けじめ
六月十五日 学校にて
「ちょっ、なんでアンタが泣くのよ。言ってる事もよく分かんないし」
津田があきれ顔で嗚咽している鍋島を見る。
「ほらほら優花ハンカチ」
橘がポケットから自分のハンカチを出そうとした所、タグの切れ端も一緒に出て来た。
「あっ」
「どうかしたの?」
「あ、いやっ、べっ別に」
あの時の事を急に思い出して恥ずかしくなったのか、不器用な返事をして急いでタグをポケットの中にしまい込んだ。
「……そうだ」
「何?」
「なに〜?ヒック」
「もし、もし過去を変えられるとして、灯春が生きている現在ってどうかな?」
「私は良いと思うわよ」
「ううっ私も〜」
「でも……」
橘は続ける。彼女の表情が曇る。
「それにはリスクがあって、もしかしたらあかねや優花とこうやって仲良くしてない現在になってるかもしれないとしたら?」
「バタフライ効果ね。タイムスリップで過去に行った人間の些細な行為が原因で、未来が大きく変わってしまう現象」
オカルト研のエイミーだ。「過去を変えられる」という言葉が聞こえ、嬉々として三人の会話に割って入ってきたのだ。
「そう、多分それ」
彼女はバタフライ効果の説明だけすると自分の席へ戻って行った。エイミーは自分の知識を披露出来て満足したらしいが、津田と鍋島は黙り込む。最初に口を開いたのは津田だった。
「そうね。難しいわね。勿論灯春って人の命がかかっているのは分かるけど、私は今の生活にそれなりに満足してるの。冷たい言い方だけど、例え過去に戻れたとしても私はそれを変えようとは思わない。でも決めるのは薫、あなたよ」
相変わらず津田は鋭い。ジョバンニを猫っぽくないと言っただけはある。
「わだじはみんなど一緒にいだい〜!」
「……ありがとう。そうだよね」
六月六日 自宅にて
「……そうか、分かった。じゃあ今はそっとしておいた方が良さそうだね。あと、遺族の人達と連絡って……取れるの?やっぱり記憶を取り戻した以上一回ちゃんと会って、お礼というか、お線香あげたり、なんかそういうのしたい、っていうか……」
雅が少し考える。
「うーん。こっちからお伺いを立てる事は可能だけど。実際に会えるかどうかは分からない。走馬夫妻しだいだ。とりあえず連絡はとってみるから、何かあれば教えるよ」
「ありがとう」
そう言って立ち去ろうとすると、雅が引き止めた。
「薫。お父さんもお母さんも人間だ。完璧じゃないし、エゴもある。だから今から言う事は不謹慎だ」
それから彼は深く息を吸い、薫の目を見て言った。
「俺達は灯春さんが亡くなったとしても、薫が生きていてくれて本当に良かったと思ってるよ」
「……じゃあ私も不謹慎なのを分かってて聞きたい事があるの」
「言ってごらん」
「もし、もし事故が起きてなくて灯春さんが死んでない現在があるとしたら、お父さんはどう思う?」
雅はしばらく考える。だが薫を叱責するような事はしなかった。
「そうだな。勿論こういう悲しい出来事が起きてもそれと向き合っていく事は大切だ。でも人の命には替えられないと思う。だから灯春さんが亡くならない現在があるのなら、それは素晴らしいんじゃないかな」
薫は過去の自分がなんて返答した忘却してしまい、
「あ!ありがとう!じゃっお仕事頑張って!」
と、とってつけたような返事をした。
六月五日 自宅にて
部屋の時計は午後九時をさしていた。氷枕はまだ少し冷たい。薫はベッドから起き上がり、母の居るダイニングへ向かった。廊下から洗い物をする音が聞こえてくる。
「あら薫、もう大丈夫?何か食べる?」
皿洗いを中断し、薫に話しかけた。咲百合は事故の話をしていた時より、幾分か元気になったようにみえる。
「大丈夫。ありがとう。実は少し聞きたい事があって……凄く馬鹿な事だって分かってるんだけど……」
「……何かしら?」
「えっと、もしも灯春さんが私を助ける時に亡くならないで、今も生きていたとしたらって考えちゃうの。そういう現在ってお母さんはどう思うのかなって……」
「……ごめんなさい。私には分からない」
そう言うや否や咲百合は両手で顔をおさえ、自分の部屋に行ってしまった。薫はとぼとぼと自身の部屋に戻った。
六月十九日 走馬家にて
「あの子ちょっと変わってたでしょう?っておかしいわね、ふふっ。薫ちゃん会った事無いのに」
「あっ……いや、はい、無いです」
灯春にしろ春子にしろ、彼らは鋭い何かを持っている血筋らしい。
「……でもお会いしたかったです。私がこんな事言って良いのか分からないのですが」
「あれは事故だったの。だからそんなに気を使わなくても平気よ。そうね、もしかしたらそんな幸せの形があっても良いのかもしれない。薫ちゃんの言いたい事は否定出来ないわ。でも灯春はもう居ない。勿論悲しいけど、それを受け入れようと前を向く事が今一番大事だと私は思うの。それに灯春って……」
「少し変わっていたというか、人の裏側を見透かすような所があったというか……だから薫ちゃんが会ったらちょっとビックリしちゃうかもね」
「……いえ、そんな」
六月二十日 喫茶店前のベンチにて
「どうだ?けじめはつけたか」
「はい。みんなの意見は大体ですが分かりました。所詮私の勝手なけじめです。でも私は灯春を助けたい。これは変わりません」
「そうかそうか。じゃあ最後は灯春だな。これは先ほども言った通り、時間遡行をしたお前の体に今のお前の精神を入れる。そして過去を変えようという、大変に複雑な作業だ。前例がないからどうなるか見当がつかない。だが灯春が生きている現在に辿り着けば、お前と灯春が会った記憶は無くなると考えていいだろう。二人の記憶が、だ。あいつが生きていれば私がお前を過去に送る必要自体、無くなる訳だからな。お前と灯春の間に起きた事を知っている人間も、まあお前の友達だ。彼女達も灯春の事を忘れるだろう。それでも良いか?」
薫は鼻から息を吸い、口からふうっと吐き出してから、
「はい」
とだけ言った。
「よかろう。あともし過去を変える事が出来たらだが……お前の友人やこの喫茶店、そして灯春。彼らを出来るだけお前の側に置いてやれる様に最大限の努力をする。これは勝手をした私なりのけじめだ」
「ありがとうございます」
そしてジョバンニは前脚をきちんと揃え、薫の方を見た。
「お前は灯春自身が死にたがっていると思っているようだが、あいつはお前に惚れておる。だから奴の行動に変化が起きた。これはお前にしか出来ない任務だ。灯春が死を回避するには、あいつの考え自体が変わらなきゃ意味が無い。それが出来るのは橘薫、お前だけだ」
猫は嬉しそうに笑い、彼女の頬が桃色に染まる。
「あいつにもう一度好きと言わせてやれ。言った方が恋は負けだ。そして灯春を負かして生かしてくれ。私からの頼みだ」
「私は灯春の背中を押してあげるだけです」
「ははっ、そうか。よし、じゃあ準備は良いか?」
「はい」
「了解した。まあそう緊張するな。どっちにしろこれで最後だ。はったりでもなんでも、どんと好きにかまして来い!」
カパカパ笑うジョバンニの姿が波うち、薫は十一年前に再び飛ばされた。
〜続く〜
読んで頂きありがとうございます。前のエピソードの会話文が大半で申し訳ないのですが、ここは個人的にはずせなかったので、このような形で書かせて頂きました。