七不思議
「はい。まずは皆さん、試験おつかれさまでした」
どよどよと地面から湧いてきた様な声が発せられる。朝の教室の壁や天井が、生徒達の言葉にならない感想を受け止めた。
「そして今日はテスト返却日です。まず私が担当の現国、赤点はいませんでした。あっ待って待って、まだ終わってないから」
騒ぎそうになるのを山藤が急いで制止する。
「具体的な点数は知りませんが、他の先生にもちょろっと試験結果を聞いた所……全ての教科において赤点の生徒はC組ではいなかったそうです!はい素晴らしい!えっと赤点ゼロは一年生だとA組と我らがC組だけですね」
叫び声が廊下まで響き渡る。今度は教室も、この怒号にも似た歓声を塞き止める事は出来なかった。
「うん、五月中旬にして既に感無量ですよ。ということで補習はみんなしなくて良いです。適度にリフレッシュして下さい。適度にね。そして来週の金土の二日間は文化祭、通称『かんゆう祭』です。主に部活が色々出し物をして新入生を勧誘するからかんゆう祭って呼ばれているらしいです。何でひらがななのかは知りません。もし気にいった部活があったら入ってみて下さい。はい、じゃあ今日もお互い無理せず頑張りましょう。あ、あと来週から夏服着てもオッケーです」
西ヶ浜高校文化祭は既に入部した一部の新入生を除き、ほとんどは見て回る側なのだ。当日は一人でも多くの一年生に自分達の部活に入ってもらおうと、二、三年生は大声を出しながらチラシを配ったり、出し物を見に来た人達に熱心に部の魅力を伝えたり、躍起になる。というのも部員数が部費に影響を与えるのだ。人数が多い方が小額ではあるが増えるらしい。他にコンクールや大会で目立った活躍をしたり、高校への貢献度が高い場合も評価対象だ。無論顧問も居る。特に運動部顧問は指導をしたり、事故や怪我を未然に防ぐ必要があるので、部員と一緒にいる時間が多い。それとは対照的なのが文科系の倶楽部である。部費の管理もほぼ生徒に任せっきりで、顧問の存在感は山頂の空気の様に薄い。年一回の会計報告もかなりいい加減で、支出の詳細を確認する事もほぼ無く、ちょろまかす部もあるとかないとか。イジメなどの問題が起きたときは対処しなければならないが、基本的に放任主義の学校なのである。あの山藤を見れば想像に難くないだろう。
教室内は赤点回避からの開放感と来週に迫った文化祭に対する高揚感で活気づいていおり、既に部に入っている輩はもう熱心に同級生をかんゆうしている。三人娘は特にこの熱気に当てられる訳でもなく、本日もお茶のみ喫茶に集まるかどうかの会議をしていた。何事も無ければ自然と行く流れになるのだろうが実はそうもいかぬ。四月から定期的に通っていたので彼女達の財布に黄色信号が灯っていたのだ。金が無ければしょうがないし、テストの点数との等価交換に成功したと考えれば良い。文化祭を一緒に見て回る約束をして、その間喫茶店通いは諦める事になった。
文化祭前日の放課後、部室が並ぶ校舎の左側は準備でいつになく忙しない。部室と言っても元教室なのでそれなりに広い。少しでも個性を出そうとウォールステッカーを貼り付けたり、彩色を施した板を丸ごと壁にかぶせている大胆な部もあれば、あえてシンプルな立て看板だけを出して、他とは一線を画している雰囲気を醸し出そうとしている部もある。やれポスターが斜めだとか、明日のチラシはきちんと刷り上がっているのかとか、様々な情報が飛び交う。
「凄い、結構気合い入ってるね」
今朝配られた文化祭のしおりを見ながら橘が言った。津田以外の二人は紺色のポロシャツの夏服を着ている。
「あ、駄菓子研究部だって〜。明日は休憩ここでしようよ」
「休憩場所を先に決めるのは妙案ね。私にはこういうガヤガヤは正直毒だから」
三人が会話をしながら下駄箱に向かっていたら、一人の女生徒が声を掛けて来た。上履きの色を見る限り二年生だ。
「橘さん、鍋島さん、津田さんだね。うちの部長が用があるって言ってるからついて来てくれないかしら」
三人とも全く思い当たる節がない顔をしている。第一何故この人は彼女達の名前を知っているのだろうか。
「どんな用事ですか?」
切り込み隊長橘が先陣を切る。
「来れば分かるわ。今は黙ってついて来た方があなた達の為よ」
彼女が上級生だとしても随分と横柄な態度だ。
「簡単にでも説明して頂けるかしら」
津田がズイと出てくる。コイツの態度が気に障ったに違いない、若干眉が吊り上がっている。
「ふん、これを無視するとあなた達の内申、ひいては大学推薦にも悪影響がでるかもね」
「なんか怖いよ〜、ついて行こうよ〜」
「チッ、じゃあ手短にお願いします」
女上級生について行く。中央階段、折り返し階段を上り三階へたどり着いた。生徒や物が慌ただしく移動しているせいか、舞い上がる埃が窓から射す光をキラキラと反射させている。さらに校舎左の一番奥まで進む。恐らく文化系の部活なのだろう。部室入口のドアには半紙が貼り付けられていて、墨汁で新聞部と書かれている。お世辞にも達筆とは言えない。上級生が扉をガラガラと開け「入ってちょうだい」と促し、中へ入る。そこには黒い腕カバーを付けた後ろ姿の女子生徒が両手を腰に添え、足を肩幅に開き、外を見つめていた。窓から降り注ぐ、まだ沈みたくないと抵抗する太陽の光を一身に受け止めている。
「ふふ、遂に来たわね」
こちらを見る事無く話す。
「では大道寺部長、私は作業に戻ります」
そう言って三人を連れて来た部員は、黒いカーテンで仕切られた教室の左半分の作業スペースへ姿を消した。
「待っていたわ。私は大道寺明美、新聞部部長よ。さあ三人ともソファーに座ってちょうだい、校長室で古くなった物を沢山譲り受けたの」
大道寺はくるりとこちらを向く。後ろでとめた黒い髪の束が振り子の様に揺れ、黒縁眼鏡のレンズがきらりと光る。今度は夕日が後光の如き振る舞いをした。部長専用のものと思われる立派な机と椅子があり、その前にローテーブルと皮のソファーがある。言われるがまま三人はそこへ腰掛けた。
「私とこの子達にお茶をお願い!」
「はい!」
どこかで聞き覚えのある男の声が返事をした。
「……で、あなた達。罪状は分かってるかしら?」
身に覚えの無い罪を押し付けられる。新聞部に対して悪事を働いたためしなど無い。
「記憶にございませぬ」
鍋島がのらりくらりかわす。しかしこれでは何かしたも同然の返しだ。大道寺が無言でローテーブルの上に数枚の写真を投げて寄越す。そこにはお茶飲み喫茶とラーメン屋「あっさりアサリ亭」から出てくる三人の姿が激写されていた。
「うわっ、盗撮だ。趣味悪っ」
「違うわ。新聞部のれっきとした学校非公認素行調査よ!」
「非公認って盗撮を認めてるのと同じじゃないですか」
「素行調査の何が悪いのかしら?」
ダメだ、この手の人間に常識的な話は通じない。津田が話題の方向を変える。
「じゃあ何が問題か話して下さい」
「あなた達、生徒手帳に書いてある校則を見てないの?放課後の外食は禁止されているわ」
「ほとんど黙認状態ですよね。あって無いような物でしょ」
津田が切り返しても大道寺は全く動じる様子はない。鍋島は話のスピードについていくのがやっとなのか、部長と他二人の会話のキャッチボールをひたすら目で追っているだけだ。
「モチのロンそうよ。例え先生が目撃しても注意なんてしないわ、それに校則もわざと曖昧な書き方をしてるしね。でも証拠を提出された場合はどうでしょうね。学校としても対応しなきゃいけなくなる」
「せいぜい口頭注意でしょうよ」
津田の語尾が次第に雑になる。それくらい大道寺の態度が腹立たしいと見える。
「ふふっ、なかなか良い勘してるじゃない。でも内申には記載されるわ。学校推薦が欲しい場合……不利!」
「そんなご無体なぁ〜!」
鍋島が両手を膝の上でグーにし、目と眉をハの字、口をへの字にしている。なんと豊かな表情筋だろうか。
「ナベさん、文句を言うならあっちの男に言いなさい!」
「ナベって言わないでぇ〜!」
お茶を持ってくるタイミングを見計らっていた男がばつが悪そうに四人の前にやって来た。
「あっ田中!」
三人が息を揃えて叫ぶ。クラスメイトで野球部の田中翔太郎である。
「ちっす。先輩、あとみんな、これ粗茶になります」
大きな体で低いテーブルに一つずつ茶を置いていく姿は何とも滑稽だ。
「この部長がアンタのせいって言ってるけど」
野球部が新聞部を一瞥する。
「あら田中君。私にあんな事を説明しろと?ああおぞましい!」
腕を前で組み、肩をすぼめて大げさなジェスチャーをして見せた。いちいち動作がうるさい。
「あ、じゃ、じゃあ……自分から説明します」
なぜか敬語で話し始める。
「野球部の友達と一回シチリア浜の外に出かけた事があって、同じクラスの梶尾とかと。そんで皆で歩いてたらたまたま、ほんとたまたまっす。あの、アダ、アダアダ、アダルティなグッズを売ってるお店がありまして……」
「入ったわけね」
「あらあら〜」
「サイテー、田中それは無いわ」
三人が田中を畳み掛ける。百八十センチメートル以上ある巨体がどんどん小さくなっていった。
「いや、待って待って、違うんすよ。罰ゲームで入る人をじゃんけんで決める事になって、負けたのが俺で……年齢確認とかされたらヤバいから本当にちょっと入っただけで、何も買ってないし」
「まあ男子特有のバカなノリがあるのは知ってるけどね」
「でしょ!?俺は被害者なんですよ!」
「で?そのバカな罰ゲームを立案したのはどこの誰?」
大道寺の質問に、田中が目を伏せながら申し訳なさそうに右手をゆっくり挙げて答える。
「情状酌量の余地なしね」
「引っ捕らえ〜い!」
「おい、田中!」
そして新聞部部長は立ち上がり、田中の犯行の瞬間をおさめた数枚の写真をテーブルに置いて三人に見せた。そこには満面の笑みでガッツポーズをしながら、アダルトショップ「三蜜、夜の濃厚接触♡」から出てくる勇者田中の姿が写っていた。
「うわー……」
「あの、そういうガチで冷めた反応が一番傷つくっす」
三人の後ろを大股で歩きながら大道寺が大声で話す。
「これをおい田中君に見せたらあなた達のことをべらべら喋ってくれたってわけ!証拠写真撮影の協力もしてくれたわ!ちなみにおい田中君には文化祭中も禊の意味も込めて新聞部の雑用をしてもらう事になってるの」
「おい田中じゃなくて田中っす」
状況を理解した津田が切り出す。
「つまりこの写真を内密にして欲しければ、そっちの言う事を聞けってことかしら?」
「勘がいい子は嫌いじゃないわ、ツダンヌ!そう『飲んだくれシスターズ』に頼みがあるの!」
指をぱちんと鳴らし、津田を指差した。
「ツダンヌじゃなくて津田なんだけど。それに喫茶店に行っただけで飲んだくれと言われる筋合いも無いわ」
「まあ良いじゃない。実は記事を書く為のネタが無くて困ってるの。そこで学校と言えば七不思議!」
「七不思議の真偽を検証して欲しいんですか?」
「違うわタッチー。七不思議なんて最初からこの学校には無いのよ」
三人の前に立ちはだかり、大道寺は両手を高く広げこう宣った。
「七不思議が無いなら作れば良いじゃない!!」
場が静まり返る。この中には誰一人としてこのペースについて行ける奇特な人間は居なかった。
「……ねえ、あかねっち、この人劇団員なの?」
「知らないけど放っておいたらそのうち自分の半生を朗朗と歌いだしそうね」
「言いそびれたけどタッチーじゃなくて橘です」
ゴホンと咳払いをして眼鏡部長が三人の悪態を打ち消す。
「モチのロン我々新聞部だってある程度の下調べはしてるわ。弱みを握っている部や何か面白い事を知ってそうな部はここに書いてある。参考にしてちょうだい。良いネタが揃ったらあとはこっちででっち上げるから安心して。ネタは多ければ多い程嬉しいわ。あと料理研には必ず行ってね」
弱みとかでっち上げるとか、情報を扱う部から発されてはならない単語が散見される。百歩譲って七不思議がまあでっち上げだとしても、元々真偽不明の噂だ。信憑性が欠けていても記事を読む側だってそこまで気にしないだろう。寧ろ不完全な方が本当か確かめたくなり好奇心をそそられる。問題は弱みを握る方だ。飲んだくれシスターズやアダルティ田中は現在、身を以てこの恐ろしさを感じているに違いない。大道寺の様子や発言から、他にも沢山の被害者の亡骸が彼女の後ろに堆く積み上げられているのが容易に想像できる。しかしこの状況を打開する術がないのも事実だ。
「分かりました。ただしいくつか条件があります」
「言ってご覧なさい、ツダンヌ」
「まず文化祭で七不思議の助けになるネタを見つけた暁には、私達の放課後の飲食を今後一切見逃す事。あと情報収集に使う資金、数千円で良いわ。これを要求します」
鍋島が指を組み、津田を女神を見るような目で崇拝し、赤べこのように頷いている。
「前者は快諾よ。この程度の悪事でずっとこき使う気は毛頭無いわ。ただお金は厳しいわね、こっちもカツカツなのよ」
今度は照準をエロ野球部に合わせる。
「田中、アンタいくら持ってるの?」
「……ええっ」
「クラスメイトに知られたら嫌でしょ?それにアダルトショップは外食なんかより重罪よ。私達からしてみればアンタが元凶なんだからね」
「ううっ、五、五千円で勘弁してつかあさい……」
劇団新聞部部長が拍手を送る。その姿はもはや頭に角を生やした悪魔にしか見えない。
「ツダンヌ素晴らしいわ。見事なネゴシエーション能力!新聞部は優秀な人材を探しているの、あなたならいつでも大歓迎よ!」
「結構です」
大道寺と目を合わせる事無くピシャリと言い切った。
「それは残念ね、でもいつでも待ってるから安心して。話は以上、この袋の中に資料が入ってるから役立ててね」
A4サイズの茶封筒を期待の新星津田に渡す。そして田中から五千円を徴収して三人は部室をあとにした。
「いや〜、一時はどうなるかと思ったよ〜」
鍋島が右手で額を拭う仕草をする。
「要は文化祭見て回るついでに変な噂を探せば良いんでしょ?資金も調達出来たし。あかね凄いよ」
「それはどうも。じゃあアンタ達、情報収集してる時に何か起きたら積極的に死地へ向かいなさい。指令が居なくなったら元も子もないでしょ。私の駒として動くの」
「し、死地って〜……」
「あか鬼じゃない、あかね鬼だ」
こうして奇人、大道寺明美の出現により、飲んだくれシスターズは計二日間あるかんゆう祭で、七不思議をでっち上げるネタ探しをする運びとなったのである。
〜続く〜
読んで頂きありがとうございます。
大道寺明美、個人的にかなり気に入ってますがとんでもない奴だと思います。新聞部に居てはいけない人間ナンバーワンが部長ですよ。ホントどうなってるんでしょうか。
あと頑張れ田中、負けるな田中。憎めない野球部員です。
これから文化祭編ですが、変な部活をバンバン出していきたいと思います。