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再会の蓮の華

 小雪が城を去り、蓮津はもう名波家をお忍びで訪問することは叶わなくなった。

 

 蓮津は、新しく当てがわれたお忍びの散策のお供の者に、前任だった小雪の嫁ぎ先の屋敷に行きたいだのとは言えるはずもなく、密かに慕っていた索とも会うことも無くなり、むな しく2年半が過ぎ去った。

 

 

 蓮津は2年の間、お忍びで名波家に通う間に、索も自分を好いていることは気付いていたけれども、蓮津は心の内を索に告げることは無かった。

 

 二人の幼き恋心。

 

 たとえ索と蓮津の心が通じあったとしても、姫である蓮津と下級武士の倅の次男坊の索が添うことなどありえないことはわかりきっていた蓮津は、これは運命だと自らの気持ちにはなんとか折り合いをつけ、それは索も同様であるはずで、お互いの想いは秘めたままでの別れとなっていた。

 

 

 

 索を失った虚しさをいくばかりか埋めてくれたのは‥‥‥

 

 

 蓮津には腹違いの妹がいた。3つほど下の姫の名は、那津なつという。

 

 蓮津の母のお蘭は幼き頃から噂に登る器量良しで、その美しさを早くから見初められ、身分は低き武家の娘ながらも16の時に領主の側室となった。その後、正妻のおよし の方様が迎えられ、正妻から生まれた初の子が那津だった。

 

 蓮津の母のお蘭の方は、先に嫁いだからといって出しゃばることもなく、常々つねづね 正妻のお淑の方を立て、季節ごとのご機嫌伺いをしたり、自ら見立てた美しい織物地や舶来の珍品を贈るなどして親愛を示し敬っていた。

 

 その為、正妻と側室といえど関係は大変よろしく、それぞれの姫同士の関係も幼き頃より親愛で結ばれていた。

 

 

 那津姫は、愛らしいお顔立ちで、また、稀にみる活発な姫であった。

 

 そして相当に賢く、手習いの飲み込みも誰もが感心せざるをえないほどに早く、教えられたことは真綿が水を吸い込むが如くの出来であったため、おかみ から跡継ぎと認められる男児で無かったことを悔やまれることこの上無かった。

 

 他の二人の側室などから姫と男児は生まれたものの、男児だけはうまく育つこと無く、結局のところ、この城での期待と注目は、麗しき容姿を持つ蓮津姫と賢き那津姫に集まっていた。

 

 

 那津と蓮津の結び付きは、他の姫たちには割り込むことなど出来ない深きものであった。

 

 それは城内では周知のことだったので、那津がまだわらわ という年頃にも関わらず、大人たちを理論で言い負かし、手に負えないわがままぶりを発揮した時には、いさ め役に蓮津が呼び出されることもまれにあった。

 

 那津は、優しくかつ、所作も見目みめ も美しい蓮津が大のお気に入りであったし、蓮津も自分を邪気無い心で慕ってくれている那津姫を大層いとおしく思っていた。

 


 

 

 

 

 蓮津が部屋で文机ふづくえ に向かい写本をしていると、障子戸の向こう側に人影が映った。

 

「蓮津姫様、千蒔ちまき でございます」

 

「はい、お入り下さいな」

 

 

 千蒔は廊下の左右をささっと見回してからさっと部屋に入り障子戸をそっと閉めた。 


 

「あの‥‥蓮津姫様、今日はとてもいい日和ございますゆえ、庭を散策されてはいかがでしょう?」

  

 

 千蒔は小さな商家から行儀見習いのために城に奉公に上がっている18の娘で、奉公人の中では目立たない存在だったのだが、チラリと見かけた時でも陰日向無く働く千蒔の姿を見ていた小雪が、自分の穴埋めに腰元の一人に推した。

 

 千蒔は働き者で大人しく控え目な娘で、蓮津も千蒔のことは腰元の中でも一番気に入っていた。


 たかが散歩ごときのことをなぜだかとても緊張した顔で進言してくる千蒔に蓮津はクスリとかわいらしい笑みをこぼした。

 

「そうですわね‥‥‥‥今日は那津姫様は確かお琴のお稽古がありますもの。こちらにはいらっしゃらないわね」

 

「‥‥‥はい。池の蓮も美しく咲き始めておりますゆえ、ぜひとも姫様に御覧いただきとうございます」

 

 深々と頭を下げたままでなぜか目を合わそうとしない千蒔に、ふと違和感を感じた蓮津であったが、特に深く考えることも無く庭に出た。

  

 

 

 千蒔のいざな いで、大きな太鼓橋の方ではなく、池の外れの小さな太鼓橋の架かる方へと歩いた。

 

 

「‥‥‥姫様、ご覧くださいませ。あそこに一つ、蓮の華があんなに美しく咲いております」

 

「ほんとうですね、千蒔」

 

 

 小雪が名波家に嫁ぎ、蓮津の下を去ってから、もう2年半が過ぎていた。

 蓮津ももう13を過ぎ、女児の美しさを上塗りするように徐々に色香が現れ始めている。

 

 

 小さな橋の手前の、繁った菖蒲の葉と松の木の幹とで出来た物陰で千蒔が止まった。

 

「‥‥‥わたくし、この華が毎年咲く度に思うのです。名付け通り、蓮津姫様は美しい蓮の華のようだと。‥‥‥一見ゆらゆらと水の上を漂って向こうまで行けると思いきや、下ではしっかと繋がれていて自由に動くことは出来ないのですわ‥‥」

 

「‥‥‥え?」 

 

 

 千蒔は、斜め下を見ながら伏せ目がちに続けた。 

  

「それゆえわたくしは罪を犯したのです‥‥‥‥わたくしはここでお待ちしておりますゆえ、どうかこの橋を渡ってゆっくり散策なさってくださいませ」

 

 

 千蒔はお辞儀をすると、すっと後ろ姿を見せた。

 

 千蒔の思いがけない言葉と態度に不審を覚えつつも、美しく咲き始めた蓮の華をもっと近くで見ようと橋を進もうとして、ふと目に入った。

 

 橋の上には一人の男がひざまずいて控えている。

 

 

 ーーー城中に仕えている誰かが偶然通りがかったのかしら?

 


 蓮津は橋のたもとからその男を見た。

 

 男は、顔を上げた。

 

「お久し振りでございます。蓮津姫様」

 

「‥‥‥」

 

「約束を果たし、またお会いすることが叶いました。それがし の顔をお忘れでございましょうか?」

 

「‥‥‥索!」

 

 蓮津は千蒔を振り返った。向こうを向いたまま知らんぷりだ。

 

 

「蓮津姫! 某は元服してお城に上がったんだ」

 

「‥‥‥索。もう会えなくなってから3年近く経ってしまったわ。もう二度と会えないかと思っていたの‥‥‥わたくし‥‥‥」

 

 蓮津は索に駆け寄った。

 

 急くあまり転びそうになった蓮津を索が咄嗟に支えた。

 

「これではまた鼻緒が切れてしまうわね」

 

 泣き笑いの涙を滲ませながら蓮津が索を見上げる。

 

「そんなことになりましたら某が何度でも直して差し上げます」

 

 蓮津の手を取り、索が答えた。

 

 その手は以前より力強く、少年だった顔は精悍に変わりつつあった。

 

 

 

 

 ーーーほんのひとときの再会の時間はあっという間だった。

  

 

「姫様、人が来ますゆえ‥‥、名波様もどうかもうお戻りくださいませ」

 

 

 千蒔が駆け寄り小声で言った。

  

 

 

 それから蓮津と索は城内で密会を重ねることとなった。

 

 

 蓮津は姫として生まれたことを悔やみつつ。

 

 索は低き身分の我を恨みつつ‥‥‥‥‥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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