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喫茶店と灰猫

 鍋島優花(なべしまゆうか)は悩んでいた、お昼を食べるか否か。朝食を抜いて来たのでそろそろ空腹の限界ではあるのだが、今日の午後には身体計測が待っている。

 午前中に学校の案内を先生がしてくれたが、頭がぼーっとしていていまいち覚えていない。教室や部室、職員室は同じ校舎内にあり、図書館や体育館、女子更衣室などはその後ろに位置しているらしい。この辺はクラスの他の子について行けば今日は何とかなるだろう。それより彼女の目下の問題は昼食である。心なしか地下食堂からの良い香りが教室まで漂って来ているように感じたが、教室で食べてる生徒の弁当の匂いかもしれない。

(少し様子を見るだけなら……)

そう言い訳をし、ちゃっかり財布を持参して、まるで香りの赤い糸に導かれるように地下へと向かう。今日から他の学年も居るようで食堂内は盛況だ。学年は上履きのゴムの色で見分ける事が出来、今年の一年生は青、二年生は赤、三年生は緑である。食堂は複数人掛けの席や一人でも食べられるカウンター席があり、構造は簡素で講堂とほぼ同じつくりだ。

 発券機の列に並びながら未だに謎の罪悪感と戦う鍋島。

(今からでも引き返そうか……)

そう思うが自身の腹がノーを突きつける。

(せめてそこまでカロリーが高くないのにしよう。それに発券機の前で悩みたくないから出来るだけ候補を絞っておきたい。からあげ丼とかは絶対にダメ、あとA定食とかはどんなのか分からないし。確か先生がシーフード系が美味しいと言っていた気がする)

彼女の出来るだけ体重は増やしたくない思いとは裏腹に、食べ物の良い匂いと賑やかな学生の声が気分を高揚させる。

(ご飯を選ぶのってやっぱり楽しい、私服を選ぶ時と少し似てる。もう食べたいの食べちゃおうかな)

海鮮あんかけかた焼きそば四百円。

(完全に誘惑に負けてしまった。まあ入学祝いと言う事で)

カウンター席に座り、カリカリの焼きそばが少しふやけるのを待ちつつ辺りを見回す。

(男子にはやっぱりカレーや唐揚げが人気みたい。アジフライ定食やガパオライスを食べている女の子も居る。結構この食堂のメニューは豊富だな、色々試してみたい)

そんな事を考えていたら、数席向こうに一際(ひときわ)食いっぷりの良い生徒が目についた。しかも女子。口にご飯粒をつけながら、からあげ丼をばくばくと美味しそうにかきこんでいる。

(あ、同じクラスの橘さんだ。あの子は制服よりもスーツとか黒いタートルネックとかが似合いそう。あの豪快な食べ方だと学ランも捨て難い)

 それを見ていたら彼女の腹も減って来た。程よくほぐれた麺を口へ運ぶ。

(美味しい。しょっぱ過ぎず海鮮出汁が良くきいてる。イカも柔らかいし、キャベツやタケノコも思ったより歯ごたえがある。制服も可愛いしこの高校を選んで正解だったな。お腹が満たされると何故か心も落ち着いてくる)

温かい満足感が鍋島を包み込んだ。

(そういえば橘さんは……あっもう居ない。多分あの子は相当面白い、だって昨日鼻をくんくんさせながら私の方を見ていたし。あと私の前の席の津田さん、彼女の持ってる小物は結構センスある。仲良くなってみたい)

 鍋島は本来物事を直感的に把握するタイプなので、正直ここまで彼女が具体的に言語化して考えているかは疑わしい。ただ、考えていないと言っても成り行きに任せて無意味に彷徨(さまよ)っている訳ではない。鍋島にしか分からない根拠や理屈が確実に存在してるのだ。彼女はこれを女の勘と自称しているが、女性にすら理解されない事も多いので、どちらかと言うと鍋島の勘が正しい。そして彼女がこの勘という言葉を使うときは何か確信がある時のみである。「Don't Think.FEEL.」 を地でいく典型なのだ。鍋島は昼食を食べ終わると、食器を片付け教室に戻って行った。

 

 太陽がもうすぐ空のてっぺんに来ようかという頃、津田(つだ)あかねはようやく目が覚めて来た。環境や日々のルーティーンが変わるのは彼女にとってストレスらしく、ただでさえ寝付きが悪いのに、昨日は神経が高ぶってほとんどまともに眠れなかったようだ。

(早く帰りたい)

そう心の中でぼやき、自分の席で先ほど終えた身体測定の用紙に目を通す。

(去年の数字は覚えていないけど、まあ大体こんなもんかしら。身長が少しだけ伸びたかもしれない)

「うひゃ〜、お昼食べたから体重が悲惨な事に……」

後ろから力のない声が聞こえる。身体測定くらいで一喜一憂するなんてくだらない。

「え?でも身長伸びてればとんとんじゃないの?」

「あっ、橘さん。私のは見ないでおくんなまし〜!」

「いいじゃないの女同士なんだし。ほらほら、私のも見せるから」

いい加減うるさい。イラりとして後ろを睨みつけた刹那、鍋島優花という名前と身長体重が目に入って来た。どうやら橘に見られまいと必死に抵抗していた鍋島が、偶然にも用紙を津田の方に向けていたらしい。

「あっ」

思わず声が漏れる。この感動詞は鍋島の体重を見てしまったという罪悪感から来るものではなく、振り向いたらいきなり用紙が目の前にあった事に驚いた結果、発されたのだ。

「……見た?」

「み、見る気は無かったのよ」

咄嗟に目を伏せた。いきなり話しかけられると動揺する。

「じゃあ私も津田さんの見ちゃう。あれ、身長は津田さんの方が高いのに体重は私と……えっ、ヤダも〜」

「なになに?」

尋ねてもいないのに橘が横から入って来た。津田は希薄な人間関係を好む傾向にある。そしてこの女二人は頼んでもいないのに色々厄災を持ち込んできそうだ。これは良くない。彼女は自身の十余年の経験則からそう判断した。しかし事態は津田にとって最悪の方向へ向かう。鍋島が二人の肩に手を乗せ言った。

「皆の衆、お互いの身長()()を見たのですね。これはもう秘密を共有した友達ですよ」

「なんか楽しそうね」

「いや、だから私は見たくて見た訳じゃないんだけど。それに橘さんのは知らないわよ」

「はいじゃあこれ」

橘が津田に見せる。しまった、これでは鍋島の思うつぼである。後悔は後にしか立たない。

「ふんふん、これで平等です。では友達の私からの提案なのですが今日この後、昨日私が発見した喫茶店に一緒に行きませんか?一人だと勇気が出ないのですよ」

「あ〜、だから昨日駅とは逆方向に行ってたのね。私は良いよ、楽しそうだし」

「私は早く帰りたいんだけ……」

鍋島がニヤついて目を細め、自分の身体測定の紙を右手でヒラヒラさせながら津田を見る。

「チッ、分かったわよ」

(ここで断ったら後でぐちぐち言われるかもしれない。この女が長い物かは知らないけど、とりあえず今日は巻かれてやるわ)

そう決心した。

「ありがとう。でも大丈夫、きっとオサレな津田さんも気にいると思うよ〜」

津田はキョトンとした。彼女は未だかつてそんな事を言われた試しが無い。確かに服の質感や普段自分が使う物にはこだわる方だが、それをオシャレだとは思っていなかった。そのように言ってもらえるのは光栄だが、そう簡単には(なび)かない。鍋島の思考回路は橘のそれとは違い、つかみ所が無いのが津田にとっては気味が悪いのだ。第一回路と言えるような整ったものすら彼女の頭の中には存在していないのかもしれない。知らぬ間にペースを握られているのも嫌な感じだ。

「じゃあこれ出して来てあげる」

鍋島が三人分の用紙を山藤のいる教卓へ提出しに行った。机の右が男子、左が女子の紙を置くようになっていて、皆用紙は裏向きに出している。彼女は最初の上数枚をつまみ、間に三枚の用紙を差し込んだ。

「別に見ないから安心しなさいって。それに裏向きじゃん」

山藤が半ば呆れながら言った。

「ごめんなさい、つい癖で。じゃ、先生さようなら〜」

「なんの癖だよ。はい、さようなら」

 三人は学校を出、鍋島が発見した例の喫茶店へ向かう。この時津田は二人や周りの状況を把握するため、半歩ほど後ろをついて行く。彼女は人一倍防衛本能と懐疑心が強いのだ。

「このまま上り続けたら鳥居神殿だけど、いつになったらそのオシャレな喫茶店とやらに着くのかしら?」

津田が不機嫌そうに言う。旧市街に西洋の文化が入って来たのは百余年の間なので、勿論日本風の建築物も存在していている。特に海岸沿いは日本家屋のカフェやレストラン、ホッピーが似合いそうな居酒屋が軒を連ねており、平日夜は仕事帰りのOLやサラリーマンには人気のスポットだ。鳥居神殿もシチリア浜がヨーロッパ風に染まる前の遺跡で、旧市街の頂上に建てられており、その歴史は千年以上とも言われている。今までに数回焼け落ちているが、その都度再建、改修されてきた。この遺跡の奇妙な点は、高さ十数メートルはあろうかという真っ赤な漆塗りの鳥居がいくつも連なっているにも関わらず、その先に神社が存在しない所にある。だだっ広い平坦な原っぱがあるだけで、何かが建てられていた痕跡も史料もいっさい無い。鳥居神殿は用途不明の建築物である。現在では、年末に巨大なクリスマスツリーがこの丘の上の平地に設置されるという謎のイベントに使われている有様だ。

「もうすぐ左に曲がるからそこまで行かないよ〜。あ、ここだここ。横断歩道青だから先に渡っちゃおう」

そうして片側一車線の道路を渡ってから左に曲がる。この辺りは旧市街の中心地に比べると建物の数も少ない。

「すぐ向こうにも横断歩道あるね。信号も付いてるし、車からしたら不便じゃない?」

「この辺わけ分かんない建物多いし、私は別に今更気になんないわね」

「うーん、なんかモヤモヤする」

橘は納得がいかないようだ。彼女がこの辺りに住んでいたのは小学生以前の話なので、土地勘などない。

「ちょうど橘さんがモヤモヤしている横断歩道のすぐそばに例の喫茶店があるんです」

「あ、もう二人とも薫で良いよ」

「薫〜」

鍋島は早速橘の頬をつついているが、津田は黙っている。まだ警戒心を完全には解いていないようだ。

「はい、姫方二人、ここでありんす」

そう言って手を広げる。そこにあるのは木組みの日本風古民家喫茶で、壁がベンガラ色で濃い茶色の木と良く合っている。近くの建物が洋風なのに不思議と浮いていない。恐らく家の一部を店にしたのだろう、築年数はそこまで古くなさそうだ。しかし目を引くのはその名前である。黒っぽい一枚板の欄間看板に白字で「お茶のみ喫茶」と書かれていた。三人がしばらくその看板を、口を半開きにしながらぼーっと眺める。

「なんか頭痛が痛いみたいな喫茶店ね」

津田が皮肉を込めて言う。

「多分頭は痛くならないから平気よ〜。それにこの建物可愛いでしょ?」

「意味が重複してるって言いたかったんだけど」

「でもお茶のみ喫茶って面白いわ。鍋島チョイスウケる」

「ささっみんなで入りませう」

鍋島が二人の背中を押し、古いガーデンベンチの上に乗ってる小さなメニュー看板の脇を通り中へ入る。

 右手前に二人用のテーブル席が一つで、その奥にカウンター席とレジがあり、左手前にはL字型のソファーとテーブルが三つと椅子が置かれていた。奥には二階へ続く階段がある、居住スペースだろうか。そしてシーリングファンが天井でクルクルと回っている。

「あら、若いお客さんね。好きな席に座ってちょうだい」

二階から現れた六十手前くらいのマダムが言った。

「は〜い、ありがとうございます」

鍋島が左へ向かう。

「どうぞお二人はソファーに座って下さい」

「別にそんな気を使わなくっていいけどね」

と言いながらも橘はソファーに座り、津田も続く。

「名前見たときは帰りたくなったけど、中はそれなりにまともね。少し狭いけど」

「でしょ〜?津田さん気にいると思ったの」

「はい、これメニューです。ご注文が決まった頃にうかがいます」

「ありがとうございます」

三人が口を揃えた。メニューを見てみると、コーヒー、紅茶、ソフトドリンク、軽食、一通り揃っているようだ。

「あ、チャイがある。私チャイにしよっかな〜、甘くて美味しいよねぇ」

「アンタ体重気にするくせに結構カロリー高いの頼むのね」

「うっ、いや〜耳が痛い」

「いいじゃん、ストレスが一番の敵だよ、多分。私はアイスコーヒーでいいや」

「うーん、薫の悪魔のささやき」

「じゃあ私はアールグレイのホット」

「うわ〜みんな決めるの早いな……はい、私も決まった!」

結局鍋島はチャイを頼んだ。昼もそうだったが、彼女は食について刹那主義の()があるらしい。

「でも薫は凄いな〜、もう将来の夢決まってるのか〜」

「夢っていうか漠然とした方向性だけどね」

「方向性決まってるだけでもねぇ、偉いよ。助けてくれた人イケメンだった?」

「それがあんまり覚えてないのよ。男か女かも分かんない」

「まあ轢かれそうになるってだけでも結構ショックは大きいでしょ。忘れたくもなるんじゃない?」

津田はストレスに敏感な体質故にこういう事には良く気づく。彼女自身はたとえ信号が青でも首を左右に振りながら道を渡るので、恐らく事故に巻き込まれる可能性はほぼ無いだろうが。

「なるほど〜、鋭い。津田さんはなんかしたい事あるの?」

「私は朝早く起きなくていいなら何でも良いわ。ただ平穏に日々を過ごせればそれで良い」

「その内津田さんは(かすみ)を食べ始めそうね。そういえば()()の将来の夢は?」

橘が()()という言葉を発した瞬間、突如鍋島が両腕を前にピンと伸ばし、テーブルの上に突っ伏した。二人が目を丸くする。

「ナベって呼ばないで〜」

顔を上げ懇願する。額にはテーブルの跡が丸く残っていた。

「え?ナベダメ?ダメナベ?」

「キライよ〜そのあだ名。中学の頃ずっとそう呼ばれてたし、もう嫌なの。それにオサレじゃない」

「アンタとりあえず全国の渡辺さんに謝った方が良いわ。あと机拭きなさい、顔の跡残ってるから」

「うわっ、デスマスク」

「私は生きてるよ〜」

と言いながらテーブルに備え付けてあるペーパーナプキンでゴシゴシ脂を落とす。

「あら、汚れてた?ごめんなさいね。はいこれチャイとアールグレイとアイスコーヒー。ゆっくりしていってね」

「え〜っとそう言う訳ではなく……飲み物ありがとうございま〜す」

さすがにテーブルに顔型を付けてしまいましたとは言えない。橘が笑いを(こら)える。

「ごめんごめん、デスマスクは言い過ぎたよ。でも鍋島さん十分可愛いじゃない、正直羨ましいわ。私もそんな風になってみたいし。あっ、い、厭味とかじゃないからね」

これは昨日考えていた事を聞き出すチャンスだ、ふわふわな彼女は何と答えるのだろう。ストローをくわえながら鍋島を見つめる。津田はティーカップを指で数回触り、適温かどうか確かめていた。

「うふふ、ありがとう。嬉しい。う〜ん、私自身可愛いってよく使うけど、人それぞれ可愛いの基準て違うと思うし……」

目をつぶり眉間にしわを寄せ、手を中空でヒラヒラさせながら考える。

「そう、自分で素敵だなって思った物を探して集めた結果みたいなのっていうか。それが何か可愛いって言葉になった感じ?だから可愛いかどうかだけじゃなくて、薫は薫の良いって感じたものを、こう……ギュッてすれば良いと思う。最初から何か決めるんじゃ無くて、自分で色々やったうちに何となく形が見えてくる?みたいな?」

今度は両手で何かを丸める仕草をしてみせた。

「な、なんかかっこいい。やっぱ高校レベル高いわ」

「アンタ意外とまともな事も言うのね」

「そう、だから私は素敵な名字の人と結婚して自分の名字を変えるの!それが将来の夢!」

「着地点そこかよ!」

橘と津田が見事に(かぶ)った。「あ、どうも」と言う感じでお互い軽く会釈し、飲み物に口をつける。それを気にも留めずに鍋島が続けた。彼女の神経はかなり図太い。

「だから優花って呼んでくれた方が私的(わたしてき)には嬉しいのです」

「オッケー」

「……善処するけど」

この後はお互いがどこに住んでいるとか、津田の中学校の校長がヤツメウナギみたいだったとか、鍋島には中学生の弟がいるとか取るに足らない話をし、最後に連絡先を交換した。辺りの影がぐんぐん伸びて来て、空の色もオレンジから紫に変化していく。

「そろそろ帰ろっか。私と津田さんはこの辺だけど優花は一時間くらいかかるんでしょ?」

「ちょっと冷えてきたしね」

「うん、みんな今日はありがと〜」

三人で会計へ向かう。すると橘がレジ脇にある手作りの猫のキーホルダーを見つけた。灰色のレザー製でオレンジの糸で丁寧に縁取りされてある。

「あ、これ素敵。丁度鞄に付けるキーホルダー探してたの」

「一個四百円てのがやらしい価格設定ね。まあものは良さそうだけど」

「かわいー。ねえ、これ皆で一個ずつ買わない?」

津田もすんなり受け入れた。彼女の好みに合ったのだろう。会計を済ませ、外に出ようとすると二階でゴトリと音がした。一匹の灰色猫が階段の上の辺りできちんと前脚を揃えて座っていた。オレンジ色の目をしている。

「あ、猫ちゃ〜ん。ロシアンブルーってやつ?」

「目の色が違うからシャルトリューじゃないかしら。結構肥えてるわね。ちょっと猫っぽくないけど」

「いや猫じゃん」

橘の反射的な突っ込みが津田を襲う。恐らく脳を介していない。

「お嬢さん詳しいのね。そう、シャルトリューよ。ご飯食べるくせに運動そんなにしないから太っちゃっても〜。いっつも二階の窓からじっと外をみてるの」

左手を頬に添えて「もう困ったわ」という仕草をするマダム。

「名前は何て言うんですか?このキーホルダーのモデルにゃんこですか?」

橘が立て続けに質問する。考える前にとりあえず聞けの精神だ。

「ジョバンニよ。きっと夕ご飯を催促しに来たのね。すぐあげないと何か落としたりしてイタズラするのよ〜……まあそうね、モデルかしらねぇ。キーホルダーの方がスリムだけど」

ニャーと鳴いたりはしないが、耳の生えた雪だるまみたいなシルエットが「腹が減った」と無言の圧力を階下に向け続けている。夕飯の時間を邪魔するのも悪いので、マダムとグレー猫に手を振り三人は店を出た。

 ポツポツと街灯や家の光が灯り始め、濃紺に統一された夜のシチリア浜は昼とは違った趣を見せる。街の光が海岸に映し出され、キラキラと不規則に波の上を漂う(さま)はまるで印象派絵画そのものだ。この浮世離れした景色が、今日も飲ん兵衛達の財布の紐を緩めさせるのだろう。駅が近づくと鍋島が鼻をスンスンさせた。

「何か海鮮系の良い匂いがする。ラーメン?」

「シチリアラーメンじゃない?」

「なにそれ、知らな〜い!」

「ご当地ラーメンよ。アサリ出汁とベシャメルソースで出来たスープを使ってるの。クラムチャウダーみたいなもんね。鶏ささみのチャーシューか厚切りベーコンが乗ってる。他にさいの目切りのジャガイモ、キャベツ、人参、キノコ類が入ってたりするわ。薬味には柚子かレモンの皮の千切り、もしくは柚子胡椒の時もあるわね。最後にオリーブオイルを垂らしたりもする。麺と隠し味は店それぞれよ」

津田が流暢に話す。かなり珍しい。

「津田さん、いいお店知ってるでしょ?」

鍋島が確信の笑みを浮かべる。

「な、何よ」

「今度みんなを連れてって〜。超美味しそう」

「あ、それ良い!」

津田がため息をつく。

「……その内ね。というかそんな事言ってるから体重増えんのよ」

津田は橘、鍋島とは逆方面なのでシチリア浜駅で別れた。

 不覚にも色々話してしまったなと寝る前に思いながらも、あまり後悔していないのが津田自身でも少し不思議だった。口は悪いが意外にも自身の発言を気にするタチなのである。彼女は日常的に悪態をついているのでそれ自体は何とも感じていないが、程度は考えないといけないとは思っているのだ。他人に嫌がられないくらいの悪口を言うのは意外と難しい。

 ベッドの中で今日の出来事を反芻(はんすう)していると、二人の顔が常にチラつく。鍋島をシチリアラーメンでブクブクに太らせるもの面白いかもしれないし、橘のイノシシみたいな性格も慣れればそれ程でもない。そんな事を考えていたら目が冴えてなかなか寝付けなかった津田なのであった。


〜続く〜

読んで頂きありがとうございます。津田あかねですが、実はこの作品で一番最初に思い浮かんだキャラクターです。

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