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五月

 将来私は人を助ける仕事に就きたい、そう子供の頃から思っていた。


 彼女の名前は橘薫(たちばなかおる)、高校一年生だ。彼女がこのような夢を抱いているのには訳がある。四歳の時、橘はトラックに()ねられそうになった。駅前でタダでもらった風船を間違って離してしまい、母の手を振りほどいてさっき渡った横断歩道へ走って引き返してしまったのだ。子供とは恐ろしい生き物である。どんなに注意して見ていても予測がつかない。しかし誰かが橘の手を引いて助けてくれたらしく、何か言われた気もする。というのは、いまいちはっきりと覚えていないのだ。子供の頃の出来事と言うのもあるし、一歩間違えば死んでいたかもという恐怖が記憶を曖昧にしたのかもしれない。ただその後やたらと医者の所に(かよ)ったのは何となく覚えている。とにかくこの出来事がきっかけで、彼女は名も知らぬ命の恩人に尊敬の念を抱き、この夢を持つに至ったのだ。

 橘は旧市街にある私立西ヶ浜高等学校に今春から通っている。元々彼女も旧市街に住んでいたが、小学生に上がるのをきっかけに家族と共に新市街のマンションへ引っ越した。高校まではメトロを使い、家の最寄り駅から三駅先のシチリア浜駅で降りる。ここから市営バスに乗って行く事も出来るが、徒歩五分程度なので生徒達は(もっぱ)ら歩く。それ故、駅から学校までの道程も制服を着た男女が蟻の行列のようにわらわらしている。この千波留(ちはる)市シチリア浜はその名の通り海の近くで、なだらかな山を切り開いて出来た町だ。浜辺は上から見ると綺麗な三日月のような弧を描いており、校舎は緩やかな坂の中腹辺りに位置している。

 いつもの様に橘はシチリア浜駅から学校へ続くクリーム色の坂道を、長く黒い髪をなびかせながら軽快に上って行く。五月の心地よい風が吹き、かすかな磯の香りが海の方から漂って来る。道すがら友達を見つけたのか「おはよう」と後ろから声をかけた。

「あ、おはよー、薫は朝から元気だねぇ」

彼女は橘の友達の一人、鍋島優花(なべしまゆうか)だ。ショートボブで金色の髪、身長は橘の方が高い。まだ眠そうに目をこすっている。

「ふふっ、私は二度寝とか寝不足は都市伝説だと思ってるから。それよりあかねは?」

「あかねはいつもチャイムギリギリじゃん、まだ寝てるんじゃない?ふあ〜、私も寝たーい」

橘は毎朝ぱちりと目が覚める。朝の新鮮な陽の光がカーテンの隙間から漏れ、チヨチヨと小鳥が泣き始めると自然と起きてしまうのだ。一応目覚ましは毎日かけるが、実際に鳴る音を彼女は聞いたためしがない。なので朝ご飯を食べる時間が取れないとか、遅刻するといった事がまるで無い。それとは逆なのが津田あかねという人物らしい。

「薫〜、そういえば都市伝説で思い出したけど、郊外にレンガ造りの屋敷があってそこで昔物騒な事件があったとかなんとか。超ヤバくない?」

「なんか雑ね、嘘くさい。全然具体性がないよ」

「そうかな〜何か怪しいって感じたけど、女の勘ってやつ?」

「どこで女の勘が発動してるのよ」

 他愛のない会話をしているうちにアール・ヌーヴォー風の開かれた鉄製の門扉(もんぴ)が近づいて来た。この(つた)や花のモチーフがあしらわれた横長の校門とその先の校庭を通ると、今度はドイツ風の木組みの大きな白い校舎が姿を現す。所謂(いわゆる)ハーフティンバー様式の建築物である。ここシチリア浜旧市街はこうした建物が非常に多い。なぜここまで洋風かぶれの街になったかというと、明治〜大正時代に西洋からの文化や技術が流入して来た事が大きい。シチリア浜の語源も、当時初めてここに来航したニョロリだかギョロリだか言う西洋人が「まるで東洋のシチリアだ」と、この浜を表現した事からその名が付いたらしい。なんとも間抜けな話だ。

「うふふーこの高校超素敵だよね、制服も可愛いし。街並見るだけで楽しいもん。朝つらくても頑張れちゃうんだよー、あとプールが無いのもグッド」

校舎入口の大きな木製扉をさすりながら鍋島が言った。どうやら彼女は偏差値や進学率で学校を決める類いの人間ではないらしい。鍋島自身の美的感覚に依るところが大きいと見える。それに共感するか、阿呆と思うかは人それぞれだろう。

「まあそうなのかな。私はずっとこの辺に住んでるから分かんないや。確かこの高校は元市庁舎だったらしいよ。で、内側を教室用に改装したみたい、だからこんな見た目なんだって」

「うわっでたよ、ありがたみが分からない地元民。私、小一時間かけてここまで来てるのにさー。ま、可愛いんなら市庁舎でもレストランでも制服でも、私は何でも良いけどね〜」

下駄箱で靴を履き替え、二階へ続く吹き抜けの中央大階段の脇を進み、突き当たり右の木の(はり)や柱がむき出しの廊下を進む。天井には濃緑のシャンデリアが等間隔にぶら下がっている。さすがに本物のロウソクでは不便なので、それを模した電球を使用しているようだ。馬鹿な男子生徒がジャンプしてシャンデリアに触れるか試しているのを、教師が注意するのが恒例となっている。一年生は全部で六クラスあり、彼女達はC組だ。橘が丸い格子窓がついた深緑色の引き戸をガラガラと開けた。教室内は廊下とほぼ同じ装飾で、幾つかのシャンデリアがあり、木の構造があらわになっていて壁は校舎の外観と同じように白い。生徒の椅子や机、教卓はどこにでもある普通の物だ。そして教室の後ろにはナンバー付きの木製ロッカーが設置されており、出席番号と同じ数字のを使う仕組みだ。窓からはほんの少しではあるが海を望める。

「やあやあ殿方お二人さん、おはよう」

と言って田中翔太郎(たなかしょうたろう)二階堂広明(にかいどうひろあき)の肩をポンと叩き、鍋島は二階堂の前の席へ座った。

「お、鍋島ちっす」

田中翔太郎は野球部だ。特に坊主にしなければいけない決まりは無いが、彼はシャンプーが楽という理由だけで髪を剃っている。今のところ帰宅部の二階堂が少し気だるそうに答える。

「鍋島は朝から元気だな」

「あれぇ、私それ今日誰かに言った気がする」

「私によ」

田中の前席の橘が即答した。

「鍋島は元気だけど、橘はもう俺にとって都市伝説の類いだよ。なんでそんな朝から動けんの?」

「二階堂それは違うわ。私にとっての都市伝説はあかねよ」

「誰が都市伝説だって?」

二階堂の後ろにいつの間にか癖毛の津田あかねが立っている。彼女の目尻は下がっているが、眉は少しつり上がっている。本来鍋島より背は高いが、猫背のせいで大体同じに見えてしまう。

「言ったのは俺じゃないぞ、橘だ」

焦る橘。

「いや、私としてはほら、あの、寝坊とか空想上の何かだから。そう言う事。あ、というかあかねが来たって事はもうチャイム鳴ってホームルームか!」

「そうよ、というか私寝坊してないんですけど。ちゃんといつも間に合ってるでしょ」

そう悪態をついて津田は鍋島の前の席に着く。彼女は不機嫌な時の猫の様な声で話すがいつもの事だ。のほほんとしている鍋島とはタイプが違う。

 チャイムが鳴った。教師達が職員室から出て来て、各教室へ向かう足音が聞こえる。このバタバタという騒音を聞くと生徒達は自然と席に着き始める。きっとある種の緊張感を伴うのだろう。こうなるとチャイムの意味がどれほどあるのか疑問だが、会議の為の会議とかいうのよりは幾分か有意義に違いない。前方の扉を開け、担任の山藤和都世(やまふじかずとよ)が入ってきた。天然パーマで毛はそれほど太くなく、歩くたびゆらゆらと揺れている。

「はい、おはようございます」

山藤の挨拶に生徒達も適宜「おはようございます」と返す。この学校には「起立、気をつけ、礼」が存在しない。元々あったのが撤廃された訳ではなく、特に必要が無いから最初から無い。その代わり教師が生徒の名前をど忘れしない為に出席はきちんと取る。

「今日は五月七日と。じゃあ出席取ります。(とおる)(まい)(つとむ)治虫(おさむ)……よし欠席は居ないな、良いんじゃない。えーっと、特に連絡は無いんだけど。もうすぐ中間試験です」

「でぁーっ!えっ俺だけなの?」

田中だけが奇声をあげた。

「安心しろ翔太郎。俺も胃が痛い。だから俺の胃壁を守る為にみんな頑張ってくれ」

若干の笑いが起こる。

教師(きょうし)としてはいい点数とってくれた方が勿論嬉しいし、学生の本分は勉強だ。それに邁進(まいしん)してる君達はかっこいいと思う。でも勉強だけで人間性が判断される訳じゃないから。ただ赤点は回避しろよ。それが一番言いたかった。赤点とったら文化祭の前に補修受ける羽目になるぞ。まあ一年生は部活入ってる奴ら以外はほとんど見て回るだけなんだけどな。はい以上、じゃあ今日もお互い頑張りましょう」

そう言うとさっさと出て行った。どうもこの学校の文化祭は他の所とは少し毛色が違うらしい。ガヤガヤと教室がまた賑わいだす。

「ねえ優花、やっぱりあの先生ちょっと変わってるよね」

「うーん、イケメンでも無いしねぇ。でも薫、あの人悪い人じゃないよ。ね?津田っちあかねっち?」

前の津田をつつく。振り返って津田が答える。

「アンタね、せめて津田っちかあかねっち、どっちかにしなさいよ。まあ私としては熱血漢だったり、変に偉そうなのより全然良いけどね。ただ得体が知れないわね。どこ見てるのか視線がいまいちハッキリしないって言うか」

「そうそれ。悪い人じゃないけど得体が知れないの。さすがあかね」

と橘が割って入る。

「それよりあかねっちー、私の事をアンタじゃなくて名前で呼んでよー」

「……優花」

前を向いてぼそっと言った。

「はいはい、お呼びかなあかねっち?」

「優花が呼べって言ったから呼んでやったのよ」

「ふふっありがとう、知ってた。アンタとか鍋島よりずっと良い」

「えっ、鍋島ダメなの?ごめん」

田中が驚く。

「うーん、名字で呼ばれるのが嫌ってより鍋島って名字がなんか嫌。私的(わたしてき)に橘とか超憧れなの。主役級の名字じゃん」

「あー、まあ別に普通だと思うけど。俺なんて田中だよ」

「田中は鍋島より良いと思うよ〜。あ、そうだ、私子供の頃お父さんに鍋島って名字が嫌だから違う名字の人と結婚するって言ったら……お父さん大号泣しちゃった」

場がしんとした。皆がどう反応しようか迷っていた所で橘が切り出す。彼女はこういう時にためらわない。

「優花、そりゃあんたが悪いわ。子供の頃ならしょうがない気もするけど。ははっ、つうかお父さん可哀想すぎでしょ」

「よし二階堂、これから俺達は絶対鍋島の事をお父さんの為に名字で呼ぶぞ。これは男のき、き、きょ、きょ?」

「田中、矜持(きょうじ)だ。無理にかっこつけるな。アホがバレるぞ、というかもうバレてるか」

「二階堂俺に容赦ねぇな」

「まあ、お父さんからしたら鍋島家の祖先を全否定された気分よね」

「えっ?他の人と結婚する宣言が号泣の原因じゃないの?」

「津田、橘、その両方だと思うぞ。とりあえず俺は今まで通り鍋島って呼ぶけど田中も鍋島もそれで良いのか?」

「はい」

二人が同時に答えた。

「そうだ、薫先生あかね先生。放課後喫茶店でお勉強をしませんか?同じキーホルダー持ってる同士だし」

「いいね、私は賛成」

「私も良いわよ。優花は私達に教わる気満々なのが気になるけど。それにキーホルダーは優花が私達に買わせたんでしょ」

「まあまあ、あかね先生そんな事言わずに。じゃあ決定と言う事で」

「その先生呼ばわりは嫌な感じするからやめてちょうだい」

この一見すると性格が似ても似つかぬ三人が仲良くなれたのは鍋島に()るところが大きい。このトリオがよく使う喫茶店や、仲良くなったきっかけ(と言っても大層なものではないが)を話すには四月まで時を(さかのぼ)る必要があるだろう。


〜続く〜

読んで頂きありがとうございます。今回は四万字程度で完結する話を作れれば良いなと思っております。いや、もう少し長くなるかも知れません。所々伏線っぽいのをはったりしていますが、物語に直接関わりそうなのだけ回収していきたいと考えています。あくまでも橘薫の葛藤や成長に焦点を当てていくつもりです。


小ネタ

一年C組のメンバー


藍川通(あいかわとおる) 綾小路舞(あやのこうじまい) 飯島努(いいじまつとむ) 家永治虫(いえながおさむ) 宇治松子(うじまつこ) 渦巻(うずまき)つむじ

宇和島楓(うわじまかえで) 梶尾進(かじおすすむ) 霧生院香住(きりゅういんかすみ) 久志那姫子(くしなひめこ) 倉木青(くらきあお) 栗原律(くりはらりつ)

来栖(くるす)クリス 狐龍鶴亀(こりゅうつるき) 笹原凛(ささはらりん) 佐藤甘太(さとうかんた) 鈴木鳴(すずきなる) 曽根原順二朗(そねはらじゅんじろう)

空井雲(そらいくも) 田井中(たいなか)かわず 田浦部安子(たうらべやすこ) 畳川十三(たたみかわじゅうぞう) 橘薫(たちばなかおる) 田中翔太郎(たなかしょうたろう)

種田葉(たねだよう) 杖先鋭実(つえさきえいみ) 津軽(つがる)りんご 津田(つだ)あかね 鍋島優花(なべしまゆうか) 二階堂広明(にかいどうひろあき)

沼田杉要一(ぬまたすぎよういち) 寝島沖(ねじまおき) 根矢火途彦(ねやかずひこ) 野山一平(のやまいっぺい) 羽山港(はやまみなと) 富岳百子(ふがくももこ)

目張(めばる)うり 館守春一(やかたもりはるいち) 湯島篤子(ゆじまあつこ) 与田国守(よだぐにまもる) 若井川俊(わかいがわしゅん) 輪島律子(わじまりつこ)


無意識に漫画の主人公の名前とか出してないと良いのですが、一応考えました。中性的な名前もありますが、ここでは性別は省かせて頂きました。個人的に渦巻つむじと田井中かわずって響きが気にいっています。名付けられた方はたまったもんじゃないと思いますが。

それと全国の鍋島さんごめんなさい。良い名字だと思います。

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