表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/20

ぼんやりした不安

 走馬灯春は少々変わった子供だった。物心つく前から既にその兆しが見られ、離乳食もほとんど食べず母の春子を困らせた。さらに生後三ヶ月頃から笑うようになったが、それは人に対してではなく、主に窓の外のスズメやハト、野良猫に向けられた。だが決して人に無関心ではなかったらしい。初対面の人間と目が合ったら笑顔を作ったりはしていたのである。しかしすぐに泣き始めてしまい、春子があやす事でようやく静かになるのだった。出産も難産で、まるで彼が出てくるをためらっているのかと思える程だったという。大人達は大抵子供の誕生を心から喜び、その瞬間を神聖だとか神秘だとかいう言葉で形容する場合もあるが、赤ん坊は生まれてからまず泣く。産声が笑い声だったなんて聞いたためしがない。出産を歓喜するのは単なる大人達のエゴで、狭い産道から出てくる赤子にとって、これからの長い人生は苦役以外の何ものでもないのかも知れない。

 幼児期の灯春は良く「酔う」という言葉を好んで使っていた。大半の子供は好奇心旺盛で色々な事を瞬く間に吸収するから、覚えた言葉をなんとなく面白いからとりあえず使っていたと考える事も出来るが、どうもそうではなかったらしい。彼は自家用車やバスに乗った時にも「酔う」と言っていた。つまり言葉の意味をきちんと理解していた事になる。そして奇妙なのは「酔う」を人に対しても使っていた。勿論人混みの中に居て気分が悪くなるのを、人に酔ったと表現する。しかし灯春はそういう場合以外でも用いた。例えば休日に春子の友人が走馬家へ遊びに来た時のことである。

 彼は最初、普通の子供と同じように珍しい来客に神経を高ぶらせ、買い物に出かける時よりも入念に服を選び、化粧をする母の姿を面白そうに見ていた。そして彼女が友人とリビングで楽しそうに話している際もそれは変わらず、落ち着かない様子でその辺をウロウロしたり会話の邪魔をしたりしたので、最終的には春子が我が子を膝の上に座らせて気を鎮めさせた。何の変哲もない可愛らしい子供だが、問題はここからである。彼は数分の間、大人二人の話を黙って聞いていたのだが、急に「酔った」と言って何処かへ行ってしまったのだ。春子は飽きて他の部屋に引っ込んだのだろうと思って放っておいたが、友人が帰っても一向に灯春は出て来ないし探しても見つからない。さすがに心配になって外も見た方が良いかと思い始めた頃、彼は押し入れからのそのそと這い出して来たのだ。防虫剤の独特かつ人工的なにおいを(まと)い、埃を髪の毛に付けた珍妙な小動物の姿に、思わず笑ってしまった母の春子。なぜそんな所に隠れていたのかたずねると「酔ったし明るくて疲れたから」と答えた。なぜ「酔う」のかを彼自身が理解出来るようになるのはもう少し先の未来である。それから灯春はことあるごとに押し入れに籠るようになった。幼稚園から帰ってすぐ、父母の友人が来訪した時、髪を切ったあとなど、枚挙にいとまが無い。

 そしてこの頃から彼は自分の着ている服にやたらと文句を付けるようにもなっていった。ガサガサするとか、タグが痒いとか、どうやら肌に合わないのが気になって仕方がないらしく、これは高校一年生になっても変わっていない。髪を切られるのも相当嫌だったようで、首に髪がつくとすぐ手で振り払おうとするから当時彼の散髪を担当していた春子は、息子の小さな手を切らないように細心の注意を払っていた。

 そんな奇怪児(きかいじ)が小学校になかなか馴染めなかったのは想像に難くない。幼稚園で普通に過ごしていたのが逆に不思議なくらいだが、恐らく学校という勉強をし授業を受ける環境に、灯春を含めた児童全員がまだ慣れていなかったのが原因ではないだろうか。そういう新しい状況に順応しようとしているのに、授業中に騒ぐ生徒や、無理解な当時の教師が彼の神経に障ったのかも知れない。明確な理由は定かではないが、とにかく一年生の間は学校に行ったり行かなかったりを繰り返した。

 だが二年生になって少ししたら、彼は唐突にきちんと学校へ通い始める。今度の原因は単純明快、両親が本気で灯春を心配しだしたのだ。この感受性の鋭い子供は、彼らが夜な夜な自分の事で話し合いをし、時には言い争いにまで発展しているのを知っていた。一見すると息子に対する優しさともとれる両親の行動を、灯春は鬱陶(うっとお)しいと思っていた。なぜなら父母の慈愛(じあい)の裏に見え隠れする、なぜよりにもよって我が子が不登校にという焦り、それを必死に解決しようとする態度を言い争いという形でお互い表に出す事によって得られる自己満足感、そういう両親の利己的な思惑が嫌という程彼の中に()()()()()からである。

 そして母親から何か習い事をやってみないかと提案された時、灯春は他人に対して初めて諦観の念を覚えた。勿論諦観という言葉も、その意味も当時の彼は知らない。だが寒く寂しい空っ風が、音もなく彼の心の中を通り過ぎたのは確かだった。散々二人でわめき散らして出たのがこんな予定調和的な答えとは。何か大人は子供より凄い事を考え、行動しているんじゃないかという今まで抱いていた淡い幻想は見事に打ち砕かれた。学校では居場所が見つからず、家庭の雰囲気も澱んだ空気のように濁り、さらにまた習い事で訳の分からない場所、知らない人間と一緒に何かするなどたまったもんじゃない。彼は「じゃあ学校に行く」とだけ答えた。

 それでも灯春の学校生活が急に楽しくなるはずもない。しばらくは無気力だったが、それはそれで疲れる。休み時間に誰とも話さずに一人で居るのも浮いて見えるし、だからといっていきなりお喋りになるのも不自然極まりない。それから彼はいかに自身が疲弊せず、その場をただ何となくやり過ごす術を模索し始めたが、これは思いのほか順調にいった。最初に肉親の事で肩すかしを食らったのだから、同い年の児童や学校の担任など、さらに自分より遠い存在に大して期待などしていなかったからかもしれない。コミュニケーションは上手く他人と距離を掴む為に用いるが、彼は決して人を近付けず、上手く遠ざける為にこの能力を高めていった。

 そうして中学年になる頃にはこの努力が奏功し、少し取っ付きにくいものの話が通じないわけでもないし、意外とユーモアのある性格だと周囲に認知されるようになる。このユーモラスな性格の所以(ゆえん)は自己紹介で語った将来の夢にある。灯春は「河童になりたい」と言っていたのだ。これを聞いて教師も生徒も冗談だと思って笑っていたし彼自身も微笑していたが、本当の理由は誰にも言っていない。灯春が以前橘に話した通り、彼は夢を語るほどの余裕を持ち合わせておらず、またその砂上の楼閣のような存在を捉える事も出来ないでいた。そんな灯春少年はある時、父・火丁(ひのと)の部屋の本棚にある「河童(kappa)」という小説を偶然発見し、そのあらすじを教えてもらった。それから小学校を卒業するまで、将来の夢は河童と語っていたのだが、笑っていた人間達をどのような心持ちで見ていたのかは彼にしか分からない。

 灯春が小学五年生の時、親や周りの人間の勧めで一時期中学受験をする可能性が浮上した。これは決してお試し受験や、記念受験ではなく、彼の高い学力を考慮した結果だった。ここで興味深かったのが、彼が一つの条件を提示した事である。受験が成功した暁には動物を飼ってみたいと両親に頼み込んだのだ。ただ走馬家は当時ペット禁止のマンションに住んでいた為、あえなく却下されてしまう。灯春は「じゃあ受験はしない」と言い、結局地元の中学に通う事になった。

 そして中学に入ると、思春期に突入した多感な彼を再び酔いが襲い始める。この「酔う」はあくまでも結果として起きた現象にすぎない。幼少期にその原因はよく分からなかったが、他人と上手く距離をとる術を覚え、冷徹な観察眼で人々を見続けて来た中学生の灯春にとって、それを認識するのは難しくなかった。

 共感とかいう(てい)の良い言葉にあぐらをかいて、自分一人では抱えきれない問題を他の誰かに押し付けたり、ただ単に自分の優位性を示したいばかりに他人を攻撃したり、そういう一種の薄汚い自己承認欲求を含んだ様々な欲望が頼みもしないのに、彼の毛穴からぬるりと入って来るのだ。入ってきたのなら自分の中の何かを出さねばならぬ。この表現が正しいのか分からないが、自身の浸透圧を保つ為とでも形容出来るかもしれない。常に目に見えない液体を出し入れしていたのが「酔う」原因だったのだ。そして幼少期の灯春にはそれを常時行うだけの精神的タフさも、適当にやり過ごすずる賢さも持ち合わせておらず、押し入れに籠り、ひたすら時間をかけて入ってきたものを浄化する方法でのみ自身を保つ事が出来た。

 しかし彼は決して人間を嫌悪していただけではない。人々の持っている(あくまでも灯春が感じた)善意に心を動かされ、慈愛の念を抱く事も勿論あった。前述した両親が習い事を勧めて来たのが良い例だ。当時はただ鬱陶しいとだけ思っていたが、それはまだ幼い灯春が父母の心情を表面的にしか捉えられなかったからだろう。彼らの、息子を何とかしてやりたいという気持ちは間違いなく善意から来るものであった。例え不登校になったとしても、家族以外の人間との繋がりを絶やして欲しくなかったに違いない。ただ両親の稚拙な表現方法から導きだされた結論は灯春にとっては悪意でしかなかったが、成長した彼はその奥にあった二人の真意を探し当てる事が出来たのだ。これは一種の希望に見えるかもしれないが、この気づきは寧ろ彼を苦しめる結果になる。

 一度母の別の友人が小学生の灯春の奇行を目の当たりにした時「きっと繊細な子なのね」と言った。その後、春子に意味を聞いたところ「感情が細やかで感じやすい事」だと教えてくれた。当時の彼はその言葉を気に入り、「酔う」の代わりに用いるようになったがある時「繊細」に悪寒がし、以後パタリと使わなくなる。それがいつだったのか灯春は良く覚えていない。しかし寒気を感じた記憶は鮮明に残っているし、理由も思春期の彼にははっきりと分かっていた。前述の通り「酔う」は結果だが「繊細」は原因だ。その齟齬(そご)が神経質な灯春が嫌悪感をもよおした一つの要因になったのは本当だろう。しかし一番の理由は、繊細さを言い訳に思考を停止した自分が居た事に気づいたからだった。繊細だから酔っても仕方ない、繊細だから泣いても仕方ない、繊細だから悩んでも仕方ない、繊細だから考えても仕方ない。繊細だから繊細だから繊細だから。自身の性格を、薄っぺらなたった二文字の言葉で表し続けた行為に吐き気がした。きっと春子の友人はポジティヴな意味で繊細と言ったに違いない。そして灯春もそう思ったから、気に入って彼女から発された言葉を使っていたのだ。しかしこの出来事はいかに善意であれ、無意識のうちに自身が不利益を(こうむ)る危険があり、さらに自分という存在や内面がひどく不安定で脆い事実を(あらわ)にした。彼はこの絶え間のない脅迫的な恐怖と、人の善意さえまともに受け取れない自身の卑小(ひしょう)さに(さいな)まれ続ける。こうした他人に対する不信感と自己嫌悪で構成された無窮動(むきゅうどう)がずっと耳鳴りのように響き、灯春は思春期を迎えた頃からぼんやりした不安を抱え始めたのだった。

 そんな走馬灯春に転機が訪れる。橘薫の登場だ。彼にとって彼女はまるで異星人のように見えたに違いない。平静を装ってはいたが、この時の彼はかなり戸惑っていた。いや、鮮烈だったと言う方が正しいだろう。彼女はパッと現れ、自分の言いたい事だけ言って消えてしまったのだから。それから橘が未来から来ていると知り、夢も知った。普段適当に人間をあしらっていた灯春が、彼女の夢に対してなぜあんな返答をしたのか彼自身も不思議だった。それは別に夢を語る橘が羨ましかった訳では無い。灯春は小学生の時から散々他人の夢を聞いて来たのだから、今更そんな些細な事で心を乱されるはずも無いのだ。彼の中に何か新しい感情が生まれたせいと言って間違いないだろう。灯春は橘を子供っぽいと冷やかしていたが、彼は意図的に他人を遠ざけて生きていたから、人間同士で関わった末に生まれる何かに関しては存外(うと)く、子供っぽかったのかもしれない。


 橘が事故の事を話して未来へ戻った後、彼はまだベンチに座り、悩んでいた。だが、この悩みはもうすぐ迫り来る死に関してではない。灯春は事故で自分が幼い彼女を助けて死ぬ事実を聞いた時、恐怖も悲嘆もしなかった。寧ろ今まで自分を追い込んで来た様々な精神的葛藤から解放されるという安堵感、それどころか気持ちの高揚すら感じていた。そして灯春の心の中に或る一つの「意地悪な考え」が生まれた。

 人を助けて人生の幕を下ろすなんて、素晴らしいじゃないか。

灯春が今まで生きて来たのは人生に希望を見いだす為でも無く、夢を探す為でも無い。自ら死を選ぶ事で両親を悲しませたり、他人に迷惑をかけたくないだけだった。生きているというより、死なないでいただけである。だが今は大義名分が立った。両親はきっと悲しむが、最終的には息子のした事を誇りに思ってくれるだろう。

 そう納得しようとするが何かすっきりしない。橘の善意が、灯春の視界を振り払おうとしても纏わり付く蜘蛛の巣のように邪魔してくる。それに幼い彼女の不注意を利用する事にもなる。彼女が今まで必死に自分を助けようとしてくれたのも、事故の件を話した後の彼女の安心した笑顔も、全て水泡に帰す。自分の歪んだ薄汚い欲望が、橘の無垢な心を汚す気がした。灯春も彼女と同じく、自身のこんがらがった様々な感情と必死に戦っていたのだ。ふうっとため息をつきベンチから立ち上がる。

「……もうここには事故の日まで来れないかもな。どんな顔して会えば良いか分からない」

そう言って帰路につく途中、彼は曇った空を見上げ、最初に地面に落ちる雨粒のように、ポツリと呟いた。

「ごめんね」

〜続く〜

読んで頂きありがとうございます。まだ続きます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ