オポンコピー事件とそのあと
「いらっしゃい、飲んだくれシスターズ。待っていたわよ、座ってちょうだい」
五月二十五日の月曜日の放課後、運動部はキャンプファイヤーの、文化部は部室の後片付けをしている。しかし新聞部は何か出し物をしていた形跡は微塵も感じられない。
橘と津田がソファーに腰掛けるが、鍋島は手を後ろにやりもじもじしている。
「どうしたのナベさん?あなたも座って良いのよ」
「……ナ、ナベって言ったらお土産、あげません」
ゆっくりと前に出された彼女の手のひらには、黄色のリボンで閉じられた透明なラッピングシートが乗っており、中には薄茶色の手作りせんべいが入っていた。
「あらナベシマさん、ありがとう」
鍋島が大道寺の方にずかずかと進んでいき、目も合わせずぶっきらぼうに持っていた袋を押し付ける。色々な意味で緊張しているのだろう。渡し終わったらそそくさと二人の居るソファーに腰掛けた。
「じゃあせっかくだから頂こうかしら。うん、美味しいわ」
美味しいと言う割に誰が作ったのかとか、なんのせんべいなのかとか質問して来ない。この大道寺明美という女は食に興味が無いのだ。毎日似たようなものを食べても、元々無関心だから特に何も感じない。せいぜい気にするのは賞味期限くらいなのである。大雑把な橘は食べるのが好きだ。ハンバーグ、オムライス、からあげ辺りが特にお気に入りである。几帳面な津田もドライフルーツやナッツが好物でよく朝に食べているし、シチリアラーメンも好きだ。鍋島は言うまでもないだろう。この三人にとって、食べ物を栄養分としか認識してない大道寺は大変奇異に映ったに違いない。まあそれ以外も奇異だが。
「じゃあ早速、七不思議用のネタを見せてもらおうかしら」
「はい、これどうぞ」
津田が茶封筒を渡す。せんべいをボリボリ補給しながらその中を確認する大道寺。そしてタイミングを見計らったかのように田中がお茶を出しに来た。
「田中新聞部に入ったの?」
「違う違う、今日まで。それにお前らの仕事を見届けようと思って。こっちだって五千円犠牲にしてんだ」
そして大道寺にもお茶を持って行こうとした時、あのせんべいに気づいたらしく、口を左手で押さえて三人の方を見る。どうせまた野球部の罰ゲームで使ったりしたのだろう。津田が口に人差し指をやり「黙ってろ」の合図をした。田中が軽く二度頷き、前回と同様に新聞部部長の近くで待機している。
「ふむ。なかなか良いんじゃないかしら。料理研と二年F組についてはこっちにも話が来てるわ、素晴らしい」
「あの〜、私が言うのもなんなんですけど、料理研の事とか私達が知っちゃっても良かったんですか……?」
「良い質問ね、鍋島子さん。新聞部は情報であなた達を使ったわけ。情報の報酬は情報で返してあげたまでよ。それにお互い弱みを共有してた方が均衡を保ちやすいしね」
三人は一瞬納得しかけたが、そもそもそこまでリスクを冒して彼女達や田中を使う意味など無い。新聞部だけでやれば良い話である。まあ変人大道寺の場合、面白がって他人を巻き込み、悪事を行っている節もあるのだろう。
「一つ気になったのだけどツダンヌ、この七不思議候補の最後の点が気になるのだけど。あとさりげなく私の事眼鏡呼ばわりしてるわよね、この書類の中で」
津田がせんべいを食べている眼鏡部長を自分のデジカメで撮り、
「これです」
と言った。眼鏡の件に関しては黙秘を貫く算段らしい。津田と大道寺以外の三人が示し合わせたかのように俯く。
「ツダンヌ、ちゃんと説明してちょうだい」
「それ、今先輩が食べてるせんべい。実は昆虫食研から買ったコオロギせんべいです。よく見て下さい」
田中が笑わないよう口をつぐみ、顔を真っ赤にしている。大道寺がせんべいを見ると、羽や触覚が表面に刻印されている。口を小刻みに振るわせ始めた。
「……こ、これは、た、食べ物じゃない……わ、私は認めない」
「昆虫食研によればコオロギは栄養価も高く、エコな食品だそうです。最後の七不思議候補は『新聞部の部長は昆虫を食べる』です」
「オ、オ……」
「お?」
全員が聞き返す。
「オポンコピー!!!」
部室内に轟く謎の言葉を残して彼女は倒れた。
「あと私のデジカメには七不思議用のネタに役に立つ写真が入っているので、後日昆虫食研の同級生に渡します。彼らは試作の昆虫食を新聞部に献上する気満々でしたので、私の撮った写真と共に楽しみにしてて下さい」
「いや、もうこの人意識無いから。聞こえてないよ」
「あ、田中〜、これ先輩にあげるからつけてあげてね〜。あと看病もよろしく。じゃ、また明日〜」
そう言って白目アイマスクを田中に渡し、三人は新聞部から退却した。そして田中から徴収した文化祭用の資金の残りで、久しぶりのお茶のみ喫茶へ向かうのだった。
ただこのあと白目のアイマスクをしながら「飲んだくれシスターズ、恐ろしい子」と大道寺が呟いたのは、看病をしていた田中しか知らない。さらに大道寺が卒倒した事件を新聞部員の間でオポンコピー事件と呼称し密かに語り継がれ、昆虫食研の試作品が度々新聞部へ無償提供される事となった。
お茶のみ喫茶へ向かう途中、飲んだくれシスターズは興奮冷めやらぬ様子で先ほどのオポンコピー事件について話していた。晴れてはいるが、水分を含んで重くなった空気が梅雨の気配を感じさせる。
「いやー、あかねの復讐劇凄かったわ」
「も〜超緊張したよ〜」
「ありがとう優花。味を知ってる人が渡した方が良いもの。ただ、珍獣部長は何も聞かず食べてたけどね」
「それよりオポンコピーって何〜?」
「知らな…」
橘が話してる最中、あの感覚が襲って来た。
(あっ横断歩道、しまった、うっかりしてた)
そう思ったがもう遅い。ぐにゃりと足下が歪み、喫茶店と信号の無い場所へ放り出された。
「やあ、薫ちゃん。久しぶり」
昨日聞いた声だ。灯春があのベンチに座っている。一昨日会っているのにこの発言は明らかにおかしい。最初にここへ飛ばされた時は何が何だか分からなかった橘だが、今は少し情報が増えたし聞きたい事もある。
「私達おととい後夜祭で会ってるんだけどね。灯春君、今日何年何月何日何曜日?」
「俺は会ってないな。今日は二〇〇九年五月二十五日月曜日だよ」
過去だ。
もし彼の言っている事が正しければ、橘は過去にタイムスリップしている。
「疑ってるわけじゃないんだけど、それを証明できる何か持ってる?ほら、私の生徒手帳と学生証見せるから」
西ヶ浜高校の生徒手帳は表に校章と今年度の数字が記されている。ちなみに橘は二〇二〇だ。学生証も発行年月日が印字されているはずだ。
「うおっ薫ちゃん未来人だ。はい、これ俺の」
橘が彼の生徒手帳と学生証を確認する。確かに二〇〇九年だ。間違いない、彼女は十一年前にタイムスリップしていた。
「……うっそマジで?」
「まあまあ、とりあえず座りなよ」
にわかには信じ難いがそれしか考えられない。茫然自失で遠くの方を見ながら彼の隣に腰掛ける。しかしそうすると昨日の灯春は何だったんだ?
「……今私の居る所が二〇〇九年だってのは、信じられないけど……ううん、信じる。でも私は灯春君にはおととい、二〇二〇年に会ってる、それは本当。友達も消えてないし変な感じもしなかった。寧ろ灯春君が途中で居なくなった」
とりあえず自身に起こった事を羅列する。そしてたどたどしく喋りながら、自分に降り掛かった出来事の理解に努める。
「なるほど。ただ俺にその二〇二〇年の記憶は無いし、今日時点で未来には行ってない。二〇二〇年の俺は何か言ってた?」
混乱しつつも噛み締めるように確認しながら灯春の問いに答える。
「えっと、キャンプファイヤーの火が凄かったって言ってた。それと私の将来の夢について、今何年生かも聞いてきた。その時の灯春君は今の私より色々この事を知ってるみたいだったけど、介入出来ないとか、世界はそういう風になってるっても言ってた。何かマズい事を言っちゃうと消えちゃうらしいわ。この猫のキーホルダーも知ってた……あとそうだ、彼氏作って良いとか言ってた!余計なお世話じゃ!この野郎!」
一昨日の怒りを急に思い出して、隣に居る灯春を右ひじでどついた。彼にとっては身に覚えの無い発言で暴力を振るわれたに等しい。青天の霹靂ともいえる一突きで咳き込む灯春。
「ゲホッ!それ…今の俺じゃないし…知らないし…」
「あ、そうだった。ゴメン」
右手で長い髪をかきあげ耳を出しながら謝罪する。彼女は表面上は謝っているが、正直罪悪感はそれ程感じていない。それどころか、会うたびに茫漠とした事を言ったり、自分だけ知った風な口をきいたりして、彼女の心を引っ掻いて姿をくらませるこの男に一矢報いた心持ちがして、橘は清々していた。
「う〜痛かった……確かにそのキーホルダー良いな。あと薫ちゃんの夢って何?それも知らない」
相変わらずペースが掴み辛い。ただ、また攻撃するのは流石に子供っぽ過ぎるからちゃんと答える。
「実は私、子供の頃トラックに轢かれそうになった事があって、その時誰かに助けてもらったらしいの。良く覚えてないけど。だから将来は人を助ける仕事をしてみたいの」
少し顎に手をやり考える灯春。今彼は橘について考えている。彼の短めの黒髪が風でほんの微かに揺れる。
「助けるか……人ってどこかで助け合ってるんじゃないか?医者や看護師も、コンビニのレジ打ちも、大統領も人助けじゃん。ただ必要とされる事自体結構難しい事だとも思うけどね」
今までに無い解答に一瞬、橘の思考は停止した。大抵「凄いね」とか「偉いね」で済まされて来たのにこの男はずけずけと踏み入ってくる。その事に不快感を覚えつつも、そこまで考えていなかった自分に対する無力感や憤りも同時に彼女は感じていた。今まで(事故未遂以外)は比較的快活に生きて来た橘の人生に一点の陰りが見えた。
「あ、いや、それを目指すってのは凄い事だと思うよ、本当に。俺なんて学校終ったら毎日ここでぼーっとしてるだけだし」
確かに灯春はぼけっとしている。ただ何も考えていないわけでは無いのが今日ハッキリした。橘はたった一つの返事で彼女の虚をついた彼の鋭敏な神経に、羨望から来る嫉妬心を抱きながらも、同時に興味も持った。
「でも灯春君て結構考えてるよね。ぱっと見そんな風には見えないけどさ」
(意地悪な言い方をしちゃった。情け無い)
「黙ってても色々入ってくるんだからしょうがないよ」
漫才の突っ込みのように反射的に行動してきた橘にとって入ってくるという感覚は最初理解し難かった。
(なんだろう、入ってくるってよく分からない……ああ、今がそう。灯春君は私の嫌な所に踏み入って来ている)
「あ〜、何となく分かったかも。私子供の頃から猪突猛進とかトビウオとか言われてたからあれだけどさ」
「ははっ、上手い例えだな」
彼女は初めて灯春の笑った顔をちゃんと見た。
「あっもう笑わないでよ!」
彼の年相応の笑顔をみて安心したのか、橘はいつもの調子に戻った。
「灯春君、毎日ここに居るって言ってたよね?」
「うん。日曜以外は大体夕方くらいまでは居る」
「オッケー、じゃあ今日はもう帰る。多分前と同じ方法で大丈夫なはず」
「おう。またね」
立ち上がり横断歩道へ向かう橘。
「そうだ」
くるりと灯春の方を振り向く。空気を含んだスカートがふわりと膨らんだ。
「ちゃんと元の世界に戻って来れるって言ってくれたのは灯春君なの、ありがとう」
「それ言ったのも今の俺じゃない…ってもう行っちゃったよ」
お茶のみ喫茶にて、三人は橘のついさっきの体験談について話していた。
「え〜っ!じゃあイケメン君は過去の人だったの?」
「灯春君ね。ただ後夜祭の事は知らないってさ」
「つまり二〇〇九年だとこの喫茶店と横断歩道はまだ無かったわけね。駄菓子屋の話が現実味を帯びて来たわ。それでもまだ信じ難いけど。あとずっと見ていたけど、私達には薫がちょっと躓いたくらいにしか見えなかった。ただ一つ不思議なのは……」
津田が手を顎に当て橘の目を見る。
「三人で渡ったのに薫、あなただけが過去に行ったわ。私達二人には何も起きなかったの。つまり、この一件はあなたが関係する何かに原因があるんじゃないかしら」
「私に関係する事……」
家族、友達、事故、学校……挙げればきりがない。
「あくまでも可能性の話よ。私見だしそんなに気にしないでちょうだい」
とは言うものの、津田の推論は結構当てになる。彼女は感情的にならず、客観的に物事を捉える術に長けているのだ。鍋島も「自称女の勘」という津田にも理解不能な、第六感に近い何かを持っているが、今回は灯春と橘の関係を探る為の道具に成り下がっている。
マダムが二階から下りて来た。彼女は客の声が聞こえる範囲には居るが、割と家の中を自由に歩き回っている。
「すいません、ここの喫茶店ていつぐらいに出来たんですか?」
「うーん、そうねぇ…四年位前だったかしら」
そうなると二〇一六年くらいだ。やはり二〇〇九年にお茶のみ喫茶は存在していない。
「あっ、おジョバ〜」
ジョバンニの事らしい。鍋島はかなり適当にあだ名をつけるし、しかもその時の気分でころころ変わる。ぽっちゃり系にゃんこは、悠々と舌を出して口から湯気が出そうなあくびをしてから、両脚を揃えて人間共を二階から見下ろす。久しぶりの帰れの合図。外は夜がしたり顔で太陽を追い出そうとしていた。帰りも喫茶店前の横断歩道を渡ったが、橘には何も起きなかった。
〜続く〜
読んで頂きありがとうございます。大道寺明美、やり返されましたね。この三人の中で一番敵にまわしたら怖いのは津田なんじゃないでしょうか。
それと橘はタイムスリップしてましたね。うん、まあ、そうなんじゃないの?って感じでしょうか(笑)
それでですね、ここで書こうか悩んだのですが、この橘がなぜタイムスリップするのかという具体的な謎解きはここでは出来ないまま終わりそうな気がしています。本当にごめんなさい。というのもこれからの展開と謎解きを一緒にしてしまうと、ごっちゃごちゃになって収集つかなくなるのが目に見えて分かるのです(汗)。最終話のあとがきでどうしようか詳しく書かせて頂こうと思っています。
ギャグパートは終了してこれからは後半戦になります。主人公と言っておきながら、特に今までこれといった活躍をしてない橘に試練を与えていくつもりです。