じでなければなりませぬ。それに索の魂はわたくしの下に必や戻って来るのです」


 

 今の蓮津の瞳には落ち着きさえ感じられる。なぜか先程までの弱々しさが消えている。


 

「わたくしは千蒔に暇を取らせましょう。ここにいては千蒔は辛い。わたくしが千蒔の嫁入りに困らぬほどの金子きんすを授けます」

 

 

 蓮津は凛然と言い放った。

 


「そ、そんな‥‥! 千蒔はこれからも姫様の側でお仕えしとうございます。お許しくださいませ」

 

 突然お暇を言い渡されたのは、蓮津の怒りを買ってしまったからではないか、と千蒔はたじろいだ。

 

 蓮津は、怯えの走った顔の千蒔の右手を両手で上下に優しく包み込み、言い聞かせるように、ゆっくりはっきり言った。

 

「いいえ、千蒔はこの城を出て幸せになりなさい。ここにいては苦しむだけ。これはわたくしの命令です」


 

 蓮津は障子の外側に声をかけた。

 


かえで、お入りなさい」

 


 部屋の障子戸の外廊下で控えていた楓を呼んだ。

 

 

「はい、姫様」 

 

 楓がすっと戸を開けて、部屋の入り口に一歩入り正座して手をつき頭を下げる。


 

「千蒔、今月中にすべて楓に引き継ぎをしなさい」

 

 

 姫の威厳を前にして、千蒔は最早従うしか出来はしなかった。

 


「はい‥‥姫様、承知いたしました」

 

 

 自分のことを思ってくれてのことだとは解っているのだが、蓮津のことが気がかりで、決して城を離れたくは無いのが本心だった。


 蓮津は索の死に千蒔を巻き込むことを嫌った。千蒔は蓮津にとって唯一の恋を救ってくれた恩人とも言える人だったのだから。



 

 ──寒さが次第に身に染み出す頃、千蒔は城を去った。

 

 


 それ以降、蓮津は、那津のために那津が好みそうな物語を写本し、索のために写経して過ごしてた。

 

 後一月後には、大大名家の養女となり格を上げてから輿入れすると申し合わされていた。

 

 

 ──きっと索はわたくしに会いに来てくださるの。わたくしの想いを受けとるために。

 


 蓮津は毎日祈りを捧げ、来る日も来る日も索の魂が来るのを待った。

 

 

 

 ──もし、それすら叶わないのならば‥‥‥わたくしは。




 深夜に初雪が舞い始めたその頃、蓮津は夢を見ていた。




『蓮津‥‥私だ。会いたかった、ずっと‥‥‥』


『索、わたくし、ずっとずっと待っていました。こんなに待たせるなんて‥‥‥』


『すまなかった。泣かないでくれ‥‥。私に力がないばかりに‥‥‥許してくれ』


『いいえ、わたくしは許しませぬ‥‥‥今日から毎夜、私の元に来るのです。そして少しずつわたくしの精気を奪いなさい』


『‥‥‥私にそのようなことは出来ぬ。蓮津は幸せに生きて欲しい。その美しさを持って栄華を手に入れられるのだから』


『いいえ、わたくしにはもう幸せなどありませぬ。解っているのでしょう? もし、わたくしの願いを聞いてくださらないなら‥‥‥。ねぇ、わたくしがもし、自害したら大目付様はこの城に次はどんな仕打ちをするのでしょう?』


『それは‥‥‥』


『だから‥‥索が少しずつ、わたくしを黄泉の国へ近づけてくださいな』


『‥‥‥‥‥‥‥‥』


『索が本当にわたくしのことを想っているのなら、わたくしの最期の願いを聞いてくれるはずですわ。わたくし‥‥‥索を信じています』


 

 

 

 夢を見て幾何いくばく もなく蓮津が病臥中びょうがちゅう となり、婚礼準備のすべての予定は延期となった。



 半年後、少しずつ弱っていった蓮津は静かに息を引き取った。

 

 

 その蓮津の顔は穏やかで、あいも変わらず美しいまま、わずかに微笑んでいるようにも見えた。


 





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