《内幕》 那津の帰還
那津は菓子で私を釣り、鱗を得ようとした。なんとかわいらしい策略よ。
私は乗せられてやった。代価として那津に私の霊力を注いだ私の鱗を一枚渡す。
これには那津が助けを求め、私を想う時に発動する魔術を施した。
それを那津の左手の甲に霊力を流してさりげなく貼り付けた。これで私たちの婚約は成立した。
これが我ら金鯉族の婚約のしきたりであり掟 。
那津は知らぬとはいえ、私たちの婚約は成立した。那津は、鱗を受け取り嬉しそうに笑顔を見せた。
これで那津は私のものだ。
私以外、外すことは出来ない。これで鱗を通して、私はいつでも那津のおおよその居場所も感知出来るようになった。
那津は不老の体には興味が無いようだ。いずれ私の子を宿す大切な体だというのに。これを私に押し付け、那津は現世に戻る気だろう。
出来れば那津を一時も私の側から離したくはない‥‥‥が。
突然霊界に来てしまったのだ。現世にいろいろと気掛かりもあるのだろう。心残りはきっちり片付けてしまった方がいい。
私は素直に那津を現世に連れて行くことにした。
あの、私達の出会いの井戸まで連れて行った、ら。
やはり那津はここで私とはおさらばするつもりだったらしい。私に不老の体だけを押し付けて。
馬鹿な。抜け殻では足りぬのだ。私はそのまぶしく心地よい心の輝きを側に置きたいのだから。
──那津は行った。
しかしどこにいるかは那津につけた婚約印で私が知る所となっている。私が二日後に迎えに来ることに変わりは無い。
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二日後の夜、私は那津を迎えに戻った。しかし那津はこの現世のこの城にずっと残るつもりだと言い張った。さらに左手の甲の鱗を剥がそうとした。この私が与えた婚約印は私以外外せないというのに。
私は強引に那津を鰭袋に入れ、賽の河原に戻った。ここで私と那津の婚約を公にするのだ。
那津は驚くだろうが、この私の妻となれることを光栄に思う時が近く訪れることだろう。
昔から私と結婚を望む者は後を絶たない。
されど、私の理想の女はここにはいなかった。
まさか私ともあろう者が、結婚のためにこの大人になりきってはいない姫の成長を待つとは、我にも予想外なことだ。
私は父に那津との婚約を報告をした。
父の成瀬は私達の婚約を喜んでくれた。母は私のことは放任ゆえ問題は無い。
しかし肝心の那津は‥‥‥
那津は私と婚約の印を結んだ事を知ると、婚約を覆そうとあれこれ理屈を並べて来た。
この私に何の不満があるというのだ? 年頃の娘は皆、私を見ては顔を赤らめているというのに。
ついには那津は、動揺して逃げ出した!
──駄目だ! そちらに行ったら那津は気づかぬまま鯉の里の結界から出てしまう!!
那津はここの恐ろしさを何も知らない。この無限世界で確認されている区域は限られている。だから私達鯉族は、陸地の奥に行くことはほとんど無い。最果てはどうなっているかなど、誰にもわかるまい。
あの大きな一本の古代樹より向こうはそのまま何もかわりばえしない世界だろうと伝えられているし、過去に旅立ったった者は一人とて戻って来てはいないと聞く。
ここでは様々な霊界生物が住んでいるが、私とて全て知るわけではない。
それはここでは異種同士の交雑が限り無くある世界だからだ。
目立たぬ場所で、とんでもなく醜き凶猛な下等霊界生物が知らぬ間に蔓延っていることもあるというのに。
せめて川沿いに進んでくれれば良かったが、那津は川岸から離れてどんどん奥地に行ってしまった。
私とてこの身のまま迂闊に陸地の結界外に行くわけにはいかない。身を守る武器も霊力玉も必要だ。
那津を見つけても川岸から遠く離れた場所で、しかも敵が多ければ、私一人では那津を護りきれない恐れもある。
私は草むらに分け入り見えなくなった那津を追うのを止めて、急いで準備に走った。那津の居場所は感じ取ることが出来ている。必ず連れ戻すことは出来る!
念を入れたため時間がかかってしまったが、入念な準備が整い、私は結界の外に出た。
那津はあの古代樹辺りに向かっているようだった。那津の足だ。私に追いつけぬ道理は無い。私でも人形で難無く往復出来る。
そういえば、あそこにはまだ下賤な猿の三兄弟が未だ住み着いているのか‥‥‥?
私は古代樹目指して走った。しかし、そこには大きな血だまりと肉片と骨。それにたかる小型の霊獣たちがいるだけだった。
私は今一度気を集中し、那津の居場所を探った。
──なんと! 今は鯉族の結界に向かっている。
私はひるがえして元来た道を辿った。
那津はきっと気持ちを変えて私の下に戻ろうとしているのだ!
それにしても、どういう手を使っている? なんという早さで移動しているのだ。
私は霊力玉を使うしか追いつくことは不可能。霊力を追加し、速度を上げ那津を追いかけた。
私は那津が戻ろうとしていることをいとおしく感る。
結界の少し手前で、ついに那津を見つけた!
しかし‥‥‥!
しかし、やっと見つけた那津の首に、強き霊力が感じられる首飾りがかかっているのが見えた。
先ほどから、年若い男が那津のすぐ後ろに立っている。この少年と同じ霊力の首飾り。
ということは‥‥‥!
その男はキザシと名乗る大鷲だった。キザシは那津に自分の婚約印を付けていたのだ。
なんということだ!!
那津の手の甲を見れば金鯉族の誰かと婚約していると分かっていたはずであるのに!
これは私への挑戦。許すわけにはいかぬ。
‥‥‥しかし、今の私は疲れきっている。この見知らぬ若き大鷲の真の力もまだ不明瞭だ。ただでさえ、大鷲は手強き相手。
今ここで、自ら事を荒立てての実力行使は得策では無い。
私はただの抗議に留めたため、ずいぶんとなめられて大鷲キザシは婚約印の首飾りを外すことなく去って行った。
那津と私は、とにかく安全な結界の中に移動した。
那津はどんな目にあったのか? あちこち血や土で汚れていたし、傷だらけだ。
霊体は生きていた時と同じ感覚を引きずるもの。
実際は息をしていなくても息をしているように感じている。それに霊体は本人の思念に大きく影響されるものだから、生きている時と同様に実体化していて、その霊体も傷つき痛むものだ。
本来は姿形も時には変えられるのだが、人間が前世以外の形を取るには相当の執念と信念が必要だろう。
私は庵に連れて行き体を洗わせ、持っていた霊力玉に念じ、那津の似合いそうな着物を用意して着替えさせた。
このいまいましい羽根の首飾りはつけたまま。
今、話をさせるのは可哀想だったが、那津を鰭袋で休ませる前に少しだけ何があったのかを聞いた。
那津は大猿に襲われたが、気を失っている間に金の糸が大猿を肉片にしたらしいと言った。
あの古代樹の脇にあった、あの肉片の血溜まりはそのためだったのだ。
私が那津の手の甲の鱗に施した守護呪術が発動したのだろう。
それは、那津は気を失う前に私のことを想い、助けを求めたことを意味している。
私の胸に心地よい熱さが込み上げる。このような感触は那津とでしか得られまい。
那津の生きた体は私が持っていることも合わせ、あのキザシという大鷲が私と那津の間に入る隙など無い。
私はそれでひとまず満足した。
那津を鰭袋に入れ休ませ、私も川に戻り疲れを癒した。




